2016年4月25日月曜日

《幸手の秘密》③

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜::1155~1167頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

  しかし、そこには疑問がある。

 雷電宮と神社(教会、集合所)の形式を採った

 田宮は巻物の隠れ場としては

 危険かということである。

 実際その奥宮ともいえる石塚が

 幸手市内にあるのである。

 その石塚は市内神明内に鎮座する

 八海(山)神社で」ある。

 実際の巻物の隠れ場はこちらの石塚である。

 八海山は御嶽山三岳の一山の名称である。

 同石塚の頂にも、

 「御嶽山神社」、

 「八海山神社」、

 「三笠山神社」と

 木曽の御嶽三岳の名称を刻んだ

 石碑が建てられている。

 これは明治14年に

 信奉者の一人が石塚を修復した時の

 記念碑である。

 直径15㍍、高さ5㍍、程の円錐丘である。

 ここには全く神社としての建屋は無く、

 積み石の丘に樹木が生え覆っているに過ぎない。

 周囲は田圃が開かれているが、

 古い時代には森に囲まれたていただろう。

 何故ここが

 本当の「サッテ(隠れ場)」であるかは

 以下の理由に依り明らかである。
 
  同社の東側の地区を木立(きだち)というが、

 これはヘブライ語の KDSh(kodesh) の音写で

 「聖、神聖」ながら「神聖な場所」で

 「至聖所」に関係し、神殿の奥で「契約の箱」

 などが安置されていた貴所の名称である。

 同社の鎮座地名神明内も木立と同様

 戦国期の史料にみえる古い地名で

 御嶽教の普及以前からの地名である。

 神明内は戦国当時には

 「志辺内」と表記されていた。

 江戸時代の「武蔵田園簿」には「しへ内村」、

 「元禄郷帳」に「志辺内村」とある。

 現在「シンメイウチ」と言うので

 古くは「シヘウチ」であったとすること

 ができる。

 この字義は、

  「シヘ」がヘブライ語の SPhR(sipher)の転訛で

  SPhR-TVRH(律法の巻物)というように

 「巻物」であるが『旧約聖書』を表し、

 「ウチ」は鷺宮町の上内の「内」と同じく

 ATR(autar) の音写で

 「(場所が)局限される、位置が定められる」

 の字義で、

 「シヘウチ」は「定位置の巻物」あるいは

 「巻物の定位置」で、

 ここ以外へは巻物を最早動かさないとの意志が

 伝わってくる地名である。

 神明内の小字名は、前・後・北・台とあるが、

 「台」は神社周辺を言うもので、

 ヘブライ語の DVYR(deviyr) の遺称であろう。

 「本殿」あるいは「至聖所」の字義で、

 「神殿の最奥にあって最も神聖な場所」

 を意味する。

 この呼称からも

 神明内にある石塚は奥宮としての印象である。

 その西隣りの吉羽(よしば)(上下)名の小字名には

 「かつも原」があり、

 吉羽が本来「キツバ」であったことを

 覗わせている。

 ヘブライ語の「(地中に)埋める、埋葬する」、
 
 時には「墓」とも変化する

  KBR の音写とみられる。

  石塚の中に

 何かを埋蔵しているとの意味がそこにある。

 吉羽の西隣りが幸手地区となる。

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