『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:5頁
これを順序だてると、
語源はポントスで、
沖縄では本牟智・フムチ和気。
⇒南九州では品牟都・ホムト和気。
⇒大隅で誉津・ホムツ別。
⇒朝鮮半島で郊彘・ホンデと、
方言差による一群の名ができたので、
語尾のワケと読まれてきたものは、
もともとポントスのスに対して
沖縄で「子(シ)」の字が当てられたものに、
敬愛の意味をもつ和の字を加えて和子としたものが、
やがてワコと読まれ、
南九州語では木はコなので、和木(コ)と当て字し、
それをまたワキと読んだ者が、
和気・別(ワキ)という当て字を新たに考案したものだったとわかる。
そしてこの「別」の字が沖縄でビチと読まれることから、
後世、ビには日、毘、比などが当てられ、
沖縄のチは本土語のキなので、木の字が当てられていたものを、
南九州でヒコと読まれ、比古・日子・彦などの
新たな当て字が使われるようになった。
だからこれらの敬称は、
その人物の生前に実際に使われていたものではなく、
ポントスのスに対する当て字から始まって、
後に次々に追加された後世人の作字の一種で、
7~8世紀のものでしかない。
これと間違いそうによく似た官名に、
『魏書倭人章』の卑狗・ピクがある。
これは指先から肘(ひじ)までの長さを物差しとして使う
単位・キュービットのシュメール~トルコ名で、
陸地の支配者を意味する官名、
これに対する当て字は「日高(ヒク)」であって日子や彦ではない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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