2015年6月11日木曜日

宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命①

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:895~897頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命①

  だが、既に述懐したようにことはそう簡単ではない。

 出雲内で剣を製造していた可能性もあるのである。

 西谷の入口に近い荘原町に佐支多神社が鎮座し、

 その意味が「剣」であることを紹介したが、

 この周辺にその刀鍛冶がいた痕跡の資料があるのである。

 斐川町神庭のうちで、西谷の東側に宇屋谷がある。

 この里について出雲国風土記出雲郡建部郷に次のようにある。

  先に宇夜の里と号(なず)けし所以(ゆえん)は、

  宇夜都弁命、其の山の峯に天降りましき。

  即ち、彼(そ)の神の社、今に至るまで猶此處に坐す。

  故、宇夜の里といひき。

  この宇夜の里が宇屋谷に相当する。

 そして「彼の神の社」とは、

 同風土記に「神代社」、延喜式神名帳に「神代神社」と載る。

 現在も宇屋谷に鎮座する同名社である。

 「宇夜都弁命」名は同風土記にはここだけで、

 他の史料にも一切みられない孤立した神名である。

 だが、これらの名称は古代の宗教的環境を知る上に

 極めて貴重な資料を提供している。

 そればかりか、この神社の重要さを再確認させる事件が

 荒神谷遺跡の発見であると考える。

 そして同社は諏訪大社(建御名方神)にとっても、

 貴重であることが以後の考察で明らかとなる。

  「字夜」に作るものもあるが、やはり「宇夜」が妥当である。

 同じ島根県江津市の日本海岸沿いに敬川(うやかわ)町があり、

 敬川が流れている。

 敬川は宇夜弁命が足を洗ったのでその名が付けられたという。

 「ウヤ」を「うやまう」の「敬」と使っている。

 「敬」はまた「礼」で「イヤ」の音訓も導き出される。

 しかし、これらはその祖語ではない。

 その祖語はやはりサンスクリット語の uyo-kāra と結句される

 uyo- で、その原語は uāgu で、「風」あるいは「息吹き」を意味し、

 uyo-kāra は「風(息吹き)‐職人」で、「鍛冶屋」を表わしている。

 つまりウヤ uyo- は鞴(ふいご)を表わす。

 Uāgu はドイツ語の wehen (風が吹く)、

 英語の wind (風)と同根の用語である。

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《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
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