2015年6月22日月曜日

宇屋谷と神代神社(3)神代と諏訪大社①

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:916~918頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 宇屋谷と神代神社(3)神代と諏訪大社①

  斐川町宇屋谷の神代神社が「諏訪神社元宮」と

 地元ではいわれているが、

 実際そのような関係にあるといえるのだろうか。

 既に「風の祝」「鍛冶(鞴)」でその関係を提起した。

 結論は諏訪大社の歴史には「神代」と重大な関係にある。

 まず長野県内の神代の付く地名に触れておく。

  上水内郡豊野町に「上神代」という地名がある。

 これはかっての神代村の一部である。

 和名類聚抄においては「水内郡大田郷」内とみられるが、

 そこには延喜式神名帳の水内郡に同名で載る

 「伊豆毛神社」が鎮座する。

 同社は出雲宮、出雲大明神とも史料では表記されている。

 祝祭神は素盞鳴尊、大己貴命であるが、

 その祖神については、

 素盞鳴一神、伊勢津彦命、出雲建子命説があり不確定であるが、

 後述するようにこの中ではその地名「神代」から

 「出雲建子命」が最も可能性が高い。

  記述のように素盞鳴尊とするならば、

 それは「神代神」に置換えられなければならない。

 豊野町内には「石」の地名もあり、

 斐川町宇屋谷との繋がりを感じさせる。

 同町の南隣りは長野市だが、

 石の南方の同市内と千曲川を隔てた須坂市の向かいに

 小島の地名がある。

 そこからは少々離れるが、犀川と千曲川との狭間に篠ノ井があり、

 そこに延喜式神名帳更級郡に載る布制神社が鎮座する。

 その比定社は長野市篠ノ井布施五明の同名社であるが、

 同地には合わせて四社の同名社がある。

 同地はかっての布施郷で布勢氏がその祖神大彦命を祀ったとされる。

 この地域においても神代-布勢の関係を確認することができた。

 因みに「篠ノ井」はサンスクリット語を祖語とする。

 「篠」は sena で「軍艦」、

 「シノノイ」は sena-ni で「将軍」の意味がある。

 森将軍塚古墳初め、の地区に「将軍」名の付く古墳が

 数基あるのに対応される地名である。

 神代村、伊豆毛神社、布創神社は

 出雲の登美族の東漸をみるものである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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