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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:1021~1023頁
第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰
《「律法」と荒神谷遺跡》
モーセがシナイ山で神から告示された戒律
「律法」の第一は次のように述べられる。
(出エジプト記第20章)
20:3
あなたはわたしのほかに、
なにものをも神としてはならない。
それにもかかわらず、
ヘブライの神は大黒主神と習合したのである。
日本国土の持つ文明的環境の為せる業である。
それを人は宗教的未熟と考えるかもしれない。
だが、
この許容性は最も高度な宇宙意識の為せるもので、
熟慮された上で国土全体に涵養・定着した
環境がなければ興らない現象である。
そこまで至るまでには葛藤、混乱があったに違いない。
宗教的対立や変化を経て
新しい宗派は定着していくものである。
ヘブライ(イブリ)のガド族の出雲における
律法(伊太氐神)信仰の普及の際にも
社会に宗教的変革がもたらされたと推測され、
それが荒神谷遺跡の銅鐸、銅矛、銅剣の
埋納となった秘密と考えられる。
その事件を以下のように推察してみた。
播磨、因幡、出雲に
ヤハウェ神を信奉する人々が広がり、
それ以前の豊饒を祈念する祭祀との間に
摩擦を生じるようになった。
稲作も養蚕も実際生産に担ったのは倭人たちで
彼らは上記の銅製祭器を以って祭祀を行っていた。
そこに流通と加工技術に優れた秦氏族が
複層的に混在することとなり、
日常性と集合力の強いヤハウェ神への信仰が
他を制圧するようになってきた。
支配的立場に立った者たちが
自分達の宗教で統一しようとすることは
ごく自然なことである。
それが出雲に興ったのである。
同地方では、ヘブライ(イブリ)の人々の力が増し、
他の信仰を
変更させることができるようになったのである。
「戒律」の第二は次のように言う。
(出エジプト記第20章)
20:4
あなたは自分のために、
刻んだ像を造ってはならない。
上は天にあるもの、下は地にあるもの、
また地の下の水のなかにあるものの、
どんな形をも造ってはならない。
20:5
それにひれ伏してはならない。
それに仕えてはならない。
一切の神体を否定し、律法のみの遵守と戒めを
正義とするのである。
その伊太氐神の波及とヘブライ(イブリ)の人々の
増大により
それまで豊饒祈願の祭事に用いられていた
祭器具が集められた。
破壊するのは里人の反感を抑えることになるので
丁重な埋納こそが最善の策であったのである。
ヤハウェ神信仰の波及は隠岐島にも及んでいる。
隠岐郡五箇村がそれで、
南北の「方」はガドが祖語であろうし、
「郡」は「波、洪水」の
「カワラ」 KVVALYE であり、
そこに鎮座する水若酢神社は
ヘブライ(イブリ)語の MZBKH(mizbeykhes) の音写で
祭壇を意味する。
同神は洪水の神として知らせるが、
「郡」及び鎮座地名犬町の
「イヌ」YNN(enni雲)はヘブライ(イブリ)の
神に係わる名称である。
村名五箇の「」はヘブライ(イブリ)語の
「祭司、僧職」の GLK(gakekh) の転訛したもので、
ここに信仰を運んで来た
神職がいたことを示している。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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