2016年4月18日月曜日

《木曽の御嶽山と水無神社》②

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1136~1143頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰


 『出エジプト記』第17章の岩から出る水に解釈となる。

 王滝村内で剣ヶ峰方面から流れ出る川

 濁(にごり)川の「ドク」も DLH の取入れとみられる。

 「水を井戸などから汲み上げる」あるいは

 「知識や才能を引き出す」であり、

 水を岩山から溢れ出させ、

 人々に智恵(律法)を授ける神性に相応しい用語である。

 岐阜県側益田郡小坂町に

 温泉の地名ともなっている濁川がある。

 王滝村名を滝越近くの大滝からする見解もあるが

 疑わしいと考える。

  御嶽山の峰の継母岳、継子岳の

 「ママ」は「水」を表す MYM の借用、

 付近の王滝村内の三浦山、

 岐阜県益田郡小坂町の三間山の

 「ミッマ(ヴァ)」は「戒律」の MTsVH に依る。

 摩利支天山はインドの「陽炎」を表わす

 サンスクリット語の marici が

 仏教に取り入れられた菩薩名でであるが、

 原初的にはモーセではなかったかと疑っている。

 益田郡に馬瀬村がある。

 この「マセ」は「伊豆と浜名」で転載した

 『出エジプト記』第17章の最後にある。

 「彼はその所の名をマッサまたメリバと呼んだ」とある。

 マサ MSH (試し)の音写である。

 郡名益田は「マシタ」と称されるが、

 小坂町と萩原町の境にある御前山名は

 「ゴゼン」で KhYVN (啓示)の音写で

 神の奇跡を表している。

 当山上にも祠があって、

 かっては降雨の霊験が明らかとして旱魃の時

 雨乞いのため登山し祭事を行ったという。

 益田郡の北側は大野郡となるが、

 これも「岩石、石」の AVN の音写である。

 その大野郡宮村に水無神社が鎮座する。

 飛騨一宮で「延喜式」神名帳に記載されている古社で、

 「ミツナシ」と付している。

 地元では「スイムさん」と親しんでいる。

 祭神は水無神と称していて

 現在、御歳神を主神に、

 相殿に大己貴命以下十三神を祀っている。

 水無神本性について諸説あって定まっていないが、

 大己貴命、少彦名命が本性である。

 御歳神は大年神などと表記され

 「トシ」が神名であるが、その理解は後述する。

 実はこの神名も少彦名神と関係している。

 つまり、

 「水無」とは『出エジプト記』第17章に語られている。

 砂漠を彷徨ううちにシンの荒野を過ぎた辺りで

 イスラエルの人々に水が無くなってしまった事態を

 言うものである。

 同社も御嶽山信仰と共に誕れたものであろう。

 同社は御嶽山を囲むように信濃、美濃に分社十社、

 縁社五社を持っている。

 「シン SYM 荒野」を想定しているのであろうか。

  御嶽山頂近く王滝村と小坂町の県境に上俵山がある。

 俵は「タワラ」で前述の田の原を「タハラ」とすれば

 関係を生じ、 TVRH の音写で「平板」 の呼称となり、

 同じシナイ山頂で神がモーセに十戒を刻んで

 授けた石板を表わすこととなる。

 小坂町名は「オサカ」で十戒を旨としる

 IShRH の音写である。

 益田郡に温泉で知られた下呂町があるが、

 萩原町に属している中呂、上呂と合わせ、
 
 「呂」は地域名である。

 「ロ」は LVKh の音写で「(金属や石の)板」で

 TVLKh に対応する。

 これらの事情をみると、
 
 呂地域に隣接する馬瀬がモーセ名であっても

 決して不思議ではない。

  御嶽山の神峰三岳は木曽郡に属している。

 「キソ」もヘブライ語の KSH の音写である。

 字義は「覆う、隠す」で三笠山の MKSH に対応する。

 このようにみると三笠山神社には聖書や神器など

 神聖なものが埋納されているのかもしれない。

 木曽にも福島町がある。

 「福島」は安来市安来の現在、十神山、

 『出雲風土記』の頃は砥神島といった「十戒」である

 律法を祀った島で、飯島とも関係する聖地名であり、

 イスラエル人に係わっている呼称である。

 松本市に現在井川城という地区があるが、

 そこはかって小島と呼ばれ、

 木曽から出て来た人々が成した所と知られている。

 小島は福島を経た砥神島の伝承名で

 「多摩の律法箱」で述べたように

 「虎島(TVRHの島)」であったろうか。

  木曽の御嶽山は

 正に隠されたイスラエルの人々の聖地であったのである。

 王滝村上島の御嶽神社里宮について

 宝暦7年(1757年)の「古蘇志略」に以下のようにある。

  岩戸権現祠、上島に在り、

 巨岩の壁立すること数仞なり、

 其下に嵌空なる有り、

 祠殿を建つ、岩側の一脉、?として絶へず。

 祠家伝云ふ、是れ御嶽の別宮なり。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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