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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:895~897頁
第14章 牛頭と鹿頭
宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命①
だが、既に述懐したようにことはそう簡単ではない。
出雲内で剣を製造していた可能性もあるのである。
西谷の入口に近い荘原町に佐支多神社が鎮座し、
その意味が「剣」であることを紹介したが、
この周辺にその刀鍛冶がいた痕跡の資料があるのである。
斐川町神庭のうちで、西谷の東側に宇屋谷がある。
この里について出雲国風土記出雲郡建部郷に次のようにある。
先に宇夜の里と号(なず)けし所以(ゆえん)は、
宇夜都弁命、其の山の峯に天降りましき。
即ち、彼(そ)の神の社、今に至るまで猶此處に坐す。
故、宇夜の里といひき。
この宇夜の里が宇屋谷に相当する。
そして「彼の神の社」とは、
同風土記に「神代社」、延喜式神名帳に「神代神社」と載る。
現在も宇屋谷に鎮座する同名社である。
「宇夜都弁命」名は同風土記にはここだけで、
他の史料にも一切みられない孤立した神名である。
だが、これらの名称は古代の宗教的環境を知る上に
極めて貴重な資料を提供している。
そればかりか、この神社の重要さを再確認させる事件が
荒神谷遺跡の発見であると考える。
そして同社は諏訪大社(建御名方神)にとっても、
貴重であることが以後の考察で明らかとなる。
「字夜」に作るものもあるが、やはり「宇夜」が妥当である。
同じ島根県江津市の日本海岸沿いに敬川(うやかわ)町があり、
敬川が流れている。
敬川は宇夜弁命が足を洗ったのでその名が付けられたという。
「ウヤ」を「うやまう」の「敬」と使っている。
「敬」はまた「礼」で「イヤ」の音訓も導き出される。
しかし、これらはその祖語ではない。
その祖語はやはりサンスクリット語の uyo-kāra と結句される
uyo- で、その原語は uāgu で、「風」あるいは「息吹き」を意味し、
uyo-kāra は「風(息吹き)‐職人」で、「鍛冶屋」を表わしている。
つまりウヤ uyo- は鞴(ふいご)を表わす。
Uāgu はドイツ語の wehen (風が吹く)、
英語の wind (風)と同根の用語である。
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《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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