2011年12月7日水曜日

記録者が異なると生まれる別伝のサンプル



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:9頁

 《記録者が異なると生まれる別伝のサンプル

 このリストは卑弥呼の「○記録の分散を示す一覧表」である。

 孝霊天皇の皇女として生まれ、垂仁天皇の代まで生きていた女性なのだから、

 それ以外の年代に書かれているのは史実ではない。

 この多くの別伝は、記録した人々(卑弥呼時代の国)が違うための産物。

 時代    別名      実在 夫の名     備考

 神代    天照大神    Ⅹ         光華明彩のほう

 神代    下照姫     Ⅹ 天稚彦     天孫降臨の準備期

 孝霊天皇代 倭迩迩日百襲姫 ○ 彦五十狭芹彦  系譜

 桓霊の間  卑弥呼女王   ○ 夫婿なし    160年から168年頃に共立

 正始8~9年 親魏倭王    ○ 夫婿なし    247年から248年に死ぬ

 崇神天皇代 比売語曾の神  ○ 都怒我阿羅斯等 ツルカルニン

 垂仁天皇代 麻多烏     ○ 天日槍     ソナカ遍歴の別伝

 仲哀天皇代 息長帯比売   Ⅹ 仲哀天皇    多くの別伝と同時代のもの

 神功皇后代 息長帯比売   Ⅹ 仲哀天皇    壹與の記事が混入

  『社団法人 日本オリエント学会』

 『ウバイド』

 『フェニキヤ』

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 出典:小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』

 出典:Category:Mesopotamia - Wikimedia Commons
 『Category:Mesopotamia』

 『参考』
 歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

 オックスフォード大学東洋学科シュメル文学

 シュメール古代史:Ancient Sumer History in Mesopotamia

 『テル・コサック・シャマリ』

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2011年12月6日火曜日

『魏書倭人章』の真価は卑弥呼時代を定義したこと



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:8頁

 《『魏書倭人章』の真価は卑弥呼時代を定義したこと

 しかし、このまま興味本位に「『古事記』偽書説」に滑りこんでしまっては、

 本講の主題である『定義』から脱線してしまう。偽書説問題は簡単ではない。

 後にまわして、ここではこれまでの定義の価値を確認して、

 さらに定義を充実させるのが本題でなければならない。

 これで『古事記』が『日本書紀』を写したものだと定義できたから、

 安心して『日本書紀』に重点を置いて、

 この定義を確立させた「ソナカと卑弥呼記事の分散」が

 『魏書倭人章』の本当の価値を証明する事実を、

 よく印象に止めて戴けるお話をすることにしよう。

 歴史に関心の薄い人でも、

 戦後のいわゆる「邪馬台国ブーム」はご存じである。

 それほど日本人の関心は

 「邪馬台国はドコにあったか?」に集中していた。

 しかし『魏書倭人章』の本当の価値は

 「邪馬台国はドコにあったか」なんかではない。

 その最高の功績は、

 卑弥呼が「いつの時代の実在者だったか」を記録していたことなのである。

 卑弥呼は

 「後漢の桓帝と霊帝との間ごろに倭国の女王に共立され、A.D.248年に死んだ」。

 これがわが国の正史とされる『記・紀』ではさっぱりわからない。

 『魏書倭人章』があって始めて確認できたのである。

 だからこれも、卑弥呼とその別名による記録類が史実だと確認できる『定義』なのである。

 その定義がどんなに役に立つのか?、詳しくお話ししてみよう。

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2011年12月5日月曜日

ウソで満ちている『古事記』序文



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:7頁

 《ウソで満ちている『古事記』序文

 続けて安萬侶は「皇帝陛下(元明天皇)…和銅四年(711年)九月十八日を以て、

 安萬侶に詔して、稗田阿礼のよめる勅語の旧辞を撰録して献上せしめたもう。

 …併せて三巻に録して以て謹んで献上したてまつる。

 和銅五年(712年)正月二十八日…」と書いているから、

 その通りだとすると「憤然と書き変えさせた」のは

 天武天皇と元明天皇だったことになる。

 ところが、在来の学者は、天武天皇が、天武十年(681年)三月十六日に川島皇子らに、

 『帝紀』と『上古諸事』の編集を命じたのが『日本書紀』編集の始まりで、

 それが38年後の元正天皇養老四年(720年)五月二十一日に一品舎人親王が完成を報告した

 『日本紀』が、すなわち『日本書紀』の完成だとしている。

 これだと、天武天皇は『日本書紀』を見て怒るどころか自分が編集させ、

 しかも完成した『日本書紀』は知らないまま死んだことになる。

 だから天武・元明の両天皇は当事者ではないし、

 本当の『古事記』完成は720年より後になる。

 すると安萬侶の序文が青く和銅五年(712年)正月二十八日に

 『古事記』を献上したというのは、まるつきりのウソになる。

 『古事記』の実体は『日本書紀』への反発である。

 それは国名を日本と書くのを憎んで、

 すべて「倭」に直していることだけでも疑問の余地がない。

 だからその『古事記』の思想と合わない文言で書かれた序文はウソで満ちている。

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2011年12月4日日曜日

当時の深刻な政治情勢と国民感情の記録


『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:6頁

当時の深刻な政治情勢と国民感情の記録

「ナアンダ!『古事記』は『日本書紀』を写した焼き直しだったんだ!」

で終ってしまいそうなこの定義が、

実はもっと深刻な高度の思想的陰謀?!ともいうべき、

この書き直しを実行させた

A.D.720年当時の深刻な政治情勢と国民感情を記録していたのだ、

ということを、我が学会員の皆さんは、

権威にかけても見逃してはならないのである。

こう見ると、

『日本書紀』が完成してそれを読んだ人物が、

『日本書紀』の内容に我慢ができず、

「本当の歴史は、そんなものじゃない!」と、

憤然と書き変えた様子が眼に浮かぶ。

だから『古事記』が後でできたのは当然すぎるくらい当然で、

不思義など全くない。

天皇の数と順序が全く同じなのも、同じ歴史を訂正したのだとわからなければ、

書き替える意味がないから、これまた当然である。

ではいったい誰が?そんな書き変えをしたのか?。

『古事記』の序文には、天武天皇が、

「朕聞く、藷家のもてる帝紀および本辞、すでに正実に違い、多く虚偽を加うと」

といって稗田阿礼帝皇日継と先代旧辞を読み習わさせたが、しかし運が移り世が異なって、

その事を実行されなかったと書いてある。

天武天皇も書き変えを考えたが、実行はできなかったと明記してあるから、

書き変え実行者は天武天皇ではない。

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2011年12月3日土曜日

深刻な思想的理由が見えてきた『古事記』誕生の動機



『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:5頁

深刻な思想的理由が見えてきた『古事記』誕生の動機

これを、『古事記』が引用したのはこの部分だけで、

他は別だという考え方ができるように思う人もある。

しかし、すでに見たように天皇の配列が、

『日本書紀』『古事記』ともに、全く同一である。

ソナカ=仲哀天皇が、史実とは違った位置に挿入されているのに、

それも同一ということは、

『記・紀』のどちらかが、他方を複写しない限り、絶対にありえない。

ではどちらが、後から写したのか?。

その答がこの磤馭盧(インギョラ)と淤能碁呂が決め手になって確定した、

「『古事記』は『日本書紀』を複写したものだ」という定義を、さらに強く支える

「動かぬ決め手」なのである。

これでおわかりのように『古事記』が先か?

『日本書紀』が先か?という問題は、

本当は「どちらがどちらを写したか?」という問題だったのである。

どちらが撰上時期が早かったか?といった、

スポーツの勝敗のような単なる時間の前後をいう浅薄な問題ではない。

だからこれまでは考えられたこともない問題、「『古事記』はなぜ?

『日本書紀』と同じ歴史を、内容を変えて作り直す必要があったのか?

という深刻な思想的理由を新たに探求し直されなければならないのが、

この定義が要求する次の重要課題なのである。

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2011年12月2日金曜日

『日本書紀』の磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した『古事記』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:4頁

 《『日本書紀』の磤馭盧(インギョラ)を淤能碁呂と誤訳した『古事記』

 この重要な磤馭盧(インギョラ)という当て字を『古事記』は、

 磤(イン)とは石斧のことだと考えて、「オノ」と翻訳してしまい、

 馭盧(ギョラ)を「ゴロ」と勝手な読み方にしてしまって、

 淤能碁呂という当て字に書き変えている。

 これを在来の学者は、

 「おのずから凝ってできた島という意味」などと思いつきで解説して、

 それがもつ重要な本当の意味を滅茶滅茶にしてしまっているが、

 これはインギーラという卑弥呼仏教系のパーリ語の名が先にあり、

 それに『日本書紀』編集者が当てた磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ、

 淤能碁呂という当て字など絶対に生まれない。

 このときの伊弊諾・伊弉冉は伊邪木(イザナキ)和気=履中天皇と皇后だから、

 八幡大菩薩=応神天皇の孫で仏教徒である。

 巴利国から出たパーリ語人だから、帝都を

 インギョラ・インギーラと呼んだのは当然のことで、

 今なおそこには津名の地名が残って、生き続けている。

 これを逆にして見ても、

 淤能碁呂という当て字からインギョラ・インギーラという発音は絶対に生まれないから、

 天の御柱めぐりの寓話も生まれないし、

 津名という地名が生まれて残ることなど絶対にありえない。

 だから『古事記』は『日本書紀』を書き替えたものだ、ということは動かない。

 『日本書紀』の編集者が当てた磤馭盧(インギョラ)という当て字がなければ、

 淤能碁呂という当て字は絶対に生まれない。

 これが『日本書紀』が先にあって『古事記』はそれを写したものだという動かない証拠、

 すなわち「決め手」なのである。

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2011年12月1日木曜日

『定義』に最も必要な「決め手」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録23:3頁

 《『定義』に最も必要な「決め手」

 大学院講義録22で『記・紀』とは、仲哀天皇=ソナカの記事が動かぬ証拠で、

 「時間帯にルーズな、誤りに満ちた欠陥史書」だが

 「貴重な史実を集大成した、素晴らしい記録の宝庫」だという『定義』が得られた。

 これはもう今後、永遠に変わらない不動の定義である。

 それは一つの事件の記録が、飛び離れた時間帯に、

 全く別の事件のように編集されている事実が、

 反論できない「決め手」になっていて、

 どんなにしても否定も変更もできないからである。

 だから、こんな「決め手」がないと「定義」はできない。

 では『記・紀』には他にどんな「決め手」があるか見ていこう。

 『古事記』と『日本書紀』はどちらが先にあったか?という大問題がある。

 次はこれを『定義』してしまおう。

 伊弊諾(イザナキの)尊と伊弉冉(イザナミの)尊が『国生み』をしたとき、

 剣で海水を掻き混ぜて引き上げると、

 剣から滴り落ちた潮水が島になったという話の島の名を、

 『日本書紀』は「磤馭盧(インギョラ)」と書く。

 これはパーリ語の「インダ・キラ=帝柱」を、大隅語でインギーラ、

 薩摩語でインギョラと発音したものへの当て字で、

 2神が回った天の御柱の原語であり、

 今、淡路島に津名郡津名町という地名を残したパーリ語のツナ=柱も同じ意味をもつ、

 当時の淡路島だけを意味する独特の名詞で、

 『淡路島国生み』を象徴する、かけがえのない重要な地名なのである。

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