2016年1月31日日曜日

《久伊豆神社とお獅子様》➀


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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1057~1067頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《久伊豆神社とお獅子様》

  久伊豆神社は埼玉県に特有な神社である。

 県の東部江戸川と荒川の間、

 南は草加市、八潮市から北は加須市、行田市まで

 東側の鹿取神社の占める地域と

 西側の大宮市などの氷川神社が占める地域に

 挟まれて83社が散在している。

 特に岩槻市9社越谷市に8社と集中している。

 その祭神は相違うことなく大己貴神を主祭神としている。

  このうち最も確かで古い創起伝承を持っのは

 岩槻市宮町の神社である。

 由緒書によると

 「約1300年前

  欽明天皇(第29代〈539~571〉)の御代

  出雲族土師(はじ)氏が東国移動の際にこの地に

  大国主命を出雲国より勧請し、

  社殿を建立したのが始まり」だとされている。

 よって、

 久伊豆神社は出雲より勧請されたことが明らかとなる。

 その奉祭氏族が「はじ氏」だという。

 同族には地中海東岸の影があると。

 しかも因幡国風土記逸文、『古事記』に登場する

 「白(素)兎」の仲間である。

 なぜならば、

 「ハジ」はヘブライ語の「野兎」を表わす

 HAZ(hoz)の音写であるからである。

  島根県松江市名は実はこの「うさぎ」の意味を

 持っている。

 アイルランド語では日本のことを 

 Seapáine(海松) といい、「松江」と理解できる。

 しかし、

 この呼称はカナンが母国でイベリア半島を経て

 フェニキア語 Sephan(兎)が移入されたものである。

  紀元前200年頃イベリア半島はフェニキア語で

 ispania といわれ、

 ラテン語で Hispania と表記されるようになった。

  現在の スペイン Spain はだから元来「兎」である。

 フェニキア語はカナン語であり、

 ヘブライ語の母体になっている原語であるから

 イスラエル人に依って

 日本に持ってこられたとしてもおかしくはない。

 1999年代初め西欧のある新聞記者が日本の家屋は

 「うさぎ小屋」だと評したが、

 アイルランドの Seapáine(日本)を知っていて

 発想したものであろう。

 たわいない遊びである。

 そのうさぎ小屋(松江)を愛し、長い間滞在していたのが

 アイルランド人を父とし、ギリシア人を母とする

 アルカディア・ハーン(小泉八雲)であるのだから、

 その運命の不思議を感じざるを得ない。

 このような背景によって

 「白兎」が地中海東岸の文化を素地として

 いることが見えてくる。

  さて、「久伊豆」とは何を表わしているのだろうか。

 一般的には「ヒサイズ」と呼ばれているが、

 「クイズ」とする神社もある。

 その本義を知る資料が出雲にある。

 聖地安来の南方伯太町と広瀬町が鳥取県境で接する所

 「櫃」の転訛した「比田」で比田と仁多町との間の峠を

 「久比須」と言った。

 「久伊豆」はこの「久比須」と同じである。

 即ち安来市吉佐に鎮座する名と同じく

 「神の箱」を意味する KPhSH(箱) が祖語である。

 久伊豆神社は

 土師氏(天穂日命の後裔)によって「神の箱」信仰として

 埼玉の地に定着されたもので、「クイズ」が本名と考える。

 因みに支布佐神社の祭神は天穂日命である。

  「延喜式」神名帳武蔵国埼玉郡に

 玉敷神社が記載されている。

 主祭神は大己貴命である。

 江戸期までは久伊豆大明神とも言ったが、

 明治になって現神社名に改称した。

 式内社とすることに疑問を呈する向きもあるが、

 以下の説明により

 この神社に間違いないことが明らかになる。

 一連の系列社の中でこの神社の方が異称を持っている。

 「玉敷」とは何かであるが、

 これは「雌獅子」を表わしている。

 サンスクリット語の 

 dome-Ginga(雌-獅子)を転訛させたもので、

 ガド族の重要な形容である。

 「安来:十戒神社と祈り」に紹介した、

 モーセが死ぬ前に述べたいう申命記33章の

 「ガドは雌獅子のように待ち伏せ、

  獲物の腕や頭を引き裂く」

 とある詩句に対応しているのである。

 獅子はライオンで狩りをするのは

 雌ライオンだけという事実は

 よく知られているところで、

 その勇猛さをガドの勇壮さに例えて

 祝福の詩としたものである。

 騎西町を中心とする周辺の久伊豆神社の祭礼には

 玉敷神社から「お獅子様」を借りようとして

 氏子の家々に縁側先から

 「アリャリャーイ」とか「アリリ」など

 掛け声をあげながら家の中に入って

 悪魔払いのお祓いを行って玄関から退出するという。

 現在お獅子様が崩れてしまったので櫃、

 つまり箱に入れたものを担いで行くようになっており、

 「クイズ」の本義が行われているともいえる。

 また、多くの社では獅子舞が奉納されており、

 お獅子様が祭礼の中心に置かれている。

 上記の掛け声は

 ヘブライ語の ARYH-ARA が原語でライオンを、

  ARYH-ARA-H(アリャリャーイ)は雌獅子を意味する。

 「雌獅子様だあ」と言っていることになる。

 鎮座地名「騎西」は

 安来市の「吉佐」を遷したものとみられ、

 「箱」の字義である。

 同社の創立時期は不明だが、

 岩槻市宮町の神社同様かなり古いものとみられる。

  ここで、

 その申命記が「モーセ五書」に

 入っている伝書であることから

 『旧約聖書』が日本へ渡っていたということが推測される。

 申命記に載る詩句によって

 祭司が行われていることは明らかに事実である。

 それも「虎の巻」で考えたように巻物である。

 「モーセ五書」はまた KhMSh(khumesh)とも称されるが、

 玉敷神社境内の摂社宮目神社はその音写名である。

 因みにお獅子様、神様の「さま」あるいは「さん」は

 ヘブライ語の「名前、名称」を表わす SM(sem)と考える。

  越谷市の久伊豆神社は平安末期の創建と伝えられている。

 越谷郷は関東の武士団千葉氏系図に現れる地名である。

 平安時代の終わり

 武蔵七党いわれた

 武士団私市党や野与党に同社は支えられた。

 そのうちの武将に「古志賀谷太郎」の名があり、

 平安時代から「コシガヤ」があったことが解る。

 同社は現在当事者さえその意味を理解していない。

 「さんじんさん」の呼称で親しまれてきたという。

 「コシガヤ」と「サンジン」を検討すると、

 前者が「絹、絹の衣服」、

 後者が「蚕神」であることが解る。

 つまり、サンスクリット語の

  kauseya(絹、絹の衣服)、 

 kausika(絹、絹の布帛・衣服)がその祖語である。

 特にkausikaは漢語への音写翻訳で「哥尸迦衣」

 と表記されていることからして明らかである。

 養蚕業が廃れてしまった同地では、

 現在「蚕神さん」が忘れ去られるのも無理はない。

 越谷は養蚕が行われていた地域であったのである。

 同社の鎮座する東方に花田地区があるが、

 これは「カハタ」で「桑畑」が原義であっただろう。

 サンスクリット語による「コシガヤ」の定着は

 平安時代であったかもしれないが、

 養蚕はそれよりも古くから行われていただろう。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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