2015年1月31日土曜日

倭人伝の国々

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:854・855・856・857頁

 第十三章 「倭人伝」狗奴国

 倭人伝の国々

  ここではこれまでに参考にしてきた

 「後漢書倭伝」「三国志魏書倭人伝」に登場する諸国のうち一部を

 解説して纏めることとする。 

 そのうちの狗奴国については少々詳しく考察してみる。

 まず「倭人伝」に従い、

 魏から倭に渡行する途次の国と倭の国々についてみる。

 (1)狗邪韓国

   韓半島の南端の国で、帯方郡より海路七千余利里。

  狗邪は「姑射と偎人」で述べた。

  現在の釜山地方である。


 (2)対馬国

   狗邪韓国から海路千余里。

  現在の長崎県の対馬であり、

  その語義は「馬韓に対面する」である。

 (3)一大国

  対馬国より南へ海を渡り千余里。

  現在の長崎県壱岐。

 (4)末廬国

   一大国から海を渡り千余里。

  現在の佐賀県・長崎県に広がる松浦郡のうち、

  具体的な場所は定かでない。

  しかし、「マツラ」は第一章祝祭「淀姫と佐保佐神社」などで

  述べたがサンスクリット語の madhura (甘いもの、密) が

  祖語である。

 (5)伊都国
   
   末廬国から東南に五百里。

  現在の糸島郡。

 (6)奴国
  
   伊都国から東南に百里。

  現在の福岡市博多の地域。

  「奴」の祖語はサンスクリット語の「船」を表わす nau である。

  第六章のユダヤ人と月氏や第十章天毒とセリカで触れた。

 (7)不弥国

   奴国から東に百里。

  現在の福岡県宗像郡福間がその比定地。

 (8)投間国

   不弥国から水行二十日。

  現在の宮崎県児湯郡都農町、日向市の南部。

  第十二章大国主神と大物主神

  「大国主神の奉祭氏族(4)都農神社」で述べた

  「藤見」がその遺称だが、その官名「弥弥」から

  日向市の美々津町まで含む広い地域。

 (9)邪馬臺国 

   投間国から「南に進み」、

  水行十日、陸行一ヶ月かかるとあるが、

  水行陸行の時間的配分は不明瞭。

  不弥国から投間国まで水行二十日とすると、

  その方向と時間の推量から鹿児島県地方となるが、

  実際は「水行一ヶ月、陸行十日」であった可能性もある。

 (10)女王に支配されている領域、二十カ国及び奴国

   これらの国も九州の域内と考える。

 (11)狗奴国

   「魏書倭人伝」は「その南に狗奴国があり」と、

  女王の支配している領域に位置していると記しているが、

  時代的に魏より前の時代の史書ではあるが、

  「魏書」により纏めたものとの見解のある

  「後漢書倭伝」には

  「女王国から東へ渡ること千余里で拘奴国に至る」とある。

  狗奴、拘奴と異字になっているが、同じ国と解釈される。

  この「倭伝」の情報をより正確なものとすれば

  狗奴国瀬戸内海を東進して千余里の近畿地方となる。

  魏書にも

  「女王国の東、海を渡ること千余里のかなたに、また国がある。

   いずれも倭種の国である」と

  後段に述べ、その国名を明らかにしていない。

  後漢書の表記とほとんど同じで、

  この国が「狗奴国」と解釈することができる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2015年1月25日日曜日

神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命③

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:851・852頁

 神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命③

 つまり「剣持神」はインドラ神にして大物主神である。

 大神神社の巫女であった姫蹈鞴五十鈴姫命が

 同神を祀ったとしても不自然でない。
 
 同社は大神神社の部宮と称される近い関係にある。

 しかし摂社末社には属さず、

 別宮というもののけじめがつけられているのは、

 同姫の神武天皇の皇后になったとの立場が

 考慮されてのことと判断される。

 大物主神の神妃はその摂社に祀られているが、
 
 三穂津姫命の名はない。

 そのような状況からすると、

 「弥富都比売」は

 姫蹈鞴五十鈴姫命その人をいうものなのである。

 「弥富都」は『古事記』名にある「富登」で「弥」は

 サンスクリット語の mih (霧)で megha (雲)と同義で

 「ミフツ」は「雲‐剣」で「雷光、稲妻」である。

 島根県八束郡美保関町の「三保」は

 そこに「雲津」の地名がある通り mih(megha) の転写で、

 「三穂津」は雲に因んで作られた名称である。

 『日本書紀』では三穂津姫を大物主神の妻とするが、

 巫女は本来神妃にして妻であり、

 媛蹈鞴五十鈴姫もその立場にあった。

 明治24年の「神社明細帳」は

 祭神を「弥富都比売神、大物主大神」とし、

 主神を比売神とする表記となっており、

 夫妻神を表わすような表記ではない。
 
《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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2015年1月24日土曜日

神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命②

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:850・851頁

 神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命②

 『日本書紀』によると、神武天皇は樫原宮に即位し

 「正妃を尊び皇后をとす」とある。

 磯城郡田原町蔵道の村屋坐弥富都比売神社の地へ

 移ったのである。

 同社の伝承によると、

 神武天皇元年9月に

 媛蹈鞴五十鈴姫命に村屋の神等を斎祀させたとある。

 同社は延喜式神名帳大和国城下郡に

 「村屋坐弥富郡比売神社大」と載る。
 
 祭神を現在は三穂津姫、大物主命とする。

 この判断は『日本書紀』の葦原中国の平定の段で

 高皇産霊尊が、

 八十万神を引いて事代主神ともども帰順してきた大物主神に、

 その女三穂津姫を娶あわせて永久に皇孫を守り奉るようにと

 地上へ還り降下させてという一書の伝承に従うものである。

 「弥富都」を「三穂津」と訓んだ上での判断である。

 だが、高皇産霊尊はさらに後世に神格化された神であり、

 神武天皇の時代における三穂津姫の存在は薄い。

 同社の祭神について

 江戸時代の「和州旧跡幽考」や「大和名所図会」は

 「韴霊劒(ふつのみたまのつるぎ)」とする。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命①

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:849・850頁

 神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命①

  富登多多良伊須須岐比売命は神武天皇の皇后になった。

 父は大物主神で母は勢夜陀多良比売命である。

 同命が高佐士野で「七媛女」の中に遊行べるときに

 神武天皇が見初めた。

 その屋敷が三輪山の西北の麓出雲屋敷であった。

 現在父母神と共に狭井坐大神荒魂神社に祀られている。

 同命が出雲屋敷にいたことは、

 彼女も大神神社の巫女であったことを示す。

 神武天皇は七人の巫女のの中から皇后を選んだのである。

 その別称を『古事記』は比売多多良伊須須気余理比売といい、

 『日本書紀』は媛踏鞴五十鈴媛命という。

 「大物主神妃」で、「陀多良、多多良」を『日本書紀』が表記する

 「蹈鞴」の意味に本書がとらないのは、

 製鉄に係わる技術用語として日本へこのタタラが

 入って来たのは崇神天皇の頃であって、

 神武天皇の頃にはなかったと解釈するからである。

 本書が『古事記』の「富登多多良」の「多多良」をその母名と同じ

 「陀多良」に合わせて解釈したのはその理由による。

 『日本書紀』の制作者が「多多良」を「蹈鞴」と解釈したための

 表記であろう。

 その意味するところは「鍛冶」で

 「富登多多良」は「刀鍛冶」とすることができる。

 「富登」は富都、経津である。

 同命は神武天皇の皇后になると

 大神神社の神域を離れなければならなかっただろう。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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 ハラフ期の土器について
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2015年1月22日木曜日

天照大神と多氏・大三輪氏⑮


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 《参考:年表・資料》

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:847・848頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏⑮

  神八井耳命の母(勢夜陀多良比売)に連なる

 三嶋泊咋(登美族)の系譜が

 暁紅神である太陽神と関係あることは理解できるが、

 その父神武天皇の系譜もまた太陽神崇拝者(日種)である。

 その祖神四代の尊称を『古事記』は次のように表わす。

  第1代 太子正勝吾勝速日天忍穂耳命

  第2代 天津日子番能邇邇芸命
  
      天津日高日子番能邇邇芸命

  第3代 三津日高日子穂穂出見命

      虚空津日高<天津日高の御子>

  第4代 天津日高日子波限鵜葺草葦不合命

  第5代 神倭伊波礼毘古命(神武天皇)

  第1代天忍穂耳命の「太子」については日本古典文学大系は

 「ひつぎのみこ」と読み、その注で「日嗣の御子の意」としている。

 本書では「太」は「大、意富」と同じくサンスクリット語の

 aha,ahar の音写であると述べてきたが、

 その語義が「日、昼」であり、「太子」は「日子」とすることができる。

 第2代から第4代の尊称にある「日子」に引継がれている称号である。

 第2代から第4代までの天津日子、

 天津日高日子は太陽を表徴する尊称であり、

 神武天皇の祖神が

 「日子」太陽神に係わっていることを示している。

 そして『古事記』は

 「天照大御神の命以ちて、

  『豊葦原之秋長五百秋之水穂国は、

   我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ』と

  言因さし賜ひて、天降したまひき。」と語り、

 第1代天忍穂耳命が天照大御神の御子であるという。

 「天津神系」は太陽神崇拝者の系譜にある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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天照大神と多氏・大三輪氏⑭


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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:845・846頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏⑭

  大田田根子は讃良郡の高宮にいた者と考えることができる。

 高宮が共通するばかりでなく、『古事記』のいう。

 「河内」内であり、「美努」は mina (魚)で、

 マツヤ(三井など)の異名であり、

 『日本書紀』の「茅淳県」の「チヌ」は「黒」であった。

 「陶邑」については、

 秦町の細屋神社が「クワヤ」で「壺屋」である事情を

 「大物主神の奉祭氏族(1)登美族」で述べたが、

 近くの太秦遺跡からは

 大和攝津に特徴を同じくする甕形土器が出土している。

 須恵器製作が始まる以前の弥生式土器である。

 秦町には加茂神社がり、「カモ」は kahamat (穴持) でるから、

 壺(甕)も二重口縁壺であった可能性について「登美族」で触れた。

  『古事記』に疫病の多いことを悩んだ崇神天皇が神牀に坐して

 大物主神から大田田根子に

 「我が御前を祭らしめたまえ」と宣告されたが、

 「神牀」は『日本書紀』の解釈によると

 「沐浴斎戒して後に坐す淨殿」となる。

 「牀」はまた「寐屋(とこや)」で現在は寝屋と転換されており、

 崇神天皇の伝承に係わる地名と考えることもできる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


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2015年1月18日日曜日

天照大神と多氏・大三輪氏⑬


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 牛角と祝祭・その民族系譜:843・844・845頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏⑬

  多神社の祭神「姫神」は結局その暁紅神で、

 天疎向津姫命は三輪山の高宮神社に坐す日向御子神にして

 天照大神である。

 つまり、

 多氏族も三輪山の高宮神社の信仰に関係していたのである。

  三輪山の高宮神社を「コウノミヤシャ」と

 言い慣わしていることは重要である。

 「コウ」は gaurā (光輝)でることは述べたが、

 枚岡神社の神津嶽も「コウ」でなければならず、

 高安郡の天照大神高座神社の

 「高座」も「コウ」でなければならない。

 さらに讃良郡の高宮神社、高宮大社祖神社の「高宮」も

 「コウノミヤ」でなければならない。

 その高宮に近い枚方市の高田は「コウダ」という。

 その隣りは香里である。

  暁神崇拝のドヴァラカ族(登美族)が

 「海を光して依り来る」神大物主神を

 三輪山に社を建て住まわせ奉祭し、

 崇神天皇の時「高宮」に関係のあった大田田根子が

 高宮神社の祭祀を引継いだのである。

 彼の所在地について、

 『古事記』は「河内の美努村」

 『日本書紀』は「茅淳県陶邑」という。

 堺市上之に延喜式神名帳「和泉国大島郡」に

 「陶荒田神社二座」とある」同名社が鎮座し、

 大田田根子を祭神として祀っている。

 ここは陶器の産地で特に須恵器多く産出した。

 ここを彼の出身地とするには少々問題がある。

 確かに「陶邑」ではあるが、ここは和泉国であって河内ではないこと、

 またこの陶邑古窯郡から出土する須恵器の製作開始時期が

 5世紀半頃からで、その時代の隔たりは150年ほどある。

 崇神天皇の時代は3世紀の末葉(290年以降)から

 4世紀の初葉である。

 更に重要な要件は彼が根子(禰宜)であったにも係わらず、

 堺市東部にはそれらしい雰囲気の痕跡を見出せないことである。

 陶器に係わっていたにしても先ず神官で祭祀ができなければ

 その役目は果たせなかったはずである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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天照大神と多氏・大三輪氏⑫


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 牛角と祝祭・その民族系譜:842・843頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏⑫

 大阪府西淀川区姫島に姫嶋神社が鎮座する。

 延喜式神名帳「摂津国住吉郡」に載る「赤留比売神社」で、

 現在その祭神名を「阿迦留比売命」と表記している。

 この「アカル」はサンスクリット語の ahar の転訛で、

 「大比良、大日孁」と同根の「日、昼」で太陽を表わす。

 この「姫」も太陽に係わる。

 大阪市住吉区住吉町の住吉大社においても

 第四宮に姫神が祀られている。

 「住吉大社神代記」は「気長帯長足姫皇后宮」と書いて

 「息長帯比売」に当てている。

 しかしその第四宮の御前に船玉神社を

 配置していることからすると、

 この「帯、足」は tarṣa で、「筏」の船ではあるが、

 天空の船である太陽(船玉)を祭祀したもので、

 この姫神も太陽神と考えられる。

  これらの考察から「姫神」は一般的名詞では」なく、

 確かな一定の神格を表現するものであり、

 それが夜明けの光、暁あるいは暁紅神で

 あることが明白である。

 「ヒメ」はサンスクリット語の

  vimala (汚点のない、透明な、白い)を祖語とするが、

 パーリ語では vimon と変化した。

 つまり「ヒメ」は無垢の少女の意味で、暁紅に相応しい。

 「姫神」の祖語はウシャス神にして

 リグ・ヴェーダが呼称する「天の娘」である。

 1-48は詩う

 「よきものを伴いて、われらがために、

  ウシャスよ、輝き渡れ、天の娘よ、

  高き光彩を伴ないて、輝く(女神)よ、

  富を伴ないて、女神よ、賜物に満ち満ちて。」

 このような「天の娘」は

 4-51、7-81、8-47などにみられる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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2015年1月16日金曜日

天照大神と多氏・大三輪氏⑪


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 牛角と祝祭・その民族系譜:840・841・842頁
 
 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏⑪

  「ヒラオカ」の意味であるが、

 枚岡郷が讃良郡にあった状況から判断すると、

 これはサンスクリット語の viroka の転訛である。

 その語義は「光輝」ではあるが、

 「夜明けの光」で暁に特定された用語である。

 しかも「穴、空所」をも内容とする。

 まさに「天門」に相当する。

 寝屋川初町はクリシュナの父 vasudeva の vasu の音写で、

 隣りの日之出町名にも係わる「夜明けの輝き」を

 表わすと紹介し、

 ドヴァラカ族が「暁紅」崇拝の日種であると述べた。

 「ヒラオカ viroka」はされに共一し、

 そのような背景をもつ地名である。

 クリシュナ自身も vāsudeva (ヴァスデーヴァの子)と呼ばれ、

 その尊称に「暁」を持っていたのである。

  Viroka を他の例でみると、長野県塩尻市に広丘がある。

 その東に東山があり、そこに片丘があることを

 第11章の「横山:医方明の山」で述べた。

 「片」は keta で「光輝」を表わすが、

 広丘は「夜明けの光」が射すところである。

 その西方には東筑摩郡の朝日村があり、

 「ヒロオカ」を補足する地名である。

 Vi が「ヒ」であるのは漢音写が「毘」で

 『古事記』に「毘売」と表記された単語である。
 
 これが「比売」「姫」であることは周知のところである。

 枚岡名にはこのような「暁紅」の意味があり、

 枚岡神社の「姫神」はこの viroka 神なのである。

 宇佐神宮の姫神はウシャス神で暁神であり、同一となる。

 「本朝世紀」正暦5年条に

 「天帯姫命廟坐河内国枚岡」とあるが、

 「帯:たらし」はサンスクリット語の tarṣa の音写で

 「太陽、筏、海洋」を意味し、「天帯」は「太陽」である。

 その廟が現在何処かははっきりしないが、

 ここに「日」に係わる伝承があることは確かである。

 春日大社にはこの「比売神」が祀られているというのである。

 「カスカ」はサンスクリット語の kasāka (太陽、火)を祖語とし、

 奈良市街の東方に春日山は位置する。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年1月14日水曜日

天照大神と多氏・大三輪氏⑩


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:839・840頁
 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏⑩

  次に「姫命」「姫神」の「ヒメ」について考察する。

 「特選神名牒」は多神社の第二座名の祭神について

 「姫命」と記述するのみである。

 「姫命」だけとする神社はこれまで宇佐神宮を紹介したが、

 奈良市の春日大社の第四座がある。

 春日大社の「比売神」は枚岡神社(東大阪市出雲井町)から

 勧請されたと伝えられる。

 同社は延喜式神名帳河内国河内郡に

 「枚岡神社四座並名神大」と載る。

 社伝によると奥宮のある神津嶽頂がその鎮祭の地であったという。

 神津嶽は三輪山の頂

 「高の峰、神の峰、上の峰」を連想させる。

 和名類聚抄の河内国讃良郡に枚岡郷があり、

 枚岡神社は

 そこから遷されたと説かれたことがある(大日本地名辞書)。

 「神撰姓氏録」河内国神別の平岡連が讃良郡の枚岡郷から

 現在の鎮座地に移住したと考えられた。

 「枚岡郷」は現在の四条畷市の一部を含んでいたとみられているが、

 その四条畷の地名が東大阪市の同社の周辺にあった。

 今は縄手となっている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ