2011年3月5日土曜日

現代まで続く、堺市の「生きたギリシャ系海軍史」

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:23頁

大阪府の堺市が種子島の坂井からの移住者の町だったことは、

はるか後世に種子島銃工業が盛んだったことでも明らかだが、

同市支部長の最古参正会員・山本健氏は地域史のご研究が深い。

先生は

文久3年(1864年=蛤御門の変の年)に描かれた地図に、

広大な「山本新田」が載っている所縁(ゆかり)あるご出身だが、

当時の村名は舳(への)松村で、

松の名がついているだけでなく、

舳(へ)という船の部分の名まで村名になっていた。

この舳松という地名の由来は、

『堺市史』の「伝説の堺」第1節に

「神功皇后が朝鮮からお帰りになって、 

石津の汐穴の松原に船をつけたとき、

船を繋がれた場所を舳松、

ご乗船九艘が停泊したところを九艘小路と呼び、

宿院のあたりまで続いていた」とあるから、

その船は可なりの大船だったことがわかる。

「現在の小林寺小学校の北にある鎮守の森は

九本松大明神という」というのも

ギリシャ以来の信仰の名残とみると意義が深いが、

それ以上に感銘的なのは大正14年に舳松村は堺市と合併し、

昭和4年に耳原町その他を分立、

8年には御陵通などを、
10年には松原町などを分立したので舳松村は消滅した。

その後、

耳原町も昭和32年に、大仙中町、大仙西町、協和町などに分割された結果、

耳原町も34年に消滅した。

これでおわかりのように舳松村こそ、あの百舌鳥耳原であり、

大仙陵=仁徳陵や、履中、反正両天皇陵のある地域だったのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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