2016年5月24日火曜日

《イザヤ書のシニム》

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 《参考:年表・資料》
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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1217~1228頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《イザヤ書のシニム》

  シニムとは

 イザヤ書第4章12に登場する地名である。

 「シニムの地」との表現になっているので

 地名である。

 (これまでの聖書の引用は日本聖書協会

  「聖書」1955年改訳版に依ったが、

  ここは新共同訳「聖書」1987版に依る)


  見よ、遠くから来る

  見よ、人々が北から、西から

  またシニムの地から来る。

 「シニム」をアメリカ聖書協会(ABS)の

 King James Version を基にした古い聖書は

 the hand of Sinim としている。

 その地は「北から、西から、また」と述べている

 詩句からするとエルサレムからの東方ないし、

 南方に所在するとみられる。

 その南方に当たるエジプトの南

 アスワンとする説があるが、

 このイザヤ書の内容からすると妥当でない。

 なぜならば、

 捕囚の人々が居住していた場所としては

 不自然であるからである。

 エレミア書第43章、44章にはバビロン捕囚の際、

 エジプトの逃れたユダの人々について

 語られているが、第44章12に

 「またわたしは、エジプトの地に住むために、

  無理に行ったあのユダの残りの者を取り除く。

  彼らはみな滅ぼされてエジプトの地に倒れる。」

 また14に

 「エジプトの地へ行ってそこに住んでいる

  ユダの残りの者のうち、逃れ、または残って、

  帰り住まおうと願うユダの地へ帰る者は

  ひとりもない。」

 と預言者エレミアが述べていることから、

 捕囚の地としてのシニムをアスワンとするのは

 不的確であろう。

 アスワンは Swein と表記され、

 これが『旧約聖書』にある 

 Syene であるとの解釈によるものである。

 ABSのイザヤ書に Sinim を載せる

 前述の版本(古いもの)は

 エゼキル書の第29、30章に

 エジプトに係わる地名として、

 この Syene を表記し、 Sinim とはしていない。

 Syene はアスワンであるが、 

 Sinim はアスワンではないと考える。

 なお、エレミアの活躍した時期は

 紀元前7世紀の後半から6世紀の前半、

 エゼキルは6世紀後半で」ある。

 ヘブライ語版(死海写本) では SYNYM とある。

 その比定については、

 他の西欧の聖書学者の見解も不確実で、

 最新の岩波書店

 「『旧約聖書』「イザヤ書」(1997年)」も

 「エジプトないしペルシアの

  どこかの地名と思われるが、不詳」と述べ、

 そこがどこかを不明のままにしている。

  SYNYM の語形は SYN-IMで、SYNの複数形とみる。

 SYNは現在一般に中国を指す言葉である。

 イザヤ書に述べられている 

 SYNは「秦(しむ)」に他ならない。

 「秦」とは

 本書で展開してきた秦氏の旧名月氏の故地である

 祁連山系の麓一体を言ったものと

 解釈することができる。
 
 第6章 「メディアから安定へ」で述べたように

 博罗轉井は「パリサイ」の音写であり、

 ヘブライ人の「離れた地」で、地名、山名

 アルタンはエズラ記第13章(ラテン語版)に

 アルザレと転訛して記載されていると考えるが、

 「安定」も同祖語とすることができる。

 前2世紀後半(176年)には移動を開始、

 140年に大月氏国となるが、

 紀元前200年頃はまだ安定を本拠としており、

 秦帝国は成立していなかったものの

 前3世紀末には強大になり、

 月氏にはその情報が十分伝わっていたであろう。

 何しろそれ以前の200年にわたり

 少々離れていたものの

 その勢力圏が至近距離にあった。

 イザヤ書第40章からは第2イザヤ書といわれ

 紀元前550年頃成立されたとする

 「預言書」の一つであろう。
 
 イスラエル人である月氏が中東アジアで

 活躍したのは紀元前4世紀以後のことである。

 その預言が妥当であったのだろうか。

 そうではない。

 「預言」とははいうものの、実際興った事々を

 記述しているレイハ古代には存在する。

 インドの仏教経典が

 ジャイナ経にそれらしい記述がみられる。

 何回か引用した「ミリンダ五の問い」も

 メナンドに大王の実在は

 紀元後1世紀らしい内容が含まれ、

 その完成が1世紀の終わり遺構に想定されている。

 ジャイナ教典には実在した王名9名が

 未来に現れるだろうと記述したいる。

 それらはインドの場合であるが、

 イスラエルにおいても

 そのようなことが無かったとは限らない。

 現在のところヘブライ語で書かれた最古の

 『旧約聖書』である死海文書(写本)でさえ、

 その記述された時期が

 紀元前1世紀の間と推定されている。

 以上のことを踏まえれば、

 そのような経緯により、

 シニムがイザヤ書に採り入れられた可能性はあり、

 アジアで活躍したイスラエル人の情報が

 いずれの時にか明らか確実にエルサレムまで

 伝わっていたことになるのである。

 それはイスラエルの

 「失われた十支族」の一部の消息が

 知られていたことになり、

 聖書は明確にその記録を書き入れたのである。

 紀元前2世紀はパルチア五国が隆盛で

 東方との交易は海洋によることが、

 西アジアやギリシャの商人に知られるようになり、

 インドと紅海あるいはエジプトとの貿易が

 盛大になった。

 セリカの絹製品が続々とローマ帝国へ流入した。

 その担い手がユダヤ商人であったことは
 
 よく知られているところであり、

 クムラン宗団の存続した当時に

 東方(セリカ)の情報が彼等に届いていたとしても

 不思議はない。

 死海文書を記述作成したとみられる同集団の存続は

 紀元前2世紀に遡ることが確実とされている。

 また、イザヤ書の弁明は

 本書の月氏、秦氏の来歴についての解釈を

 正しいものとして説明しているのである。

 その関連の記述はイザヤ書ばかりでなく、

 エズラ記(ラテン語版)第13章にも及んでいる。

  さて第2イザヤ書は「慰めの書」ともいわれ、

 アッシリアによって連れ去られたイスラエル国の

 十部族及び新バビロニアによって起こされた

 バビロン捕囚の人々に対し、

 シオン(聖地)のあるエルサレムへ

 必ず帰還させるとの神の誓いを

 詩詞によって述べたものである。

  あなたは知らないのか、聞いたことがないのか、

  主は、とこしえにいます神、

  地の果てに及ぶすべてのものの造り主、

  倦むこともなく、疲れることもなく、

  その英知は究めがたい。


  ここにおいて、

 突然に主が「地の果ての創造者」で

 あることを述べ始める。

 これからまだ知られていない「地の果て」に

 ついての事実を述べると言っているのである。

 「地の果て」とはカナンの地からみた

 東方の端を想起させる。

 第41章はそこの国々に向かって呼びかけている。

 
  島々よ、わたしのもとに来て静まれ、

  国々の民よ、力を新たにせよ、

  進み出て、悟れ、

  互いに近づいて裁きを行おう、

  東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き、

  国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か、

  この人の剣は彼らを塵のように

  弓は彼らをわらのように散らす、

  彼は敵を追い、安全な道を進み、

  彼の足をとどめるものはない。

  この事を起こし、成し遂げたのは誰か。

  それは主なるわたし。

  初めから代々の人を呼び出すもの

  初めであり、後の代と共にいるもの

  島々は惧れをもって仰ぎ

  地の果てはおののき、共に近づいて来る。

  (略)

  わたしの僕イスラエル人よ。

  わたしの選んだヤコブよ。

  わたしの愛する友アブラハムの子よ。

  わたしはあなたを固くとらえ

  地の果て、その隅々から呼び出して言った。

  あなたはわたしの僕

  わたしはあなたを選び決して見捨てない。

  恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神

  たじろくな、わたしはあなたの神。

  わたしの救いの手であなたを支える。

 この詩句はペルシャのキロス

  (『旧約聖書』ではクロス)王が、

 新バビロニア(カルディア)を滅亡させ、
  
 捕囚のユダヤ人を解放し、帰郷を許し、

 エルサレムに神殿を建てることを許容したことを

 述べている。

 「島々」と訳されている用語は

 ヘブライ語版では「沿岸と島」を

 それぞれ複数形で記述している。

 正確には「海沿いの国々と島々」である。

 「海沿いの国々」の初出はイザヤ書第11章10である。

 「その日主は再び手を伸べて、その民の残れる者を

  アッスリア、エジプト、パテロス、エチオピア、

  エラム、シナル、ハマテおよび

  海沿いの国々からあがなわれる。」

 そのエラムは、現イラン・ザクロス山脈南で

 スーサがその中心であった。

 パテロスは創世記第10章に

 ミツライムから出た氏族名にあるので

 エジプトの一部である。

 シナルは創世記第10章に「シナルの地」とある

 シュメルを指す。

 ハマテは現シリアのハマとされている。

 列王紀下第17章24に

 「かくてアッスリアの王は

  バビロン、クタ、ハマテ及び

  セパルワイムから人々をつれてきて、

  これをイスラエルの人々の代わりに

  サマリヤの町々におらせた」とある。

 それに続くのが「海沿いの国々」であるから、

 地中海東岸地域とみるのが妥当であろう。

 しかし、

 第40章以下の同語は違う内容となると考えられる。

 主はこれらの国々の民を支えて

 決して見捨てないと述べ

 「わたしのもとに来て静まれ」と

 そのシオンへの帰還を促している。

 第41章25は言う。

  わたしは北から人を奮い立たせ、彼は来る。

  彼は日の昇るところからわたしの名を呼ぶ。

 また、第43章5-7は言う。

  わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り

  西からあなたを集める。

  北に向かっては、行かせよ、と

  南に向かっては、引き止めるな、よいう。

  わたしは息子たちを遠くから

  姫たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。

  かれらは皆、わたしの名によって呼ばれる者、

  わたしの栄光のために創造し、
  
  形づくり、完成した者、

 
 その地の果ての人々とはどんな人々か。

 第42章10-12は言う。

   新しい歌を主に向かって歌え、

   地の果てから主の栄誉を歌え、

   島々とそこに住む者よ、

   ケダル族の宿る村々よ、呼ばわれ、

   セラに住む者よ、喜び歌え、

   山々の頂から叫び声をあげよ、

   主に栄光を帰し、

   主の栄誉を島々に告げ知らせよ、

 「海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの」とは、

 海洋を利用して活動をしている者、

 つまり交易商人を表している。

 第6章 イスラエル人と月氏の「海洋交易商人」で

 月氏であるイスラエル人が絹を扱う海洋交易に

 乗り出したとの見解を述べたが、
 
 この一節はまさにそのことを

 明白に言っているのである。

 エズラ記第13章に

 「海から昇る人」の説話が語られるが、

 これもヤハウェ神の威光が海洋に及んだこと、

 つまり、

 イスラエル人が少なくとも

 紀元前3、2世紀に海洋を舞台に

 活動していたことを示しているのである。

  イザヤ書第11章に表わされ

 「海沿いの国々」は

 地中海の東岸地域を言ったものであろう。

 しかし、第2イザヤ書に表われる

 「海沿いの国々と島々」は

 そのその限りでないと考える。

 イスラエル人の海洋貿易商人たちは

 紀元前にインド洋のより広い地域に活動の場を拡げ、

 さらに太平洋海域まで伸長していたと考えられる。

 漢書地理志が記録する交易商人の寄港地などの

 ネットワークは、その交易網を説明したものである。

 上記に転載した第40章28の

 「主はとこしえの神、地の果ての創造者であって」

 とある「地の果て」はイスラエル人の活動地域が

 そこまで広がったことを示しているのであり、

 単なる詩的美辞麗句ではないと考える。

 第41章5は

 「海沿いの国々は見て恐れ、地の果ては、おののき、

  近づいて来た」とある。

 その9は

 「わたしは地の果てから、あなたを連れてき、」

 と語る。

 それが第3イザヤ書(56章から66章)の終わり

 第66章19になると、

 「わたしの名声を聞いたことも、

  わたしの栄光を見たこともない

  遠い島々(海沿いの国々と島々)に遣わす。

  彼らはわたしの栄光を国々に伝える」となる。

 エゼキエル第27章15は言う、

 「ローヅ島(日本聖書協会版は、こう表記するが、

  原語はデダンで、アラビア半島の紅海の奥

  アカバ湾に近い内陸の通商路の町とみられる)

  の人々はあなたと取引し、

  多くの海沿いの国々(島々)は、

  あなたの市場となり、象牙と黒檀とを、

  みつぎとしてあなたに持ってきた。」

 本書の第7章の「メルッハとオフル」でみたように

 象牙と黒檀はインド、南アジアの特産品である。

 その「遠い島々」が指して地域が

 アラビア海以遠にあることが知られる。

 イザヤ書第41章から43章までは捕囚のために

 イスラエルの地を去らされた人々の、

 それまで知られなかった情報を語り、

 彼等にシオンへ向けて帰還することを進めて、

 その正義が行われるよう、

 それらの人々を支援する神の誓いを述べている。

 イザヤ書の sinim が載る第49章は、

 呼び「海沿いの国々と島々」に呼びかけが行われるが

 ここに極めて重要な条句が述べられている。

  海沿いの国々(と島々)よ

  わたしに聞け、

  遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ

  (略)

  主は言われる、

  「あなたがわがしもべとなって

   ヤコブのもろもろの部族をおこし、

   イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、

   いとも軽いことである。

   (だが、それよりも)

   わたしはあなたを、もろもろの

   国びとの光となして、

   わが救いを地の果てにまでいたらせよう」と

  この分節は「秦」の末裔と考えられるすべての

 人々に対して述べられている主の告示である。

 その主旨は、彼等に対し、故地へ帰還しなくても

 構いませんと言っているのである。

 第40章から捕囚された人々にイスラエル、

 すなわち

 約束(嗣業)の場であるカナンへ帰ることを

 強力に支援すると説いてきた。

 だが、「秦」の国々のイスラエル人には、

 「帰らせることはいとも軽いことである」が、

 それらの人々は、その地の

 「国びととの光となして、

  わが救いを地の果てまで

  至らせよう」と言っている。

 つまり、今居住する国に留まり、

 信仰を守ってくれれば祝福しましょうと

 言っているのである。

 これは

 ガド族が島の国にイスラエルの聖地を

 創建することを容認する節句である。

 いかでか遠いカナンまで帰る必要があろうか。

 申命記第33章(28-29)を再び記す。

  イスラエルは安らかに住み

  ヤコブの果は穀物とぶどう酒の地に

  ひとりいるであろう。

  また天は露をくだすであろう。

  イスラエルよ、あなたはしあわせである。

  だれがあなたのように、

  主に救われた民があるであろうか。


  安来市の安来を流れる川名

 「木戸」は KDVSh (キドゥーシュ) の音写で

 安息日や祭日の食事前に創造を賛美し、

  (日+賣)いを感謝して、

 ぶどう酒やパンを祝福する祈りである。

 人々は感謝を込めて祈りを献げていたのである。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
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