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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:1270~1280頁
おわりに
《ヤハゥエとインドラ》②
ヤハウェは
「ノアの箱舟」にみられるような
大洪水も起こしたが、
ヤハウェへの真摯な従属者には
利益をもたらすのである。
インドラ神も稲荷神社にみられるように
豊かな実りと繁栄をもたらす神である。
「出エジプト記」第20章の「十戒」を告知する中で
次のようにいう。
20:5
それにひれ伏してはならない。
それに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、
ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、
父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、
20:6
わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、
恵みを施して、千代に至るであろう。
その恵みについて
「申命記」第11章14・15は述べる。
11:14
主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、
春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、
ぶどう酒と、油を取り入れさせ、
11:15
また家畜のために野に草を
生えさせられるであろう。
あなたは飽きるほど食べることができるであろう。
北メソポタミアの石器時代に
大麦、小麦の採れた地帯は雨の降る地域であった。
「砂漠に接する草原地帯」であるそこが
文明発祥の地で、古代人は天水農耕を考え出した。
その大麦、小麦を食料として羊や山羊、また牛、馬が
そこに生きることができた。
人は穀物を利用し、それらの動物を追っていたが、
また飼育することも学んだのである。
そして、それらの野獣が豊富に獲れること、
家畜化したそれらの動物が増えることを祈願したり、
牡牛の力強さや繁殖力に
人々の繁栄と安定を祝ったのであった。
そこに祝祭、ハフリ(祝)は誕れた。
ユダヤ教徒(ヘブライ人)は「供犠の人々」である。
インド亜大陸へ渡ったヤータヴァ族やアーリア人も
祝祭を行う人々であった。
本書はヘブライ人の祖族を「アルパチア」の地方、
北メソポタミアのハブールに求めた。
一方アーリア人の祖地を
そのハブール地方東方の外れに求めた
(本書第8章の「アーリア人の侵入」)。
「祝祭」の系譜を考慮すれば、
ユダヤ教とバラモン教の宗教的根底に
同一なものがあって当然であり、
その神の威力に共通なものがあって当り前である。
本書はヤハウェを主とする天神教(モーセの宗教)
一神教的性格をインドのヒンドゥー教の支配的
最高の一となったシヴァ神崇拉に似ていると
第7章で述べた。
サンスクリット語の deva ti deva
(最高神、諸神の神、
一切の諸神の上に卓越している神)が
スバル(カルト)人の後裔であるグルジア語で
解釈すると deve da deve 「あって、そして、ある」
であり、それは、
「出エジプト記」第3章14で
対してその神名を
3:14
神はモーセに言われた、
「わたしは、有って有る者」。
また言われた、
「イスラエルの人々にこう言いなさい、
『「わたしは有る」というかたが、
わたしをあなたがたのところへ
つかわされました』と
いった節句に連なるものである。
シヴァ神はインダス文明時代からの神が
ルドウ神に習合したものといわれる。
マックス・ウェーバーは
「インドラとルドウとの特徴を
一身に兼ね備えていた」と
前記の引用に述べている。
ルドウ神はリグ・ヴェーダなど
初期の聖典においては暴風神であったが、
その当時は余り重要な神ではなかった。
だが、次第にその神格を高め、
ヒンドゥー教において
シヴァ神へと昇華したのである。
アーリア人の当初の支配的神インドラ神こそ
雷雨によって暴風をもたらす神であった。
マルト神郡(風の神々)は彼の配下であった。
彼は devo か deva (最高神)であった。
インドラ神の場合、devādhideva と表記される。
deva-ādhi-deva の圧縮した
「神々の上の神」の字義で
「最高神、諸神の神、
一切の諸神の上に卓越している神」
を表わしている。
後に、といっても紀元前のことであるが、
インドラ神は
「東方の守護神」と見なされるようになったが、
同神への信奉はヤーダヴァ族など
インド貿易商人によって東進し、日本列島に至り、
そこで盛大に奉祝されているのである。
日本までの途次、
インドシナ半島ベトナムの現ダナン市近くに
チャンパ(林邑)が栄えた時
インドプラという都市が造られた。
インドラ神の足跡である。
本書の第11章 日本に祀られたインドの神々
で紹介したように、
インドラ神はその名を捨てて
現在も日本を守護しているのである。
また、イスラエル人のヤハウェ神信仰は、
アッシリアにより捕囚された十支族の一つ
ガド族により日本にもたらされ、
安来市を聖地として各地にその足跡を保っている。
月氏といわれていた頃、
和族から学んだ養蚕・絹加工の業(技)を武器に
中央アジアで活躍し、
後に海上に出て海洋交易商人となり、
東アジアに拠点を築いたが、
日本の繁栄の基礎作りにも功があった。
人々はその絹を「富・宝」と大事にし、
ヤハウェ神信仰を各地に定着させたのである。
ヤハウェ神は、
日本においても「雲の神」「雷神、水神」としても
崇められた。
さらに「証し、誓い」の神として顕国玉神となり、
大国主神(大己貴命)に習合し、
日本の神となっている。
ヤハウェ神もその名を潜ませて、
現在も日本の守護に当たっているのである。
日本神道は
世界の宗教から孤立した特異なものではない。
それどころか、
人類の創世紀において
想念された宗教的文化を
典型的に維持している
古代世界に主流をなしていたものである。
日本国土の生産中心が稲作であった理由により、
祝祭の供犠する主なものが
動物から稲・米に替わったなどの変化はあるが、
っその本質は変わっていない。
神社の日常的な祭事は神饌を供犠することにある。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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