2010年1月31日日曜日

パーリ語→魏語→マレー語の順に変化した国名

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:10頁

この答えは簡単で、邪馬壹国は壹與時代に初めて命名された国名だから、

薩摩のほうが後なのである。

前にサツマがあって、それがイチマに変わったのなら、今はイチマの方が残って

これはも少し精密に、国名の歴史をさかのぼると、もっと詳しく経過が頭にはいる。

まず壹與は本当は「イチヨ」ではなく、

「イエッジョ」という発音だったことから始めねばならない。

その意味は「伊江津女(イエツじょ)」だったから

「伊江津女王」に簡単に変われたが、

このイエッが帯方郡使の張政には、ぴったり「壹」の字で写せた。

だから以後、国名に対する当て字は、「壹」になってしまい、

やがて発音がマレー語に変わっても意味は「壹国」のままで、

内容には変わりはなかったのである。

張政の当て字が薩摩を生んだことを忘れてはならない。

これで明瞭になったのは、

親魏倭王時代の国名には、魏(中国)の発音が使われたという事実だ。

それは当然、魏の勢力が盛んになって卑弥呼政権にまで及んだ時だけのものである。

それ以前はどうなっていたか?。

いうまでもなく「倭(ウワイ)」と呼ばれていた。

それは唐代の発音「ワ」であるはずがないから、

帯方郡使が発音した通り「ウワイ」だったのである。

それもまた「ナーヤ」と同じパーリ語だった。

これで各語の時代差がおわかり戴けたと思う。

『参考』

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2010年1月30日土曜日

その「時」によって異なる名詞の国籍

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:9頁

「ナーヤ」の実在はパーリ語が使われていたことの動かぬ証拠になったが、

古代日本にはパーリ語だけでなく、ギリシャ語もマレー語も間違いなく入ってきて、

日本語を構成した。

だがそれらは同時に入ってきたわけではない。

地域差もある。

ここではそれを明確に立証し、後で混乱の起こらないものを挙げて、

そうしたものは、どうすれば発見でき、証拠力を発揮できるのか?、

立証の手法を体得して戴こうと思う。

壹與が位宮とともに卑弥呼政権を倒して、

女王に就任したのは魏の正始八年、247年だった。

このとき初めて「邪馬壹国が生まれた。

それ以前には邪馬台国はもちろん邪馬壹国もない。

当時の官名「伊支馬(いちま)」はピッタリ「壹国(いちま)」に合うから、

この国名がイチマと発音されていたことが確認できる。

魏の支配下に入ったため魏語の数詞「イチ」を使ったとみて間違いない。

それ以前は今の十島を「投馬(トウマ)」と書いていることなど、

当時の国々がヒフミヨの日本語数詞で呼はれていたことは、

本講でリストをご覧にいれたように疑いのない事実である。

ところが壹国と、全く同じ「1の国」の意味をもつ国が、

中国語でなくマレー語で呼ばれている。

マレー語で「1」は「サツ」なので、薩摩(さつま)は間違いなく1の国なのだ。

こうなってくると、

あなたはどちらを使って原稿を書けばいいか?とお考えにならずには済まない。

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2010年1月29日金曜日

歴史は本来、小説のように叙述するもの

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:8頁

こうして『オオヒルメ伝承』が史実にもとづいた『記録』であって、

宗教上の説話に過ぎない神話や伝説ではないと、さらに完全な証拠群が揃った。

ここまで進めば、それをもとにした状況描写をすることは、

フィクション小説の仲間入りではない。

その時代に合った風俗・習慣・文化を参考にして、具体的な要素を補えば、

史学に興味のない読者にも興味をもって読んでもらえる優秀論文が書けるのである。

その実例はこれまで、

しばしば取りあげてきた『記・紀』の垂仁天皇をめぐる悲劇

『狭穂(さほ)のはやさめ』である。

『記・紀』自体が史実をノンフィクションとして「作品化」している。

歴史とは本来、しっかりした記録性があれば、

小説のように叙述されて当然のものなのだ。

私たちはその事件が種子島での政権争いであり、

そのとき生まれた皇子が誉津別で、

これは応神天皇の誉田別=八幡のこと、

皇子を連れて隼人へ行ったのが壹與=オオヒルメであり、

卑弥呼が混入した部分を除いた神功皇后でもあることも、

よくご理解戴いていると思う。

だから文体は読者に喜ばれるものがいい。

そこに使われるデータや地名などが正確でウソでなければいい。

だからこそ事前にしっかりした考証が必要なのである。

功を急いで、いい加減なものを使うと、後で取り返しがつかなくなる。

その実例をご覧にいれよう。

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2010年1月28日木曜日

一語がもつ巨大な証拠力、ナーヤの移動分布史

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:7頁

これはさらに追及できる。

「ね!?」「な!?」「の!?」の内、「な!?」に一番近い。

これは、大阪弁といわれる近畿一円で使われている言葉である。

種子島人が近畿の天皇家の先祖だという事実は、

すでにこの講座で充分ご納得になっているが、

それがこの1語でも立証されているのである。

真実の史実には至る所に動かない証拠が見つかる。

また沖縄語の「ナヤびらん」はさらに、「ナヤ」まで揃っている。

種子島にはパーリ語の原形どおりの「ナーヤ」が残っているのだから、

沖縄語は通過後に残った名残だとわかる。

隼人町に巴利国を作った人たちは、

間違いなく種子島から隼人町へ移動してきた。

それは『大隅正八幡縁起』が

「オオヒルメが幼児の八幡を連れて渡海して、着いたところが八幡崎で、

八幡が都したところが隼人町だ」

と記録しているのだから、

この「ナーヤ」が立証したパーリ語を話した人たちのコースは、

これで少しの疑いもなくなった。

それはほかの多数の証拠群の証言と完全に一致しているから、

疑いなく種子島からの移動だったのである。

この単語のルーツがわかったことで最も大きい収穫は、

沖縄語の「なやびらん」が日本語と同系だという証明が成立したことである。

それはこれまで日本語とは別の系統の言葉で、

繋(つな)がりはないものとして扱われてきた。

パーリ語の存在の大きさがおわかり戴けたと思う。

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2010年1月27日水曜日

種子島に現存するパーリ語の遺物

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:6頁

標準語で「そうだろう!違うかい?」と語尾につけるのは、

関東農村語では「だんべえ!ちがうけヨ?」、関西語では「そやろ!ちゃうか?」、

南九州語で「じゃろが!ちごけ?」、沖縄語「なやびらん!?」、四国東部では「ナーシ!?」、

西南部の「ナシ!?」、愛媛の「ナモシ!?」、

また四国の地域によっては「ドーゾイ!?」というところもある。

これは「本当だろう!」という標準語と同じもので、

「私がお話ししたのは『真実』だと認めてくれますね」という話題の内容についての、

相手に対する「ダメ押し」の言葉である。

日常会話では、余りに多く使うから、

省略が進んで、肝心の「本当・真実」の部分がなくなっている。

それはさらに進むと「ね!?」「な!?」「の!?」「け!?」「べ!?」にまでなるが、

それで充分「本当だろう・真実でしょう!?」という役目を果たしている。

これと同じ言葉を種子島では「ナーヤ」と言う。

これは「ね!?」「な!?」「の!?」と同じナ行だから、

同じ先祖をもつ方言だとすぐわかるが、この種子島語が、この言葉群のルーツを記録している。

それパーリ語の「naya ナーヤ」で、辞書では「真実・正法」などと書いてあるから、

種子島のナーヤも「本当だろう!?・真実でしょう!?」と言うのが本来の言葉で、

すでに古代に種子島で、省略語になっていたことがわかる。

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2010年1月26日火曜日

宗教と史学との混同が生む破滅への犯罪

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:5頁

 史学とは祖先たちの遺業を明瞭にするためのものなのに、それを闇(やみ)に葬って、

 ただ崇拝せよと強制するだけのものは、『宗教』であって『史学』ではない。

 「皇国史観」は史学ではないことをこの際しっかりと認識しておいて戴きたい。

 この史学と宗教の区別さえつかない連中が、大学教授という肩書きで国民を教育し、

 世界の人々に日本人極悪観を植えつけてしまった。

 それが今も違和感を醸成し、日本人排斥に悪用する者を生み出しているのである。

 アメリカで同時多発テロが発生したが、宗教が偏狭なナショナリズムを生み育てるとき、

 どんな災禍をもたらすか、今回のテロの根は十字軍の昔にさかのぼり、

 その卑劣な闇討ちは真珠湾改革を真似、犯すべからざる市民を標的にした悪魔行為は、

 トルーマンの原爆に、よる広島長崎市民抹殺と、

 重信房子らの赤軍派テロ、オウム真理教のサリン・テロを真似、

 その特攻自殺改革は特攻隊を真似たことは全世界が知る。

 日本人憎悪はさらに濃くなっている。

 これは絶対に見過ごせない禍根だが、時と共にどんどん悪化し、暗雲をはらむからこそ、

 私たちは本学によって世界の人々に我が国の『真の史実』を教え惨禍を防いでいるのである。

 それには『動かぬ証拠』で説得するしかない。

 では『動かぬ証拠』とは何か?、

 それを身近なサスペンスものを読むように楽しんで戴きながら、お話をすすめて行きたいと思う。

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2010年1月25日月曜日

復原史学の実質は理学であり法学でもある

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:4頁
 
 B だから架空の想像が混じるフィクション作品でないだけでなく、

   ノンフィクションの報道や小説の仲間でもない。

   在来のいわゆる文学ではない。『理学』に入いる学問である。

 C 史実だと認めてもらうためには、それが真実であることを立証する必要がある。

   証拠が揃っていて、その一つ一つが本物であることが、広く正当に認められねばならない。

   こうした分野は『法学』にはいる。

 D 法学で有罪・無罪を決定するのは、いわゆる「動かない証拠」である。

   『刑法』上の「動かない証拠」と同じものが、

   私たちの言語復原史学でも要求されているのである。

 E もちろん本学は法学ではなく史学である。しかし全く同じものが要求され、

   それによって成立しているのだから、その『動かない証拠』とはどんなものか、

   先ず何をおいても、それからよく知っておかねば本学学徒の資格はない。

 F ところが在来の史学には、古記録の記事をそのまま紹介するだけで、

   解明しようとはしないもの。

   例えば天照大神の「光学明彩」などを、

   「神聖にして犯さないのが、国史学の神髄である」と称して、

    意味不明のまま放置し、ただ有り難い、素晴らしい、というだけのものまであり、

    皇国史観と軽蔑されながら、まだ僅かに余命を保っている。

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