2015年6月16日火曜日

宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命④

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:902~905頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命④

  ウヤ(宇屋)、イヤ(伊屋)は、

 先に述べた「敬、礼」の意味において共一である。

 この事実を基礎にして宇夜都弁命が

 建御名方神である傍証を述べる。

 長野県上伊那郡辰野町に鎮座する「矢彦神社」は

 第1章祝祭で

 三叉矛を「神代鉾」として護持する神社として紹介したが、

 その祭神は建御名方神で、

 同神が諏訪に入る前に一時ここに滞留したとの伝承を持つ。

 その社名を「矢彦」は「弥彦」で「イヤ彦」であった。

 「イヤ彦」は「伊屋彦」あるいは「宇屋彦」で

 宇夜都弁命をいう名称である。

  「イヤ彦」は「伊夜比古」と表記され、

 新潟県西蒲原郡弥彦村に鎮座する弥彦神社の正式名でもある。

 同社は延喜式神名帳越後国蒲原郡に

 「伊夜比古神社名神大」と載り、万葉集越中歌に

 「伊夜彦の神の布本(ふもと)に 今日らもか 鹿の伏すらむ

  皮の服(きぬ)着て 角つきながら」

 と歌われている古社である。

 祭神は現在天香語山命とされているが、

 「神道大辞典」が

 「祭神天香語山命となっているが、

  その勧請社では伊夜彦を称している」

 との指摘をしているように

 「伊夜比古」神の神格が不明であったか、

 あるいは意図的な方針によってか、

 現祭神が主祭神とされたものである。

 その時期などについては史料は明確であるがここでは触れない。

 この伊夜比古神も

 実は辰野町の矢彦神社同様建御名方神にある宇夜都弁命である。

 能登半島の七尾湾にある島、

 石川県鹿島郡能登島町向田(こうだ)に鎮座する伊夜比咩神社は

 例年7月31日に「オスズミ祭」と称して、

 高さ30メートルの柱松明に火を掛ける火祭を行うが、

 この柱松明は年一度越後からやって来る伊夜比古神に

 その比咩神の所在を知らせるものだとの伝承があり、

 伊夜比古神社に相対する神社である。

 祭神は神社名と同じくするが、

 現祭神を大屋津姫命としている。

 同社も延喜式神名帳能登国能登郡に同名で載る古社がある。

 また大伴家持に

 「鳥総(とぶさ)たて船木きるといふ能登の嶋山今日見れば

  木立繁しも幾代神(かむ)びぞ (万葉集巻十七 4026)」

 と歌われた。

 その「オスズミ祭」は「御須美祭」と考えられる。

 「須須」が「スズ」となった理由は、能登半島の先端珠洲市寺家に

 須須神社があり美保須須美命が祀られていることが影響し、

 「珠洲」となったからであろう。

 つまり「オスズミ祭」とは、美穂須須見命である建御名方神にして

 宇夜都弁命、あるいはその后神を祭る神事なのである。

 その柱は高佐13~15メートルの大木で

 周りに800束からなるシバをくくりつけ、

 柱の上に同じ高さの青竹をその先に御幣をつけて立てる。

 後に述べるが、「柱を建てる」は建御名方神の象徴なのであり、

 「伊夜比咩」は伊夜比古の后神とすることができる。

 そして伊夜比古神が建御名方神(美穂須須美神)であることを

 証明しているのである。

  珠洲市の須須神社は高座(たかくら)宮と呼ばれ、

 高座山に鎮座している。

 その勧請社が珠洲市蛸島の高倉彦神社、

 鳳至郡能都町真脇の高倉神社であるが、

 更に越後の伊夜比古神社(弥彦神社)にも

 その「高倉」は伝わったらしい。

 「コウクラ」と訓まれ、

 祭神を天香語山命とした原因となったとみられる。

 その経緯の中で「神倉」つまり「高倉下命」が介在したのである。

 けだし、伊夜比古神社の原初的祭神は建御名方神である

 宇夜都弁命である。

  延喜式神名帳能登郡に載る「鳥屋比古神社」は

 現在の鹿島郡の同社名から採られた町名鳥屋町春木に鎮座するが、

 同社は島根県斐川町鳥井の鳥屋神社を勧請したものと推測され、

 その西隣り瀬戸の「瀬戸比古神社」も後述の通りで、

 双方とも建御名方神を祭神とするものと考えられる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年6月13日土曜日

宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命③

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:900~902頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命③

  諏訪神が「風の祝」と言われる遠因はこの「ウヤ」にある。

 諏訪大社の象徴は薙鎌であるが、

 「カマ」はサンスクリット語の kamāra で鍛冶を意味する。

 また、

 御名方神が諏訪に入る際に先住の洩矢神と闘ったとの伝承で、

 同神が藤枝を持って戦ったといい、

 藤島社が諏訪大社の摂社として諏訪市清水に鎮座するが、

 「藤」は鞴のことであり、その技術はこの宇屋谷にあったものである。

 出雲国風土記の島根郡美保郷に

 「天の下造らしし大神の命、高志の国に坐す神(略)、

  奴奈宜浪比売命にみ娶ひまして、産みましし神、

  御穂須須美命、是に神坐す。

 故、美保といふ。」とあるが、

 その地に「須須比の埼」があり、

 日本古典文学大系は、これを「大芦浜西北部でススミ崎という」

 と注して、須須比、須須美が同根であることを示唆している。

 つまり、須須美命は śusuma,śusumin に由来し、「息吹き」である

 「風」を神名にしていることが理解でき、

 宇夜都弁命、美穂須須美命が同神であることがみえてくるのである。

 因みに美保神社の類社で摂社としている

 美保関町森山の横田神社のある地、字名森山には伊屋谷があり、

 これは宇屋谷の転訛で、

 あるいは太初の美保神社はこの地域にあったとも推測される。

 美保関の美保神社は現在も青垣神事が行われているように

 事代主神を主神として最初から祀られた神社として

 よいのではないかと思う。

 その神格はともかく、

 伊屋谷の名称から

 そこに「三保神社」の祖社を求めた方がよいであろう。

 「横田」は「オウタ」で vāta (風) の転写と

 みることもできるのである。

 「出雲神社巡拝記」は

 「森山村の三保大明神が風土記にいう三保社で、

  同社に合殿の横田だ尾明神は風土記にいう横田社、

  延喜式にいう横田神社」と述べている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

2015年6月12日金曜日

宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命②

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:898~900頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命②

  神名にある「都弁」は、出雲国風土記の飯石郡飯石郷に載る

 神名、伊吡志都弁命とも共通するが「工匠」を意味する。

 『古事記』に「伊斯許理度売命・作鏡連(かがみづくりのむらじ)」、

 『日本書紀』に「石凝姥命」とし、

 その訓を「伊之居梨度咩」とする「ドメ」に同じと考える。

 ここでは女神の意味はない。

 「都弁」はサンスクリット語 tvā- で tvaṣṭr は

 インドラ神の金剛杵を造った工功神である。

 この石凝姥神は「先代旧事本紀本紀」の天孫本紀にも、

 「故地ー真t姥命、鏡作上祖」とあるが、

 鏡作りばかりでなく刀剣の製作も行った。

 『日本書紀』の天石窟の段で同神を鍛冶として

 天香山の金を採ってきて日矛を作らせ、

 また真名鹿の皮を全剝(つつはぎ)にして天羽鞴を作らせたという、

 ふいごの技術を備えた鍛冶であった。

 この「石凝」は宇屋谷と全く縁が無いわけではない。

 というのも、神代神社を守っているのは現在僅か数軒しかないが

 「石郡(いしごおり)家」で、

 石郡・石凝は同祖と考えられるからである。

 そればかりでなく、神庭、その東側の学頭など、

 この周辺は「小島家」が多い。

 この「コジマ」は koti-mat で

 「尖った」 あるいは「「尖った先端のある」で、

 つまり刀剣を祖語としているとみられる。

 宇夜都弁命名は「風-工匠」で鍛冶工、それも刀鍛冶を表わしていると

 理解できるのである。

 宇屋谷から下った所に綿田原との地名があるが、

 これは vāta-tvā で同じく「風-工匠」であろう。

 上庄原内となっている田波も tvā- に依るだろうか、

 風土記にはこの辺りにあったらしい「須須比池」が載るが、

 これはサンスクリット語の śuṣma (荒い息吹き、猛烈、剛勇)、

 śuṣmin (吠え立てる、剛勇の、猛烈な)の転訛によるものであり、

 荘原、庄原名は「宋」で sua 「息をする」、

 つまり息吹きの同類語である。

 「田波」にはもう一つの解釈が可能である。

 つまり、 tapati(te) を原語するとの考え方である。

 その意味は「熱す、暖かくする、焼なんあどで、
 
 tapta は「燃えた、赤熱された」で、

 金属業での「溶解された」の意味を持つ、

 tapta-tāmra は「溶解された銅」である。

 また名詞として「熱、燃焼」を字義とする。

 この tapta が学頭の大黒山の東麓の地名にある「田畑」とみられる。

 田波、田畑の地名からこの地域で銅の精製あるいは鋳造の為の

 「溶解」を行っていたとの推測が成り立つ。

 このように、宇屋谷、西谷、庄原、荘原に掛けては、

 鞴技術を持った鍛冶集団の存在を知らせる資料が多いのである。

 佐支多神社は「剣社」である。

  神代神社の祭神は現在宇夜都弁命、大国主神、品陀別命であるが、

 第三の神名は八幡宮を合祀したことによるものである。

 大国主神は、ここでは八千矛神名に置き換えられるよう。

 神庭から和加布都怒志命が祀られていた今在家まではそう遠くない。

 宇夜都弁命を建御名方神の別称とすることができよう。

 地元の奉祭氏族は、神代神社を「諏訪神社元宮」と通称している。


《参考》

 ARPACHIY
AH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年6月11日木曜日

宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命①

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:895~897頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 宇屋谷と神代神社(1)宇屋谷と宇夜都弁命①

  だが、既に述懐したようにことはそう簡単ではない。

 出雲内で剣を製造していた可能性もあるのである。

 西谷の入口に近い荘原町に佐支多神社が鎮座し、

 その意味が「剣」であることを紹介したが、

 この周辺にその刀鍛冶がいた痕跡の資料があるのである。

 斐川町神庭のうちで、西谷の東側に宇屋谷がある。

 この里について出雲国風土記出雲郡建部郷に次のようにある。

  先に宇夜の里と号(なず)けし所以(ゆえん)は、

  宇夜都弁命、其の山の峯に天降りましき。

  即ち、彼(そ)の神の社、今に至るまで猶此處に坐す。

  故、宇夜の里といひき。

  この宇夜の里が宇屋谷に相当する。

 そして「彼の神の社」とは、

 同風土記に「神代社」、延喜式神名帳に「神代神社」と載る。

 現在も宇屋谷に鎮座する同名社である。

 「宇夜都弁命」名は同風土記にはここだけで、

 他の史料にも一切みられない孤立した神名である。

 だが、これらの名称は古代の宗教的環境を知る上に

 極めて貴重な資料を提供している。

 そればかりか、この神社の重要さを再確認させる事件が

 荒神谷遺跡の発見であると考える。

 そして同社は諏訪大社(建御名方神)にとっても、

 貴重であることが以後の考察で明らかとなる。

  「字夜」に作るものもあるが、やはり「宇夜」が妥当である。

 同じ島根県江津市の日本海岸沿いに敬川(うやかわ)町があり、

 敬川が流れている。

 敬川は宇夜弁命が足を洗ったのでその名が付けられたという。

 「ウヤ」を「うやまう」の「敬」と使っている。

 「敬」はまた「礼」で「イヤ」の音訓も導き出される。

 しかし、これらはその祖語ではない。

 その祖語はやはりサンスクリット語の uyo-kāra と結句される

 uyo- で、その原語は uāgu で、「風」あるいは「息吹き」を意味し、

 uyo-kāra は「風(息吹き)‐職人」で、「鍛冶屋」を表わしている。

 つまりウヤ uyo- は鞴(ふいご)を表わす。

 Uāgu はドイツ語の wehen (風が吹く)、

 英語の wind (風)と同根の用語である。

>

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年6月5日金曜日

銅剣と荒神谷遺跡④

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:891~895頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 銅剣と荒神谷遺跡④

  天穂日命の葦原中国への派遣について、

 『古事記』は

  「思金神及び八百萬の神、議(はか)り白ししく、

  『天菩比神、是れ遣はすべし』とまをしき。

  故天菩比神遣はしつれば、及ち大国主神に媚び附きて、

  三年に至るまで復奏さざりき。」と記す。

 つまり「媚び附いて」、『日本書紀』では「倍婚」というが、

 大国主神に服従してしまい、

 遣使の役目を果たさなかったというのである。

 しかし、素盞鳴尊のの神話上の行状からすれば、

 大国主神の国を制圧して

 自分達が支配者になったまま

 葦原中国(出雲)を天孫に献上しようとしなかったというのが

 本当のところであろう。

 大国主神を奉ずる先住の人々、第12章の「出雲族」で

 述べた意宇(多)氏、つまりヤーダヴァ(ドヴァラカ)族の

 鍛冶集団を征圧したのは建御雷神などではなく、

 天穂日命氏族であったとの理解が生れてくるのである。

 『記・紀』は大国主命の国譲り後に

 新しい統治者を送るのではなく、

 天穂日命にその祭政を任せている。

 ただし、その後裔は崇神天皇の時代の出雲振根の事件を初め、

 繰り返し時の政朝からその服従に疑いを持たれ、

 出雲国造神賀詞にみられるように代が替わるごとに

 服従の誓約を述べなければならないは後になっている。

 不思議なことに天孫族の支配に最も反抗したと語られた

 建御名方神の留まる諏訪の勢力に対しては服従の誓約や

 建御雷神に述べた条件が守られているかなどの尋問は

 その神話上も史料上の記録にも全く見当たらない。

 『古事記』の物語がいかに虚構であるかが解かってくる。

 つまり、天孫族の出雲支配に抵抗したのは天穂日命氏族であり、

 大国主命あるいは建御名方神ではなかったのである。

 延喜式神名帳 因幡国高草郡に

 「天穂日命神社」「天日名鳥命神社」と共に

 「阿太賀都健御熊命神社」が記載されている。

 天日名鳥命は天夷鳥命などとも表記され、

 天穂日命の御子神である。

 健御熊は『日本書紀』に

 「大背飯三熊之大人、別名武三熊之大人」とあり、

 天夷鳥命の別称とされる。

 その神名を修飾する「阿太賀都」はサンスクリット語で理解すると

 adhi-gata でその意味は「得る、獲る、横取」である。

 3年間復命しなかった父の後を追って、

 『日本書紀』は武三熊之大人が派遣されたが父に従って

 復命しなかったと述べている。

  『三国史記』の「新羅本紀第二」の十四代儒礼尼師今の

 十四年に以下のような奇妙な話が記述されている。

 東洋文庫から転載する。

  伊西国(慶北清道郡)が侵略して来て金城を攻めた。

  わが国は〔国民を〕総動員して防いだが、

  撃退することができなかった。

  突然異様な姿の兵隊がやって来た。

  その数は数え切れないほどで、

  彼等は皆竹葉を首飾りにしており、

  わが軍とと共に賊軍を攻撃し、これを討ち破った。
  
  その後、彼等の行先がわからなかった。

  〔ただ、〕人々は竹葉数万枚が

  竹長陵に積み上げてあるのを見て、

  〔これが彼等の耳飾りの竹葉でないかと〕疑った。

  このことによって、

  人々は先王が陰兵をもってこの戦いに援助したのだと思った。

 ここに登場する竹葉は三又戈と同じと考えられ、

 矢ないも矛、剣とみられる。

 天鈿女命が天石屋戸の前で手に持って踊った「小竹葉」である。

 『日本書紀』で素盞鳴尊が韓郷に行ったが、

 そこに留まらず」に舟でこの国へやって来たと

 語られているところをみると、

 この「異様な姿の兵隊」とは素盞鳴尊を奉祭する集団と考えられる。

 竹葉が積み上げられたとは、

 剣などを積み上げたと考える。

 それはまさに「矛を納める」(戦闘を終わらせる)意味である。

 荒神谷遺跡の銅剣がよそから持ち込まれたとするならば、

 それは征圧をし終わった集団の戦勝を祝う祭事と

 考えることができる。

 祭祀用剣であるから刃こぼれなどが無くて当然だろう。

 斐川町の東隣りの宍道町の西端、斐川町境に佐々布地区がある。

 これは「ササハ・竹葉」の字義である。

 その直ぐ東の白石に才という字名がり、

 佐為神社が鎮座する。

 竹葉は「佐為」で「剣」である。

 358本の銅剣が外部からのものとするならば、

 それは出雲国造氏族の所行と考える。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ


2015年6月3日水曜日

銅剣と荒神谷遺跡③

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:889~891頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 銅剣と荒神谷遺跡③

  ここでは銅剣が外から持ち込まれた可能性を考察するために

 素盞鳴尊の奉祭氏族につおて追求してみたい。

 その氏族集団とは天穂日命の勢力であり、

 その後裔である出雲国造の諸族である。

 ここでは詳しく述べないけれど、

 杵築大社(出雲大社)の主神は大己貴命であるが、

 大己貴命(大国主神)は出雲国造氏族の氏族神ではない。

 その経緯は『記・紀』に明らかである。

 同氏族の氏族神は素盞鳴尊である。

 杵築大社の本殿瑞籬外の真後ろに素鵞社を配置させている。

 拝殿で遥拝する者は、主祭神を拝すると共に、

 素盞鳴尊の別称である素鵞社を遥拝するという

 仕組みになっているのである。

 素鵞あるいは須賀は出雲国風土記に

 「清けし」との伝承によると述べられているが、

 本来は「穂日」を「スイガ」から「スガ」と

 読んだことによると考えられる。

 出雲国造と同じく天穂日命を祖とする武蔵国造の奉祭する

 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町の氷川神社の祭神は須佐之男命、

 稲田姫命、大己貴命で、須佐之男命が筆頭である。

 埼玉県に広がる氷川神社の属社における祭神は須佐之男命で、

 大己貴命まで祀るところはほとんどない。

 さいたま市大宮区の氷川神社を奉祭する神職は角井氏といい、

 古代から連綿として同社の祭祀に当たってきた。

 そして杵築大社の神職は千家氏であるが、

 この「センゲ」名はサンスクリット語の śṝnga の転写で、

 つまり「角」を意味するのである。

 島根県益田市に須子町があるが、これは素鵞あるいは須賀であり、

 その町内に角井(古くは角井郷)がある。

 素盞鳴尊と「角」は離せない関係にある。

 千家氏(出雲国造にして杵築大社の神職)と

 角井氏(武蔵国造の族にして氷川神社の神職)は

 穂日命を祖とする同族であることがこの「角」の解釈で

 よく知ることができる。

 その「角」とは「牛頭」である。

 素盞鳴尊の別称は「牛頭(ごず)天王」である。

 京都市東山区祇園町の八坂神社は素盞鳴尊、櫛稲田媛命を祀り、

 「牛頭天王」でよく知られる。

 同社は京都府綴喜郡田辺町天王高ヶ峰の朱智神社の

 建速須佐之男神を勧請したものと知られる。

 同社の主祭神は迦屚米雷命で、

 この命は息長氏に連なることから

 息長氏の祖神を祀る神社と考えられており、

 「牛頭天王」は崇神天皇以降に興った信仰であろう。

 既にみて来たように牛頭信仰は世界の宗教的流れの中で

 中心的基盤であり、何層にもなって別の種族、

 時代を重ねて注目されてきた。

 天穂日命の後裔である出雲国造一族もその神職の名称から

 牛頭信仰を持っていたことに間違いない。

 ただし、それは「天王」ではなかった筈であるばかりでか、

 出雲においての牛頭信仰の祖でもなかった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ


2015年5月31日日曜日

銅剣と荒神谷遺跡②

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:886~889頁

 第14章 牛頭と鹿頭 

 銅剣と荒神谷遺跡②

  この遺跡名を「荒神谷」としたのは、

 埋蔵の近くに三本の松木があり、

 同木を神体とする三宝荒神が地元の人々によって

 祀られていたことにようという。

 「三宝荒神」信仰は仏教が普及して以後の信仰名である。

 「三宝」については「三本の松木」に表わされた

 後出の「三方」ともとれるし、

 「銅剣、銅鐸、銅矛」の三つが底にあるのかもしれない。

 「荒神」についても、出雲の神社の鎮座状況からみると

 素盞鳴尊に別称と判断されるが、

 ここではサンスクリット語の「青銅」を意味する āra-kūta に

 依拠していると考えられるが、

 今のところ何れも確証がない。


 「荒神」を素盞鳴尊と前提する場合には、

 これらの銅剣は出雲以外から持ち込まれた可能性が高くなる。

 その他の場合には出雲郡(斐川町)内における製作の可能性が

 高いと考える。

  素盞鳴尊は、『記・紀』神話においては
 
 天照大神と師弟の関係にあり、

 国土建設の役割を果たした祖神の一に並んでいる。

 だが、出雲にとっては外来の神である。

 『日本書紀』巻第一に「素盞鳴尊の行状は乱暴を極めた」

 とある。

 この乱暴こそ「荒(すさ)む」で「スサ」、

 『古事記』では「須佐」『日本書紀』で「素盞」の神名に

 依拠するところである。

 つまり「荒神」である。

 『日本書紀』は同神が「韓郷(からくに)の島」に行ったが、

 そこに留まらず、舟に乗ってこの国へやって来たと語る。

 その荒む様子は高天原で

 天照大神を困らせる物語として描かれている。

 天鈿女命が活躍する天岩屋戸の場面は、

 その乱暴に困り果てた天照大神が隠れてしまったために

 催された事件であった。

 高天原を追放された素盞鳴尊は寄稲田姫を助けて

 大蛇を退治することになるが、

 その大蛇の尾からは『古事記』の草那芸の太刀、

 『日本書紀』の一書の天叢雲剣を取り上げた。

 この物語は、外から出雲にやって来た同神を奉祭する勢力が、

 蛇神を信仰し、優れた剣を造作できる先住の勢力を征圧して

 彼等の剣を取り上げたという内容となる。

 第12章で島根県東部の意宇郡名は八雲村に蛇山があるように

 サンスクリット語の ahi の転写であることを指摘し、

 同村の日吉に剣神社が鎮座することから

 出雲で作られていたとも述べた。

 このように銅剣の出雲内製作の史料は前記ばかりでなく、

 さらに、後述するようにかなりある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ