2016年6月2日木曜日

《八潮市立資料館:藤波邸の「牛角兜」》②

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1237~1251頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《八潮市立資料館:藤波邸の「牛角兜」》

 一私家の系譜で恐縮だが同家は江戸時代の中頃まで

 小櫃家といい、

 それも江戸期の初期本間姓から改姓した家系である。

 その本間氏については現在の当主が

 「八潮市史研究」に掲載して
 
 明らかにしているところに依れば、

 鎌倉時代の御家人本間氏が本貫であるという。

 その祖は本間能忠で、

 「群書類従」にその系譜が載るが、

 現在の神奈川県海老名市に当たる

 相模国高座郡海老名郷の住人

 海老名源八李定の次男であるという。

 厚木市金田に本間屋敷の字名があり、

 そこの妙継寺はその屋敷跡と伝えられている。

 本間氏は佐渡の守護代を勤めることがあった。

 「北陸と佐渡の秘密」で登場した

 鎌倉時代の守護本間氏である。

 本間能忠の能久などである。

 文永8年(1271年)と推定される

 日蓮の佐渡送りにも関係し、

 日蓮は送られる直前

 本間屋敷預かりの身になったらしい。

 日蓮書状に

 「此れ十二辰時勘気、武蔵守殿(大和宣時)

  御あつかりにて、十三日丑時にかまくらをいて〃、

  佐土の国になかされ候か、たうしハほんまのえちと

  申しところに、

  のちの六郎左衛門尉殿代官右馬太郎と申者

  あつかり候か、いま四五日ハあるへけに候」

  (本満寺文書/神奈川県史資)とみえる。

 「のちの六郎左衛門」が

 本間六郎左衛門重達とされる。

 「のち」は「当主」の意味で

 サンスクリット語の 

 nātha(主人、支配者)が用いられていると考える。


 この書状でも解る通り、本間屋敷は「えち」にあった。

 「えち」は鎌倉時代から戦国期にかけての郷名で

 依智郷と表記され、現在の依知である。

 厚木市の相模川と中津川(及び小鮎川)が合流する

 金田以北上依知の両河の間を称していった郷名である。

 本間氏の母体海老名氏は、平安期から中世に現在の

 埼玉県児玉郡美里町を中心に活動した

 武蔵七党のうちの横山党の出であり、

 康平年間(1056-65年)に相模守としてこの地に来た

 源田郎親季を祖とする。

 さらに横山党の祖は武蔵権介として下向した

 小野義隆(義孝)である。

 この小野氏は村山源氏の出と諸家系図纂は言うが、

 厚木市に小野があり小野神社が鎮座することから、

 その祖はこの地域に縁りのあった種族と考えられる。
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