2010年9月25日土曜日

国号『日本』の起源は鹿児島政権の応神の名乗りから

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:6頁


だが、応神天皇が受け継いだ、この

ポントス

⇒ホント

⇒ホムト

⇒ホムツ

⇒フムチ

⇒ホモトの名乗りのうち最も重要なものは、

鹿児島発音のホモトである。

ホ=日、モト=本と書くと、

日本という国号の語源だったことがわかるからである。

この国号をもつ国は『旧唐音』の「倭国・日本」の時代には、

まだ鹿児島県の別名だった。

それが本州の西半分の国名になったのは、

天智天皇による大化改新革命以後である。

だから、それまでは西日本は「倭国」のままだった。

応神天皇が大阪や奈良に都していたのなら、

『古事記』も国号を倭国ではなく

「日本」と書くしかなかったのであり、

『日本書紀』も神武天皇からでなく、

応神天皇から「日本」と、

それまでの倭国と区別して書かねばならなかったのだが、

『古事記』も『日本書紀』も宣伝上、

そうした抗争の歴史を意識して隠し、

そのためかえって倭と日本にこだわって、

対抗意識まるだしで対立している。

これが『記・紀』の性格を、

ハツキリ不完全な『正史』だと立証することになっているし、

双方とも、

対立する天智系と天武系の政争の具だった証拠にもなっている。

そして応神系の倭の五王とは何だったかもまた、

よく物語ってくれているのである。

彼らが北へ東へと移動し征服していったあと、

唐代まで鹿児島に残っていたのが、

天智の出た日本政権なのだ。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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