『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:29頁
以上のように検討すると、偶然とかコジ付けではなく、
それが史実だと立証できる整った徹底した結論群が見つかる。
だからそれを偶然だとかコジ付けだとか非難する者は、
どこがコジ付けか、なぜ偶然なのか、
一つ一つ念入りに立証する義務がある。
「偶然」とは文字通りごく希に
「偶ま(たまた)発生する他人のソラ似現象」をいう。
だから以上のように一連の一致が、徹底的に大量に、連続して検出できるものは、
「ソラ似」とは正反対の「本物」なのであって「必然」なのである。
それを偶然と呼ぶ者は言葉も正しく使えない無教養を、
自分で公表する連中だから、
いくら教えても理解できる相手ではない。
「コジ付け」とは、
むりやりに「故事来歴」をネツ造してくつつける行為をいう。
例えば医学者がサーズのような新らしい病気を発見して、
その病菌を無関係な病菌中に分類し報告したとしても、
それは「故事つけ」とはいわない。
不注意とか研究不足という。
仮に、何かを観察し考察して、
得られた結論を比較し分類整理する際に、
間違った解釈やムリな分類をしたとしても、
それは「故事つけ」とは絶対に言わない。
そうしてそれを批判するのなら、
相手を上回る研究をし優れた結果を確保した上で、
徹底的に比較して相手のミスを立証する必要がある。
史学の研究も同じで、
より高い成果を立証しなくては何の意味もない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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