『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:23頁
大阪府の堺市が種子島の坂井からの移住者の町だったことは、
はるか後世に種子島銃工業が盛んだったことでも明らかだが、
同市支部長の最古参正会員・山本健氏は地域史のご研究が深い。
先生は
文久3年(1864年=蛤御門の変の年)に描かれた地図に、
広大な「山本新田」が載っている所縁(ゆかり)あるご出身だが、
当時の村名は舳(への)松村で、
松の名がついているだけでなく、
舳(へ)という船の部分の名まで村名になっていた。
この舳松という地名の由来は、
『堺市史』の「伝説の堺」第1節に
「神功皇后が朝鮮からお帰りになって、
石津の汐穴の松原に船をつけたとき、
船を繋がれた場所を舳松、
ご乗船九艘が停泊したところを九艘小路と呼び、
宿院のあたりまで続いていた」とあるから、
その船は可なりの大船だったことがわかる。
「現在の小林寺小学校の北にある鎮守の森は
九本松大明神という」というのも
ギリシャ以来の信仰の名残とみると意義が深いが、
それ以上に感銘的なのは大正14年に舳松村は堺市と合併し、
昭和4年に耳原町その他を分立、
8年には御陵通などを、
10年には松原町などを分立したので舳松村は消滅した。
その後、
耳原町も昭和32年に、大仙中町、大仙西町、協和町などに分割された結果、
耳原町も34年に消滅した。
これでおわかりのように舳松村こそ、あの百舌鳥耳原であり、
大仙陵=仁徳陵や、履中、反正両天皇陵のある地域だったのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
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