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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:1034~1041頁
第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰
《志摩のダイダラボーシと天白社》
三重県志摩郡に波切神社が鎮座し、
そこを波切、その町を大王町という。
この神社名はそう古くはなく江戸時代からである。
しかし、その形容はヤハゥエ神の出エジプト記や
ヨシュア記のヨルダン川を渡る時にみせた
奇跡そのものを表わしている。
阿児町立神、浜島町浜島、磯部町坂崎に
宇気比神社が鎮座しているが、
この神社名は「誓い」でガド族の信仰を表わしている。
志摩地方へのイスラエルの影響を探ってみると、
「日本の神々―神社と聖地」の志摩編にみられる。
「呪字板」が決定的にそれを教示してくれる。
それによると、
「志摩の海女たちは海中で鮫をはじめ
いろいろな怪異に会うため、魔除けとして、
必ず磯手拭(てぬぐい)の眉間に当たる所に、
縦に一筋紺系で印をつけ、
その左右にドーマン・セーマンと
呪字を縫いつける」とある。
ドーマンとは星型正多角形(五芒星)で
焼津市の小川遺跡から出土した
木簡にあったものと同じでる。
セーマンは
左右・上下に四本ずつの線を交差させたものである。
この双方を共通に絵文字として持っていたのは
シュメル語である。
前者は方位の意味だが、
北極星が古代においても
方向を読むのに重要であったので
その描写から始まったのではないかと思われる。
後者は「草、牧草」を表わす絵文字である。
志摩においては個々にどのような意向、願いが
込められていたのか明らかでない。
但し、「呪字」として書かれている
「(口+急)々如律令」は理解できる。
「(口+急)」字は大漢和辞典にもない
志摩で発想された文字である。
その理由からこれを「急」音と解釈し
「キュウキュウジョリツリョウ」と読む。
語尾の「律令」は明白であるが、
語頭の三字の理解が重要である。
「(口+急)々」はヘブライ語の KhKhM の
音写と考える。
その意味は「智恵」である。
サンスクリット語の gagana (天空、空、空虚)に
対応する用語である。
「如」字も
波切と同じく絶妙というより妙高な用語法である。
「如」は「ごとし」「あるがまま」であるが、
この一字によりヤハゥエ神を表徴させているのである。
出エジプト記の第3章でいう、」
モーセに対してシナイの山頂で神がいう
「わたしは有って有る者」また
「わたしは有る」いった。
その後者は「如」と考察できるからである。
前者は「如如」と表現されることになる。
依って呪字の字義は「智恵者の律法」で、
ヤハウェ神の律法の威力を願ったものと考えられる。
ヤハウェ神は水の神であるから、
水難を受けないための呪いである。
同書は、志摩には三棚神(ミタラサン)信仰があり、
祝詞を著した「三棚経」は
蘇民将来の故事などを纏めたものだという。
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