2016年1月22日金曜日

志摩のダイダラボーシと天白社③


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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 牛角と祝祭・その民族系譜:1034~1041頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《志摩のダイダラボーシと天白社》

  「天白」は「天魄」にして

 「(口+天)(口+鬼)」である。

 前掲の「日本の神社」によると、

 鳥羽市堅神町、菅島町、答志町、磯部町下之郷、

 迫間、築地、檜山、阿児町安乗、大王町天白などに

 その社詞が現在も有ったり既に無くなったが、

 記録にあるという。

  宇気比神社が鎮座する阿児町の「立神」は

 ヤハウェ神を表わす。

 「タチ」は明石市の「太地」に同じく

 「誓い、証し」を表わすヘブライ語

  (Heb.),ִֶדֻת,IDVT,iedut に係わる。

 また、同町甲賀に鎮座する阿夫賀神社名は、

 「聖都エルサレム」を表わす。

 (Heb.),ִיהֻת,IYHK,iyhut の音写に依る。

 その傍証は、甲賀に接する字名志島・畔名が

 エルサレムの代名詞でもある 

  シオン(ツィヴォン) TsYVN を構成する

  TsY(志)島-VN畔名であるからである。

 このような例は既に

 埼玉(前玉)が

 佐谷田 sakt-持田mat になっていることを

 第11章の「埼玉・鹿島:剣持神の国」

 などで紹介した。

 さらに郡名「志摩」は

 この TsYN の転訛であると考えられる。

 その理由に後述

 「千葉:坂戸神社の人身御供神事」の

 「千葉」の由来が参考になる。

  播磨国風土記揖保郡に

 「伊和大神の御子、伊勢都比古命、伊勢都比売命」の

 神名が載っている。

 また伊勢国風土記逸文の

 「伊勢国号」に伊勢津彦が登場する。

 それには

 「国は宜しく国神の名を取りて、伊勢と號けよ」

 とし、地方名「伊勢」が伊勢津彦に負っていると

 この伝承は言っている。

 伊和神が伊勢津彦の祖神であるから、

 この氏族はイスラエル人であることになる。

 そこで参照すべきは、ガド族の聖地安来市今津町に

 鎮座する伊勢神社である。

 鎮座地は井越で、ヘブライ語の

  (Heb.),יִסהֶו,YYShVA,yishev 居住地 に依る用語である。

  その理由は

 「伊雑宮」のある「磯部町」名が双方とも 

  YYShVA に依って訓める呼称であるからである。

 町内坂崎には宇気比神社もあり、

 その「居住」が明らかである。

 ただし、「イセ」の当初の称名は伊勢市にあり、

 その地主神、宇治蒲田に鎮座する

 猿田彦神社の祭神インドラ神を称した

 īsā,īsāna(支配者)に依るものと考える。

  志摩郡の南方に尾鷲市がある。

 ここにもイスラエルの波及がみられる。
 
 加田湾のある加田はガド名に依る。

 古川の水源の山ゲジョ山(927.2m) は

 GShM(geshem)の音写で「雨山」である。

 市名は北浦町に鎮座する尾鷲神社名に依るが、

 「オワセ」はどうも尾鷲節伊勢音頭とも関係する

 旧約聖書民数記第10章にある

 「契約の箱の進むときモーセは言った」

 という詞謡に由来する。

 契約の箱

 10:33 

 人々は主の山を旅立ち、三日の道のりを進んだ。

 主の契約の箱はこの三日の道のりを

 彼らの先頭に進み、彼らの休む場所を探した。

 10:34 

 彼らが宿営を旅立つとき、

 昼は主の雲が彼らの上にあった。

 10:35 

 主の箱が出発するとき、モーセはこう言った。

 「主よ、立ち上がってください。

  あなたの敵は散らされ/あなたを憎む者は

  御前から逃げ去りますように。」

 10:36 

 その箱がとどまるときには、こう言った。

 「主よ、帰って来てください/イスラエルの

  幾千幾万の民のもとに。」

  この「主よ、立ち上がってください。」が、

 ヘブライ語 AYFShTYYN(oyfshteyen)で、

 「オワセ」に転訛したものとみられる。

 尾鷲神社の祭礼では

 この詞謡が献上されていたのではないかと

 推測される。

 近郊倉ノ谷町に鎮座する天下大水神社名は

 ヤハゥエ神をいうにふさわしい尊称である。

 また野地町は尾鷲神社の祭礼の親方、詰座など

 多くが住む氏子の町と知られているが、

 「ノジ」は NSYA(nosi) で「総統、統領」である。

 尾鷲湾を出た同市の離れ地須賀利町は SAKTL で

 「箱」を表わす。

 その鎮守社護神社名も祖語を同じくし

 「神の箱」でモーセの詞がその進む時唱誦された
 
 故事に相応する。

  なお、前掲「日本神々」に鳥羽市千賀町は
 
 「星ノ宮」が「三国地誌」に「星詞」

 と記されてあったと述べているが、

 同町の隣り賢子町名はヘブライ語の星を表わす

 KKhB(kakoba) の転訛とみられる。

 「星ノ宮」も静岡県焼津市小川遺跡出土の木簡にある

 「天形星皇(王)」に関係する。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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 第16章  ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《志摩のダイダラボーシと天白社》

  志摩においてはダンダラボーシの説話が

 いろいろと語られている。

 地方によっては

 「デーダラボーチ」「ダイダラボーシ」ともいい、

 関東方面では大太法師と表記される。

 その根元は何処にあるのであろうか。

 「大太」は「ダイダ」で「智恵」を表わす
 
 ヘブライ語 DID(daid) がその祖語である。

 また、その背景には日本語(漢字)に「大人」と

 音写されたダビデ DYD から始まったと推測される。

 播磨国風土記託賀郡に

 「大人ありて、常に勾り行きき。

  南の海より北の海に到り、

  東より巡り行きし時、

  北の土に到りて、

  云ひしく、

  『他土に卑ければ、

   常に勾り伏して行きき、

   此の土に高ければ、

   申びて行く。

   高きかも』といひき。
   
  故、託賀の郡といふ」

 と巨人伝説を紹介している。

 播磨国は秦王国、秦氏の強盛な地方であった。

 これが志摩へ伝わって

 ダンダラボーシとなったと考える。

 「ダイダラ」は「大人」で、

 「ボーシ」はサンスクリット語の

 badhi(開悟) を祖語とし、

 仏教では菩提、日本で沐師となっている用語である。

 志摩には大王町波切初め、

 船越、和具、阿児町甲賀、安乗、鵜方、

 また鳥羽市畔蛸とその伝説がある。

 大王町名はそのダンダラボーシ名によるものである。

 だが、この巨人、波切では

 沖合の大王島に住んでいることにもなっていて、

 時々悪さをする。

 波切の村里にやって来ては娘をさらっていく、

 そこで

 「智恵のある法師(坊主)が、

  畳一枚もある大きな草鞋を作ったり、

  一間もある魚入れの籠を作ったり、

  二間途りの股引形餅入れ袋を作ったりして、

  浜辺で大王島の巨人に見せることにした。

  そうすれば
  
  巨人は自分より大きな奴がいるのだろうと思って

  波切の村里へは

  やって来なくなるだろうとの名案である。

  やってみると、

  巨人は蒼くなって逃げて行ったと伝えられている。

  地元では大王島に住んでいた巨人を

  ダンダラボーシと伝えている」が、

 実際は「智恵のある法師」が祈願した巨人こそが

 ダンダラボーシである。

 「智恵のある法師」はまさに「(口+急)々如律令」である。

 また静岡県焼津市小川遺跡から出土した木簡に記されていた

 「咄(口+天)(口+是)(口+鬼)七鬼神」は、

 このダンダラボーシを漢字で表示したものである。

 「咄」は「咄嗟」とあるように漢字の仲間であるが、

 「(口+天)(口+是)(口+鬼)」は

 大漢和辞典にも無い字体である。

 これは

 咄(ダ/デ)-(口+天)(テ)-(口+是)(ラ)-(口+鬼)(パク)

 -七(シ/チ)-鬼神と理解される。

 それが蘇民将来の子孫に関係する神なのであった。

 さらに同名から誕れたのが

 志摩に幅広く信仰されていた

 天白大明神である。

2016年1月19日火曜日

志摩のダイダラボーシと天白社➀

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 第16章  ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《志摩のダイダラボーシと天白社》

  三重県志摩郡に波切神社が鎮座し、

 そこを波切、その町を大王町という。

 この神社名はそう古くはなく江戸時代からである。

 しかし、その形容はヤハゥエ神の出エジプト記や

 ヨシュア記のヨルダン川を渡る時にみせた

 奇跡そのものを表わしている。

 阿児町立神、浜島町浜島、磯部町坂崎に

 宇気比神社が鎮座しているが、

 この神社名は「誓い」でガド族の信仰を表わしている。

 志摩地方へのイスラエルの影響を探ってみると、
 
 「日本の神々―神社と聖地」の志摩編にみられる。

 「呪字板」が決定的にそれを教示してくれる。

 それによると、

 「志摩の海女たちは海中で鮫をはじめ

  いろいろな怪異に会うため、魔除けとして、

  必ず磯手拭(てぬぐい)の眉間に当たる所に、
 
  縦に一筋紺系で印をつけ、

  その左右にドーマン・セーマン

  呪字を縫いつける」とある。

 ドーマンとは星型正多角形(五芒星)で

 焼津市の小川遺跡から出土した

 木簡にあったものと同じでる。

 セーマン

 左右・上下に四本ずつの線を交差させたものである。

 この双方を共通に絵文字として持っていたのは

 シュメル語である。

  前者は方位の意味だが、

 北極星が古代においても

 方向を読むのに重要であったので

 その描写から始まったのではないかと思われる。

 後者は「草、牧草」を表わす絵文字である。

 志摩においては個々にどのような意向、願いが

 込められていたのか明らかでない。

 但し、「呪字」として書かれている

 「(口+急)々如律令」は理解できる。

 「(口+急)」字は大漢和辞典にもない

 志摩で発想された文字である。

 その理由からこれを「急」音と解釈し

 「キュウキュウジョリツリョウ」と読む。

 語尾の「律令」は明白であるが、

 語頭の三字の理解が重要である。

 「(口+急)々」はヘブライ語の KhKhM の
 
 音写と考える。

 その意味は「智恵」である。

 サンスクリット語の gagana (天空、空、空虚)に

 対応する用語である。

 「如」字も

 波切と同じく絶妙というより妙高な用語法である。

 「如」は「ごとし」「あるがまま」であるが、

 この一字によりヤハゥエ神を表徴させているのである。

 出エジプト記の第3章でいう、」
 
 モーセに対してシナイの山頂で神がいう

 「わたしは有って有る者」また

 「わたしは有る」いった。

 その後者は「如」と考察できるからである。

 前者は「如如」と表現されることになる。

 依って呪字の字義は「智恵者の律法」で、

 ヤハウェ神の律法の威力を願ったものと考えられる。

 ヤハウェ神は水の神であるから、

 水難を受けないための呪いである。

  同書は、志摩には三棚神(ミタラサン)信仰があり、

 祝詞を著した「三棚経」は

 蘇民将来の故事などを纏めたものだという。
 

2016年1月17日日曜日

駿河国の馬鳴神

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 第16章  ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《駿河国の馬鳴神》

   焼津市はかっての益頭郡内にある。

 藤枝市益津に郡名遺称を保つ。

 和名類聚抄に益頭郡益頭郷があり、

 「万之都」と訓まれている。

 これは「マシト」で「城、砦」を表わす

 MTsVDH の音写であろう。

 その西隣りは稲川で「稲禾」の意味で

 「秦氏」を示している。

 さらにその西方の志太は「矢田」と同じく

 ZYYD(zuid 絹) である。

 これもかっての郡名であった。

 それらの地区に囲まれた市名でもある

 「藤枝」は「フジエ」で「ガド族の人」を表わす。

 明石市の瀬戸内海沿岸に藤江地区があるが、

 かっては「葛江」であり Gade(ガド人)が祖語である。

 そこは「延喜式」神名帳益頭郡に記載された

 飽波神社が鎮座するが、飽波は赤穂市坂越から

 興り鎌倉時代に名を遺している飽間氏と同音で、

 神名帳が訓ずるように「アクハ」で「水」を

 表わす用語に由来する。

 つまり同社は本来ヤハウェ神の教会なのである。

 同社は「川関さん」と呼ばれ、

 土をいただくと洪水を免れられるとの信仰があった。

 東隣りの「郡 KVVALAYE」や水守の地名のあるのは

 その由縁を示している。

 飽波郷は和名類聚抄に載る。

  秦氏の渡来をはっきり伝えるのは

 静岡市羽鳥に鎮座し、「延喜式」神名帳阿部郡にも

 同名で載る建穂神社である。

 社伝によると、

 仁徳天皇の時に服部として配置されて来たという。

 馬鳴(まなり)神様と呼ばれ養蚕の神として知られる。

 羽鳥は服部の転訛で、域内に服織の地名もある。

 平安時代には服織荘と呼ばれた。

 「馬鳴」は「マメイ」でヘブライ語の

 「宝、財宝」を表わす MHMR(memar) の転訛である。

 播磨国風土記讃容郡の邑宝里の「宝」でもある。

 現在の佐用郡上月町の東部辺りを

 比定地としているが、記述に弥麻都比古命があり、

 「弥麻」が「宝」であることが知られる。

 餝麿郡にも大三間津日子命の記載がある。

 「建穂」を神名帳は「タケホ」と訓ませているが、

 これはヘブライ語の TFYLH(tfile) に

 依拠したものとみられる。

 「祈り」の意味で、

 ここが祈祷所(教会)であったのである。

 静岡駅の南に稲川地区があり、

 その由来は藤枝市の場合と同じである。

 そこに鎮座する伊河麻神社は

 「延喜式」神名帳にも同名で載り、

 播磨国風土記宍禾郡にある「伊加麻川」名と

 同様 YIKB ヤコブ名を表わしている。

 稲川の西に見瀬があるが、奈良県橿原市の見瀬同様

 MShY(meshe) で「絹」であるし、

 さらに南方弥生時代の遺跡で知られた登呂は

 TOLH で「絹虫」である。

 この辺りから清水市にかけてが有度郡で、
 
 和名類聚抄に訓を「宇止」としている。

 有度は uz(栄光)であるが、

 『古事記』が大国主命の別称を

 「宇都志国玉神」とする「宇都」や

 播磨国風土記神前郡に宇智加久牟豊富命とある

 「宇智」に共一であり、

 ガド族人の関係した地域である。

 その東部(有束)、清水市馬走の馬走神社名は

 meshe で「絹」を表わし、見瀬と祖語を同じくする。

 有度山と並ぶ久能山名は安来市九重(くのう)町と

 同じく「神職、祭司」を表わす

  KhHNH の音写であろうか。

  イスラエル人の足跡は三島市にもある。

 登呂と同音の多呂がその地で、

 近郊の東町には間眠神社が鎮座しているが、

 同社名は建穂神社の馬鳴神と同類である。

 音訓の「マミン」はアラム語が祖語のヘブライ語で

 MTMVN(matmen) で MHMR(menar) と同じく

 「宝、財宝、富」を表わす。

 ギリシャ語で μαμωνας、」

 ラテン語で mammona、

 ドイツ語で Mammon、

 英語で mammon という。

 養蚕は人々に富をもたらす

 貴重な産業であったのである。

 MTMVN 新約聖書「マタイによる福音書」24章にも

 「神と富とに兼ね仕えることはできない」

 とある用語である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
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2016年1月14日木曜日

蘇民将来と「えびす」

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 第16章  ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《蘇民将来と「えびす」》

  蘇民将来とは備後国風土記に載っていたと

 される説話である。

 日本古典文学大系から転載する。

  備後の国の風土記に曰く、疾隈(えのくま)の国社。

  昔、北の海に坐して武塔(むたふ)の神、

  南の海の神の女子をよばひに出でまししに、

  日暮れぬ。

  彼の所に将来二人ありき。

  兄の蘇民将来は甚く貧窮(まず)しく、

  弟の来は豊饒みて、屋倉一百ありき。

  ここに、武塔の神、宿處を借りたまふに、

  慎みて借さず、兄の蘇民将来、借し奉りき。

  即ち、粟柄を以ちて座と為し、

  粟飯等を以ちて饗へ奉りき。

  ここに畢(お)へて出でませる後に、

  年を経て、

  八柱のみ子を率て還り来てたまひしく、

  「我、将来に報答爲む。

   汝が子孫其の家にありや」と問ひたまひき。

  蘇民将来、答へて申ししく、

  「己が女子と斯の婦と侍ふ」と申しき。

  即ち詔りたまひしく、

  「茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ」

  とのりたまひき。

  詔の随(まま)に着けしむるに、
 
  即夜に蘇民の女子一人を置きて、

  皆悉(ことごと)にころしほろぼしき。

  即ち、即ち詔りたまひしく、

  「吾は速須佐雄の神なり。

   後の世に疫気あらば、

   汝、蘇民将来の子孫と云ひて、

   茅の輪を以ちて腰に着けたる人は

   免れなむ」と詔りたまひき。

  この物語は明らかにイスラエルの祭り、

 「過越の祭」が祖型になっている。

 さらにその祖型が西アジアにあったと考えられる。

 Satrae がその関連語である。

 ヘブライ語の SDR(seder) は

 過越祭の最初の「晩餐」を表わす。

 Σατραε(satrae) はギリシャ語である。

 同語はラテン語で「雑煮料理」の意味で、

 日本語の「ゾーニ」は

 ギリシャ語の「肉入りスープ」 

 ζοομος を音写したものである。

 ヘブライ人の場合は

 燔祭にしなければならないとの掟があったが、

 燔祭をしないと誓ったガド族は

 「雑煮料理」に転換したのであろう。

 ギリシャ国の半島北東、かってのトラキアに

 Satrai族がおり、

 そこにイベリア川があることから、

 祝祭の文化が伝わっていたと

 第3章カルト人の進出「イベリア半島」で紹介した。

  旧約聖書における「過越の祭」の起源については

 出エジプト記第12章で語られる。

 エジプトの王ファラオ(聖書にはパロ)に

 イスラエル人を解放することを

 許されなかったモーセは、

 エジプトに害をもたらすため、

 神の告示に従って行った祭事である。

 そして

 「この月をあなたがたの初め月とし、

  これを年の正月としなさい」といわれた。

  日本列島に渡来したイスラエル人の

 この祭りを起源に

 日本の正月行事は行われているのである。

 日本で正月にお雑煮を食べる習慣は

 ここにその起源があり、

 平安時代に牛馬の屠殺が全く禁止され、

 米の生産を産業の中心としたため、
 
 肉入りスープ(ゾーニ)を「餅入りスープ」へ

 交代させたのである。

 その「餅」「モチ」名も

 イスラエルの「過越しの祭」の用語に関係する。

 正月の七日間は

 「種なしパン」を食べなければならないと

 神によって告示されていたが、

 その用語がMTsH(mate)で、

 風土記に「武塔の神」といわれている

 「ムトウ」の原語である。

 「種」はイースト菌のことでShMRM(Shamarim)という。

 それが無いパンとは「固餅パン」のことである。

 コッペパンは第二次世界大戦後の

 昭和20年代においても正月式典のため

 登校した小学校などの生徒にお年玉として配られいた。

 イスラエルの祭のこの風習は20世紀の後半まで

 公式の場でも確実に伝承されていたのである。

 さらにこの用語は

 「お正月」の「正(まさ)」あるいは

 「松の内七日間」の「マツ」でもある。

 関西地方の一部では元旦にお雑煮を食べ終わるまで

 家の戸や窓を開けないという風習があったといい、

 日本の正月行事にその影が色濃く留められている。

 上記の説話で「茅の輪を以ちて腰の上に着けしめよ」

 というのは、

 創世記第32章でヤコブが一夜神と組打ちしたとき、

 神によってもものつがい(腰)にさわられ(打たれ)

 びっこになったとの話に対応する発想である。

 逸文に「疫隅の国社」とあり、

 「疫隅」は「エクマ」で

 ヤコブ YIKB を転訛させた呼称である。

  ヘブライ語ではこの祭事を PSH(peyseh) 

 あるいは HG-HPSH(hag-hpasah) という。

 英語では pass(通過する、過ぎる)に対応する用語で、

 日本語に「過越」と意訳されている。

 「蘇民将来」はヘブライ語の SMN-ISRAL(sumen-Isrel)

 の音写と解釈される。

 その意味は「イスラエルの印をつける」である。

 SMN(印をつける)は動詞形で、

  後に述べるSML(sumel)が名詞形で「印」である。

 この「しるし」について、

 出エジプト記第12章7に語られる

 「その血を取り、

  小羊を食する家の入り口の二本の柱と鴨居に
 
  それを塗らなければならない」を指しているが

 申命記第6章には次のような神の告示(神の命令)がある。

 6:4 

  イスラエルよ聞け。

  われわれの神、主は唯一の主である。 

 6:5 

  あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、

  あなたの神、主を愛さなければならない。 

 6:6 

  きょう、

  わたしがあなたに命じるこれらの言葉を

  あなたの心に留め、 

 6:7 

  努めてこれをあなたの子らに教え、

  あなたが家に座している時も、道を歩く時も、

  寝る時も、起きる時も、

  これについて語らなければならない。 

 6:8 

  またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、

  あなたの目の間に置いて覚えとし、 

 6:9 

  またあなたの家の入口の柱と、

  あなたの門とに書きしるさなければならない。

 「蘇民」とは、この SMN(sumen) である。

 風土記では「茅の輪」である。

 この「しるし」について民数記第15章

 『衣服の房』

 15:37

   主はモーセに言われた。

 15:38 

  イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

  代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、

  その房に青いひもを付けさせなさい。
 
 15:39 

  それはあなたたちの房となり、

  あなたたちがそれを見るとき、

  主のすべての命令を思い起こして守り、

  あなたたちが自分の心と目の欲に従って、

  みだらな行いをしないためである。

 15:40 

  あなたたちは、

  わたしのすべての命令を思い起こして守り、
 
  あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。
 
 と書かれている。 

  「茅の輪」はこの「ふさ」と関係するだろう。
 
 申命記第6章4の「聞け、イスラエルよ」は

 ヘブライ語で ShMI となり、SMN-ISRAL に近似する。

 これは

 「ユダヤ人が危機や殉教の際に叫んだ聖句」

 であるといい、

 「聞け」(Shemai) は

 「ユダヤ教のヤハウェ神の唯一性と神への愛と奉仕を

  内容とする祈り」を表わす用語となっている。

 後に事例を取り上げる護符には必ず

 「蘇民将来子孫」と表現され、

 申命記第6章7にある「あなたの子ら」であり、

 「イスラエルの印を付けている子孫」の意味である。

 なお、備後国の説話に

 蘇民将来の兄を

 「巨旦将来」と表記している版本があるが、

 「巨旦」は「コタン」で、

 これはヘブライ語の音写である。

 KTN(katan) が「小さい、少ない、わずか」の意味で、

 同類語 KTNVNY(katnani) が

 「狭隘な、けちな」の意味となる。

 これらが、その原語であり、兄の将来の態度と一致する。

  この説話は備後国、

 今の広島県東部でのお話である。

 「疫隅の国社」は

 同県芦品郡新市町戸手江熊の疫隅神社とされる。

 戸手は江戸時代には戸出と表記されており、

 「トイデ」でヘブライ語 DID(daid知恵) の音写である。

 知恵とヤハウェ神とは切り離せない関係にあり

 後段に詳しく述べる。

 その周辺地域には馬屋原姓の方が非常に多いが、

 ヘブライ語の「白い」の VVYYS(vays) から

 「マヤ」に転訛したもので、

 実際は「繭」を表わし

 養蚕を行っていたためとみられる。

 近郊には世羅郡や神石郡など、

 これまで絹産業の地名として紹介した

 地域内に同地はある。

  秦氏の秦王国であった播磨にも

 「蘇民将来」の信仰が留められている。

 神戸市西区神出町田井の六社、

 淡路島の津名郡北淡町に三社の

 武大神社が鎮座しているが、

 「武大」は「武塔」と同義であり、

 「過越の祭」に係わる神名である。

 西宮えびす神社もこの信仰に根差している。

 「えびす」は

  HG-HPSH(hag-hpasah) のHPSHの音写である。

 同社の北隣りの町産所は「ウブショ」で

 祖語が同じであることから解る。

 H が「ウ」となるのは、

 天鈿(うず)女命の hasā(サンスクリット語)が

 「ウズ」に、

  HSGKH(hazhgohe) が「ウサギ」になっている例を

 紹介した。

 和上町、江上町名の原語は HG(hag) で

 「祭」を表わしている。

  「えびす」とは

 「過越の祭」の神を表わした名称である。

 西宮名の「ニシ」は

 ヘブライ語の NSYA(nosi) を音写したものとみられ、

 「総統・統領」で「全能の神」である。

  静岡県焼津市の小川遺跡から蘇民将来名のある

 木簡が出土している。

 「小川」は「こかわ」と呼ぶが、

 「小河」でヘブライ語の「繭」を表わす

 KVGL(kogl) の音写で、養蚕業が波及し、

 秦氏の影響があったことを物語る。

 静岡県の埋蔵文化財調査研究所

 「静岡の原像をさぐる」によると、

 第一、二の木簡には表面に「蘇民将来子孫也」、

 裏にダビデの盾(星)とイスラエルでは

 呼ぶ星形が描かれていた。
 
 その他にも「蘇民将来子孫」「天形星皇(王)」

 あるいは「地鎮鬼除入鬼神」や

 「咄(口+天)(口+是)(口+鬼)七鬼神」

 「薬師如来」などとある。

 ここでの天形星とは星形を言ったものである。

 「咄(口+天)(口+是)(口+鬼)七鬼神」は

 不可解な表現だが後に解明を試みる。
 













 


 

 












 

 












 

2016年1月10日日曜日

「律法」と荒神谷遺跡

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 《参考:年表・資料》
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1021~1023頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《「律法」と荒神谷遺跡》

  モーセがシナイ山で神から告示された戒律

 「律法」の第一は次のように述べられる。

  (出エジプト記第20章)

  20:3
 
   あなたはわたしのほかに、

   なにものをも神としてはならない。

  それにもかかわらず、

 ヘブライの神は大黒主神と習合したのである。

 日本国土の持つ文明的環境の為せる業である。

 それを人は宗教的未熟と考えるかもしれない。

 だが、

 この許容性は最も高度な宇宙意識の為せるもので、

 熟慮された上で国土全体に涵養・定着した

 環境がなければ興らない現象である。

 そこまで至るまでには葛藤、混乱があったに違いない。

 宗教的対立や変化を経て

 新しい宗派は定着していくものである。

  ヘブライ(イブリ)のガド族の出雲における

 律法(伊太氐神)信仰の普及の際にも

 社会に宗教的変革がもたらされたと推測され、

 それが荒神谷遺跡の銅鐸、銅矛、銅剣の

 埋納となった秘密と考えられる。

 その事件を以下のように推察してみた。

  播磨、因幡、出雲に

 ヤハウェ神を信奉する人々が広がり、

 それ以前の豊饒を祈念する祭祀との間に

 摩擦を生じるようになった。

 稲作も養蚕も実際生産に担ったのは倭人たちで

 彼らは上記の銅製祭器を以って祭祀を行っていた。

 そこに流通と加工技術に優れた秦氏族が

 複層的に混在することとなり、

 日常性と集合力の強いヤハウェ神への信仰が

 他を制圧するようになってきた。

 支配的立場に立った者たちが

 自分達の宗教で統一しようとすることは

 ごく自然なことである。

 それが出雲に興ったのである。

  同地方では、ヘブライ(イブリ)の人々の力が増し、

 他の信仰を

 変更させることができるようになったのである。

 「戒律」の第二は次のように言う。

  (出エジプト記第20章)

  20:4
 
   あなたは自分のために、

   刻んだ像を造ってはならない。

   上は天にあるもの、下は地にあるもの、

   また地の下の水のなかにあるものの、

   どんな形をも造ってはならない。

  20:5

   それにひれ伏してはならない。

   それに仕えてはならない。

  一切の神体を否定し、律法のみの遵守と戒めを

 正義とするのである。

 その伊太氐神の波及とヘブライ(イブリ)の人々の

 増大により

 それまで豊饒祈願の祭事に用いられていた

 祭器具が集められた。

 破壊するのは里人の反感を抑えることになるので

 丁重な埋納こそが最善の策であったのである。

  ヤハウェ神信仰の波及は隠岐島にも及んでいる。

 隠岐郡五箇村がそれで、

 南北の「方」はガドが祖語であろうし、

 「郡」は「波、洪水」の

 「カワラ」 KVVALYE であり、

 そこに鎮座する水若酢神社は

 ヘブライ(イブリ)語の MZBKH(mizbeykhes) の音写で

 祭壇を意味する。
 
 同神は洪水の神として知らせるが、

 「郡」及び鎮座地名犬町の

 「イヌ」YNN(enni雲)はヘブライ(イブリ)の

 神に係わる名称である。

 村名五箇の「」はヘブライ(イブリ)語の

 「祭司、僧職」の GLK(gakekh) の転訛したもので、

 ここに信仰を運んで来た

 神職がいたことを示している。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2016年1月9日土曜日

顕国玉神と大国主神


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1017~1020頁

 第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰

 《顕国玉神と大国主神》

 単に転訛させただけなのだろうか。

 どうもそうとは言えない。

 前に「雲」として挙げたヘブライ語の INN(enni) が

 「大名」となったと解釈でき、

 「大名持」は「雲持」でヤハウェ神に当たる。

 「御魂」の意味は字義通りで、
 
 出雲風土記出雲郡の神社名にある

 「御魂社」に対応する。

 日本古典文学大系はこの社を「延喜式」神名帳の

 「出雲神社同社韓国伊太氐神社」としている。

 明らかにヤハウェ神が大国主神に

 習合されている様子がみられる。

 千家尊統の「出雲大社」はこの御魂社を大社東方の

 境外社命主(いのちぬし)社と主述べている。

 「命主」は「メイス」とも訓め、

 MTR(雨)であった可能性がある。

  大国主命の尊称について

 『古事記』は

 「亦の名は大穴牟遅神と謂ひ、

  亦の名は葦原色許男神と謂ひ、

  亦の名は八千矛神と謂ひ、

  亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、

  併せて五っの名在り」という。

 『日本書紀』の一書は

 大物主神、国作大己貴命、葦原醜男、八千戈神、

 大国玉神、顕国玉神名を挙げており、

 《顕国玉神と大国主神》
 
  兵庫県宍粟郡一宮町須行名に鎮座する伊和神社は

 「延喜式」神名帳では伊和坐神社大名持御魂神社と

 記載されていた。

 その祭神が大名持御魂神ということになる。

 「大名持」は「大穴持」に近似するが、

 単に転訛させただけなのだろうか。

 どうもそうとは言えない。

 前に「雲」として挙げたヘブライ語の INN(enni) が

 「大名」となったと解釈でき、

 「大名持」は「雲持」でヤハウェ神に当たる。

 「御魂」の意味は字義通りで、
 
 出雲風土記出雲郡の神社名にある

 「御魂社」に対応する。

 日本古典文学大系は

 この社を「延喜式」神名帳の

 「出雲神社同社韓国伊太氐神社」としている。

 明らかにヤハウェ神が大国主神に

 習合されている様子がみられる。

 千家尊統の「出雲大社」はこの御魂社を大社東方の

 境外社命主(いのちぬし)社と主述べている。

 「命主」は「メイス」とも訓め、

 MTR(雨)であった可能性がある。

  大国主命の尊称について

 『古事記』は

 「亦の名は大穴牟遅神と謂ひ、

  亦の名は葦原色許男神と謂ひ、

  亦の名は八千矛神と謂ひ、

  亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、

  併せて五っの名在り」という。

 『日本書紀』の一書は

 大物主神、国作大己貴命、葦原醜男、八千戈神、

 大国玉神、顕国玉神名を挙げており、

 これまで既に大穴持命を入れて五っの尊称の

 解釈を述べてきたが、

 ここで「大名持命」を解釈した。

 残っている尊称は

 『日本書紀』の大国玉神と顕国玉神である。

 顕国玉神は『古事記』が

 宇都志国玉神とすることから

 「ウツシ」と訓まれている。

 「宇都」は播磨国風土記神前郡に載る

 宇智賀久牟豊富命の「宇智」と同じと解釈される。

 「ウツシ」はヘブライ語の「栄光、誉れ」を表わす。

 IZ(uz) の音写であり、「賀久牟」は「星」を表わす

 KVKhVB(kokhom) の音写で

 「ウツシ・カクム」は「栄光の星」となる。

 「栄光」は「ガド」の祖語 GVDVL に対応する。

 後に述べる静岡県清水市の「有度」は

 「宇止」と読まれるが、「有度」は uz を表わす。

 『日本書紀』の「顕」は本来「顯」字で、
 
 「あきらか」「あらわに」「あらわす」で、

 「おおやけにする」「明らかにする」

 「おもてむき(公式)にする」の字義であり、

 ガド族の性格を表徴させた用字である。
 
 国玉は国魂と同音同義であるから

 顕国玉神はイスラエルの神ということになる。

 「大国主」の大は ied(顕と字義において同じ)の
 
 「太市」などの「大」に依るものだが、

 ヘブライ語のガド族名を GVDVL(栄光) と近似した

  GDVL が「大きい」の意味であるので「大国」は

 「ガド族の国」を表わし、

 これがまた「大国主」の表記となったと考えられる。

 その起源は「大黒」であったが、

 「大国」へ転換された理由がここにある。
 
 「安来:十戒神社と祈り」で引用した

 申命記33章21の

 「讃えよ、ガドの土地を広げられる方を」は

 1955年版では

 「ガドを大きくする者はほむべきかな」

 となっており、詩句の韻を踏むため、

 ここに GDVL「大きい」が使われ、

 「大国」とはこの詩句を踏まえた上での

 捉え方と考える。

 これにて『記・紀』に表記された
 
 大国主神に対する

 全ての別称を解釈できたことになる。

 ヤハウェ神は大国玉国、顕国玉国となって

 大国主神に習合しているのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur