2016年5月18日水曜日

《ヤハゥエとインドラ》➀

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1270~1280頁

 おわりに

 《ヤハゥエとインドラ》➀

  「ヤハウェはインドのインドラに似ている」

 これはマックス・ウェーバーの見解である。

 その著書 Des antike Judentum(1920年)で

 述べたもので、岩波文庫「古代ユダヤ教」に従い、

 その意味するところを追ってみる。
 
 それは
 
 「第1章イスラエル誓約同志共同態とヤハウェ」 の

 「10 連合戦争神の受容とその特徴」で

 述べられている。

  本書の第10章「倭人章」狗奴国おいて

 「キヌ」の名称に関係して、

 大神神社の「赤幣」を取り上げ、

 「赤」はユダヤ教の過越祭の元祖である

 『旧約聖書』「出エジプト記」第12章に

 説かれている小羊を犠牲にして、

 「その血を採り、

  小羊を食する家の入口の二つの柱と鴨居に

  それを塗らなければならない」とあるのに

 係わりがあるとの見解を述べた。

 つまり、

 大神神社にメソポタミアの影響があるとする
 
 見解の一つの事例である。

 また、その祭神の祖像がインドラ神であると

 繰り返し解いてきたが、
 
 マックス・ウェーバーの解説は

 本書の見解を支援するものである。

 ヤハウェとインドラ神とが似ている理由は

 先ず次のように説明する。

  というのは、インドラと同じくヤハウェは、

  少なくともイスラエルにとっては、

  先ず第一に、そしてなかんずく、

  戦争であるからである。

  ある古い報告(出エジプト記15の3)は、

  ヤハウェを「戦士」(イーシュ ハンミルハーマー)

  と呼んでいる。

  ヤハウェは血を、

  敵や服従しない者の血を犠牲の血を、切望する。
 
 インドラ神はアーリア人がインド亜大陸へ侵入

 し始めた頃の武勇神であり、剣持神である。

 ヤハウェはモーセに率いられた民を

 エジプトから出国させるため、

 大いなる戦いを展開させた。

 そのことを

 「主はいくさびと、その名は主」と

 モーセとイスラエルの人々は歌ったのである。

 そして以下のように説く。

  ヤハウェがインドラと同様に戦争神に適したのは、

  ヤハウェがインドラと同じくもともと

  一つの大自然災害の神

  (ein Gott der groben Naturkatastrophen)

  であったがためである。

  地震

  (「サムエル記」上14の15、

   「イザヤ書」13の13、29の6)、

  火山現象

  (「創世記」19の24、

    「出エジプト記」19の11~)

  また、天上の火、南及び南東からの砂漠の風
 
  (「ゼカリヤ書」9の14)、

  雷雨はヤハゥエ出現の随伴現象であり、

  稲妻はインドラにおいての如く

  予言者や詩篇においても、

  ヤハゥエの矢である(「詩編」18の14)。

 ここに挙げられた自然災害を述べた

 『旧約聖書』の各部分を

 全部掲載して吟味する余裕はないが、

 最後の

 「雷雨はヤハゥエ出現の随伴現象であり、

  稲妻はインドラにおいての如く

  予言者や詩篇においても、

  ヤハゥエの矢である」との見解は

 本書の第11章 日本に祀られたインドの神々、

 第12章 大国主神と大物主神で展開してきた

 インドラ神の映像が参考になるところである。

 「アタルヴァ・ヴェータ7の52には、

  インドラの矢を落ちしむることなかれ」

 との話題がある。

 同神の武器は

  vajura(金剛杵) といい、稲妻であった。

 大神神社の「赤幣」の形は

 稲妻を象ったものであることを

 第13章の「狗奴国」で述べた。

 一方、ヤハウェ神の雷神性については

 「鷲宮神社と板倉の雷電神社」に詳しい。

 『旧約聖書』「詩篇」第18篇(10-14)を転載する。

 18:10

  主はケルブに乗って飛び、風の翼をもってかけり、

 18:11

  やみをおおいとして、自分のまわりに置き、

  水を含んだ暗い濃き雲をその幕屋とされました。

 18:12
 
  そのみ前の輝きから濃き雲を破って、

  ひょうと燃える炭とが降ってきました。

 18:13

  主はまた天に雷をとどろかせ、

  いと高き者がみ声を出されると、

  ひょうと燃える炭とが降ってきました。

 18:14

  主は矢を放って彼らを散らし、

  いなずまをひらめかして彼らを打ち敗られました。

 この詩篇には、

 「聖歌隊の指揮者によってうたわせた

  主のしもべダビデの歌、

  すなわち主が

  もろもろのあだの手とサウルの手から

  救い出された日にダビデはこの歌の言葉を

  主に向かっていった」と前書きがあるので、

 ダビデ王がサウルとの戦いに勝利して後、

 主ヤハゥエは濃き雲(積雲)の幕屋にいて、

 稲妻である「矢」を放って

 敵(彼ら)を打ち破ったいっている。

 「民数記」第10章には、

 10:33

  こうして彼らは主の山を去って、

  三日の行程を進んだ。

  主の契約の箱は、その三日の行程の間、

  彼らに先立って行き、

  彼らのために休む所を尋ねもとめた。

  10:34

  彼らが宿営を出て、道に進むとき、

  昼は主の雲が彼らの上にあった。

 「民数記」第12章には、

  「主は雲の柱のうちにあって」とか

  「主は彼らに向かい怒りを発して去られた」
  
  「雲が幕屋の上を離れ去った時~」

 との記述もある。

 本書の第5章

  『旧約聖書』「創世記」のヤハウェとモーセで

 述べた通り、

 ヤハウェは「出エジプト記」で

 海を開けたように水に対して

 絶大な威力を保持している。

 それも風によって海を開いた。

 「主は夜もすがら

  強い東風をもって海を退かせ、

  海を陸地とされ、水は別れた。

  イスラエルの人々は

  海の中の乾いた地を行ったが、

  水は彼らの右と左に垣となった」

 そのことから

 ヤハウェの祖像はシュメルの神

 エンキ神(セム語エア神)であるとの推論も立てた。

 ヘブライ語の YeYa(ea)は、

 ヤハゥエ神をそう呼ぶことを除けるために

 用いられている同神の別称である。

 ヤハゥエは水を自由自在に操れる神である。

 第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰

 ではヤハウェ(伊和)神が、波(洪水)、雲などに

 その名称を託して

 祀られている様子を如実に紹介した。

 一方インドラ神は竜神にして

 雨降りを掌る稲妻の神である。

 三輪山の「三和」は 

 megha の音写で「雲」の意味であった。

 また出雲の「イヅモ」は 

 isumat で「矢持、矢を備えた」の意味であるとの

 見解を述べ、

 大神神社の摂社狭井神社の「サイ」、

 卒川神社の「イサ」は

 「弓矢」に係わる用語に由来することも

 本書の第12章で述べた。

 マックス・ウェーバーは

 この両神の特徴の共一性を見事に見抜いたのである。

   従って恐るべき運命的なるこれらの全ての

  自然現象を神の支配に属する

  領域であったのである。

  つまり、

  ヤハウェはインドラとルドラとの特徴を
 
  一身に兼ね備えていた。

  ヤハゥエは、かの軍事的及び自然神話的

  野蛮性の特徴とならんで、

  古い伝承において既に雨の主としての

  より友好的な特徴を示している。

  ※「申命記」11の14

    主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、

    春の雨ともに、時にしたがって降らせ、

    穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、

  (略)

  砂漠に境を接する草原地帯に

  特に固有であったような強烈な雷雨は

  ヤハウェの仕業であった。

  この雨は、最初からヤハウェを各個人に、

  また、

  この雨と経済的に利害関係を持った者に、

  結び付けたのであり、

  ヤハウェは慈悲深き自然の神であり、

  天の神せあるという、

  後に益々前面に押し出されくる特徴を

  ヤハウェの表象に濃厚に帯びさせたのであった。

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