ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:13頁
定義 『不改常典』は『日本書紀』
定義 『不改常典』は『日本書紀』
それは今後は絶対に改定されることのない
(天皇家が永遠に変わることのない)絶対の歴史だというPRであり、
祈願でもあったから、即位という重大な行事の目玉として、
わざわざ強調するために挿入したのだとわかる。
それが望む通りの効果を挙げるには「典」とは何のことか、
人々に理解できなければ何にもならない。
在来の学者らが「…ではなかろうか」などと迷うような、
所在不明のものでは、即位の詔に入れ、詔書にわざわざ書く必要はない。
そんなことをすれば新天皇の権威を落とすだけである。
どこからみても、それは『日本書紀』以外の、
行方不明になるような安っぽい文書ではない。
どこからみても、それは『日本書紀』だったと定義して、永遠に動くことはない。
『不改常典』は『原日本書紀』だったのである。
しかし元明天皇は気付かなかったが、
その『日本書紀』が女帝制を崩壊させて、
男帝制を定着させたのである。
伊弊諾尊は生き残ったが、伊弉冉尊は死んでしまった。
寓話の内容も女性主導にはケチがつけられ、
男性上位の主張が「国生み・貴子生み」を成功させたと強調してある。
そして『日本書紀』が養老4年に元正天皇に提出された後は、
女帝は、わずかに称徳(孝謙)天皇で終り、
以後は天皇は男性がなることに決まってしまった。
このことから『日本書紀』は誰が書いたか、誰が編集したか、
はっきりわかり、定義できるのである。
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ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月11日水曜日
2012年1月10日火曜日
『日本書紀』が辿った完成までの道のり
ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:12頁
『日本書紀』が辿った完成までの道のり
『日本書紀』が辿った完成までの道のり
もちろんそれは今みる『日本書紀』ではない。
それなら養老に完成した日時までわかっている。
しかしそれを天皇たちが、天智天皇の遺産だとした考えは、非常によく理解できる。
すでに検討済みの通り、
その書名が「日本」であることが、まず強力な動かぬ証拠である。
では天武天皇は無関係か?。
天武紀には10年3月、川島皇子、忍壁皇子らに
『帝紀』と『上古諸事』とを記し定めよと命じた、
とあるから国史を編集させたことは間違いないが、
それは『日本書紀』とも『古事記』とも書いてない。
『古事記』序文にある「帝紀と本辞はウソが多い」といって訂正させ、
それが舎人親王に引き継がれて、『日本書紀』として完成したとみるのが、
史料から得られる最も納得のいく結論である。
これなら天皇たちが公的に
『日本書紀』を『不改常典』として詔書で貴とんでも不思議はない。
『原日本書紀』の存在は当然天皇たちには知られていたから、
その生(なま)の書名を呼ぶことを避けて
「天地日月と共に変わることなき典(のり)を残し給うた」
と賛辞を奉る表現の方式は、皇室の常識だからである。
『日本書紀』は
①天智天皇が原本を作り、
②天武天皇がその書き替えを命じ、
③川島皇子らが訂正し始め、
④舎人親王がそれを引き継いで完成したというのが最も正しい。
だからこそ元明天皇らは天智天皇の功業として、
天智天皇の『不改常典』と誇示したのである。
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:12頁
『日本書紀』が辿った完成までの道のり
『日本書紀』が辿った完成までの道のり
もちろんそれは今みる『日本書紀』ではない。
それなら養老に完成した日時までわかっている。
しかしそれを天皇たちが、天智天皇の遺産だとした考えは、非常によく理解できる。
すでに検討済みの通り、
その書名が「日本」であることが、まず強力な動かぬ証拠である。
では天武天皇は無関係か?。
天武紀には10年3月、川島皇子、忍壁皇子らに
『帝紀』と『上古諸事』とを記し定めよと命じた、
とあるから国史を編集させたことは間違いないが、
それは『日本書紀』とも『古事記』とも書いてない。
『古事記』序文にある「帝紀と本辞はウソが多い」といって訂正させ、
それが舎人親王に引き継がれて、『日本書紀』として完成したとみるのが、
史料から得られる最も納得のいく結論である。
これなら天皇たちが公的に
『日本書紀』を『不改常典』として詔書で貴とんでも不思議はない。
『原日本書紀』の存在は当然天皇たちには知られていたから、
その生(なま)の書名を呼ぶことを避けて
「天地日月と共に変わることなき典(のり)を残し給うた」
と賛辞を奉る表現の方式は、皇室の常識だからである。
『日本書紀』は
①天智天皇が原本を作り、
②天武天皇がその書き替えを命じ、
③川島皇子らが訂正し始め、
④舎人親王がそれを引き継いで完成したというのが最も正しい。
だからこそ元明天皇らは天智天皇の功業として、
天智天皇の『不改常典』と誇示したのである。
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2012年1月9日月曜日
『日本書紀』作成の発案者は天智天皇
ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:11頁
『日本書紀』作成の発案者は天智天皇
『日本書紀』作成の発案者は天智天皇/a>
天智天皇は9年2月に『戸籍』を作らせた、
これは「庚午年籍(こうごねんせき)」と呼ばれて、
『続日本紀』
『日本後記』
『新撰姓氏録』などにも多出。
後世の姓氏制度の原本になり、今の戸籍制度の初めになった。
それは現代に及ぶ支配階級の族籍原簿としてもいまだに生きている。
これは『日本書紀』には記載されていないが、
後世『不改常典(ふかいじょうてん)』と呼ばれるものを
天智天皇が残したといわれるのが真実だ、
と認められる傍証になる天智天皇の活発な文化活動の産物だ。
『続日本紀』慶雲4年の元明天皇即位と神亀元年の聖武天皇即位の2詔書に
その『不改常典』のことが、
「天智天皇が。天地日月と共に変わることなき典(のり)を残し給うた」と明記してある。
在来はこれを「大化改新のことだ」とか、
「近江令のことだ」とか、
「直系だけに皇位を伝えるという規則だろう」とか推測するだけで、
まだ定義されていない。
しかし皇室には、そんな古典は残ってもいないし、それについて何の伝承もない。
それを元明・聖武という
「咲く花の匂うような」奈良朝の大帝が、
わざわざ即位詔書の中で、繰り返し特記しているのである。
それは簡単に消えてしまうような典籍ではなかったはずである。
とすればそれは万人が、あああれか!と納得する大典でなければならない。
それに合う古典は天皇たちが学んで厳かに教えに従うべき、
『日本書紀』だけが実在しているのである。
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:11頁
『日本書紀』作成の発案者は天智天皇
『日本書紀』作成の発案者は天智天皇/a>
天智天皇は9年2月に『戸籍』を作らせた、
これは「庚午年籍(こうごねんせき)」と呼ばれて、
『続日本紀』
『日本後記』
『新撰姓氏録』などにも多出。
後世の姓氏制度の原本になり、今の戸籍制度の初めになった。
それは現代に及ぶ支配階級の族籍原簿としてもいまだに生きている。
これは『日本書紀』には記載されていないが、
後世『不改常典(ふかいじょうてん)』と呼ばれるものを
天智天皇が残したといわれるのが真実だ、
と認められる傍証になる天智天皇の活発な文化活動の産物だ。
『続日本紀』慶雲4年の元明天皇即位と神亀元年の聖武天皇即位の2詔書に
その『不改常典』のことが、
「天智天皇が。天地日月と共に変わることなき典(のり)を残し給うた」と明記してある。
在来はこれを「大化改新のことだ」とか、
「近江令のことだ」とか、
「直系だけに皇位を伝えるという規則だろう」とか推測するだけで、
まだ定義されていない。
しかし皇室には、そんな古典は残ってもいないし、それについて何の伝承もない。
それを元明・聖武という
「咲く花の匂うような」奈良朝の大帝が、
わざわざ即位詔書の中で、繰り返し特記しているのである。
それは簡単に消えてしまうような典籍ではなかったはずである。
とすればそれは万人が、あああれか!と納得する大典でなければならない。
それに合う古典は天皇たちが学んで厳かに教えに従うべき、
『日本書紀』だけが実在しているのである。
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2012年1月8日日曜日
定義『日本書紀』は「帝王学」教科書
ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:10頁
《定義『日本書紀』は「帝王学」教科書》
《定義『日本書紀』は「帝王学」教科書》
このことで明かになったのは「国生み」は一つの物語りに見えるが、
そこには同じ内容をもった複数の類型の史実が、
込められているという事実である。
これは似た話だから1つで間にあわせようというのではない。
それならソナカ=仲哀天皇の唯(ただ)1つの史実が、幾つにも分裂して、
ばらばらに嵌(は)めこまれている正反対の書き方をナゼしたか?が謎になる。
「『日本書紀』は、史実を伝えてはいるが史書ではない。教科書だ」というのは、
こうした事実による定義なのである。
では一体?
誰のための教科書なのか?。
それはギリシャの悲劇の歴史から伊弊諾・伊弉冉の2尊の論争と、
天照大神と素戔鳴の尊の事件と、すべて当時の国家の支配者、
最高責任者たちにしか選択できない
「戦争か平和か」という問題が主題になっている。
それは民主化して投票で為政者を選出する現代と違い、
古代には独裁者に近い天皇たち以外には無用の教訓である。
だから生徒は皇太子や皇子、
皇族の子弟に限定される戦前の学習院のような、
特権階級の子弟専用の「帝王学教科書」だったのである。
しかし、そんなものを誰が?、いっ?作ろうと思いっいたのだろう?。
私たちは女帝制が推古天皇で中断して、
実質、天智天皇の男王帝国に変わり、
それを倒した天武天皇も、また男帝制で押し通したことを知っている。
だから発想者はこの2帝のどちらか以外にはない。
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:10頁
《定義『日本書紀』は「帝王学」教科書》
《定義『日本書紀』は「帝王学」教科書》
このことで明かになったのは「国生み」は一つの物語りに見えるが、
そこには同じ内容をもった複数の類型の史実が、
込められているという事実である。
これは似た話だから1つで間にあわせようというのではない。
それならソナカ=仲哀天皇の唯(ただ)1つの史実が、幾つにも分裂して、
ばらばらに嵌(は)めこまれている正反対の書き方をナゼしたか?が謎になる。
「『日本書紀』は、史実を伝えてはいるが史書ではない。教科書だ」というのは、
こうした事実による定義なのである。
では一体?
誰のための教科書なのか?。
それはギリシャの悲劇の歴史から伊弊諾・伊弉冉の2尊の論争と、
天照大神と素戔鳴の尊の事件と、すべて当時の国家の支配者、
最高責任者たちにしか選択できない
「戦争か平和か」という問題が主題になっている。
それは民主化して投票で為政者を選出する現代と違い、
古代には独裁者に近い天皇たち以外には無用の教訓である。
だから生徒は皇太子や皇子、
皇族の子弟に限定される戦前の学習院のような、
特権階級の子弟専用の「帝王学教科書」だったのである。
しかし、そんなものを誰が?、いっ?作ろうと思いっいたのだろう?。
私たちは女帝制が推古天皇で中断して、
実質、天智天皇の男王帝国に変わり、
それを倒した天武天皇も、また男帝制で押し通したことを知っている。
だから発想者はこの2帝のどちらか以外にはない。
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2012年1月7日土曜日
アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統
ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:9頁
《アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統》
《アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統》
これで、伊弊諾・伊弉冉の「天の瓊矛」とは、
「天=チヌ=津名=柱=磤馭盧で帝柱すなわち政権」を意味し、
「瓊=玉=平和」と「矛=剣=戦争」は、
政字哲学を意味する象徴だったとわかった。
伊弊諾・伊弉冉2神の男尊女卑の話に見えた天柱寓話も、
天照と素戔鳴の争いも、
ともに戦争と平和という政策の対立を描くものだったのである。
すると、もう思い出して戴いたと思うが、
全く同じテーマ、同じ悲劇が、
はるか西方のギリシャにもあった。
それはアレクサンドロスの両親が、
父の武力による征服統一礼讃と、
母の宗教による平和と融和の理想との対立が高じて、
遂に母の手で父が暗殺されるという悲劇に終った史実だ。
『記・紀』の冒頭を飾る「国生み」に、
同じテーマが取り上げられている事実に不注意であってはならない。
なぜ?わが国の正史が、肉親の男女による
「戦争か?平和か?」という
哲学論争の描写の繰り返しで始まるのか?…と考えると、
その根にはアレクサンドロス王家の深刻極まりない悲続く、
古代のわが国の最高指導者の胸にも、
拭い去れぬ圧倒的な陰影を深く刻んでいたことがみえてくる。
だから殊更に、この人類永遠の宿命とでもいうべき論争が、
繰り返し『記・紀』の寓話の主題になっているのである。
ところが中国の正史に登場する支配者の男女関係は、
もっと低い所で止まっていることも、見逃してはならない。
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:9頁
《アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統》
《アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統》
これで、伊弊諾・伊弉冉の「天の瓊矛」とは、
「天=チヌ=津名=柱=磤馭盧で帝柱すなわち政権」を意味し、
「瓊=玉=平和」と「矛=剣=戦争」は、
政字哲学を意味する象徴だったとわかった。
伊弊諾・伊弉冉2神の男尊女卑の話に見えた天柱寓話も、
天照と素戔鳴の争いも、
ともに戦争と平和という政策の対立を描くものだったのである。
すると、もう思い出して戴いたと思うが、
全く同じテーマ、同じ悲劇が、
はるか西方のギリシャにもあった。
それはアレクサンドロスの両親が、
父の武力による征服統一礼讃と、
母の宗教による平和と融和の理想との対立が高じて、
遂に母の手で父が暗殺されるという悲劇に終った史実だ。
『記・紀』の冒頭を飾る「国生み」に、
同じテーマが取り上げられている事実に不注意であってはならない。
なぜ?わが国の正史が、肉親の男女による
「戦争か?平和か?」という
哲学論争の描写の繰り返しで始まるのか?…と考えると、
その根にはアレクサンドロス王家の深刻極まりない悲続く、
古代のわが国の最高指導者の胸にも、
拭い去れぬ圧倒的な陰影を深く刻んでいたことがみえてくる。
だから殊更に、この人類永遠の宿命とでもいうべき論争が、
繰り返し『記・紀』の寓話の主題になっているのである。
ところが中国の正史に登場する支配者の男女関係は、
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2012年1月6日金曜日
卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立
ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:8頁
《卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立》
《卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立》
この玉と剣の対立は、これでお終いにはできない。
天照大神と素箋鳴の尊の話も片付けてしまおう。
それは何を定義するのであろうか?。
天照大神は卑弥呼。
その時の素戔鳴の尊は位宮=垂仁天皇である。
卑弥呼は観世音菩薩の本尊だから愛・慈悲・平和が教義である。
玉が象徴なのは当然すぎるほど当然である。
だから魏が公孫氏を攻めた時、
それを絶好の好機ととらえて、
攻撃に先だって特使を派遣して、
魏との友好関係を樹立し、
親魏倭王になるという、
外交戦略での大成功をおさめた。
それに引きかえ位宮は、
一時は魏に味方して公孫氏を攻めたが、
それが滅ぶとその旧領に侵入して暴れた素戔鳴である。
魏が母丘倹(カンキュウケン)を派遣して高句麗を攻め、
位宮は辛うじて脱出して道の大人(うし)の海軍に救われて琉球へ帰ったが、
終始戦いを主義とした剣の人だった。
そしてついには卑弥呼政権を滅ぼし邪馬壹国政権を樹て、
新羅を建国して半島にまで勢力を伸ばした。
2代目の神功集団であって、
それが倭国大乱後の倭人連邦をうまく維持した。
しかし魏と戦って敗れた位宮は主戦論者で対立し、
ついに天照大神を岩戸隠れさせてしまったのである。
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《卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立》
《卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立》
この玉と剣の対立は、これでお終いにはできない。
天照大神と素箋鳴の尊の話も片付けてしまおう。
それは何を定義するのであろうか?。
天照大神は卑弥呼。
その時の素戔鳴の尊は位宮=垂仁天皇である。
卑弥呼は観世音菩薩の本尊だから愛・慈悲・平和が教義である。
玉が象徴なのは当然すぎるほど当然である。
だから魏が公孫氏を攻めた時、
それを絶好の好機ととらえて、
攻撃に先だって特使を派遣して、
魏との友好関係を樹立し、
親魏倭王になるという、
外交戦略での大成功をおさめた。
それに引きかえ位宮は、
一時は魏に味方して公孫氏を攻めたが、
それが滅ぶとその旧領に侵入して暴れた素戔鳴である。
魏が母丘倹(カンキュウケン)を派遣して高句麗を攻め、
位宮は辛うじて脱出して道の大人(うし)の海軍に救われて琉球へ帰ったが、
終始戦いを主義とした剣の人だった。
そしてついには卑弥呼政権を滅ぼし邪馬壹国政権を樹て、
新羅を建国して半島にまで勢力を伸ばした。
2代目の神功集団であって、
それが倭国大乱後の倭人連邦をうまく維持した。
しかし魏と戦って敗れた位宮は主戦論者で対立し、
ついに天照大神を岩戸隠れさせてしまったのである。
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2012年1月5日木曜日
私たちより真相を知らなかった『古事記』編集者
ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:7頁
《私たちより真相を知らなかった『古事記』編集者》
《私たちより真相を知らなかった『古事記』編集者》
これを、より具体的に立証すると、天はテンで沖縄発音「チヌ」、
古い沖縄発音では津名と書いても「チヌ」と読む。
しかし津名=ツナやほうが語源で、パーリ語で「柱」のこと。
前々ページの
「柱(割り注・柱、これを美簸旨邏(ミヒシラ)という)」は振りガナがおかしいが、
柱をミハシラと読めということで、
今の津名郡や津名町という地名は「天=津名」「御柱=津名」という、
徹底した証拠をもっている世にも希な、貴重な国宝的文化財なのである。
そして御存知の通り、
磤馭盧島もパーリ語インダ・キラの鹿児島訛りインギーラに対する当て字で、
インダは「帝・みかど」、キラは「柱」=帝柱=天の御柱の島ということ。
柱は支えるもの、その国を支える柱石である皇帝たちが住む所を意味している。
だから磤馭盧島は「己凝ろ島」なんかではない。
それは『古事記』作者が犯した、最低の誤訳だとわかる。
これもはっきり定義できて、絶対に変わることはないが、
これまでお話ししてきたこともまた、
全て真実として『定義』できるのである。
だから磤馭盧島は津名であり淡路島そのものである。
決して塩水が固まった程度の行方不明の小島なんかではない。
それを読者に誤解させるようにしか書けなかった
『古事記』編集者は、
私たちよりずっと真相を知らなかったことが、はっきりわかる。
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インダは「帝・みかど」、キラは「柱」=帝柱=天の御柱の島ということ。
柱は支えるもの、その国を支える柱石である皇帝たちが住む所を意味している。
だから磤馭盧島は「己凝ろ島」なんかではない。
それは『古事記』作者が犯した、最低の誤訳だとわかる。
これもはっきり定義できて、絶対に変わることはないが、
これまでお話ししてきたこともまた、
全て真実として『定義』できるのである。
だから磤馭盧島は津名であり淡路島そのものである。
決して塩水が固まった程度の行方不明の小島なんかではない。
それを読者に誤解させるようにしか書けなかった
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私たちよりずっと真相を知らなかったことが、はっきりわかる。
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