2012年3月7日水曜日

高・コウ。皇・ク。産・ウ。霊・リ=高句麗



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:11頁

 《高・コウ。皇・ク。産・ウ。霊・リ=高句麗》
 《高・コウ。皇・ク。産・ウ。霊・リ=高句麗》

 本題に戻ると、これで大国王は絶対に「俀国王」ではないことが決定的になった。

 ダイ国という、そんな国も呼び方も我が国には実存しなかったのである。

 しかし大国主は「ダイコクサマ」と呼ばれる。

 これはなぜなのだろう?。

 これは大黒様と書くので、

 インドの神・マハー(大)・カーラ(黒)=仏教の天部の大黒天のことだとすぐわかる。

 鋭く対立している宗教どうしの間では、こんなことは絶対に起らないから、

 こんな各で呼ばれた大国主が、仏教系の王だったことは間違いない。

 その仏教はソナカを名乗る王が引き連れた仏教宣布団が、

 弥生時代に我が国まで来て、

 ソナカ王子が卑弥呼と結婚して、

 仲哀天皇と神功皇后とになり、

 その経緯が天の稚彦の物語りとして

 『記・紀』に記録されたこともよく御存知である。

 『日本書紀』は稚彦の死後をこう書いている。

 *『この後、高皇産霊尊は更に諸神を会して、

   葦原中国に派遺する者を選ぶ。

   …経津(これは賦都と発音せよ)三神がよかろう。
 
  …甕速日神、その子・熯速日神ー」*

 これをよく見ると、

 高皇産霊は

 高・コウ。皇・ク。産・ウ。霊・リ=高句麗。と読め、

 速日はソカ=蘇我と読める。

 そして蘇我は助詞ナを省略した当て字で、

 本来は蘇奴我(ソナカ)=息長(ソナカ)・足中(ソナカ)と

 同じ発音のソナカに対する

 当て字だったことは、もうよく御存知のことである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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2012年3月6日火曜日

五彩圏を崩壊させた蘇我入鹿と、本講の思考法



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:10頁

 《五彩圏を崩壊させた蘇我入鹿と、本講の思考法》
 《五彩圏を崩壊させた蘇我入鹿と、本講の思考法》

 これは五彩圏が大化の直前まで実在したこと。

 それがで崩壊したこと。

 大化大戦(乙巳の変)を証明し、『日本書紀』が何故?蘇我入鹿を眼の仇にしているのか?を教えてくれるが、

 それらは後で詳細に検討することにして、今は本題に戻らねばならない。

 残る「多弗利」は「タフトイ」の沖縄発音「タフツイ」を

 中国人が当て字したものによく合う。

 これだと「尊い」で「入鹿津見尊」。

 皇族の名の後に「尊・貴」の字があるのは何故?という謎も氷解する。

 蘇我の入鹿の実体は、俀国と誤記された王朝の太子だったのである。

 こうして少しずつジワジワと当時の真相が確実な史実になって見えてくる。

 これでないといけないのであって、「大国主は誰か?」という問いに対して、

 すぐ「〇〇〇だ」と、いきなり答えることは絶対にできない。

 仮に答えてみても答は間違っていて、全てが無駄である。

 その逆にこの国のお話は、

 最初は少し無駄かなと思われたかも知れないが、

 今は不可欠だったことが、よくお判り戴けたはずである。

 本講はこうした思考法を、徹底してお教えするのが目的である。

 これは興味本位の大量生産本とは根本的にちがうので、

 それに比べると1ページ当たりの単価は高いが、

 内容は現世界の最高水準にあることは明瞭で、

 エリートだけの超高級講座なのである。

 このことがご理解戴けないようでは、「大学院」の名が泣く。

 『参考』
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2012年3月5日月曜日

誤訳の大害。俀(ダイ)国の太子は蘇我入鹿



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:9頁

 《誤訳の大害。俀(ダイ)国の太子は蘇我入鹿》
 《誤訳の大害。俀(ダイ)国の太子は蘇我入鹿》

 この訳者は、為の字は「為(な)す」と読むのだとしか知らず、

 それを名詞への当て字から取り去ってしまい、

 まるで何のことかわからない訳にしてしまった。

 この訳者はこれだけでなく、

 『魏志倭人伝』の部分でも至る所でひどい訳をして、

 それを盲信した者がさらに曲解して、無駄な邪馬台大論争の種を撒いた。

 こんな出版は文化事業ではない実例として、格好の題材なのである。

 では「為」はどう読まねばならないか?。

 それは、この名の最も重要な発声部分だから、それを加えて読めば、

 これまで疑問とされてきた謎は、即座に氷解する。

 「為・イ、利・リ、歌・カ、弥・ミ、多・タ、弗・フツ、利・リ」。

 この名は隋の文帝の時代に高い地位にあって崇峻天皇を殺し、

 それが引き金になって新羅の金春秋が唐と組んで高句麗と半島百済を滅ぼした

 大化大戦(乙巳の変)にまで発展させた張本人、

 『三国史記』の高句麗本紀には「泉・蓋蘇文」とあり、

 これを『日本書紀』は「伊梨柯須弥」と注記しているが、

 実は「入鹿津見」を「入霞(イリカスミ)」と発音したもの、

 に対する当て字で、その正体は蘇我の入鹿として有名な人物である。

 このことは「入鹿津見」の津は助詞だから省略して

 「為・イ、利・リ、歌・カ、(津・ズ)、弥・ミ」になっているのであって、

 斐世清は八幡浜市で「皇子」の彼を知って、

 実在者として報告書を書いているのである。

 『参考』
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2012年3月4日日曜日

明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:8頁

 《明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?》

 《明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?》

 では都はどこにあったのだろう?。

 『隋書』は「邪靡堆に都する」と書いている。

 隋唐音では「邪」はヤ。

 「靡」はハイで「ハ」への当て字。

 「堆」はタイで「タ」への当て字で、ヤハタなのである。

 宇和町の北には海に面した八幡浜市がある。

 『隋書』はそれを「魏志の、いわゆる邪馬臺だ」と書き添えているが、

 これはヤハタとヤバタとで同じ都だと、早とちりしたことの証拠である。

 注意が必要なのは「ヤマト」とは読んでいないことである。

 「靡」にはハイ・ヒの音はあるが、「マ」の音は絶対にない。

 また「堆」にはタイ・ツイの音ならあるが「ト」の発音はない。

 「邪靡堆」は、どんなにしてもヤマトとは読めないのである。

 では、太子「為利歌弥多弗利」の名は誰を意味するのだろう?。

 岩波文庫の解説では

 「不詳。事実は聖徳太子をさすわけである。

  和歌弥多弗利(ワカミタヒラ稚足)とでも解すべきか。

  ワカミトホリ(若い御世嗣)の説もある」(昭和40年版)。

 1990年版では

 (和歌弥多弗利か。ワカミタヒラ・稚足、

  ワカミトホリ・若い御世嗣、ここでは聖徳太子)とある。

 この訳者は原文の「名太子為利歌弥多弗利」を

 「太子を名づけて利歌弥多弗利と為(な)す」と訳している。

 他の場合は「姓・阿毎」「字・多利思比孤」だから、

 これも「名・太子為利歌弥多弗利」である。

 「為」は当て字で、絶対に「〇〇〇と為す」とは読めないのである。

 『参考』
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2012年3月3日土曜日

四国にあった「俀」国の決定的証拠群



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:7頁

 《四国にあった「俀」国の決定的証拠群》
 《四国にあった「俀」国の決定的証拠群》

 ついでにお話ししておくと、この「ダイオー」は、

 あくまで中国人向けの代名詞であって、

 こちらで日常、使っていたのではないことも、その『隋書』に書いてある。

 そこには

 「倭王、姓は阿毎(アメ)、字(あざな)は多利思比孤(タラシヒコ)、阿輩鶏弥」

 と呼ばれると書いてある。

 阿輩鶏弥の輩はファイで「フ」、鶏はケイで「キ」への当て字だから「アフキミ」、

 今なら「オーキミ」だ。こちらでは普段、「大君」と呼んでいたのである。

 すると「大=倭」だから、「倭君」でもあった。

 それはまた阿輩と阿波が共に「アファ」=「オー」であり、

 そこに君臨した仁徳天皇の「倭讃王」が倭オー・讃ササ・王キ=大雀であり、

 倭=オー=ウ・讃=サ・王=ギで、兎とも呼ばれたことも教えてくれる。

 この天足彦(アメタラシヒコ)天皇は、

 倭=宇和(愛媛県)から倭=阿波(徳島県)の領主で、

 どれをみても「四国の王として君臨している」という名乗りの持ち主なのである。

 それを『隋書』の次の正史『旧唐書』は

 「倭国は…東西・五月行。南北・三月行」という長方形で表現しているが、

 これは東西南北が皆、区切られていることが重点で、

 日本列島には四国以外に、これに該当する地域はない。

 まさか聖徳太子が四国にいたとは…?とお疑いの方は、

 当時の天皇たちが道後温泉利用した

 『日本書紀』の記事をお読み戴きたい。

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2012年3月2日金曜日

なぜ?架空の「俀」が出現したか?



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:6頁

 《なぜ?架空の「俀」が出現したか?》
 《なぜ?架空の「俀」が出現したか?》

 そこには、ほとんど太子当時の官制そのままのものも記録されているし、

 以後も国使らが往復したことが記録されているから、

 それが我が国の中央政権であったことは間違いないと考えられるが、

 肝心の国名が倭でなく俀(ダイ)なのである。

 岩波文庫本などは頭から倭を間違えてと書いたとして済ませているが、

 これはそんな粗雑な扱いで済むものではない。

 この答を出すのは、そんなに難しいことではなく、ごく手短かに済む。

 それはなぜ国名を「ダイ」などと発音したのか?、

 その理由がわかるように記事が書かれているからである。

 こちらからの遣使が隋の都・長安の王宮に着き、

 高祖・文帝に政務の執り方を聞かれて、

 こう答えたと書いてある。

 「使者言う。俀王は天を以て兄となし、日を以て弟となす云々」。

 よくご注意いただきたいが、使者が「俀王」と発音したのである。

 彼は自分の王を、隋の人々向けには「ダイオー」と呼んでいたから、

 「ダイオーは……」と答えたのである。

 それは隋の煬帝はヨウダイで、

 隋の発音では大王も帝王も「ダイオー」だったからである。

 それを側で速記して記録した役人が「俀王」と書き、

 それを敬称代名詞だとは思わずに、

 俀という国の固有名詞だと思いこんだ記録編纂官が、

 国名として他の部分にも使ったために、

 俀国という実在しない架空の国名が、

 中国の『正史』の記録に残ってしまったのである。

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2012年3月1日木曜日

出雲の実体は出水。大国は倭国か俀(ダイ)国か?



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:5頁

 《この出雲の実体は出水。大国は倭国か俀(ダイ)国か?》
 《この出雲の実体は出水。大国は倭国か俀(ダイ)国か?》

 この日子穂穂手見命は「海幸山幸」の山幸彦で、山幸彦は隼人だから、

 その生活圏は、日向以南で本州とは全く関係がない。

 そして東征に出発する前の神武天皇も

 同じ日子穂穂手見命という名乗りを世襲しているから、

 これが本州の地名の名乗りだとすると、神武東征は成立しない。

 だからこの名乗りは「日子=日向(こう)」

 「穂=百済=長谷=種子島=穂手見=穂出見=穂積=

  倭百済(オホスミ)=大隅=倭隅(イスミ)=出水(イズン)」と、

 どこまで行っても鹿児島県下を指している。

 この出水はギリシャ海軍の守護神・ポセイドンを百済(ポセ)・出水(イヅン)と

 当て字したものの後半分で、

 これが倭済(イズン)→和泉→出雲(イヅン)と本州に拡大、

 分布していったことも確認ずみだから、

 『記・紀』の書く「出雲」は南九州の出水のことだとすると、

 以上の矛盾点が全部消えるので、

 これが正しいという証明になる。

 (加治木義博著『邪馬臺国の言葉』参照)

 しかし南九州が何故?大国なのか?。そこは倭国の中心だった時代がある。

 倭は南支音でゥオまたはゥオーだから、オーと聞こえる。

 大国と当て字しても不思議ではない。

 これには別の中国『正史』の記事も証拠になる。

 それは『隋書』が倭国でなく俀(ダイ)国と書いている事実である。

 それには文林郎・斐世清が聖徳太子時代に来朝した記事もあるから、

 ダイ国が実在したことは疑いない。

 ダイは大だから大国と自称していた国が実在していたらしい。

 『参考』
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