2016年4月12日火曜日

《伊豆と浜名》➀

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:~頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《伊豆と浜名》

  「久伊豆神社と十戒」で述べた

 埼玉県北埼玉郡騎西町の久伊豆神社の鎮座地は

 かっての別当龍花院の山名ともなっている。

 「伊豆山」に位置している。

 「イズ」はヘブライ語の「栄光」を表わす

 IZ の音写であり、伊豆山はシナイ山を示している。

 出エジプト記第24章15-18

 24:15

  こうしてモーセは山に登ったが、

  雲は山をおおっていた。 

 24:16

  主の栄光がシナイ山の上にとどまり、

  雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、

  七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。

  24:17

  主の栄光は山の頂で、

  燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、

  24:18

  モーセは雲の中にはいって、山に登った。

  そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。 


  静岡県熱海市にその伊豆山の地名と

 伊豆山神社が鎮座している。

 この名称も同じ観念に依り付けられたもので、

 伊豆はまさに『出エジプト記』に由来した

 「栄光」を表わしている。

 第17章

 17:1

  イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、

  シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、

  レピデムに宿営したが、

  そこには民の飲む水がなかった。

  17:2

  それで、民はモーセと争って言った、

  「わたしたちに飲む水をください」。

  モーセは彼らに言った、

  「あなたがたはなぜわたしと争うのか、

   なぜ主を試みるのか」。

  17:3

  民はその所で水にかわき、

  モーセにつぶやいて言った、

  「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、

   わたしたちを、子供や家畜と一緒に、

   かわきによって死なせようとするのですか」。

  17:4

  このときモーセは主に叫んで言った、

  「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。

   彼らは、今にも、

   わたしを石で打ち殺そうとしています」。

  17:5

  主はモーセに言われた、

  「あなたは民の前に進み行き、

   イスラエルの長老たちを伴い、

   あなたがナイル川を打った、

   つえを手に取って行きなさい。

  17:6

   見よ、

   わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。

   あなたは岩を打ちなさい。

   水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。

  モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、

  そのように行った。 

 17:7

  そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。

  これはイスラエルの人々が争ったゆえ、

  また彼らが

  「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」

  と言って主を試みたからである。

 17:8

  ときにアマレクがきて、

  イスラエルとレピデムで戦った。

 17:9

  モーセはヨシュアに言った、

  「われわれのために人を選び、

   出てアマレクと戦いなさい。

   わたしはあす神のつえを手に取って、

   丘の頂に立つであろう」。

  17:10

  ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、

  アマレクと戦った。

  モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。

  17:11

  モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、

  手を下げるとアマレクが勝った。

  17:12

  しかしモーセの手が重くなったので、

  アロンとホルが石を取って、

  モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。

  そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、

  モーセの手をささえたので、

  彼の手は日没までさがらなかった。

  17:13

  ヨシュアは、

  つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。

 17:14

  主はモーセに言われた、

  「これを書物にしるして記念とし、

   それをヨシュアの耳に入れなさい。

   わたしは天が下からアマレクの記憶を

   完全に消し去るであろう」。

  17:15

  モーセは一つの祭壇を築いてその名を

  「主はわが旗」と呼んだ。

  17:16

  そしてモーセは言った、

  「主の旗にむかって手を上げる、

   主は世々アマレクと戦われる」。


  「あなたの前に立つ」は助けることを意味する

 神はイスラエルの人々に

 水を岩から出して与えたのである。

 熱海の伊豆山神社の背後に岩戸山が聳えている。

 「戸」とは「口」の字義であるから

 「岩戸」は「岩山の水」を意味する。

 「水口」は熱海市の町名になっている。

 騎西町のシナイの転訛であるであると説いた

 正能地区の南北に外川(と)川、戸崎の地名があるのも

 この事件を題材としたわけである。

 熊谷市が「泉」に係わる地名であることも既に述べた。

 熱海市の北、神奈川県足柄下郡真鶴町の

 「マナツル」もこの事件に係わる。

 「マナ」は MIYN(maen) の音写で「泉、湧き水」、

 「ツル」は TsVR(tsur) で「岩、岩石」を意味し、

 「マナツル」は〔泉-岩〕の字義である。

 因みに MIYM は熱海の「ミ(海)」でもあり、

 「アタ」は「湯気、水蒸気」の意味の

 AD(aed) で、「アタミ」は〔湯気-泉〕となる。

 AD はまた伊東市の祖語でもあろう。

 この地域は温泉が盛んに湧き出している。

 熱海市桜町に今宮神社が鎮座しているが、

 「今(こん)」は「湖、池」を意味する

 AGM(agam)の転訛である。

 また西山町の来の宮神社

 伊東市八幡町来宮神社は

 モーセを助けた「神の声」である

 KVL(kol) の音写に依る。

 さらに熱海市和田木、そこに鎮座する和田木神社名は

 VT-KVL(vat-kol) で


 「こだま、神の声、天声」の字義である。

  『出エジプト記』第17章では

 このホレブ山での出来事の後アマレクという人々と

 戦うことになったが、その記述の最後(15・16)は

  17:15

  モーセは一つの祭壇を築いてその名を

  「主はわが旗」と呼んだ。

  17:16

  そしてモーセは言った、

  「主の旗にむかって手を上げる、

   主は世々アマレクと戦われる」。


 この「主の旗」を地名にしているのが熱海市の多賀で

 DGL(tegel 旗) の音写である。

 下多賀に鎮座する井下多賀神社は、井の下、

 つまり、ホレブ山麓辺りでの事件を覗わせている。

 天城山(高原)名はアマレク IMLK の転訛名であろうか。
 このように伊豆半島東部は

 『出エジプト記』第17に係わる挿話に満ちている。

 下田(しもだ)市名がその『出エジプト記』

 のヘブライ語名 ShMVT(shemot) に

 依ることは間違いないところである。

  湯河原市と小田原市との境界に星ヶ山がある。

 「久伊豆神社と十戒」で紹介したように

 「河原」は「星」の字義である。

 つまり、KVKhV(kuhabe) の転訛であるが、

 この名称は小田原市の東、

 神奈川県中郡二宮町山西の川匂神社名となっている。

 同社は「延喜式」神名帳の

 相模國餘綾(よろぎ)郡の一座で、

 同國の二の宮の位階にあった。

 その訓を「カワハ」としている。

 同町を葛川が流れ、ガド族の存在を覗わせている。

 中里及び中郡の「ナカ」は NGH(nagah)の音写で

 「光、輝き」にして「明星」を意味する。

 そこに明星神社が鎮座し、

 星神信仰があったことを示している。

 その名「明星ヶ岳」が小田原市と箱根市の境界宮で

 北方に聳えている。

 箱根の「箱」は「契約の箱」の意味に採れるし、

 「根」は後述するように「神」を表すから

 ヤハウェ神と解釈される。

 だが、この名称は江戸時代からと新しく、

 同漢字の採用は偶然の妙ともみられる。

 とはいえ、

 この地域名称も『出エジプト記』第17章の

 出来事に由来する。

 「ハコネ」は箱根神社元宮の鎮座する

 駒ケ岳(箱根山という)と芦ノ湖名に係わる。

 箱根の諸山は火山であり、芦ノ湖は火山湖である。

 駒ケ岳の「コマ」はヘブライ語の「湖、池」を意味する

 AGM の転訛であり、

 ホレブ(シナイ)山の岩間に湧いた水の池である。

 ここではガアノ湖を指している。

 この AGM の近似語に AGMVN(agemon) があり、

 「カヤリグサ」つまり、「葦、芦」の字義で

 これらが「芦ノ湖」名の祖語である。

 そして「ハコネ」は同語の転訛と考える。

 ヘブライ語がヨーロッパ・インド語系の影響を

 受けると語頭の母韻前に"H"が付けられる場合が多い。

 例えば IBRY(iberi)が

 英語になると Hebrew、

 ドイツ語になると Hebräer、

 日本語で「ヘブライ人」 となる。

 第11章の 「相模:ドィルガー・プージャーの里」

 で箱根町が属する足柄郡がサンスクリット語の

 刀鍛治(刀工)を表わす 

 asi-kāra に依ることを紹介したように、

 この地域には

 ヨーロッパ・インド語の影響があって不思議ではない。

 「八潮市立資料館藤波邸の牛角兜」においては

 さらに、具体的に明確になる。

 よって、H-age(mo)-n が「ハコネ」となったのである。

 中世以降、筥荷とも表記されていたことで、

 本来「箱の神」を前提としていたのではないことが解る。

 ヤハゥエ神の「岩泉」に対する信仰が基本であったのである。

 芦ノ湖の北端から流れ出し小田原で箱根湾に入る河名

 早川というが「ハヤ」は

 ヤハゥエ神名を特に言わないための略称

 HI(hei) の音写で、本来はハシェムはアドナイと読むが、

 ここでは表記通り読んだものである。

  ところで「浅草と目黒」で

 駒形堂が箱根神社を勧請したものであることを紹介したが、

 同社は駒ケ岳の南麓芦ノ湖岸に鎮座している。

 この鎮座の地勢により

 「コマーガタ」神社となったと考える。

 「駒」は上記の通りの「駒」である「湖」を表わすが、

 「ガタ」はヘブライ語の「川岸、土手」を表わす

 GDH(gadah)に依るもので

 「コマガタ」は「湖岸」を意味する。

 箱根神社をそのように別称し、

 浅草へ遷座させたものであろう。

 本来は上野山に象徴させて岩泉信仰なのであり、

 「馬頭」とは全く縁りの無かったものである。

 それが、浅草における「駒形」信仰が中世以降

 盛んとなり、

 各地、特に東北地方に広がったものとみられる。

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