ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年4月7日日曜日
現存する邪馬壹の名と遺跡と文化遺産
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:14頁
《現存する邪馬壹の名と遺跡と文化遺産》
「現存する邪馬壹の名と遺跡と文化遺産」
仮に邪馬臺が正しければ、臺はダグかトで、
八代から南陸行1カ月に在る「女王の所都」の跡には、
ハマンダグかハマントという地名が遺っているはずだが、全然存在せず、
ハマンチだけだから、
そのチは臺ではなく「チ=市=壹」だったことが明確に把握できる。
しかもこれは地名の発音だけでは終わらない。
鹿児島神宮はもと正(しょう)八幡と呼ばれて全国の八幡社に君臨し、
静御前などで有名な「歩き巫女」を派遣し、八幡座という市(マーケット)を開き、
その管理人として座頭(ざとう)を任命し、検校(けんぎょう)などの「位(くらい)」を与えた。
これらがさらに楽市.楽座や、芝居、歌舞伎、曲芸、琵琶怯師、三味線(ゴッタン)弾き、
祭文語りなどの宗教芸術や、舞踊や生け花などの家元制度を生んだのである。
お節句の雛人形をイチマ、
貴族女性の笠を市女(イチメ)笠と呼ぶのも全て、
壹国(イチマ)の実在証明なのだ。
卑弥呼の侍女千人は、
こうした信仰と流通経済と娯楽に至るまでの、
古代先進文化の教師=仏教宣布団の有髪(うはつ)の尼僧=優婆畏(ウバイ)であり、
それは神功皇后と結婚した仲哀天皇が、
アソカ王の派遺したソナカ仏教宣布団の継承者であり、
皇后がウバイド以来の女王制統治者、
優婆畏(ウバイ)王であり慈悲救世の観世音菩薩=鬼道の教皇だった。
これはウバイド文明とその世界教化政策による統治と
遷都の実態を目の辺りに見せる「本当の生きた歴史」だったのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2013年4月6日土曜日
大和説を徹底否認する遷都記事と遺跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:13頁
《大和説を徹底否認する遷都記事と遺跡》
「大和説を徹底否認する遷都記事と遺跡」
卑弥呼の遷都は、近親である高句麗王・位宮や、
それまで保護者として畏敬してきた公孫氏が、
次々に魏に侵略され国を奪われた惨劇を身近に感じた卑弥呼が、
切迫する戦禍対策として打った対魏親善外交と表裏一体をなす、
他に選択の余地のない非常行動だった。
これは彼女の女王国が朝鮮半島と隣接していたためであって、
はるか東方の奈良が都だったのなら、
遠く離れた朝鮮で何が起こっていようと、
七万戸=百数十万人もの人々 を、
はるばる水行10日、陸行1か月もの遠距離へ
大変な苦労を重ねながら大移動させる必要はない。
だから『倭人章』が書く彼女の遷都は、
都が九州で、絶対に奈良ではないという証拠である。
『倭人章』はその遷都を詳細に記録している。
それは梯儁の拜仮が伊都時代を記録。
張政の水行10日が八代を記録。
陸行1 カ月が隼人・国分を記録。
そこにウワイ=「倭」という国名への邦文の当て字「上井」が、
今もなお地名として残っているのだ。
さらに「女王の所都」と張政が書いた「邪馬壹国」の名もまたそこに残っている。
邪馬壹は唐代以後は読み方がヤマイチと変わり、
ヤに八、マに助詞のンが付けられて幡、イチも市の字が当てられて
八幡市(はまんち)という宗教商工都市として栄えた。
そこには今もそのままハマンチ(浜之市)という地名が遺り、
最古の八幡宮である元「大隅一之宮」=鹿児島神宮が遺っている。
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2013年4月5日金曜日
都は卑弥呼の2都と壹與の邪馬壹との3都
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:12頁
《都は卑弥呼の2都と壹與の邪馬壹との3都》
「都は卑弥呼の2都と壹與の邪馬壹との3都」
これで張政が八代を女王国と報告した事実が確定した。
その八代の南、陸行1 カ月の地に、卑弥呼の死後、邪馬壹国が誕生したことも確定した。
だがこの問題はこれで終わりではない。
梯儁が正始元年に倭国に詣り、
女王卑弥呼に拜仮=面接して魏帝の詔書と贈り物を手渡している。
彼はどこで卑弥呼と会ったのか?
彼は郡使の一人だから伊都国に駐ってそれ以遠には行かない。
だから伊都で会つたのである。
梯儁は、正始元年には伊都が女王国だったと報告し記録したのである。
卑弥呼が都していたのは、伊都であって奈良でないことが明確に書かれている。
仮に卑弥呼の都が邪馬臺国という名だったなら、
それを伊都国と書くことは絶対にないから、
卑弥呼は絶対に邪馬基の女王ではない。
大和説はこれでも成立しない。
『女王の所都』
また邪馬壹国は女王の所都だと書いてある。
その都が何故?不明だと思ったのかがこれで判った。
それは二人の郡使が書いた記録は真実だが、
女王も所都も、あっという間に移動し、変り、改名してしまったのに、
その別々 の記事を一人の筆者が書いた記事だと錯覚した連中が、
筆者の異なる記事を分類することさえできずに、
女王の所都はーか所だと思い込んで都は邪馬臺で大和で奈良だと主張した。
この無知きわまる説が大和説なのだ。
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「スメル(シュメール)文明」
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2013年4月4日木曜日
箸墓の名の究極の意味と埴輪
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:11頁
《箸墓の名の究極の意味と埴輪》
「箸墓の名の究極の意味と埴輪」
その築造の経緯も「三国史記」の記事で、
百済・蓋鹵王すなわち仁徳天皇系の倭王・興=安康天皇が
高句麗の間者・道琳の口車に乗せられて造り、
国力を消耗して身を滅ぼした事情が詳細に判っている。
このことはハシの語源の長谷・泊瀬は、
蓋鹵王の所領「百済=ハッセイ⇒ハセ」で、
その大隅訛りが「ハシ」であることを、
さらに重ねて証言しているから
それは前方後円という新型式の代名詞「百済墓」だったのが、一番有力な真意である。
古墳には埴輪が置かれている。
それを造り、古墳を造営した豪族が土師氏である。
これらの名詞群はもとは同じものだと判るが、以上のどれ一つを取っても、
箸墓は3 世紀の卑弥呼の墓ではありえない。
『箸墓の埴輪』
それを暖昧な伝承でなく、
大量に残っていた遺物でさらに証明するのが埴輪である。
箸墓は昭和50年代の始めに実施した陵墓補修で筒型をした埴輪が大量に発見された。
この特殊土器埴輪は吉備で発生後、
かなりの時を経て畿内に伝わったことが確認されでいる。
ところが『日本書紀』垂仁28年と32年に、
皇弟・倭彦命が亡くなったとき殉葬者たちの叫びが煩いため、
土器で人型を作った殉死者の代用品=埴輪が発明されたとあり、
卑弥呼のときにはまだ埴輪はない。
しかも出土したのは人型埴輪でなく後世の特殊土器埴輪なのだ。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
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2013年4月3日水曜日
箸墓で大和説完敗、再燃は絶対にない
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:10頁
《箸墓で大和説完敗、再燃は絶対にない》
「箸墓で大和説完敗、再燃は絶対にない」
私たちはすでに大和朝廷は、
高市に入った倭王・武=雄略天皇以後の朝廷だと知っている。
その都は泊瀬の朝倉の宮(紀)・長谷の朝倉の宮(記)。
この天皇の名乗りは大泊瀬の幼武(紀)・大長谷の若建(記)。
また武烈天皇は小泊瀬の幼鶺鴒(紀)・小長谷の若雀(記)。
大はオオで倭と同じ、小もオで同じ、文字は区別のため変えてあるだけだから、
どちらかのハセと考えていいし、
またこのハセは百済への当て字なのだから、
百済を名乗りにもつ人の墓と考えてもいいが、
百襲はハソでハセとは読まないから、ハソバカでないといけないが、
ハセなら沖縄大隅語で「ハシ」と発音するから「箸」と当て字する人もある。
また古墳を造成し、管理した部族は土師氏だから、土師をハシと呼んだ可能性もある。
箸墓古墳の名はこれらのハシ以外に考えられないが、
この名の由来を訊ねられた物知りが、
地元の伝承「大三輪伝説」と結びつけて、
自殺の道具に箸を使ったから「ハシバカ」という名がついたのだ。
とコジつけたものが、
百襲姫=卑弥呼の自殺を説明する定説だということになり、百襲姫の墓と盲信された。
しかし箸墓は前方後円墳だから
直径ではなく縦はいくら、横はいくらと書く必要があるのに、
卑弥呼の墓は「径百余歩」とあるから円墳だ。
箸墓はその前方後円の姿で、
仁徳大仙陵に始まる4~5世紀古墳群の一つだと告白している。
《スメル(シュメール)文明》
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2013年4月2日火曜日
大和説誤信の元凶『箸墓』と張政の知識
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:9頁
《大和説誤信の元凶『箸墓』と張政の知識》
「大和説誤信の元凶『箸墓』と張政の知識」
この事実は、「邪馬壹国」という名を記録したのは、
その国の誕生当時に伊都に駐在していた張政だということを確認させた。
それ以前にはなかった国であり、国名なのだ。
これは邪馬台国論争に決定的な判決を下して、再論の余地はない。
もう一つの大和説の拠り所は箸墓の存在である。
その墓を卑弥呼=百襲姫が奈良に居た証拠だと考え、
当然そこはヤマトと呼ばれていたのだから
「邪馬臺(ト)」と書かれていなければならない。
「邪馬壹」は絶対に間違いだ! と信じて疑わなかったからである。
だが現実に郡使として伊都に滞在して邪馬壹国の誕生を眼のあたりにした張政は、
水行十日と明記して八代からが女王国だと報告した。
彼ははるか東の奈良なんか知りもせず、またヤマトなどという地名も実在しなかった。
あったのは彼の滞在の末期に新たに生まれた、
殺馬、位宮、壹與、伊支馬などの名の元になった領土「壹国」が、
女王国を意味する方言に当て字された「邪馬(ジオマ)」と結びついた
生れたての「邪馬壹」という新しい国名だけだったのである。
どこからみても邪馬臺国も、奈良の卑弥呼女王国も、絶対に存在し得ない。
では大和説を生み、
強く支えたかに見えた誤認悲劇の元凶
「箸墓」とは一体?何なのか?
これにも動かない完全な結論を出しておく必要がある。
《スメル(シュメール)文明》
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八代以南が女王国。邪馬臺国はその首都の名
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:8頁
《八代以南が女王国。邪馬臺国はその首都の名》
「八代以南が女王国。邪馬臺国はその首都の名」
『倭人章』の記録者は八代からが女王国だと明記しているのである。
これは「大和説」だとどうなるか?
牛津から東に千五百余里の地域は大分県の豊前で、
その辺りに耶馬渓があるから、邪馬台国=耶馬渓説が出来上がるが、
大和説は水行も、距離も、地名も、地理条件も、全てダメである。
これはやはり「東行 至 不弥国」のプーミは豊前の沖縄発音であり、
それが牛津から百里の位置が国境だるとすると、丁度そこに久留米がある。
クルメはクーミ、プーミと方言変化するから、
そこからが不弥国だという考証は完全になる。
ついでに言えば「東南 至 奴国 百里」は
佐賀県の首都・佐賀市一帯に当たることになるから、
これまた3 世紀に2萬余戸あった大都会の子孫に相応しい。
すべて決定的な条件が備っている。
在来は「女王国=邪馬台」だとしていたから八代も「八マ代」に見える。
これでも九州説の勝利には違いないが、
陸行1カ月残ってしまうから結局納得できない。
何故?こんなことになるのか?
それは「女王国は邪馬台国ではない」という
最重要要件を認識していないためである。
女王国は総称で首都名とは別、
それも邪馬台国ではなく壹與新政権誕生以後に生まれた
新しい国名「邪馬壹国」であって、
卑弥呼時代には存在しなかった。
だから張政は卑弥呼と壹與時代を区別せず、
その領域を総称して「女王国」と呼んだのである。
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