2014年11月19日水曜日

大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社⑤


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:789頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社⑤

  出雲国をおおよそ南北に貫流する斐伊川は比喩的に

 「鉄川」である。

 「斐伊」はサンスクリット語の pinga の転訛で

 「黄褐色の、赤褐色の」の意味で、

 赤錆びた鉄の色を表わし、

 それだけ川の流域で鉄が採れたことを示す。

 出雲風土記大原郡に「樋伊郷の人樋印友知麻呂」とあるが、

 「樋印友」は pinga に由来するだろう。

 その大原郡加茂町を流れる赤川は pinga の意訳名である。

 斐伊川は島根県と鳥取県の県境船通山を本源とするが、

 鳥取県側に日野郡日南町の北方に印賀山があり、

 鉄穴谷の地名がある。

 この印賀も pinga に依るものであろう。

 県名「鳥取」も「多多羅」と同じ「熱路」を表わす言葉を祖語とし

 鉄生産に係わる。

  神魂神社及び素盞鳴尊、稲田姫命、大己貴命を祭神とする

 八重垣神社の鎮座するのは松江市大庭(おおば)町であるが、

 この「庭」も「雲」に由来しているのである。

 サンスクリット語の nabhas がその祖語で

 「雲、雷、蒸気」を表わす。

 この用語はギリシャ語の νεπηος 、

 ドイツ語の Nebel と同根である。

 大庭は神魂神社の神域を

 「神庭(おおば)」と称したことに始まるという。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年11月18日火曜日

大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社④


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:788頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社④

  『古事記』に須佐之男命の歌として記載されていりものがある。

   八雲立つ出雲、八重垣つまごみに、

    八重垣つくる、その八重垣を

  この内容は

 「自然の雲のたなびく出雲に

  妻(稲田毘売)のために八重に垣をつけた家を建てた」というような

 安らかなものではない。

 「矢のように煙(雲)が立っている。

  それは熱炉(八重垣)がたくさん作られているからである」

 といっているのであり、

 意宇郡の辺りが金属業の盛んな地方であったことを示す。

 それ故、須佐之男命は大蛇の尻尾から優秀な剣を得ることが

 できたのである。

 因みに能義郡広瀬町の富田(とだ)は dhamita の転訛で

 「煙で隠された」の意味である。

 古くは富田荘があった地方である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2014年11月17日月曜日

大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社③


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:787頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社③

 「加夫呂伎」は「神祖」とも表記されている。

 大穴持命といってもここでは久那斗神名である。

 Khana は穴ではあるが、「坑」「穴を掘る」で、

 久那斗 khanati(te) 、また khanitr (掘る者)に近い。

 熊野大社は「日本火出初社」として知られる。

 毎年十月十五日には鑚火(きりび)祭が行われる。

 この祭事で火を鑚り出すのに鑚臼(実)鑚木が用いられる。

 鑚臼は一枚の板で、鑚木は一本の棒で杵という。

 鑚木(杵)鑚臼に穴ができるように挽り込んで火を興すのである。

 この「穴を掘る杵」こそ毛野(気野)である「御気野命」にして
 
 久那斗神なのである。

  意宇の山狭に火を興す神が鎮座するのはなぜだろうか。

 それはここで金属生産ないし加工(鍛冶)が行われていたからである。

 金属業にとって火は不可欠である。

 「加武呂/加夫呂」を

 サンスクリット語の kamara (鍛冶工、金属工)とさえ考えられる。

 熊野の東側の岩坂には田村神社が鎮座し、

 祭神を金山毘古、金田(きんだ)明神としている。

 久那斗は後に「キヌタ:砧」と変化しており、

 「金田」はその砧であり、

 金山毘古神は製鉄の神としてよく知られている。

 ただし「田村」が tamara の音写とすると「銅」を表わすので

 銅加工が行われていたとみられる。

 その北方桑並川の下流に志多備神社が鎮座するが、

 「志多」は鉄、「備」は鞴(ふいご)と同義で炉を表わし、

 この神社名は「鉄炉」である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

2014年11月15日土曜日

大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社②


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:786頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社②

  八束郡八雲村東岩坂に鎮座する毛社神社の

 「毛」はこの kha が祖語であろう。

 毛社は熊野大社をいう。

 そして松江市大庭の神魂(かもす)神社 kha-mat に係わる。

 同社の神体は杵築大社と同様「釜」である。

 𤭖玉が雲であることは既に述べた。

 Khamat である「カマ、キマ」はまた雲を表わす。

 八雲村の熊野の「クマ」はこの転訛である。

 同社西方の松江市の熊山、空山、

 その南大原郡大東町の薦澤(こもざわ)などの地名を考慮すると

 熊野は「雲野」である。

 熊野大社は延喜式神名帳に「熊野坐神社名神大」と載る

 意宇郡に於いて最も貴重な神社で、

 最も古い神社と考えられている。

 祭神は素盞鳴尊であるが、

 出雲国造神賀詞に「加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」とあり、

 「御気野命」が祖神であったことを窺わせている。

 「御毛野」とも表記される。

 「ミケノ」は「雲(megha)野」ではあるが、

 しかしその原初はより複雑である。

 というのも「毛(気)野」が

  kha の派生語 khana の音写とみられるからで、

 同じく「穴」を表わし大穴持命が祀られていた可能性がある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年11月11日火曜日

大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社①


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:785頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社①

  風土記は8世紀の中頃編纂されたものだが、

 それから250年後の延喜式神名帳の出雲国のうちに

 「大穴持」を社名とする神社が意宇郡に3社、出雲郡に6社ある。

 「大穴持命」は出雲国造神賀詞にも述べられる

 出雲国特有の神名であろう。

 八束郡宍道町来待に延喜式神名帳意宇郡に載る

 来待(きまち)神社が鎮座する。

 祭神は大物主櫛瓶玉命で社伝によると

 崇神天皇の頃大和国三輪山から勧請されたという。

 同社の東方上来待神社に佐久田神社が鎮座するが、

 「サクタ」は大物主神であるインドラ神の剣をいうものである。

 同社の周辺佐倉は śakra でインドラ神の尊称である。

 来待川の西方の白石地区の「才」には同じく神名帳に載る佐為神社、

 下白石に佐為高宮神社が鎮座するが、

 佐為は佐伊で大神神社の摂社名に係わる。

 高宮も同じく三輪山の頂の高宮神社に係わる。

 ここで注視するのは来待で、「キマチ」がサンスクリット語の

 kha-mat の音写で、その意味が「穴持」であることである。

 Kha はこれまで

 紀伊国の「紀」あるいは「香」として紹介してきた用語で、

 そこでは「空虚、虚空、天空」と説明したが、

 また「穴」をも含んでいる。
 
 「キマチ」は「穴を備えた、穴持」で

 「瓶玉」あるいは「𤭖玉」そのものを表わしているのである。

 ここに大物主神と大穴持命とが習合している様子がよく知られる。

 崇神天皇の時に大田田根子が三輪山を奉祭するようになり、

 大物主神が当地方へ入ってきたものであろう。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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大国主神の奉祭氏族(3)出雲族⑤


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:784頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(3)出雲族⑤

  出雲風土記から「タカ(多久)」のつく神社を拾ってみる。

 ○嶋根郡 多気社(松江市上宇部尾町多気神社)

 ○楯縫郡 多久社(平田市多久町多久神社)

 ○神門郡 多吉社(簸川郡多伎町多岐多岐神社)
 
 ○神門郡 多支枳社(簸川郡多伎町口田儀多伎芸神社)

 ○神門郡 多吉社(簸川郡多伎町多岐多岐神社境内大穴持神社)

 ○神門郡 多支社(簸川郡多伎町小田尾若権現社に比定)

 ○神門郡 多支支社(簸川郡多伎町口田儀多伎芸神社境内、

           旧社地奥田儀の田尻谷という)

 ○飯石郡 多加社(飯石郡吉田村杉戸大歳神社に比定)

 その他、出雲郡に多義村が載る。

 これは現大原郡加茂町大竹に比定されており、

 その近く斐川町の学頭に大黒山がある。


 阿陀加夜 ādi-gaya が

 出雲の太初の種族であることを紹介したのであるが、

 この名称が三輪山周辺にも遺っていることを説明しておきたい。

 阿陀が「小田」と転訛して多岐町にあるが、

 この ādi が桜井市芝地区の小字「織田」となっている。

 また芝のすぐ東三輪山との間が茅原(ちはら)であるが、

 これはまた「カヤハラ」と訓め「カヤ」は gaya の音写で、

 合わすと「阿陀加夜」と同音となる。

 また芝の北の箸中の向うには太田地区があり、

 これも ādi の転訛である。

 同地には天照御魂神社が鎮座するが ādi は「太初の」の他に

 「太陽」を語義としており、その祖語に相応しい。

 同社は延喜式神名帳の大和国城上郡に載る

 「他田坐天照御魂神社大」に比定されている。

 これらの名前も阿陀加夜怒志である

 大神神社の大国主神に係わるが、

 その奉祭氏族、礒城氏族を含む登美族を称したものと考えられる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年11月10日月曜日

大国主神の奉祭氏族(3)出雲族④


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:783頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(3)出雲族④

 前に富氏は出雲井神社を奉祭しており、

 その祭神を大国主と述べたが、

 その正式な神名は「久那斗神」である。

 同神は簸川町富村の富神社においても祀られるている。


 久那斗神を敢えて大国主神と述べたのは

 次のような事情に依る。

 同神は「岐、来名戸」とも表記されるが、

 これはサンスクリット語の khanati(te) の音写である。

 その語義は「掘る、穿つ、貫く」で、 khanitr は「掘る者」となる。

 「掘る」のは「穴を掘る、穿つ」の意味であり、

 当然大穴持命に通じ、大国主神を表わす。

 つまるところの久那斗神は大国主神となる。

 出雲郷内に竹花、また意宇川を越えた松江市竹矢町があるように

 ここが「タカ」の里であったことが理解できる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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