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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:922~924頁
第14章 牛頭と鹿頭
宇屋谷と神代神社(3)神代と諏訪大社③
「画詞」が「神使」の童体を「神代」といっていることからすれば
「神子/熊子」は「神代」であり、
神氏系図は
第一代を「神子亦名熊子」、第二代を「神代」とするが、
双方とも同義で、この氏族性が「神代」にあることは明らかである。
第二代の名は科野国造に係わる「異本阿蘇氏系図」に載る
「乙頴(一名神子、又云熊古)」に続く次代「隅志侶」に相応し、
「クマシロ」と訓むことが示唆されている。
諏訪大社の大祝家は「神氏」としてこの序文に登場するが、
諏訪神族の中心として歴史を担ってきた。
これを「ミワ」と読み
大神神社の三輪氏と同族とする解釈もこれまでみられるが、
「ミワ」は大神神社特有な事情によるものであって、
諏訪大社には適用できず正当ではない。
「クマ(氏)」少なくとも「カミ(氏)」であるべきである。
その本義が「牡牛」であり、
大神神社の奉祭氏族と遠祖は同族であることは
当考察で明らかにしたところであるが、
やはり別系としなければならないだろう。
「神氏」名について、その正否ををかくにんすることは不可能ながら、
「神代」であったとさえ推測される。
「神氏」「神代」は誤って転記されやすい字体である。
その実例がある。
福岡県久留米市神代に当たる。
和名類聚抄筑後国御井郡神代郷は隈代、神城とも表記され、
和名類聚抄の高山寺本の「神代」と記し「久万之呂」と
訓じているのに依拠しているが、
伊勢本と東急本は「神氏」に作っているぼである。
この実例を考慮すると、
諏訪神族の歴史的背景から「御衣着祝神氏」が
「神代」でなかったことは断言できないだろう。
だが、1000年を超える年月に亘って「神氏」として
歴史を築いてきたのであり、
それは尊重されなければならない。
「御頭」である鹿頭は「神代」なのであり、
鹿頭が牛頭の役目を果たしている事実は紛れもない。
以上の考察で「風の祝」が宇夜都弁命、美穂須須美命に
依拠していることを含めて諏訪大社が斐川町の神代神社と
深い関係にあることが理解されるだろう。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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