『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:10頁
このコンタはパーリ語の旗・幡からきた名前だが、
日本語のK音は朝鮮語のH音であることから、
巴利国=隼人町で使われていた発音が、
本来は「ホン=ホム」に当てられていた字の「誉」を、
漢字音としては読めない「コン」への当て字として、
使わせることになったと分っている。
これはポントスから応神天皇までの首都が隼人町になければ、
またそこが仏教の都でなければ起こらない現象である。
なぜなら都が巴利国以外にあったのなら、コンタに変わらないだけでなく、
仮に変わったとしても、
近畿にあったのならコンダと濁るから誉陀と書かれたはずだし、
朝鮮半島にあったのならホンデになるからである。
ここでついでに語源について補足しておこう。
ポントスとはギリシャ創世記の始めに出る
ウラノス=天空と、ゲー=大地と並ぶ海洋の名である。
そのウラノスが最初この世界を支配していたが、
暴虐が過ぎて妻のゲーに憎まれ、
息子のクロノスに支配権を奪われた。
だが、
今度はクロノスが無道を極めたので息子のゼウスらがクロノスと
その兄弟の巨人族ティタンたちを追放して、
ゼウスが 「天空」を、
ポセイドンが「海洋」を、
プルトンが 「冥界」を治めた。
お分りのように日本神話の『3貴子分治』は、これから来ている。
その海の王の名をもつポントスが
異教徒の国・巴利で仏教徒の王になったので、
仏教徒はコンタと変えて呼んだのである。
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
0 件のコメント:
コメントを投稿