2009年7月12日日曜日

すでに満載のアンチ大和説証拠群

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:13頁

 ここまでに、目指す女王国が奈良でないという証拠が、幾つあったか数えてみよう。                                  

 1 倭人はウワイトヘの当て字で、上井(ウワイ)は鹿児島にしかない地名と姓。
   奈良には無い。

 2 委奴もウワイトで、委奴国王の金印も奈良でなく九州の志賀の島に遺っていた。

 3 大和(ウワ)もウワで、台湾から沖縄・九州時代の当て字。
   奈良の大和(ヤマト)は唐代以後の名である。

 4 ヤマトは「邪馬人(ジャマト)」の6世紀以後の発音で蔑称。
   3世紀の国名にはない。

 5 郡使は奈良が目標なら朝鮮半島東岸から若狭湾に向かうのに
   逆に西岸を南下する。

 6 狗邪韓国が倭の北岸である。
   とわざわざ書く。
   その南は九州で奈良ではない。

 7 その狗邪韓まで七千余里と一段落して九州へ方向転換する。
   狗邪は沖縄の古謝姓。

 8 そこから二大海流と、玄海灘という荒海を越えてまで、南下して九州に向かう。

 9 奈良へ行くのなら逆に対馬海流を活用して日本海を若狭湾に向かうほうがいい。

 10 それなのに、郡使はわざわざ難コースを選んで南進し、九州の末盧に上陸する。

 11 そして難路を歩いて南東の伊都国(牛津)に行く。
   それは有明海を利用するため。

 12 それは伊都国からさらに南方の南九州に、邪馬壹(いち)国があるためである。

 13 郡使は安全で連絡に便利な中間点・伊都に駐る。
   張政の素早い対応が強い証拠。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月11日土曜日

大和説を潰す「郡使の伊都常駐」の記事

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:12頁

 「帯方郡使たちが郡と倭人女王国とを往復する際は、いっもこの伊都に駐在する」

 という記事が、

 伊都国の説明にわざわざ書き加えられていることも、見過ごしてはならない。

 郡使は女王国に用があって来るのであって、

 他の国に用はないから、

 女王国の所在地が伊都国の彼方、南にあることを示している。

 張政は動乱の危険を避けて伊都に居て、

 女王国の情勢を聞き状況を見守って指令を出した。

 卑弥呼は死に、巨大な墓が築かれ、

 政権は壹與に移って邪馬壹国と名が変わった。

 だから邪馬壹国は伊都の南、九州本土にあるのであって、

 本州のはるか東の山の中にある奈良なんかにあるわけがない。

 かりに奈良にあったとすれば、

 伊都に常駐する張政のところへ情報が届くのにも、

 それに対する張政の指令が届くのにも、

 それぞれ数か月もかかり、

 塞曹掾史(シヤカ族担当官)としての役目など、

 全然果たせないし、

 『倭人章』の記事になった報告書は全部ウソだということになる。

 しかし実際にはウソどころか、

 実に臨機応変の見事な対応ぶりを示しており、

 伊都国と女王国の距離が奈良ほど遠くなかったことを明確に記録している。

 この張政常駐記事もまた、

 はっきりと邪馬壹国が伊都の南、

 九州の内にあった事実を重ねて明示しているのだから、

 大和説を主張するのなら電話の無かった時代の

 この張政の伊都での対応ぶりは何故かまで、

 説明する必要があるのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月10日金曜日

末盧~陸行~伊都=邪馬壹は南の証拠

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:10頁

 末盧国に上陸して第一の印象は、

 海と砂浜と山の間に人家があり、

 道路を進んでも、

 すぐ前を歩いている人の後ろ姿さえ見えないほど草が生い茂っている。

 というのである。

 彼等はそこから徒歩で伊都国まで歩いたのだから、

 東南に向かって道があったのである。

 壱岐から来て上陸するのに

 東松浦地方で一番いい港は唐津湾だが、

 その奥に松浦川の河口があり小船なら少しさかのぼれる。

 そこから川沿いに道が東南に伸びていて、

 相知(おうち)、厳木(きうらぎ)、多久(たく)を経て、

 牛津までが丁度五百里。

 川沿いの道は葦が茂っていて、

 ともすれば前を行く人の姿も隠れて見えなくなる。

 『倭人章』は実に詳細に描写し、報告しているのである。

 邪馬壹国へは伊都から南へ「水行」しなければならない。

 牛津の南には有明海が広がっている。

 末盧国で船を降りて、

 草の茂った道路を荷物を担いで五百里も歩いてから、

 また船に乗って行くというのは、そこを歩くことで、

 邪馬壹国に安全に早く着けるからにほかならない。

 このコースが合理的なことは地図を見ただけでも解る。

 郡使は実に正確に詳細に報告書を書いていて、

 とても東を南と間違えるような人達ではない。

 いや、末盧国から南東に進むということ自体、

 邪馬壹国が末盧国の南にあることを、明確に予告している。

 伊都国から南でなく東に進むという大和説では、

 なぜ伊都国へ行くのかすら説明できないのだ。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月9日木曜日

見落としてはいけない難コース

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:9頁

 『行程で確かめる』

 だが魏使は右折して激流を乗り切り、

 狗邪韓から対馬が千余里、

 対馬から一大までが千余里、

 さらに干余里で、やっと末盧に着く。

 この間、朝鮮海流、対馬海流、大海という意味の名

 「瀚海」をわざわざ付けられた、

 荒海で有名な玄海灘の三大難所を、

 死を覚悟して次々に越えなければならないのである。

 奈良へ行くのなら、

 何故?そんなにまでして九州へ行く必要があるめか?

 理由がなければならないが、

 そんなに重要な説明事項が全然報告されていない。

 それは九州へ行くのが目的で、それは女王国が九州にあるからだと、

 魏の上司が熟知しているから書かなくても済んだのであって、

 もし仮に奈良へ行くのが目的なら、 

 何故?九州迂回が必要なのか?

 その理由が、上司が納得いくまで、必ず詳細に書いてなければならない。

 だが、そんなものは全くない。

 このことが最初の魏使(帯方郡使)梯儁(テイシュン)の

 訪問先=卑弥呼女王国が九州にあり、

 それが壹與の邪馬壹国に変わっても、

 やはり同じ南九州にあったことの何よりの証拠である。

 『倭人章』が梯儁と張政の二人の外交官の出張報告書が

 本体であることさえ認識していれば、

 この程度のことは常識である。

 大和説者たちは、

 これが報告書の写しであることすら理解できない才能を、

 自ら暴露しているのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年7月8日水曜日

方向も行程もすべて九州を指す

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:8頁

 『方向で確かめる』 

 次に九州か奈良かを左右し決定するのは、

 帯方郡からの行程記事である。

 帯方郡から出て、半島西岸を海岸沿いに船で南下し、

 半島の西南端で東に左折して、狗邪韓国に着くまでが七千余里。

 そこは対馬への最短距離にある地理条件と、

 その発音から計算して、

 当時の弁辰狗邪国(豊臣時代に風島(カゼしま)と呼ばれていた

 現在の巨済(コオヂェ)島)以外にはない。

 この島を「其北岸」と書くのは、

 倭人が主体の説明なのだから倭人圏の北岸だという意味で、

 『魏書』「韓章」にも「韓は南、倭と接す」と書き、

 すぐ南は倭人圏だとしている。

 それはここで行程を一たん切って、

 「七千余里」と締めくくっているのも、

 その前にわざわざ「韓国を歴(へ)て」と書いているのも、

 狗邪韓国人が倭人だと知っているためなのである。

 それが正しいことは、

 今、沖縄にある姓の「古謝」は「クジャ」と発音して

 3世紀の韓魏音の狗邪の発音そのままである。

 古謝は狗邪国王の名乗りの遺物なのである。

 そこから対馬へは90度右折する。

 これは明らかに九州を目指す方向転換である。

 対馬海流が東流していて、

 それを横断することは当時の手漕ぎ小型船には大変危険な航路である。

 だから目標が奈良なら、危険を冒して対馬に渡らなくても、

 そのまま海流に乗って進めば、楽に安全に若狭湾に着け、

 そこから陸路を南下すれば、より早く奈良に着けるのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月7日火曜日

大和はヤマトでなく「ウワ」への当て字

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:7頁

 しかし奈良にはウワイはないがウワはある。

 それへの当て字が「ウワ=大和」だ。

 それは大坂市の上(ウエ)の宮が、

 本来は聖徳太子の宮跡地名だから

 「ウワのミヤ」と発音すべきものであることを考えると、

 大和をヤマトと読むようになったのは、

 倭国(ウワイト)が日本(ニップヌ)に変わった7世紀以後で、

 3世紀の発音ではない。

 ウワイトへの当て字は天武天皇の名乗り

 「大海人(ウハイト)=ウワイト」で、

 ヤマト=山人とは相容れない人たちの名である。

 ヤマトは邪馬人なのだから、

 邪馬(ジャマ)がヤマと発音されるように変わった

 唐代(7世紀)以後でないと存在しない名なのだ。

 しかし、その「大和」という当て字は、

 古く、倭人(ウワイト)が台湾に居た時代に

 大和人(ウワヒト)と書かれたものである。

 その大和が、後世、

 大和=タイワの国=タイワンと読み方が変わって、

 それの当て字が臺湾と書かれるようになったものが今、

 常用されているのである。

 これで、倭人が台湾経由で来たことも立証されたし、

 台湾が小琉球と呼ばれ沖縄が大琉球と呼ばれたのは、

 首都が台湾から沖縄に移ったためだ。

 と明確に理解でき、大きな謎がもう一つ解決した。

 この「大和(ウワ)」が国称に使われたのは

 元正女帝の小都(天理付近)名以後である。

 それもまた聖徳太子時代の「ウワ」への復帰だった。

 「ヤマト」とは元々、

 ウハヒト=上人=貴族と対比した

 「下層民=山人・隼人」という

 意味の蔑称として使われたものなのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm 
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary
 

2009年7月6日月曜日

奈良にはウワイトもウワイもない

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:6頁

 この事実には、まだ他にも動かぬ証拠がある。

 それは『魏書』が書く、

 これまでワジンと読んできた「倭人」という名は、

 陳寿らの中国人が付けた

 「倭という国に住む人間」という意味のタイトルだとすれば、

 同じ『東夷』に分類して編集、

 併記されている他の国々の章の見出しにも、

 同じように全てに「○○人」と「人」が付いていなければならない。

 だがそれらをよく見ると

 夫余、高句麗、東沃沮、悒僂、濊(ワイ)、韓と、

 どれ一つ「人」は付いていない。

 これで「倭人」の二字は、

 ウワイトという名詞の発音を漢字二字で写した当て字であって、

 「倭という国に住む人間」という意味ではないことが確認できた。

 そしてそれは魏使や陳寿が考えて作って付けた名詞ではなく、

 他の国名と同じくそれ以前から使われていた

 「国名」だと確認できたのだから、

 この問題には、もう疑念や反論の余地は残っていない。                                                  

 すると他の国々は、それぞれ

 夫余、高句麗、濊(ワイ)、韓と地名が残っていて、

 それがどこにあったかが判る。

 それなら「ウワイト」という国名は何処に残っているか?

 それは鹿児島県姶良郡にある国分市に

 『上井』という地名として残り、

 鹿児島人独特の姓としても残っているが、

 奈良県にはウワイトもウワイという地名も土着の姓もない。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm 
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
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 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary