2015年1月24日土曜日

神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命②

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

  ※Matのジオログ

 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:850・851頁

 神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命②

 『日本書紀』によると、神武天皇は樫原宮に即位し

 「正妃を尊び皇后をとす」とある。

 磯城郡田原町蔵道の村屋坐弥富都比売神社の地へ

 移ったのである。

 同社の伝承によると、

 神武天皇元年9月に

 媛蹈鞴五十鈴姫命に村屋の神等を斎祀させたとある。

 同社は延喜式神名帳大和国城下郡に

 「村屋坐弥富郡比売神社大」と載る。
 
 祭神を現在は三穂津姫、大物主命とする。

 この判断は『日本書紀』の葦原中国の平定の段で

 高皇産霊尊が、

 八十万神を引いて事代主神ともども帰順してきた大物主神に、

 その女三穂津姫を娶あわせて永久に皇孫を守り奉るようにと

 地上へ還り降下させてという一書の伝承に従うものである。

 「弥富都」を「三穂津」と訓んだ上での判断である。

 だが、高皇産霊尊はさらに後世に神格化された神であり、

 神武天皇の時代における三穂津姫の存在は薄い。

 同社の祭神について

 江戸時代の「和州旧跡幽考」や「大和名所図会」は

 「韴霊劒(ふつのみたまのつるぎ)」とする。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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