『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:6頁
だが、応神天皇が受け継いだ、この
ポントス
⇒ホント
⇒ホムト
⇒ホムツ
⇒フムチ
⇒ホモトの名乗りのうち最も重要なものは、
鹿児島発音のホモトである。
ホ=日、モト=本と書くと、
日本という国号の語源だったことがわかるからである。
この国号をもつ国は『旧唐音』の「倭国・日本」の時代には、
まだ鹿児島県の別名だった。
それが本州の西半分の国名になったのは、
天智天皇による大化改新革命以後である。
だから、それまでは西日本は「倭国」のままだった。
応神天皇が大阪や奈良に都していたのなら、
『古事記』も国号を倭国ではなく
「日本」と書くしかなかったのであり、
『日本書紀』も神武天皇からでなく、
応神天皇から「日本」と、
それまでの倭国と区別して書かねばならなかったのだが、
『古事記』も『日本書紀』も宣伝上、
そうした抗争の歴史を意識して隠し、
そのためかえって倭と日本にこだわって、
対抗意識まるだしで対立している。
これが『記・紀』の性格を、
ハツキリ不完全な『正史』だと立証することになっているし、
双方とも、
対立する天智系と天武系の政争の具だった証拠にもなっている。
そして応神系の倭の五王とは何だったかもまた、
よく物語ってくれているのである。
彼らが北へ東へと移動し征服していったあと、
唐代まで鹿児島に残っていたのが、
天智の出た日本政権なのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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