2015年6月18日木曜日

宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命⑤

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:905~908頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命⑤

  『古事記』において建御名方神が建御雷神にしの手を

 取られとところ、

 その手は「若葦を取るが如」と形容しているが、

 この「若葦」とは出雲国風土記の美談郷に載る

 「和加布都怒志命」と係わる発想である。

 つまり「葦」とは「布都」と同義で「剣」を表わす。

 サンスクリット語の asi がその祖語で、

 これまで神奈川県の足柄(第11章)、

 埼玉県行田市忍(同)の祖語、また足立郡の「アシ」(同)の祖語

 として述べてきた用語である。

 「若葦」は「剣神(八千矛神)の御子」である。

 島根県平田市西郷町に葦原神社が鎮座する。

 その字名に西谷といい、

 「西」「葦」が同類であることを示している。

 「葦原」は単なる植物の芦を表わす用語ではなく、

 「剣・刀」を製造している場所との解釈に辿りつく。

 このあたりに西代、西谷、金田、庵地、本庄など

 刀鍛冶に関係する用語を地名としている所が多い。

  葦原名は、『古事記』に大黒主神の別称

 「葦原色許男」としても登場する。

 この神名は、

 同神が根の国の須佐之男命を訪ねた時告った名前である。

 葦原は前記の通りで、「色許男」の「シコ」は

 サンスクリット語の śikkā の転訛と考えられる。

 この用語は思金(思兼)神名 śikhin

 (再興の知識を得た、髪の房を持っている)の同類語で

 「髪の房」「髷」を表わす。

 同神は須佐之男命から困らされ、

 その娘須勢理毘売に助けられるが、

 あるとき大室に呼び入れられて

 須佐之男命の頭の虱を取らされた。

 つまり、髪の手入れをさせられたのであるが、

 「わたしは葦原の髪結い」と名乗ったためである。


 そこで色許男は虱を取りつつ、その髪を

 「その室の椽(たるき)毎に結い付けて、

  五百引の石を其の室の戸に取り塞へて、

  其の妻須勢理毘売を負ひて」逃げ出すことができた。

 この śikkā は śikhin で示されるように

 知識、学識 cikitsa に通ずるが、

 この概念が斐川町神庭の東学頭となっている。

 これは「ガクトウ」と読まれるが、本来は「チカトウ」で

 第8章の「六派哲学と五明学」で紹介した医方明や

 第11章日本に祀られたインドの神々で展開した

 「近津神」と同じである。

 平安時代になって大国主神が医薬神であると

 政朝が決めたのも遠因はここにある。

  守屋谷の周辺の資料を考察すると、

 この地域に鍛冶集団がいた可能性があり、
 
 荒神谷遺跡から出土した銅剣の工房の存在を推測させるのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
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