2016年1月14日木曜日

蘇民将来と「えびす」

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 牛角と祝祭・その民族系譜:1024~1029頁

 第16章  ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《蘇民将来と「えびす」》

  蘇民将来とは備後国風土記に載っていたと

 される説話である。

 日本古典文学大系から転載する。

  備後の国の風土記に曰く、疾隈(えのくま)の国社。

  昔、北の海に坐して武塔(むたふ)の神、

  南の海の神の女子をよばひに出でまししに、

  日暮れぬ。

  彼の所に将来二人ありき。

  兄の蘇民将来は甚く貧窮(まず)しく、

  弟の来は豊饒みて、屋倉一百ありき。

  ここに、武塔の神、宿處を借りたまふに、

  慎みて借さず、兄の蘇民将来、借し奉りき。

  即ち、粟柄を以ちて座と為し、

  粟飯等を以ちて饗へ奉りき。

  ここに畢(お)へて出でませる後に、

  年を経て、

  八柱のみ子を率て還り来てたまひしく、

  「我、将来に報答爲む。

   汝が子孫其の家にありや」と問ひたまひき。

  蘇民将来、答へて申ししく、

  「己が女子と斯の婦と侍ふ」と申しき。

  即ち詔りたまひしく、

  「茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ」

  とのりたまひき。

  詔の随(まま)に着けしむるに、
 
  即夜に蘇民の女子一人を置きて、

  皆悉(ことごと)にころしほろぼしき。

  即ち、即ち詔りたまひしく、

  「吾は速須佐雄の神なり。

   後の世に疫気あらば、

   汝、蘇民将来の子孫と云ひて、

   茅の輪を以ちて腰に着けたる人は

   免れなむ」と詔りたまひき。

  この物語は明らかにイスラエルの祭り、

 「過越の祭」が祖型になっている。

 さらにその祖型が西アジアにあったと考えられる。

 Satrae がその関連語である。

 ヘブライ語の SDR(seder) は

 過越祭の最初の「晩餐」を表わす。

 Σατραε(satrae) はギリシャ語である。

 同語はラテン語で「雑煮料理」の意味で、

 日本語の「ゾーニ」は

 ギリシャ語の「肉入りスープ」 

 ζοομος を音写したものである。

 ヘブライ人の場合は

 燔祭にしなければならないとの掟があったが、

 燔祭をしないと誓ったガド族は

 「雑煮料理」に転換したのであろう。

 ギリシャ国の半島北東、かってのトラキアに

 Satrai族がおり、

 そこにイベリア川があることから、

 祝祭の文化が伝わっていたと

 第3章カルト人の進出「イベリア半島」で紹介した。

  旧約聖書における「過越の祭」の起源については

 出エジプト記第12章で語られる。

 エジプトの王ファラオ(聖書にはパロ)に

 イスラエル人を解放することを

 許されなかったモーセは、

 エジプトに害をもたらすため、

 神の告示に従って行った祭事である。

 そして

 「この月をあなたがたの初め月とし、

  これを年の正月としなさい」といわれた。

  日本列島に渡来したイスラエル人の

 この祭りを起源に

 日本の正月行事は行われているのである。

 日本で正月にお雑煮を食べる習慣は

 ここにその起源があり、

 平安時代に牛馬の屠殺が全く禁止され、

 米の生産を産業の中心としたため、
 
 肉入りスープ(ゾーニ)を「餅入りスープ」へ

 交代させたのである。

 その「餅」「モチ」名も

 イスラエルの「過越しの祭」の用語に関係する。

 正月の七日間は

 「種なしパン」を食べなければならないと

 神によって告示されていたが、

 その用語がMTsH(mate)で、

 風土記に「武塔の神」といわれている

 「ムトウ」の原語である。

 「種」はイースト菌のことでShMRM(Shamarim)という。

 それが無いパンとは「固餅パン」のことである。

 コッペパンは第二次世界大戦後の

 昭和20年代においても正月式典のため

 登校した小学校などの生徒にお年玉として配られいた。

 イスラエルの祭のこの風習は20世紀の後半まで

 公式の場でも確実に伝承されていたのである。

 さらにこの用語は

 「お正月」の「正(まさ)」あるいは

 「松の内七日間」の「マツ」でもある。

 関西地方の一部では元旦にお雑煮を食べ終わるまで

 家の戸や窓を開けないという風習があったといい、

 日本の正月行事にその影が色濃く留められている。

 上記の説話で「茅の輪を以ちて腰の上に着けしめよ」

 というのは、

 創世記第32章でヤコブが一夜神と組打ちしたとき、

 神によってもものつがい(腰)にさわられ(打たれ)

 びっこになったとの話に対応する発想である。

 逸文に「疫隅の国社」とあり、

 「疫隅」は「エクマ」で

 ヤコブ YIKB を転訛させた呼称である。

  ヘブライ語ではこの祭事を PSH(peyseh) 

 あるいは HG-HPSH(hag-hpasah) という。

 英語では pass(通過する、過ぎる)に対応する用語で、

 日本語に「過越」と意訳されている。

 「蘇民将来」はヘブライ語の SMN-ISRAL(sumen-Isrel)

 の音写と解釈される。

 その意味は「イスラエルの印をつける」である。

 SMN(印をつける)は動詞形で、

  後に述べるSML(sumel)が名詞形で「印」である。

 この「しるし」について、

 出エジプト記第12章7に語られる

 「その血を取り、

  小羊を食する家の入り口の二本の柱と鴨居に
 
  それを塗らなければならない」を指しているが

 申命記第6章には次のような神の告示(神の命令)がある。

 6:4 

  イスラエルよ聞け。

  われわれの神、主は唯一の主である。 

 6:5 

  あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、

  あなたの神、主を愛さなければならない。 

 6:6 

  きょう、

  わたしがあなたに命じるこれらの言葉を

  あなたの心に留め、 

 6:7 

  努めてこれをあなたの子らに教え、

  あなたが家に座している時も、道を歩く時も、

  寝る時も、起きる時も、

  これについて語らなければならない。 

 6:8 

  またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、

  あなたの目の間に置いて覚えとし、 

 6:9 

  またあなたの家の入口の柱と、

  あなたの門とに書きしるさなければならない。

 「蘇民」とは、この SMN(sumen) である。

 風土記では「茅の輪」である。

 この「しるし」について民数記第15章

 『衣服の房』

 15:37

   主はモーセに言われた。

 15:38 

  イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

  代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、

  その房に青いひもを付けさせなさい。
 
 15:39 

  それはあなたたちの房となり、

  あなたたちがそれを見るとき、

  主のすべての命令を思い起こして守り、

  あなたたちが自分の心と目の欲に従って、

  みだらな行いをしないためである。

 15:40 

  あなたたちは、

  わたしのすべての命令を思い起こして守り、
 
  あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。
 
 と書かれている。 

  「茅の輪」はこの「ふさ」と関係するだろう。
 
 申命記第6章4の「聞け、イスラエルよ」は

 ヘブライ語で ShMI となり、SMN-ISRAL に近似する。

 これは

 「ユダヤ人が危機や殉教の際に叫んだ聖句」

 であるといい、

 「聞け」(Shemai) は

 「ユダヤ教のヤハウェ神の唯一性と神への愛と奉仕を

  内容とする祈り」を表わす用語となっている。

 後に事例を取り上げる護符には必ず

 「蘇民将来子孫」と表現され、

 申命記第6章7にある「あなたの子ら」であり、

 「イスラエルの印を付けている子孫」の意味である。

 なお、備後国の説話に

 蘇民将来の兄を

 「巨旦将来」と表記している版本があるが、

 「巨旦」は「コタン」で、

 これはヘブライ語の音写である。

 KTN(katan) が「小さい、少ない、わずか」の意味で、

 同類語 KTNVNY(katnani) が

 「狭隘な、けちな」の意味となる。

 これらが、その原語であり、兄の将来の態度と一致する。

  この説話は備後国、

 今の広島県東部でのお話である。

 「疫隅の国社」は

 同県芦品郡新市町戸手江熊の疫隅神社とされる。

 戸手は江戸時代には戸出と表記されており、

 「トイデ」でヘブライ語 DID(daid知恵) の音写である。

 知恵とヤハウェ神とは切り離せない関係にあり

 後段に詳しく述べる。

 その周辺地域には馬屋原姓の方が非常に多いが、

 ヘブライ語の「白い」の VVYYS(vays) から

 「マヤ」に転訛したもので、

 実際は「繭」を表わし

 養蚕を行っていたためとみられる。

 近郊には世羅郡や神石郡など、

 これまで絹産業の地名として紹介した

 地域内に同地はある。

  秦氏の秦王国であった播磨にも

 「蘇民将来」の信仰が留められている。

 神戸市西区神出町田井の六社、

 淡路島の津名郡北淡町に三社の

 武大神社が鎮座しているが、

 「武大」は「武塔」と同義であり、

 「過越の祭」に係わる神名である。

 西宮えびす神社もこの信仰に根差している。

 「えびす」は

  HG-HPSH(hag-hpasah) のHPSHの音写である。

 同社の北隣りの町産所は「ウブショ」で

 祖語が同じであることから解る。

 H が「ウ」となるのは、

 天鈿(うず)女命の hasā(サンスクリット語)が

 「ウズ」に、

  HSGKH(hazhgohe) が「ウサギ」になっている例を

 紹介した。

 和上町、江上町名の原語は HG(hag) で

 「祭」を表わしている。

  「えびす」とは

 「過越の祭」の神を表わした名称である。

 西宮名の「ニシ」は

 ヘブライ語の NSYA(nosi) を音写したものとみられ、

 「総統・統領」で「全能の神」である。

  静岡県焼津市の小川遺跡から蘇民将来名のある

 木簡が出土している。

 「小川」は「こかわ」と呼ぶが、

 「小河」でヘブライ語の「繭」を表わす

 KVGL(kogl) の音写で、養蚕業が波及し、

 秦氏の影響があったことを物語る。

 静岡県の埋蔵文化財調査研究所

 「静岡の原像をさぐる」によると、

 第一、二の木簡には表面に「蘇民将来子孫也」、

 裏にダビデの盾(星)とイスラエルでは

 呼ぶ星形が描かれていた。
 
 その他にも「蘇民将来子孫」「天形星皇(王)」

 あるいは「地鎮鬼除入鬼神」や

 「咄(口+天)(口+是)(口+鬼)七鬼神」

 「薬師如来」などとある。

 ここでの天形星とは星形を言ったものである。

 「咄(口+天)(口+是)(口+鬼)七鬼神」は

 不可解な表現だが後に解明を試みる。
 













 


 

 












 

 












 
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