2011年3月3日木曜日

天智天皇は半島新羅人だったのか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:21頁

全ては粛慎でわかる。

この文字はチュクチ人に対する当て字である。

沖縄語のチュクチは南九州語ではキクチになる。

すると菊池・鞠智(きくち)と書かれた古代地名が、

九州の中央部にあることに気付く。

いま熊本県には菊池郡と菊池市があり、

鹿本郡菊鹿町米原に鞠智城址がある。

また沖縄語の語尾のチは本土語でシで、

チュクチはチュクシ、これは間違いなく筑紫でもある。

天智天皇は斉明天皇を筑紫に連れて行き、

女帝はその朝倉郡で死んだ。

天命開別は沖縄語では

天はチヌで本土語のキン=金、開きは古語ハラキで「春秋(ハラキ)」と

当て字できる。

すると新羅王・金春秋は完全に天智天皇であり、筑紫の白日は、

新羅を沖縄訛りでシラジと読んだものに助詞の津をつけた「シラジ津」への

当て字だったことがわかる。

だから彼の

「粛慎国討伐」は九州の白日国占領だったのであり、

筑紫が新羅だった証拠なのだ。

では彼は半島新羅人だったのか?。

それは彼が倭国を「日本」と改名したことで否定されている。

当時を記録した

『旧・唐書』が記録している初唐までの小国・日本は、

鹿児島県にしかない西と南が大海だという特徴をもつ

鹿児島県と熊本県の一部との国だった。

その国が北征して福岡をとり、半島新羅をとったのである。

彼が半島新羅の王だったのなら

新政権は日本などと改名するはずがない。

我が国は今も新羅という国名だったはずである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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