『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:21頁
全ては粛慎でわかる。
この文字はチュクチ人に対する当て字である。
沖縄語のチュクチは南九州語ではキクチになる。
すると菊池・鞠智(きくち)と書かれた古代地名が、
九州の中央部にあることに気付く。
いま熊本県には菊池郡と菊池市があり、
鹿本郡菊鹿町米原に鞠智城址がある。
また沖縄語の語尾のチは本土語でシで、
チュクチはチュクシ、これは間違いなく筑紫でもある。
天智天皇は斉明天皇を筑紫に連れて行き、
女帝はその朝倉郡で死んだ。
天命開別は沖縄語では
天はチヌで本土語のキン=金、開きは古語ハラキで「春秋(ハラキ)」と
当て字できる。
すると新羅王・金春秋は完全に天智天皇であり、筑紫の白日は、
新羅を沖縄訛りでシラジと読んだものに助詞の津をつけた「シラジ津」への
当て字だったことがわかる。
だから彼の
「粛慎国討伐」は九州の白日国占領だったのであり、
筑紫が新羅だった証拠なのだ。
では彼は半島新羅人だったのか?。
それは彼が倭国を「日本」と改名したことで否定されている。
当時を記録した
『旧・唐書』が記録している初唐までの小国・日本は、
鹿児島県にしかない西と南が大海だという特徴をもつ
鹿児島県と熊本県の一部との国だった。
その国が北征して福岡をとり、半島新羅をとったのである。
彼が半島新羅の王だったのなら
新政権は日本などと改名するはずがない。
我が国は今も新羅という国名だったはずである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
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ウワイト
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