2010年7月31日土曜日

完全に仁徳系譜に一致する大山津見神の暗号系譜

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:24頁

しかし現実の仁徳天皇は葛城曽都毘古の子・石之比売命と結婚して

4皇子を儲けるだけで半分しかいない。

みてみよう。

最初の神は天之狭土(サツチ)神と国之狭土神とのペアになっている。

皇子の蝮(タジヒ)水歯別命(反正天皇)の蝮(マムシ)は、短い蛇=ノヅチである。

「・之・土」に合う。

次は天之狭霧神と国之狭霧神とのペアである。

皇子の男浅津間君子宿祢はオアサツマで、天=ア、狭=サ、斉=キ=沖縄語のチが

「浅・津=沖縄語チ=アサチ」と共通している。

第3は

天之闇戸神と国之闇戸神とのペアだから、

皇子の墨江中王と見比べると、闇も墨も共に黒い。

戸の古音は「ヘ」(神戸)、方向を示す助詞は「ヘ」と書いて「エ」と

発音するから江と同じ。

見事にこの皇子を指す暗号になっている。

第4は 

大戸惑子神と大戸惑女神である。

これを残る大江伊邪木別命と比べてみると、大戸はオオヘで、

前記の通り「ヘ」は「エ」だからオオエ=大江,惑はワクで別(わく)、

子はコで木(こ)と全部が揃っている。

またペアになっている相手は女神だと明記してあるので、

他の「国」の神も女性すなわち妻を意味することがわかるから、

8神は4皇子に后妃を加えた数に過ぎず、

以上の結果が正しいことをさらに確信させる。

また母の野椎神もノヅチだから反正天皇の蝮という異様な名乗りは、

実は母譲りだったことも、この比較の副産物として確認できる。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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応神=建内系の名乗りの構造が解く神名の謎

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:23頁

ここまでわかると、

では具体的に過去帳になっているか?

検討してみなければならない。

第1は

伊邪那美(イザナミ)命は国生みを終えると再び神々を生む。

風の神・志那都比古神はこの中にいる。

彼の次は木の神・久久能智神である。

応神天皇系の建内一族の名乗りは、ほとんど全てが姓と名に見えるものが

実は同じもので、方言差を併記しただけのものである。

波多八代宿祢は<ワタ>・<ハダ>という2方言だし、

蘇賀石河宿祢は<スガ>・<ソガ>という2方言、

<木角宿祢>は<木の>=<チヌ>と<角>=<ツノ>という2方言である。

だから<木>は古音なら<コ>で沖縄発音では<ク>。<久>は<ク>に合っている。

<木の久能>は<コヌ・クノ>という建内系名乗りにピッタリだから、

応神の皇子・<木菟野>命または<木荒田>=<キノ・コウタ>(高都=クツ)郎女を

さらに一ひねりした名乗りに合う。<久久>と<能智>という2重のダブリは、

この2人を意味していることになる。

第2は

<山の神>・<大山津見神>。

この神は<大山祇>と書くから<ウサギ>すなわち

仁徳天皇であることは、すでに研究済みである。

次の<野の神>は<鹿屋野比売神>。

これも仁徳天皇の姉妹の中を探すと川原田郎女に合う。

<川>は頭音<カ>、<カ>=<鹿>、<原>は頭音<ハ>、

ハ=八=ヤ=屋、田=都=津=ノ=野、郎女=比売である。

この女神には別名があって<野椎神>という。<大山津見の神>は、

この鹿屋野比売神、別名・野椎神と結婚して

次の8柱の子神をもうける。

『参考』

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在来の「常識」を大きく覆た「大八島(ウハシマ)」

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:22頁

「大八島国」

これ従来「大八洲」などと書かれ、

日本列島全体の名だと思われていたが、

以上の国名と名乗りの範囲は、沖縄から淡路島どまりで、

大阪も奈良も京都も入っていない。

では大八島とは何のことか?。

これは以上の国々を統括する位置に書かれているのだから、

以上の国々を統括する国名や名乗りでなければならない。

発音と共に、

史実としてもそれに一致するのは、ただ一か所しかない。

それは大=ウ、八=ハ、島=シマで愛媛県の<宇和島>である。

そこが隋の時代になっても首都だったことは、

もうよくご存知のことだが、

いま新たな視点からこの国生み名詞を再検討してみても、

真実だったことが裏書きされた。

もっとも現在の宇和島市そのものではないことは、

正会員塩崎教授のご指摘とご研究によって入念に検討した通りで、

少し北部の宇和町とその周辺である。

『記・紀』が編集された当時は唐代で『隋書』が書かれた当時である。

そこを国生みの総括にしたのは当然のことだったのだ。

所が梅澤稔正会員が不思議にもその宇和島の、

次のような意外で貴重なお便りを下さった。

「テレビで四国伊予の料理の紹介がありました。

宇和島近辺2、松山への途中1。その名前に驚きました。

『琉球、薩摩、日向』3つとも地場に伝わる料理名がこれです。

何か快哉を感じました」。

宇和島がどんな文化をもつ首都だったかを語る、

もう1つの文化財である。

『参考』

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すべて「領主だった王たち」の名乗り

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:21頁

それは「国生み」の前から始まっているが、ここでは国土の名から見ていこう。

淡路島 淡道の穂の狭別=タンジ=丹子=種子 穂狭=ホセ=百済から別れた国の王

四国   伊予の二名島 伊予=壹與 愛比売=卑弥呼=ペマカ、壹與=カシー 共に愛

讃岐=ササキ=仁徳天皇。飯依比古=仁徳の前の名か仁徳以前の領主の王名

栗=アワ=阿波。大宜都(ウギツ)比売=大月(ウゲツ)比売=御食津(ウケツ)比売

=農業指導者の王名

土左=トサ=高知。建依別=高より別れた国王  (高知=高志=建内)

隠伎  三子(みこ)島。天之忍許呂別=チヌの大隈から別れた皇子(みこ)(隠岐でなく沖縄)

九州  筑紫国 白日別 福岡県 のちの新羅王の本国

豊国  豊日別 大分県 用明天皇と孝徳天皇も名乗る本国

肥国  建日向日豊久士比泥別 熊本県 高志と日向と大分と阿蘇(奇(く)し火)王

熊曽国 建日別 鹿児島県 高志=狗奴国の本拠の王 建内宿祢

伊伎 天比登都柱 朝鮮半島を支配する天人(あめひと)の柱(ツナ=大宰府的都)壱岐

津島 天の狭手依比売 狭手=サタから来た神功皇后が根拠地にした島 対馬  

佐渡(サト)島 これは佐渡ガ島だはなく、

里(サト)を首都とする鹿児島県の甑=コシキ島のこと

『参考』

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2010年7月28日水曜日

シナトは戒名。貴重な過去帳に昇格した神名群

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:20頁

この隅田正会員のご発見がなぜ?偉大か、

それは在来、

古代人の野蛮な想像が生んだ出鱈目な名に過ぎないと思われていたものが、

事実は応神天皇が相続した

名乗り=実在した歴史上の人物の名乗りだったと確認できたからである。

それは迷信による自然神の名ではなく、

先祖を祭祀するための貴い別名だったのだ。

もちろん古代の我が国でも、

ギリシャ人を祖先にもつ人々が

ゼウス、ポセイドン、アフロディテ、ポントスなどという神名を、

実際に子供の名や王名として命名した証拠がすでに山積している。

この応神のシナトの神は、

そのポントスへの当て字である品都を読み変えたものであることも、

また疑いの余地がない。

だから、生前の名乗りに尊・命をつけたものと、

全く形を変えて諡号(おくりな)にしたものとがある。

仏教の「戒名」には居士や大姉をつける。

また生前の名とは無関係な、

しかし故人の人格を偲(しの)ばせる別名をつける。

これはギリシャ式ではなく卑弥呼の仏教の遺物である。

間違いなく誉田別尊も志那都比古もこの仏教の戒名に当たる。

こう理解した瞬間に、

在来は放置状態に置かれていたそれら神名群は、

貴重な過去帳として重要な存在に飛躍したのである。

かくて『上っ巻』の神名は日本史にとって、

史実を復元する文化財の一大宝庫になった。

隅田先生の発見は小さなものではない。

それを更に応用し拡大してより充実させる必要がある。

『参考』

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2010年7月26日月曜日

「火中」もまたカゼヘの当て字の変化

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:19頁

「隅田正会員の寄稿」

垂仁天皇記を見てみよう。

これも冒頭から

伊久米伊理毘古伊佐知命、師木の玉垣宮に坐まして天の下治らしめき。

この天皇 沙本毘古命の妹 佐波遅比売を娶して生ませる御子 品牟都和気命。

とあって、品牟都和気=シナトワケと読め、本がシナと読めた時は、

沙本毘古=サシナ毘古、沙本毘売も=沙品=サラシナと読めばすべて意味が通じてくる。

同じく沙本のはやさめで有名な、御子の誕生を眺めてみよう。

「凡そ子の名は必ず母の名づくるを、何とかこの子の御名を称さむ」とのりたまひき。

ここに答えて白ししく。

「今、火の稲城を焼く時に当たりて、火中に生れましつ。

故 その御名は本牟智和気の御子と称すべし.」と曰しき。

とあるが(中略)

火=カ、中=ジュウ、カジュウ=風王。火のヒに気をとられて、

火中をカゼと読むことの難しさはあるが、火中も風の当て字と考えると、

シナトワケもすっきり意味が解る。

仲哀天皇記の「大鞆和気命 亦の名は品陀和気命。」も一目瞭然、、

テーマは風である。

神功皇后妃も例の名替え事件が出て来て、伊奢沙和気大神との名替えも、

もっと深い意味が解るであろう。

応神天皇記は冒頭の文だけではない。いたる所に見をみることが出来る。

『参考』

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2010年7月25日日曜日

『風の神』だった応神天皇!

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:18頁

「隅田正会員の寄稿」

当面の問題として簡単な答えをあげると、

「品陀和気=シナトワケ」と読むのである。

二番目に出てくる品陀真若王もホンダマワカ王ではない。

真若=シンジャクであり=朱雀であり、シナトシジャクと読む。

こう読めばこれも意味が透明になるであろう。

(中略)古事記 

上っ巻のはじめに出てくる風の神=志那都神である。

応神天皇は志那都神の系譜をその体内に持っていることになるが、

この事実は二重、三重に深い意味がある。

(中略)紙数に限りがあるので、ここに記述することは無理なので控えるが、

二人の応神天皇に当てた、紀記や歴史資料の全縞に、

この本牟智=シナトという考えを当てはめていただきたい。(中略)

古事記 中つ巻 神武天皇記の冒頭をみてみよう。 

神倭伊波札毘古命その同母兄五瀕(いろせいつせ)命と二柱と書き出している。

同母兄は従来読みでは解らないが、同母兄=トモエと読むとすぐ解る。

五瀬(いつせ)=イセ=伊勢でもあるが、

神風の伊勢~とあって枕言葉なるものが出てくるが、

(中略)五瀬(いつせ)=イツセ=イセ=伊勢=風=五瀕=カゼの

図式が正しく理解出来るであろう。

同母兄五瀬の命=トモエカゼの命である。

上記が解ってみると応神天皇の名乗りに大鞆和気が入り、

トモエ・巴の意味が風と共にあることも

よく理解出来るであろう。

『参考』

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