2016年1月26日火曜日

《前橋と利根》

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 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 牛角と祝祭・その民族系譜:1049~1050頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《前橋と利根》

  その上毛野君のいた所は現在の前橋と考えられる。

 前橋はかって厩橋(うまやばし)と呼ばれた。

 この呼称は、ここに馬厩舎があったからではない。

 「ウマヤ」は「馬屋」の表記になるが、

 広島県の芦品郡新市町戸手に多くの方がいる

 馬屋原姓と関連する。

 備後国風土記逸文の

 蘇民将来の舞台になった所である。

 「ウマヤ」はヘブライ語の「白い」である

 VVYYS(vays) の転訛である「まゆ・繭」を表わす

 HIRSIR(hersher) とすれば、

 ここに絹を纏めて支配する頭領がいたとなり、

 イスラエル人の系列にある者であったと推測され、

 その一人が小熊であったのである。

 現在の前橋市の中心部に

 伊和神の転訛である岩神町、

 ied(あかし)を祖語とする大友町、大渡町、

 播磨国風土記神前郡に載る

 石坐神山と同じ石倉町がある。

 これらを囲むように西側を

 総社の地名が広がっている。

 同名は総蛇の転訛で

 「蚕」を表わしていることは何回も述べた。

 ここに養蚕業の荘園が形成されたのである。

 前橋市の南の玉村町がある。

 「繭玉村」の意味で、そこでも

 ヤハゥエ神信仰が行われていたに違いない。

 後箇は隠岐島の五箇村名と同じくヘブライ語の

 GLK(galekh) の音写で祭司を表わす。

 GLK を呼称する神社が

 群馬県佐波郡境町で淵名に鎮座する大国神社である。

 「延喜式」神名帳佐位郡に同名で記載されている。

 大国はガド国の意味である。

 祭神は大国主神としている。

 同社の地元で親しまれている呼称が

 「五護宮」である。

  群馬県玉村町下之宮に火雷神社、

 群馬県邑楽郡板倉町に雷電神社が鎮座するなど

 群馬県には雷に纏わる信仰が広がっている。

 それらをここでは追及しないが、

 「利根」は

 その「雷」を表わしている名称なのである。

 ヘブライ語の OYNIR(duner) がその原語である。


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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