『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:11頁
この3貴子分治は、
淡路島での国生みの後、伊耶那美の命が亡くなり、
悲しんだ伊耶那岐の命が後を追って冥界へ訪ねて行き、
そこから逃げ帰って、
死の汚れを落とすためにミソギをすると、
両眼と鼻を洗うたびに3貴子が誕生したので、
「天照大御神は高天原(天界)を、
月読の命は夜食国(冥界)を、
須佐男の命は海原を治めよ」
と分治を命じた。
というのと、全く同じである。
これはただ似ているだけではない。
3人という数も、治める場所も、
また3人が支配者の子供だという点も完全に一致している。
しかもこの話に至る出発点もまた、
オルペウスが死んだ妻を訪ねて、
冥界へ下って行ったギリシャ神話と全く同じである。
だから世界には、この種の同じ神話があちらこちらにあって、
共通しているのかといえば、
このギリシャと日本のもののほかには、どこにも存在しない。
この2神話の共通は古代日本にギリシャ文化が入らない限り、
絶対にありえないことだという結論になるのである。
そればかりでなく、
天界を治めたのはゼウスと天照大御神だが、
この天照は「天のゼウス」に対する
「天」「照神=ゼウシン=ゼウスの(南九州語)」という
当て字がもとになっていると、
簡単に見抜ける用字になっている。
さらに追及していくと日本神話と呼ばれているものは、
ギリシャ神話によるものを100%含んでいるという論文を、
私はすでに脱稿している。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2010年9月30日木曜日
2010年9月29日水曜日
コンタの証拠力。3貴子分治はギリシャ神話から
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:10頁
このコンタはパーリ語の旗・幡からきた名前だが、
日本語のK音は朝鮮語のH音であることから、
巴利国=隼人町で使われていた発音が、
本来は「ホン=ホム」に当てられていた字の「誉」を、
漢字音としては読めない「コン」への当て字として、
使わせることになったと分っている。
これはポントスから応神天皇までの首都が隼人町になければ、
またそこが仏教の都でなければ起こらない現象である。
なぜなら都が巴利国以外にあったのなら、コンタに変わらないだけでなく、
仮に変わったとしても、
近畿にあったのならコンダと濁るから誉陀と書かれたはずだし、
朝鮮半島にあったのならホンデになるからである。
ここでついでに語源について補足しておこう。
ポントスとはギリシャ創世記の始めに出る
ウラノス=天空と、ゲー=大地と並ぶ海洋の名である。
そのウラノスが最初この世界を支配していたが、
暴虐が過ぎて妻のゲーに憎まれ、
息子のクロノスに支配権を奪われた。
だが、
今度はクロノスが無道を極めたので息子のゼウスらがクロノスと
その兄弟の巨人族ティタンたちを追放して、
ゼウスが 「天空」を、
ポセイドンが「海洋」を、
プルトンが 「冥界」を治めた。
お分りのように日本神話の『3貴子分治』は、これから来ている。
その海の王の名をもつポントスが
異教徒の国・巴利で仏教徒の王になったので、
仏教徒はコンタと変えて呼んだのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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このコンタはパーリ語の旗・幡からきた名前だが、
日本語のK音は朝鮮語のH音であることから、
巴利国=隼人町で使われていた発音が、
本来は「ホン=ホム」に当てられていた字の「誉」を、
漢字音としては読めない「コン」への当て字として、
使わせることになったと分っている。
これはポントスから応神天皇までの首都が隼人町になければ、
またそこが仏教の都でなければ起こらない現象である。
なぜなら都が巴利国以外にあったのなら、コンタに変わらないだけでなく、
仮に変わったとしても、
近畿にあったのならコンダと濁るから誉陀と書かれたはずだし、
朝鮮半島にあったのならホンデになるからである。
ここでついでに語源について補足しておこう。
ポントスとはギリシャ創世記の始めに出る
ウラノス=天空と、ゲー=大地と並ぶ海洋の名である。
そのウラノスが最初この世界を支配していたが、
暴虐が過ぎて妻のゲーに憎まれ、
息子のクロノスに支配権を奪われた。
だが、
今度はクロノスが無道を極めたので息子のゼウスらがクロノスと
その兄弟の巨人族ティタンたちを追放して、
ゼウスが 「天空」を、
ポセイドンが「海洋」を、
プルトンが 「冥界」を治めた。
お分りのように日本神話の『3貴子分治』は、これから来ている。
その海の王の名をもつポントスが
異教徒の国・巴利で仏教徒の王になったので、
仏教徒はコンタと変えて呼んだのである。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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2010年9月28日火曜日
ポントスからコンタまでのフリップ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:9頁
当て字 発音差 敬称 用語 意味
語源 ポントス ギリシャ語 海洋(わたつみ)
本牟智 フムチ 和気 沖縄語 海人族の王
品牟都 ホムト 和気 南九州語 海人族の王
誉津 ホムツ 別 大隅語 海人族の王
日本・日素 ホモト 鹿児島語 国号
郊彘 ホンデ なし 朝鮮語 猪・仔豚
品陀 ホンダ 真若 南九州語 海洋ポントスの略
語源 本都 ポント 別 ギリシャ語 海人族の王
品陀 ホンダ 和気 南九州語 海人族の王
品陀 ホンダ 天皇 南九州語 海人族の王
品田 ホンダ 和気 南九州語 海人族の王
誉田 ホムダ 別 南九州語 海人族の王
語源 誉田 コンタ 天皇 バーリ語と 幡・旗⇒八幡
南九州語
付 日本国号の起源
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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当て字 発音差 敬称 用語 意味
語源 ポントス ギリシャ語 海洋(わたつみ)
本牟智 フムチ 和気 沖縄語 海人族の王
品牟都 ホムト 和気 南九州語 海人族の王
誉津 ホムツ 別 大隅語 海人族の王
日本・日素 ホモト 鹿児島語 国号
郊彘 ホンデ なし 朝鮮語 猪・仔豚
品陀 ホンダ 真若 南九州語 海洋ポントスの略
語源 本都 ポント 別 ギリシャ語 海人族の王
品陀 ホンダ 和気 南九州語 海人族の王
品陀 ホンダ 天皇 南九州語 海人族の王
品田 ホンダ 和気 南九州語 海人族の王
誉田 ホムダ 別 南九州語 海人族の王
語源 誉田 コンタ 天皇 バーリ語と 幡・旗⇒八幡
南九州語
付 日本国号の起源
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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2010年9月27日月曜日
真若の「真」は何を意味するか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:8頁
初代応神は2代応神に名を譲ったこの品陀真若だったのだから。
品陀真若もポントス皇子と応神の誉田別と共通の名乗りで、
誉田別はその家系へ入婿として入ったのである。
では真若とは何か?。
そのうちの若は、それが名乗りの語尾についていることで、
和気・別と同じワケに当てた文字だとわかるし、
若の字をワケと発音するので、
それが南九州語だということもわかる。
これも応神政権が南九州以外には存在しなかった証拠の1つだ。
では真の字は何を意味するか?。
これはスに助詞のンをつけたスンの
沖縄訛りシンへの当て字とみることも不可能ではないが、
複数の同名人がいるので区別するため、
こちらが本物のポントスで、
それを継承した、もと大鞆別の応神とは別人の、
「真(しん)のポントスだ」という意味で、
念を入れて付け加えた一字の「真」で、
発音は関係ないのだとみるほうが、
ずっと合理的で反論の余地がない。
この真若と同じものは他にも見られるから、
さらに検討が可能だが脱線になるから深追いはやめよう。
当時の歴史上の人物は、
生前「○〇ヒコ」などとは名乗っていなかった。
彼らは名乗り以外の個人名で呼ばれていたが、
『記・紀』の編集時に名乗りだけが記録されたために、
個人名はポントスのように全て消えて、
無くなってしまったのである。
これで疑問点は解消したから、見易く配列してみよう。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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初代応神は2代応神に名を譲ったこの品陀真若だったのだから。
品陀真若もポントス皇子と応神の誉田別と共通の名乗りで、
誉田別はその家系へ入婿として入ったのである。
では真若とは何か?。
そのうちの若は、それが名乗りの語尾についていることで、
和気・別と同じワケに当てた文字だとわかるし、
若の字をワケと発音するので、
それが南九州語だということもわかる。
これも応神政権が南九州以外には存在しなかった証拠の1つだ。
では真の字は何を意味するか?。
これはスに助詞のンをつけたスンの
沖縄訛りシンへの当て字とみることも不可能ではないが、
複数の同名人がいるので区別するため、
こちらが本物のポントスで、
それを継承した、もと大鞆別の応神とは別人の、
「真(しん)のポントスだ」という意味で、
念を入れて付け加えた一字の「真」で、
発音は関係ないのだとみるほうが、
ずっと合理的で反論の余地がない。
この真若と同じものは他にも見られるから、
さらに検討が可能だが脱線になるから深追いはやめよう。
当時の歴史上の人物は、
生前「○〇ヒコ」などとは名乗っていなかった。
彼らは名乗り以外の個人名で呼ばれていたが、
『記・紀』の編集時に名乗りだけが記録されたために、
個人名はポントスのように全て消えて、
無くなってしまったのである。
これで疑問点は解消したから、見易く配列してみよう。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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2010年9月26日日曜日
応神名替えと重なる日本武尊の名替え
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:7頁
これで応神天皇の皇居、軽の明の宮が、
鹿児(カル)の阿鹿児(アカル)の宮だったことが、
一層鮮明に意識れたことと思う。
それと同時に応神天皇の父母と書かれている
仲哀天皇と神功皇后の直前に配置され、
実質は同時代人だった日本武尊の名乗りもまた、
この日本の名でお分りの通り、
日本=応神天皇を知らなくてはわからず、
それでは「建国の真相」は、まるでわからない。
日は「クマ」とも読み、本は素と書いても「モト」だから、
日素はホモト・ヒノモトでもあり、
クマソ=熊襲でもあることは、すでにご存じのことである。
だから日本武尊に敗れた熊襲タケルとは、
応神系政権の首長以外では絶対にありえない人物だったのである。
当時の熊襲が、本州にいたと思う学者は一人もいないから、
それは九州での事件であり、
日本武尊が『魏書倭人章』に記録された
載斯鳥越(タイシオジゥオ・太子=大足・忍代=景行天皇)の皇子であるから、
同時代人で対立政権の首長といえば、
垂仁天皇か本牟智和気=八幡=初代応神天皇かである。
これが日本武尊に名乗りを譲った熊襲タケルの実体なのだ。
ここまでくると、
熊襲タケルから日本武尊への名乗り譲渡も、
名替えだったことがわかる。
すると少年・日本武尊は少年・応神天皇と重なる。
そして景行天皇政権に南九州を追われた
応神・仁徳天皇系政権が、
北九州から四国・淡路島・近畿へと移動拡大した理由もわかる。
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これで応神天皇の皇居、軽の明の宮が、
鹿児(カル)の阿鹿児(アカル)の宮だったことが、
一層鮮明に意識れたことと思う。
それと同時に応神天皇の父母と書かれている
仲哀天皇と神功皇后の直前に配置され、
実質は同時代人だった日本武尊の名乗りもまた、
この日本の名でお分りの通り、
日本=応神天皇を知らなくてはわからず、
それでは「建国の真相」は、まるでわからない。
日は「クマ」とも読み、本は素と書いても「モト」だから、
日素はホモト・ヒノモトでもあり、
クマソ=熊襲でもあることは、すでにご存じのことである。
だから日本武尊に敗れた熊襲タケルとは、
応神系政権の首長以外では絶対にありえない人物だったのである。
当時の熊襲が、本州にいたと思う学者は一人もいないから、
それは九州での事件であり、
日本武尊が『魏書倭人章』に記録された
載斯鳥越(タイシオジゥオ・太子=大足・忍代=景行天皇)の皇子であるから、
同時代人で対立政権の首長といえば、
垂仁天皇か本牟智和気=八幡=初代応神天皇かである。
これが日本武尊に名乗りを譲った熊襲タケルの実体なのだ。
ここまでくると、
熊襲タケルから日本武尊への名乗り譲渡も、
名替えだったことがわかる。
すると少年・日本武尊は少年・応神天皇と重なる。
そして景行天皇政権に南九州を追われた
応神・仁徳天皇系政権が、
北九州から四国・淡路島・近畿へと移動拡大した理由もわかる。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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2010年9月25日土曜日
国号『日本』の起源は鹿児島政権の応神の名乗りから
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:6頁
だが、応神天皇が受け継いだ、この
ポントス
⇒ホント
⇒ホムト
⇒ホムツ
⇒フムチ
⇒ホモトの名乗りのうち最も重要なものは、
鹿児島発音のホモトである。
ホ=日、モト=本と書くと、
日本という国号の語源だったことがわかるからである。
この国号をもつ国は『旧唐音』の「倭国・日本」の時代には、
まだ鹿児島県の別名だった。
それが本州の西半分の国名になったのは、
天智天皇による大化改新革命以後である。
だから、それまでは西日本は「倭国」のままだった。
応神天皇が大阪や奈良に都していたのなら、
『古事記』も国号を倭国ではなく
「日本」と書くしかなかったのであり、
『日本書紀』も神武天皇からでなく、
応神天皇から「日本」と、
それまでの倭国と区別して書かねばならなかったのだが、
『古事記』も『日本書紀』も宣伝上、
そうした抗争の歴史を意識して隠し、
そのためかえって倭と日本にこだわって、
対抗意識まるだしで対立している。
これが『記・紀』の性格を、
ハツキリ不完全な『正史』だと立証することになっているし、
双方とも、
対立する天智系と天武系の政争の具だった証拠にもなっている。
そして応神系の倭の五王とは何だったかもまた、
よく物語ってくれているのである。
彼らが北へ東へと移動し征服していったあと、
唐代まで鹿児島に残っていたのが、
天智の出た日本政権なのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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だが、応神天皇が受け継いだ、この
ポントス
⇒ホント
⇒ホムト
⇒ホムツ
⇒フムチ
⇒ホモトの名乗りのうち最も重要なものは、
鹿児島発音のホモトである。
ホ=日、モト=本と書くと、
日本という国号の語源だったことがわかるからである。
この国号をもつ国は『旧唐音』の「倭国・日本」の時代には、
まだ鹿児島県の別名だった。
それが本州の西半分の国名になったのは、
天智天皇による大化改新革命以後である。
だから、それまでは西日本は「倭国」のままだった。
応神天皇が大阪や奈良に都していたのなら、
『古事記』も国号を倭国ではなく
「日本」と書くしかなかったのであり、
『日本書紀』も神武天皇からでなく、
応神天皇から「日本」と、
それまでの倭国と区別して書かねばならなかったのだが、
『古事記』も『日本書紀』も宣伝上、
そうした抗争の歴史を意識して隠し、
そのためかえって倭と日本にこだわって、
対抗意識まるだしで対立している。
これが『記・紀』の性格を、
ハツキリ不完全な『正史』だと立証することになっているし、
双方とも、
対立する天智系と天武系の政争の具だった証拠にもなっている。
そして応神系の倭の五王とは何だったかもまた、
よく物語ってくれているのである。
彼らが北へ東へと移動し征服していったあと、
唐代まで鹿児島に残っていたのが、
天智の出た日本政権なのだ。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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2010年9月24日金曜日
日子や別・和気は『記・紀』編纂時代に作られた作字
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:5頁
これを順序だてると、
語源はポントスで、
沖縄では本牟智・フムチ和気。
⇒南九州では品牟都・ホムト和気。
⇒大隅で誉津・ホムツ別。
⇒朝鮮半島で郊彘・ホンデと、
方言差による一群の名ができたので、
語尾のワケと読まれてきたものは、
もともとポントスのスに対して
沖縄で「子(シ)」の字が当てられたものに、
敬愛の意味をもつ和の字を加えて和子としたものが、
やがてワコと読まれ、
南九州語では木はコなので、和木(コ)と当て字し、
それをまたワキと読んだ者が、
和気・別(ワキ)という当て字を新たに考案したものだったとわかる。
そしてこの「別」の字が沖縄でビチと読まれることから、
後世、ビには日、毘、比などが当てられ、
沖縄のチは本土語のキなので、木の字が当てられていたものを、
南九州でヒコと読まれ、比古・日子・彦などの
新たな当て字が使われるようになった。
だからこれらの敬称は、
その人物の生前に実際に使われていたものではなく、
ポントスのスに対する当て字から始まって、
後に次々に追加された後世人の作字の一種で、
7~8世紀のものでしかない。
これと間違いそうによく似た官名に、
『魏書倭人章』の卑狗・ピクがある。
これは指先から肘(ひじ)までの長さを物差しとして使う
単位・キュービットのシュメール~トルコ名で、
陸地の支配者を意味する官名、
これに対する当て字は「日高(ヒク)」であって日子や彦ではない。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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これを順序だてると、
語源はポントスで、
沖縄では本牟智・フムチ和気。
⇒南九州では品牟都・ホムト和気。
⇒大隅で誉津・ホムツ別。
⇒朝鮮半島で郊彘・ホンデと、
方言差による一群の名ができたので、
語尾のワケと読まれてきたものは、
もともとポントスのスに対して
沖縄で「子(シ)」の字が当てられたものに、
敬愛の意味をもつ和の字を加えて和子としたものが、
やがてワコと読まれ、
南九州語では木はコなので、和木(コ)と当て字し、
それをまたワキと読んだ者が、
和気・別(ワキ)という当て字を新たに考案したものだったとわかる。
そしてこの「別」の字が沖縄でビチと読まれることから、
後世、ビには日、毘、比などが当てられ、
沖縄のチは本土語のキなので、木の字が当てられていたものを、
南九州でヒコと読まれ、比古・日子・彦などの
新たな当て字が使われるようになった。
だからこれらの敬称は、
その人物の生前に実際に使われていたものではなく、
ポントスのスに対する当て字から始まって、
後に次々に追加された後世人の作字の一種で、
7~8世紀のものでしかない。
これと間違いそうによく似た官名に、
『魏書倭人章』の卑狗・ピクがある。
これは指先から肘(ひじ)までの長さを物差しとして使う
単位・キュービットのシュメール~トルコ名で、
陸地の支配者を意味する官名、
これに対する当て字は「日高(ヒク)」であって日子や彦ではない。
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