ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年12月7日金曜日
「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:6頁
《「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教》
「「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教」
そんなものを言語を用いて古代史の謎を解くからと称して、
私たちの言語復原史学同様の学問だと宣伝されたのでは、
迷惑も甚だしい。
無知な人は区別がつかずに、
言語復原と聞いただけで軽視する人が増えるからである。
ここに取り上げてお話しした例は、誰でも明瞭に黒白が判るので、
機会があればご活用を賜わりたいと思って、ご覧いただいた。
しかし、
そんなことに気付かない著者は、
「秦氏景教徒説」の先輩、
東京文理科大学の佐伯芳郎教授の説を引用して自説を主張するので、
それを見ていって頂きたい。
景教とは初期キリスト教のネストリウス派を指す中国名である。
431年と451年に行なわれた2度の教義会議の論争で、
「父と子と聖霊は三位一体の神だ」と主張する
主流のアタナシウス派に、
「いや、イエスは神であり、人である」と対立して、
負けて追放された宗派である。
シリヤに逃れ、イランに移り、
シルクロードを通ってインド・中国まで布教した記録が残っている。
中国には「大秦景教流行中国稗」という遺物があり、
唐代の635年に景教が伝来し、
3年後には教会堂が建てられたと書かれている。
この大秦は当時の中国でのローマの呼び名だから、
秦氏が大秦でもローマ人しか意味しない。
景教なら景はキーで
キリストのキリであるが、
秦氏一族は景教を示す何物ももってはいない。
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
《パーリ語辞典》
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2012年12月6日木曜日
ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:5頁
《ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」》
「ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」」
『新撰姓氏録』の「左京諸藩・太(うづ)秦の公宿弥」の条と、
「右京諸藩・秦の忌寸」の条と、
「山城諸藩・秦の忌寸」の条などに、こう書いてある。
「秦の公・酒は功満王の三世孫(または弓月の君の孫・普洞王=浦東君の男=子息)だ。
雄略天皇の御代、普洞王のとき秦民が劫略に遇い、
今はその十分の一も現存しない状態なので、秦の公・酒は天皇に、
実状を点検して召し集めて戴きたいと請うた。
天皇は聴き入れて、小子部(チイサコベ)の雷(イカツチ)に、
大隅阿多隼人らを率いて捜査し、
集めさせた結果、
秦氏の九十二部、一万八千六百七十人を回収して、酒に賜わった。
酒はその人々に養蚕をさせ絹織物を織らせて、朝廷に運び、
丘のようにうづ高く積み上げたので、
天皇はことのほか酒を御寵愛になり、
禹都万佐(ウツマサ)という号を賜わった。
そのため酒は一層秦の民たちを督励して、
長谷朝倉の宮の皇居のそばに八丈蔵を増築し貢ぎ物を納めた。
これが大蔵の初めで、酒が初代の大蔵大臣を勤めたのである」
と複数の記録が残っている。
ウズマサは大秦や太秦という名詞とも、
文字とも何の関係もない全く別の形容詞に過ぎない。
それを『日本書紀』の記事すら知らずにいて、
古代ローマの中国名である大秦に結び付けるのは、
誰が考えても許されることではない。
《パーリ語辞典》
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2012年12月5日水曜日
ウズマサの意味まで説明してある『書紀』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:4頁
《ウズマサの意味まで説明してある『書紀』》
「ウズマサの意味まで説明してある『書紀』」
『日本書紀』
「雄略天皇十五年」秦の民が分散。
臣・連らは各々勝手に駆使し、秦の造(みやつこ)に委せなかった。
秦の造・酒は、それを甚だ憂えつつも、天皇に仕えていたので、
天皇はそれを褒めて、秦の民を集めて酒の公に賜わった。
酒の公は百八十部族の長・勝(マサ=優れたものという意味)たちを率いて、
庸調(貢ぎ物)の絹織物を高く積み上げるほど献納した。
それを愛でて天皇は『禹豆麻佐・ウヅマサ』という姓(かばね)を賜わった。
あるいは禹豆母利麻佐・ウヅモリマサともいうのは、
「うづ高く」、「埋まる程に盛り上げた」
という形容詞プラス「勝」である」と書いてある。
ご覧の通りウズマサとはどういう意味かという説明が、
疾(と)っくに詳しく書いてある。
補足すれば、
ウズマサとは酒がどんなに富裕(太く)で忠義な勝かを
強調した形容代名詞=渾(あだ)名なのである。
だがこの話は、
『姓氏録』はさらに詳しく記録されているから、
今さら、語源などを探すような対象ではない。
そこには『書紀』が引用した元の記事がある。
これは『書紀』の編集者が、どんなふうに資料を粉飾したり、
省略したりしたかを具体的に教えてくれ、
また斬定的に立証できる史実が記録されているので。
本学にとっては高度の教科になる。
次に訳して引用するので、
細部によく注意しながらお読み頂きたい。
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2012年12月4日火曜日
太秦が何故ウズマサか、知らない著者
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:3頁
《太秦が何故ウズマサか、知らない著者》
「太秦が何故ウズマサか、知らない著者」
人権問題を犯すので名は挙げないが、
今回のテレビ番組のヒントになったある著書に次のような論文がある。
(ほぼ原文のまま)
「その秦の字を持つ京都の地名に「太秦」(うずまさ)がある。
-中略- れっきとした秦氏の族長の名を当てた地名なのだ。
しかし、この太秦という呼び名は、
どう漢字を引っ繰り返しても「ウズマサ」とは読めない。
なのに、そう発音するのはなぜなのか?
一番最初に考えるのが、何かの当て字ではないかということだ。
-中略- しかし、それでも太秦をウズマサとは絶対に読めないのだ。
これは一体どういうことなのか?
こうなれば、まず太秦と同じ漢字をユーラシア大陸で捜すしかない。
なぜなら秦氏は渡来人であり大陸から渡ってきたからである。
すると、古来から「大秦」と書く国が、歴史教科書の中から見つかった。
日本史ではない。
世界史の教科書の方である。
前述したとおり、太と大は同じ意味をもつため同じ漢字と見てもよい。
では太秦とはどこなのか。
古代ローマ帝国のことである!」。
この著者は
ウズマサと発音する理由を知るのに苦労をしたと長々と前書きしているが、
これで充分、著者の程度が判るという例として、
お話ししておく必要があると思う。
《パーリ語辞典》
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2012年12月3日月曜日
ユダヤ人19万人は本当に日本へ来たか?
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:30頁
《ユダヤ人19万人は本当に日本へ来たか?》
「ユダヤ人19万人は本当に日本へ来たか?」
ここまで書いたとき本学教授の梅沢稔先生から、
テレビ新番組「歴史ミステリースペシャル」の
「ユダヤ人19万人が日本へ来たのか」が
ご興味を惹いたと内容をお教え戴いた。
紀元前6世紀の滅亡時、10部族が行方不明。
仁徳期に秦河勝が7千戸を連れて来たが、景教徒と記されている。
彼の木之幡神社にはユダヤ教で手足を洗う池が現存し、
赤穂の大避神社はダビデを意味し、
その古井戸はユダヤ教通りの12角の石組であり、
秘宝の面は鼻の大きい天狗のような面。
出演した雅楽の東儀氏は
「私たちは秦氏の子孫であることを誇りに思っている」と言い、
駐日イスラエル大使も
「日本語と慣習、文化に共通性が多いのに驚き、
来春、日本人のDNA鑑定をする」という。
他に津軽の西北沖や西表島の西南沖に沈む1万年前の石造物遺構にも魅せられた。
余りに興味があったので知らせたというお手紙であった。
この問題は、私も時々触れてきたが、
最近も沢口靖子の姓と容貌の関係や滋賀県の油日村とアブラヒムとの関係などを
お話しした記憶がある。
秦氏の問題は以前、保育社のカラーブックスで、
『日本人のルーツ』を出した当時、
全国のロータリーなどで講演した際に話した内容の一つである。
それが30年後の今、
テレビ番組になったというのは感無量である。
大学院講義録36は
このユダヤ人帰化問題を主題にお話ししたいと思う。
《パーリ語辞典》
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2012年12月2日日曜日
ユダヤ人19万人は本当に日本へ来たか?
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:30頁
《ユダヤ人19万人は本当に日本へ来たか?》
「ユダヤ人19万人は本当に日本へ来たか?」
ここまで書いたとき本学教授の梅沢稔先生から、
テレビ新番組「歴史ミステリースペシャル」の
「ユダヤ人19万人が日本へ来たのか」が
ご興味を惹いたと内容をお教え戴いた。
紀元前6世紀の滅亡時、10部族が行方不明。
仁徳期に秦河勝が7千戸を連れて来たが、景教徒と記されている。
彼の木之幡神社にはユダヤ教で手足を洗う池が現存し、
赤穂の大避神社はダビデを意味し、
その古井戸はユダヤ教通りの12角の石組であり、
秘宝の面は鼻の大きい天狗のような面。
出演した雅楽の東儀氏は
「私たちは秦氏の子孫であることを誇りに思っている」と言い、
駐日イスラエル大使も
「日本語と慣習、文化に共通性が多いのに驚き、
来春、日本人のDNA鑑定をする」という。
他に津軽の西北沖や西表島の西南沖に沈む1万年前の石造物遺構にも魅せられた。
余りに興味があったので知らせたというお手紙であった。
この問題は、私も時々触れてきたが、
最近も沢口靖子の姓と容貌の関係や滋賀県の油日村とアブラヒムとの関係などを
お話しした記憶がある。
秦氏の問題は以前、保育社のカラーブックスで、
『日本人のルーツ』を出した当時、
全国のロータリーなどで講演した際に話した内容の一つである。
それが30年後の今、
テレビ番組になったというのは感無量である。
大学院講義録36は
このユダヤ人帰化問題を主題にお話ししたいと思う。
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2012年12月1日土曜日
フェニキヤ人来住は史実だという証拠群
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:28頁
《フェニキヤ人来住は史実だという証拠群》
「フェニキヤ人来住は史実だという証拠群」
その「フェニ キ」が、
もう一方では「船木=フナキ」という姓などの名詞になっている。
これはキ音があるので沖縄以外の土地のものである。
南九州には「無い」を
「ネ」と言う土地と、「ナカ」と言う土地とがあった。
今では様々な言葉が混用されていて、
どこのものか断定できないが、
山根と山名という姓があり、
鹿児島県に阿久根、大根占があり、
熊本県に玉名市があるから、
フナは熊本語とみても大きな間違いはない。
それはさらに次の事実を証言している。
それは名詞語尾の「キ」は
イサナキのキと同じで王称だということである。
だからフナキは船王(キ)であって、
海人王を意味していたのである。
『住吉大社神代記』には
船木 連(むらじ) 宇麻呂は
神功皇后に舟を造って奉ったので、
船木姓を賜わったとある。
その所領の船木村は播磨の国、明石郡にあり、
遠祖は大田田根子の児、神田田命とあるので、
彼はインド経由で来た一族だったことが解る。
カンダタという名は、
有名な仏教説話『蜘蛛の糸』の主人公の名である。
スサノオはフェニキヤのスリランカ拠点から、
カンダタという名のインド人を乗せてわが国へ発たのである。
神田田命は所領・九万八千町余の大富豪だったともあるから、
フェニキヤ流の経済学は、ずっと後世まで健在であり、
また履中天皇の妃・太姫郎姫(いらつめ)と高鶴郎姫との父が
フナキワケ王と読める名をもっている。
これらもフェニキヤ人の来住が史実だったことの不動の証拠なのだ。
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