『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:30頁
こうした事実が大量にある以上、
より一致している
「淡路島」がアフロディテへの非常に完璧な当て字であることは疑いない。
淡は今、アワと発音している。
アワは泡でありアフロディテが泡から生まれたという
神話の伝えにもまた合っている。
泡をアワと呼ぶ日本語は、
この神話が存在しなければ生まれなかったのである。
そしてそれは淡路島に隣接する阿波(アワ)の国名にもなっているのだ。
例の天皇たちの漠風諡号をつけた
淡海三船(アフミノ・ミフネ)の姓をみると、
この淡は振り仮名はアフだが、
その発音はオーと聞こえる。
これはなぜだろう?。
これもパーリ語のせいなのである。
Avakasaとokasaとは空間・隙間・全地域といったスペースを
意味する全く同じ言葉で、
アバ→アマと、空・天を意味するアマや、
傘・笠という日本語の語源になった言葉であるが、
avakkantiとokkantiも、どちらも降下・顕現といった、
同じ意味をもつ言葉で、
avaとoが同じものだとすぐわかる。
同様の単語は他にも多数あり、
その全てが語頭にくるava-とo-が同じ意味で
ただ発音だけが違うだけである。
このavaは日本語ではアワ。
それはoオーでもある。
淡の字をアワと読んだりオーと発音したりするのは、
このパーリ語のせいだということがわかる。
当時から我が国は、
現代と同じく「外国語活用国」だったのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2010年4月30日金曜日
2010年4月29日木曜日
位官は与那国王、履中天皇はオルぺウス
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:29頁
垂仁天皇の高句麗王名、山上王・位宮も、位宮は南九州読み「イク」。
このイクは「行く」でギリシャ語ならイオン「行く者」。
それが国名になってイオニヤ。
それのバーリ語訛りがヨーナ。
与那国はそれへの当て字だから、
位宮王とは与那国王を意味する日本語名だったのである。
これで卑弥呼も位宮も天皇家の先祖が、
パーリ語人のいうヨーナ、ギリシャ人だったことが、
さらに証拠を加えた。
だから卑弥呼がパーリ人化してギリシャ文明を
仏教文化に塗り替えはしたものの、
ギリシャ神話の影響は
履中天皇のイザナギの時代になっても続いている。
2神が国生みのあと生んだ皇子カグツチ(=鹿児津王(カグツキ))が
火の神だったために、
皇后イザナミは大火傷を負って死ぬ。
しばらくするとイザナギ天皇は皇后への恋しさが募って、
冥界へ亡き皇后を探しに出かける。
この話はギリシャ神話のオルペウスが、
死んだ妻を尋ねて冥界へ行った話と全く同じである。
これに気づいた日本人学者は少なくないが、
しかし、それ以上追及した人も研究の結果も知らない。
このオルぺウスも沖縄語ではウルヒユシになる。
沖縄の別名はウルマ、ウルシマ。
当て字は漆間、漆島。
ウルの国である。
ヒユシは日吉で猿田彦大神の別名で、
全て姓や地名として今なお現存している。
少なくとも沖縄地方がギリシャ文化圏だったことは否めない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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垂仁天皇の高句麗王名、山上王・位宮も、位宮は南九州読み「イク」。
このイクは「行く」でギリシャ語ならイオン「行く者」。
それが国名になってイオニヤ。
それのバーリ語訛りがヨーナ。
与那国はそれへの当て字だから、
位宮王とは与那国王を意味する日本語名だったのである。
これで卑弥呼も位宮も天皇家の先祖が、
パーリ語人のいうヨーナ、ギリシャ人だったことが、
さらに証拠を加えた。
だから卑弥呼がパーリ人化してギリシャ文明を
仏教文化に塗り替えはしたものの、
ギリシャ神話の影響は
履中天皇のイザナギの時代になっても続いている。
2神が国生みのあと生んだ皇子カグツチ(=鹿児津王(カグツキ))が
火の神だったために、
皇后イザナミは大火傷を負って死ぬ。
しばらくするとイザナギ天皇は皇后への恋しさが募って、
冥界へ亡き皇后を探しに出かける。
この話はギリシャ神話のオルペウスが、
死んだ妻を尋ねて冥界へ行った話と全く同じである。
これに気づいた日本人学者は少なくないが、
しかし、それ以上追及した人も研究の結果も知らない。
このオルぺウスも沖縄語ではウルヒユシになる。
沖縄の別名はウルマ、ウルシマ。
当て字は漆間、漆島。
ウルの国である。
ヒユシは日吉で猿田彦大神の別名で、
全て姓や地名として今なお現存している。
少なくとも沖縄地方がギリシャ文化圏だったことは否めない。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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2010年4月28日水曜日
大和朝廷を生んだ美の女神の島・淡路
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:28頁
その淡路島の重要性を大地に深く刻んだのが、
興の巨大な古墳群だった。
それを辿れば、
東は皇祖・天照大神=卑弥呼と豊受の大神=壹與を
主祭神とする伊勢神宮に達する。
興がその北緯34.5度の直線を選んだのは、
それが淡路島の北端近くで
子午線の東経135度線と交わるからであった。
淡路島とは南北両端に聖地をもつ、
大和朝廷成立前夜の記念すべき巨大基地だったのである。
『記・紀』が淡路島を、
神武建国に先立ち「国生み」の出発点として特筆したのは、
当然のことであり、
また欠くことのできない最重要史実だったからだ。
それだけにそこには有形無形の文化財が沢山残っている。
まず島名の語源はギリシャ神話のアフロディテだったことはお話しした。
淡の本来の振り仮名は
アフ、路はロ、島はディテをディマ=ジマに宛ててある。
これはその命名の古さを示している。
我が国でギリシャの神々が信仰対象だったのは
チヌ・ゼウス(天・照)大神の巫女だった
卑弥呼が最後で、
彼女がソナカ=仲哀天皇と結婚して、
仏教女王になったあと衰退してしまったが、
ポセイドンから首済出水(ホセイズン)が生まれ、
アンピトリテから奄美(アンビ)と取手(トリテ)が生まれ、
ネプチューン(ローマ神話)から
丹生姐奴(ニフチューン)が生まれ、
トリトンから
都井(坤)登美・音(南九州持トリ=トイ、トミ=トン)など多くの遺物を
今なお残している。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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その淡路島の重要性を大地に深く刻んだのが、
興の巨大な古墳群だった。
それを辿れば、
東は皇祖・天照大神=卑弥呼と豊受の大神=壹與を
主祭神とする伊勢神宮に達する。
興がその北緯34.5度の直線を選んだのは、
それが淡路島の北端近くで
子午線の東経135度線と交わるからであった。
淡路島とは南北両端に聖地をもつ、
大和朝廷成立前夜の記念すべき巨大基地だったのである。
『記・紀』が淡路島を、
神武建国に先立ち「国生み」の出発点として特筆したのは、
当然のことであり、
また欠くことのできない最重要史実だったからだ。
それだけにそこには有形無形の文化財が沢山残っている。
まず島名の語源はギリシャ神話のアフロディテだったことはお話しした。
淡の本来の振り仮名は
アフ、路はロ、島はディテをディマ=ジマに宛ててある。
これはその命名の古さを示している。
我が国でギリシャの神々が信仰対象だったのは
チヌ・ゼウス(天・照)大神の巫女だった
卑弥呼が最後で、
彼女がソナカ=仲哀天皇と結婚して、
仏教女王になったあと衰退してしまったが、
ポセイドンから首済出水(ホセイズン)が生まれ、
アンピトリテから奄美(アンビ)と取手(トリテ)が生まれ、
ネプチューン(ローマ神話)から
丹生姐奴(ニフチューン)が生まれ、
トリトンから
都井(坤)登美・音(南九州持トリ=トイ、トミ=トン)など多くの遺物を
今なお残している。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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2010年4月27日火曜日
八幡人(やまと)が近畿へ天降った『国生み』の実像
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:27頁
隼人町に霧島から流れくだる川は
「天降川」と書いて「アムリガワ」と発音される。
天降りを古語でアモリと読むが、
その大隅訛りである。
このアムリ、アモリと共通の名をもった
旧満洲・中国東北区のアムール河も、
当然、高句麗の人たちがつけた同じ名である。
このアモリが紀州にもある。
足守神社で、今はアシモリと発音しているが、
珍と済の天降りを知ると、自然にアモリと読めてくる。
これから類推すると、
大阪倭国が天智天皇の日本に敗れて、
東へ北へと大移動した本州最北端の青森もまた、
やはりアモリと読めてくる。
この淡路島からの天降りぬぎ矛(ほこ)を揮って
潮を掻きまぜて国=大和朝廷、
すなわち8世紀人の考える国家を造り上げた神業(かみわざ)なのであり、
それを強調したものが、
神武東征以前の国生み神話とされたものの正体だったのだ。
その沼島は渦潮で名高い鳴門海峡の直ぐそばにある。
神が矛で海を掻き回すという発想は、
渦潮の渦巻くここでこそ、始めて生まれる環境をもつ。
これでヤマトのつく地名が八幡浜でとぎれ、
次は大阪府の誉田八幡に飛び、
あとは奈良の大和しかないために、
一体どうなったのか?という疑問への答えが出た。
誉田八幡が重要な役割を果たしていることで、
宇佐からの八幡人(ヤマト)たちが四国を後にして、
淡路島を拠点に本格的統一政権を近畿に樹立したのが仁徳系天皇家、
いわゆる倭の五王だったのである。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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隼人町に霧島から流れくだる川は
「天降川」と書いて「アムリガワ」と発音される。
天降りを古語でアモリと読むが、
その大隅訛りである。
このアムリ、アモリと共通の名をもった
旧満洲・中国東北区のアムール河も、
当然、高句麗の人たちがつけた同じ名である。
このアモリが紀州にもある。
足守神社で、今はアシモリと発音しているが、
珍と済の天降りを知ると、自然にアモリと読めてくる。
これから類推すると、
大阪倭国が天智天皇の日本に敗れて、
東へ北へと大移動した本州最北端の青森もまた、
やはりアモリと読めてくる。
この淡路島からの天降りぬぎ矛(ほこ)を揮って
潮を掻きまぜて国=大和朝廷、
すなわち8世紀人の考える国家を造り上げた神業(かみわざ)なのであり、
それを強調したものが、
神武東征以前の国生み神話とされたものの正体だったのだ。
その沼島は渦潮で名高い鳴門海峡の直ぐそばにある。
神が矛で海を掻き回すという発想は、
渦潮の渦巻くここでこそ、始めて生まれる環境をもつ。
これでヤマトのつく地名が八幡浜でとぎれ、
次は大阪府の誉田八幡に飛び、
あとは奈良の大和しかないために、
一体どうなったのか?という疑問への答えが出た。
誉田八幡が重要な役割を果たしていることで、
宇佐からの八幡人(ヤマト)たちが四国を後にして、
淡路島を拠点に本格的統一政権を近畿に樹立したのが仁徳系天皇家、
いわゆる倭の五王だったのである。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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2010年4月26日月曜日
精密に命名し詳細に読み取れる名詞群
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:26頁
これで興が巨大古墳造営に当って、
淡路島北端を起点に選んだ理由がご理解戴けたと思う。
先にお話しした通り興の父・済がイザナギの名乗りをもち、
最初に天降ったのが南端の沼島であり、
そこに帝柱・インギーラを造り、
真東の和歌山県海南市日方を選んで近畿攻略戦に乗り出したのだが、
これにも言語上の証拠がある。
日方がそれである。
大隅語と江戸っ子弁がとをシと発音するから
大隅人の済は日をシと発音した。
また古語では四方と書いてヨモと読むから、
日方はシモ、シモは下(しも)でもある。
済はそこへ下(くだ)ったのだから上はどこなのか?。
それが神(カミ)と書かれた立神で、
「発(た)つ上(カミ)」という意味なのである。
すると済たちが紀州のどこへ上陸したのかもはっきりわかる。
海南市に隣接した下津(しもづ)港だ。
これで沼島がなぜ最初で、
なぜ磤馭盧(インギーラ)島なのかよくわかった。
それは「白熱に凝り固まった」というような意味では全然なく、
天皇が造った建国記念碑=帝の柱(インギーラ)だったことが、
さらによくご納得戴けたと思う。
だが、すると先に紀(キ)伊の国は沖縄語のチヌだから、
紀州と茅沼を取ったのは倭王・珍だといっだのは間違っていたのだろうか?。
これは珍と済、父子二人が共に戦ったが、
珍が途中で死に、
済が完成したので済の事跡としてイザナギの国生みとされたが。
済は征服完成後、今は亡き父に紀州と茅沼を捧げたから、
2国にその名がついたとすると納得できる。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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これで興が巨大古墳造営に当って、
淡路島北端を起点に選んだ理由がご理解戴けたと思う。
先にお話しした通り興の父・済がイザナギの名乗りをもち、
最初に天降ったのが南端の沼島であり、
そこに帝柱・インギーラを造り、
真東の和歌山県海南市日方を選んで近畿攻略戦に乗り出したのだが、
これにも言語上の証拠がある。
日方がそれである。
大隅語と江戸っ子弁がとをシと発音するから
大隅人の済は日をシと発音した。
また古語では四方と書いてヨモと読むから、
日方はシモ、シモは下(しも)でもある。
済はそこへ下(くだ)ったのだから上はどこなのか?。
それが神(カミ)と書かれた立神で、
「発(た)つ上(カミ)」という意味なのである。
すると済たちが紀州のどこへ上陸したのかもはっきりわかる。
海南市に隣接した下津(しもづ)港だ。
これで沼島がなぜ最初で、
なぜ磤馭盧(インギーラ)島なのかよくわかった。
それは「白熱に凝り固まった」というような意味では全然なく、
天皇が造った建国記念碑=帝の柱(インギーラ)だったことが、
さらによくご納得戴けたと思う。
だが、すると先に紀(キ)伊の国は沖縄語のチヌだから、
紀州と茅沼を取ったのは倭王・珍だといっだのは間違っていたのだろうか?。
これは珍と済、父子二人が共に戦ったが、
珍が途中で死に、
済が完成したので済の事跡としてイザナギの国生みとされたが。
済は征服完成後、今は亡き父に紀州と茅沼を捧げたから、
2国にその名がついたとすると納得できる。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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2010年4月25日日曜日
古墳時代天皇たちの凄い科学知識と文明度
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:25頁
ではその本国はどこにあったか?。
それが隼人から宇佐に移り、
伊予に移ったことは充分にわかったが、
伊予から直ちに近畿に移ったのであろうか?。
興は大古墳という巨大な建造物を造ったが、
それは伊予から指図してできる事業ではない。
確実に近畿こ都を移している。
それを使って考証してみよう。
仁徳陵→応神陵→雄略陵→崇神陵→伊勢皇大神宮の元伊勢。
これを逆に辿って西に延ばすと、
仁徳陵から大阪湾に出て淡路島の北部にぶつかる。
なぜ、中央部ではないのだろうか?。
それには凄い理由があるのである。
仁徳陵から元伊勢までの直線は、
真方位で正確に北緯34度と35度の真ん中、
34.5度線上に正しく引かれている。
そして淡路島北端部は東経135度の子午線上にある。
その岬の北の対岸・明石市が、
その子午線上にあることは有名だが、
淡路島北端部は仁徳陵から元伊勢に至る
北緯34.5度線とそれとが交錯する
ただ一か所の地点だったのである。
しかも古墳間の距離は、
現行のメートル法に合う尺度で、
キッカリ「11の倍数」kmに測定して配置されている。
世界最大の巨大古墳は大きさだけでなく
今の考古学者の水準を超えた
凄い天文学と方位学と測量学の総合科学によって配置されていた。
我が古墳時代の天皇たちは、
当時の中国人やヨーロッパ人たちより、
はるかに高い文化水準にあったことが見事に立証されているのだ。
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ではその本国はどこにあったか?。
それが隼人から宇佐に移り、
伊予に移ったことは充分にわかったが、
伊予から直ちに近畿に移ったのであろうか?。
興は大古墳という巨大な建造物を造ったが、
それは伊予から指図してできる事業ではない。
確実に近畿こ都を移している。
それを使って考証してみよう。
仁徳陵→応神陵→雄略陵→崇神陵→伊勢皇大神宮の元伊勢。
これを逆に辿って西に延ばすと、
仁徳陵から大阪湾に出て淡路島の北部にぶつかる。
なぜ、中央部ではないのだろうか?。
それには凄い理由があるのである。
仁徳陵から元伊勢までの直線は、
真方位で正確に北緯34度と35度の真ん中、
34.5度線上に正しく引かれている。
そして淡路島北端部は東経135度の子午線上にある。
その岬の北の対岸・明石市が、
その子午線上にあることは有名だが、
淡路島北端部は仁徳陵から元伊勢に至る
北緯34.5度線とそれとが交錯する
ただ一か所の地点だったのである。
しかも古墳間の距離は、
現行のメートル法に合う尺度で、
キッカリ「11の倍数」kmに測定して配置されている。
世界最大の巨大古墳は大きさだけでなく
今の考古学者の水準を超えた
凄い天文学と方位学と測量学の総合科学によって配置されていた。
我が古墳時代の天皇たちは、
当時の中国人やヨーロッパ人たちより、
はるかに高い文化水準にあったことが見事に立証されているのだ。
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2010年4月24日土曜日
名乗りの百済・新羅は半島に生まれた植民地
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:24頁
五王倭国の大きさは武の上表文に書いてある通り、
宇佐八幡宮あたりの視点で、
西は九州60か国、
そこから海の北にある朝鮮半島の99か国、
東に海を越えた四国の55か国で、
一大連邦を形成してはいるが、
山陰・山陽は敵の手にあり、
武はそれを
「句驪(クレ)が北を塞いでいて通さないので、
宋へ使いを送るのにも困難している」
と表現しているようにみえる。
四国からみれば、
勢力圏に入っていない山陽・山陰は、暗くじめじめした異郷で、
しかもそこには句驪の名に合う呉がある。
句驪はいうまでもなく高句麗系の勢力である。
しかし呉が山陽路を通さなくても、
朝鮮半島に領地をもつ武には、
余り邪魔にはならないはずなのに
「句驪が宋への道を邪魔している」というのは、
明かに半島の高句麗の勢力が強くて北鮮を押さえているので、
半島とは地続きの宋へ行くのに海路をとり、
大回りをさせられて大変な苦労をしているという訴えなのである。
こう理解できると五王の勢力範囲が半島に及んでいたことがはっきりわかり、
名乗りの中にある百済・新羅が半島に生まれていたことも明確になる。
この2国の名はすでにご存じの通り南九州に古く誕生した国名で、
それが奴国と同じく南から北へ移動したのである。
しかし同じ名の本国は列島の中にあったのだから、
半島の方は植民地名だったことがよくわかる。
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五王倭国の大きさは武の上表文に書いてある通り、
宇佐八幡宮あたりの視点で、
西は九州60か国、
そこから海の北にある朝鮮半島の99か国、
東に海を越えた四国の55か国で、
一大連邦を形成してはいるが、
山陰・山陽は敵の手にあり、
武はそれを
「句驪(クレ)が北を塞いでいて通さないので、
宋へ使いを送るのにも困難している」
と表現しているようにみえる。
四国からみれば、
勢力圏に入っていない山陽・山陰は、暗くじめじめした異郷で、
しかもそこには句驪の名に合う呉がある。
句驪はいうまでもなく高句麗系の勢力である。
しかし呉が山陽路を通さなくても、
朝鮮半島に領地をもつ武には、
余り邪魔にはならないはずなのに
「句驪が宋への道を邪魔している」というのは、
明かに半島の高句麗の勢力が強くて北鮮を押さえているので、
半島とは地続きの宋へ行くのに海路をとり、
大回りをさせられて大変な苦労をしているという訴えなのである。
こう理解できると五王の勢力範囲が半島に及んでいたことがはっきりわかり、
名乗りの中にある百済・新羅が半島に生まれていたことも明確になる。
この2国の名はすでにご存じの通り南九州に古く誕生した国名で、
それが奴国と同じく南から北へ移動したのである。
しかし同じ名の本国は列島の中にあったのだから、
半島の方は植民地名だったことがよくわかる。
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