2012年6月25日月曜日

『愛の八紘一宇』の象徴、ツルカルニンの名乗り



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:24頁

 《『愛の八紘一宇』の象徴、ツルカルニンの名乗り
 「『愛の八紘一宇』の象徴、ツルカルニンの名乗り

 こうして天の稚彦物語の真相から総てが解けて違和感が残らない。

 この事実は伝説伝承もまた重要な

 『言語文化財』だという証明なのである。

 それらを『神話』と呼び、

 物語だけが伝わって広く分布したのだと唱え続けてきた

 『神話学』という学問は、

 この事実を破壊して迷路に引き摺り込む罪を犯すことしかできなかった。

 それが行なった「分布調査」は確かに役にたったが、

 それで軽々しく下した定義は、

 私たちと祖先には敵の働きしかしなかった。

 それは太古からの人の移動の実態が、

 どんなに大規模で凄いものであり、

 また人類は超古代から高い文化をもっていたという事実を

 知らなかった無知に根差している。

 何故?神話学が、

 これまで『記・紀』の「神話?」をロクに解明できず、

 かえって欧米の学者の日本人蔑視を助長し、

 私たちに不快感を与えてきたのか、

 その理由と実態がよくお判り戴けたと思う。

 それだけでなく、

 天の稚彦物語には、

 思想史的に、もっと深いものがあるのである。

 <稚彦>は<都怒我阿羅斯等>=<ツルカルニン>を名乗ったが、

 この名はシュメル語から出たものでギリシャ語ではない。

 それをアレクサンドロス大王が、

 わざわざ名乗った理由は、

 彼がペルシャ皇帝を破って母の夢見た

 『愛の八紘一宇』の第1歩をしるした記念として、

 あえて敗戦国の神名を新しい国民のために名乗ったのである。

 彼の純粋な心情を見落としてはならない。

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2012年6月24日日曜日

伊弉諾・伊耶那岐は、戦の君=軍君



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:23頁

 《伊弉諾・伊耶那岐は、戦の君=軍君
 「伊弉諾・伊耶那岐は、戦の君=軍君

 『日本書紀』の<活目入彦五十狭茅>は、

 卑弥呼政権を倒して邪馬壹に都した垂仁天皇=位宮だが、

 『魏書倭人章』が帯方郡使の耳にした正確な発音を書き遣している。

 それは最高官を「伊支馬」と当て字している。

 これは当時の漢魏音で「イチマ」としか読めない。

 それは<活目>という当て字と同じものなのだから、

 この<活>は<イチ>、

 <目>は<マ>と発音しなければならない。

 <イキ>と発音する<活>を<イチ>と発音するのは沖縄語だ。

 では<イチマ>とは何か?

 それが壹国(いちマ)であることは一目瞭然である。

 入彦は婿を意味するから壹国の婿、

 すなわち壹與女王の夫である。

 この<壹>国はマレー語読みで

 <壹>=<サツ>、<国>=<マ>で<サツマ>・<薩摩>である。

 残る<五十狭茅>は<イッサンキン>=戦の君=軍君の

 沖縄発音<イーサーチヌ>である。

 前任者の五十狭芹(サキン)は

 鹿児島語で<イッサンキン>への当て字、

 <イキュウ>は

 琉球の朝鮮語訛りで、

 沖縄発音では<イチユウ>=壹與だから2つは同じ名乗りなのである。

 『魏書倭人章』の記録がいかに精密で確実なものかよく判る。

 この戦の君は

 大隅発音では「イッサナキン=イサナキの」である。

 スサノオ>と<ホムツワケ>は「いさ泣き」に泣いたと書いてあるが、

 それを仇名にするのは支配者たち対して余りにも失礼だし、

 2人が自身で「いさ泣き」を名乗りにすることも絶対にない。

 <伊弉諾>・<伊耶那岐>の真意は、

 この戦の君=軍君=戦の王(イサナキ)以外には絶対にない。

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2012年6月13日水曜日

スサノオ伝承と21世紀の伝統保護者の責務



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:22頁

 《スサノオ伝承と21世紀の伝統保護者の責務
 「スサノオ伝承と21世紀の伝統保護者の責務

 しかし垂仁天皇は高句麗<山上王>として、

 魏の侵略を身をもって体験した衝撃から、

 卑弥呼仏教が反対する軍備と男王制とを主張して、

 遂に姉・<卑弥呼>と正面衝突してしまった。

 これが『魏書倭人章』が書く「不和」なのである。

 そしてやむなく武力で

 卑弥呼平和主義政権を倒して<邪馬壹国>政権を樹立した。

 しかし愚民懐柔政策として、

 外観だけは<壹與>を立てて女王制を装った。

 この間(かん)の史実を赤裸々に書くことをためらったから、

 古代からの神託を活用して<卑弥呼政権>を<八俣大蛇>と表現し、

 <位宮>は<スサノオの尊>という別名で、

 首都が<邪馬壹国>の新倭国建国史を書き残した。

 そこには戦争か平和か?という、

 <アレクサンドロス>の両親以来の、

 血の滲む理想論争の史実が籠められていたのである。

 怪力をもったヒーローが

 1つの身体に8つの頭をもった怪物を物の見事に退治した!

 という幼児向きの童話や、

 未開インディアンの神話なんかではない。

 『神話だ』『伝統』だといっていい気になって愚行を改めずにいるのは、

 先祖や天皇家に対して恥辱を与え続けることである。

 良い伝統や伝承は、確かに保存する必要があるが、

 それにはこうした正しい説明が必要である。

 それが欠けていては、

 我が国と国民が

 理由(ゆえ)なき軽蔑をうけさる犯罪行為なのだということを、

 真剣に熟慮し、

 よく認識して直ちに改善するのが、

 21世紀の伝統保護者の実行すべき責務であり急務なのである。

 『参考』
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2012年6月12日火曜日

種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:21頁

 《種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ
 「種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ

 『古事記』は開巻第一に皇祖を「天の御中主神」と書いた。

 これが

 美智能宇斯=道の大人(うし)=『神武天皇紀』の道の臣の命、

 語源=美紐縫・<ビシェヌウ>神で、

 神武天皇=垂仁天皇(高句麗の山上王・位宮)を高句麗で救け、

 琉球へ連れ戻した種子島×高句麗海軍の総帥だった人物である。

 その別名は豊玉彦。

 <豊玉姫の父>で、

 垂仁天皇は彦日日出見の尊、

 娘婿だから「入彦=入り婿」を名乗るのである。
 
 しかし『記・紀』はそれを男王制に書替え、

 彼の五人の娘・<日葉酢姫>=<壹與>らを後妻扱いしているが、

 本来の「倭=ウワイ」の<優婆畏>=女王制は

 <卑弥呼>以前から実在していたことがわかる。

 南種子町・広田遺跡出土のギリシャ文字を装飾化した

 貝製のカメオ細工は、

 ギリシャの女神アテナ像や、

 インドの仏像類にみるものと共通のもので

 女性祭祀王の身体装飾品とみるしかない。

 男王制は後のもの名のである。

 貝細工カメオは地中海で発展したもので、

 道の大人が率いていたのはギリシャ海軍の流れを受け継いだもの、

 海神<ポセイドン>が<百済出水>(後に出雲)という国名を生んだのも、

 道の大人がビシュヌウ神を名乗り、

 卑弥呼がペマカ「愛」、

 それがマレー語で<カシー>と呼ばれて、

 香椎・観世音(カシイ)と当て字されたのも、

 すべてギリシャ・インド文明が

 沖縄から種子島を経て、

 南九州に上陸した史実を、

 疑いようもなく立証している証拠群なのである。

 『参考』
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2012年6月11日月曜日

古事記』は『書紀』の難字を読み易くしたもの



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:20頁

 《『古事記』は『書紀』の難字を読み易くしたもの
 「『古事記』は『書紀』の難字を読み易くしたもの

 これはその歌謡に使われた文字を比較しても簡単に証明できる。

 神武天皇の歌謡中、

 最も有名な「撃ちてしやまむ」の歌は。

 一部分、違っているが大半は同じだから見比べてみよう。

 読み   「オサカノ オホムロヤニ ヒトサハニ イリオリトモ ヒトサハニ 

       キイリ オリトモ ミツミツシ クメノコラガ クプツツイ

       イシツツイモチ ウチテシヤマム」

『日本書紀』「於佐箇迺 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 

       枳伊離 烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 勾鶩都々伊

       異志都々伊毛智 于智弖之夜莽葬務」

『古事記』 「意佐加能 意富牟盧夜尓 比登佐波尓 伊理衰伊登母

                美都美都志 久米能古 賀 久夫都々伊 

       伊斯都々伊母知 宇知弖斯夜麻牟」

 『古事記』の用字は、

 『日本書紀』の原文を、

 難しい文字だけ、

 馴染みのある文字に書き変えてあることが一目見て判る。

 これは『日本書紀』の

 「活目入彦五十狭茅」という当て字では、

 カツモク・ニュウゲン・ゴジュウ・セマカヤと

 読みかねない文字を

 「伊久米伊理毘古伊佐知」と

 一字一音ずつの振りガナ化して

 読み方を教えている事実と併せて考えてみると、

 『古事記』とは、

 『日本書紀』を読んで、

 難しい当て字を読み易く訂正したものだと判る。

 だがそれが不正確で、

 正しい名乗りではないから、

 史実を伝える原典ではないと判るのだ。

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2012年6月10日日曜日

国名で判る『記・紀』の資料が書かれた時代差



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:19頁

 《国名で判る『記・紀』の資料が書かれた時代差
 「国名で判る『記・紀』の資料が書かれた時代差

 しかし『日本書紀』も、

 これほどではないが無知さを暴露している部分がある。

 この事実を総合して考えると、

 『記・紀』の編集者らは正確な史実を知らず、

 寄せ集めた資料を何とか継ぎはぎしたのだが、

 それは原典ごとに異なる当て字や名乗りや通称があつて、

 まるで別人のように見えたり、

 国名などもまた様々に相違していたのだと判る。

 だが逆にそのお陰で、その史料がどんなものだったか判る。

 都怒我阿羅斯等らの記事がその最もいい例で、

 新羅と書くものは、うんと後世の史料。

 任那は『日本書紀』に新羅の南の海にあると明記してあるから

 卑弥呼当時は狗邪韓国なので、

 これも後世のもの、

 意富加羅は仲哀天皇を<ツルカルニン>を

 誤写した都怒我阿羅斯等と書くから、

 古い資料を使っているが、

 任那の由来を御間城天皇の名から来ているとコジつけ解説しているし、

 その仲哀が垂仁天皇の時代までいたと書くのだから、

 その阿羅斯等が

 卑弥呼が倭国の女王に共立される前に死んだ

 彼女の夫・仲哀天皇の別名だなどとは想像さえできないでいる。

 これもまた後世のものである。

 このことで忘れてならないのは

 『古事記』が見せる『日本書紀』への反感の強さだ。

 せっかく書紀が良い当て字でソナカを旨く表現しているのに、

 わざわざ帯中に書き改めている事実は、

 『古事記』が書紀に激しい反感をもったために、

 後から作った本なのだという、動かない証拠なのである。

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2012年6月9日土曜日

『古事記』とその編集者の実態、再説



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:18頁

 《『古事記』とその編集者の実態、再説
 「『古事記』とその編集者の実態、再説

 <ソナカ>が実在したことは、

 蘇那曷叱智と書いた文献が存在したことで立証されているが、

 帯中日子という名は、

 足仲彦の読み違い以外には生まれない当て字である。

 そんな当て字を平気で当てたということは、

 『古事記』の編集者が、

 我が国の歴史で最も有名で重要な存在の天照大神であり

 神功皇后であり卑弥呼であった人物から生まれた、

 国民の常識だった伝承さえも、

 まるで知らない人物、

 すなわち大学院講義録28でもお話ししたが

 太安萬侶という名が語る通り、外国人だった証拠である。

 単に漢字に詳しいだけの人物だったことは間違いない。

 『古事記』は逆に歌謡を集めて多用し、

 親近感を盛り上げて国民に普及させることを試みているのである。

 それなのに卑弥呼の夫・<ソナカ>さえ知らないという、

 致命的な馬脚を表わしているのだから、

 『古事記』を『正史』として取り扱うことは、

 間違いを生むもとである。

 といっても、

 そこには貴重な史実が集められている。

 それを活用する際には、

 それを盲信せずに、

 以上のような慎重な検討が必要だということを、

 忘れないようにせねばならない。

 在来のように

 『古事記』に書いてあるからと根拠にしたり、

 正史扱いをするのは、

 せっかくここまで解明できた我が国の建国史から、

 世界の人たちの関心をそらす恐れがある。

 この講座をご受講の先生がたのご指導で、

 それを未然にお防ぎ戴きたい。

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