2010年10月14日木曜日

名乗りが物語る詳細な勝敗と政変

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:25頁

淡路島のほうはすでに実体が明らかな仁徳天皇系・倭の五王政権だった。

山陰経由の方もすでに明確になっている欽明天皇の高句麗系政権だった。

それは用明天皇の名乗りが

橘豊日で「但馬国の豊日(フジ)」を意味し、

その後、

長柄豊崎の宮に君臨した

天萬量日=天満の豊日(フジ)こと孝徳天皇につながる

名乗りになっていることも、また検討ずみである。

この豊日(フジ)が百済のフジで、

大阪府豊島(フジマ=フジ国=百済国(フジマ))郡に

その地名を残したこともまた、

よくご存じのことである。

これがあるから倭王・興は百済・蓋盧王の方が有名になったが、

彼が国を失った原因の巨大古墳群は、

朝鮮半島にはなくて大阪府にあるという厳然たる証拠の前に、

今では誰もこの解明史実に反対できなくなったのである。

だから山陰経由の高句麗系勢力に

大阪政権を奪われた倭王・武は、宋の皇帝に上表して、

援助を乞うハメに陥ったのである。

『記・紀』はその時、政権を握った高句麗系天皇を、

興=安康天皇の前に挿入して允恭天皇とし、

その名乗りを

雄浅津間稚子宿祢(紀)、

男浅津間若子宿祢(記)と書いているが、

それは大雀、伊邪木和気、水歯別、穴穂といった

名乗りと明かに異なっているし、

その訓(よ)みも「おわさず=居ない」

という皮肉なものに変えられている。

これに合う地名はないから、

これは明らかに本来の名乗りではないのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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2010年10月13日水曜日

[立神岩]の分布は何を復元するか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:24頁

こう見てくると、

与那国から出発したギリシャ人勢力が、

イナと方言化して呼ばれながらも、

山陰から岐阜県にまで達していたことが跡付けられた。

しかしそのコースは四国~淡路島経由ではない。

明らかに山陰経由である。

これはギリシャ人の東遷といっても、それは単純ではなく、

複数のグループがあったという証拠である。

山陰経由のものは浦島伝承をもっているから

明らかに位宮・垂仁系だが、

淡路島の倭の五王系はそれを持たないグループだ。

こちらは本当に与那国系なんだろうか?…。

それに明確に答えるのが、右の写真である。

これは沖縄の石垣市が作った

『八重山の旅』という観光案内書に掲載された与那国島の

「立神岩」の写真である。

これは確かに九州を経て淡路島まで達している。

「写真」

与那国島の[立神岩]:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E5%B3%B6

上立神岩 沼島:http://www10.ocn.ne.jp/~veeten/iwakura/kamitategamiiwa.html

『参考』

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2010年10月12日火曜日

位宮系を立証した山陰経由のギリシャ勢力

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:23頁

しかし、浦島神社まで建てて祭るというのは、

血縁関係があるからである。

またこの蓬莱の語源がギリシャ神話のホーライであり、

台湾が今もホーライと呼ばれていることも、

よくご存じの通りでその血縁は他の地名にも及んでいるはずである。

そこで宮津市の地名を見て見ると、

まずこの「日置」が鹿児島県では、

郡になっている建国史上重要な地名である。

また丹後という国名そのものが、

タニ=種、ゴ=子で種子島からの移住を

記録していることもすでに検討ずみであるから、

種子島の海人王・ビチヌウシン(亀)の娘を

亀比売と呼ぶことも決しておかしくない。

むしろ、非常に詳しい知識をもっているというべきだ。

こうみてくると、

与那国人は浦島伝説とペアになることで分布先を明示している。

だからそれらの地名は、単に発音が共通しているというだけでなく、

それが地域による発音変化で、

その移住・拡大は、疑う余地がないと、

はっきり証明していると断言できるのである。

また丹後から真南に南下したコースには、

兵庫県最東部の猪名川と、

大坂府北部の箕面市から兵庫県宝塚市にまたがる

稲(いな)地方がある。

その宝塚市には蓬莱峡と呼ばれる名勝があるが、

浦島伝説は今では忘れられて僅かに地名だけが残っている。

この稲が、

百人一首の「イナの笹原、小夜更けて」のイナであり、

孝徳天皇朝の豊日の国の母体になった地域なのである。

『参考』

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2010年10月11日月曜日

丹後の浦島太郎伝説『「水江(みずのえ)浦嶼子(しまこ)』

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:22頁

<稲>は<イネ>・<イナ>の発音があるから、

九州北部には後漢の皇帝に金印をもらった<委奴国>があったし、

その北東に島根と鳥取両県にまたがる米子の大平野がある。

また丹後からの北陸道と京都からの東海道が出会う

琵琶湖東岸の分岐点は米原で、

今はマイバラと発音しているが、

与那原と同じ発音でも読めるから与那国人の遺跡とみると、

その東に木曽の伊那盆地があり、

木曾川に浦島伝説で名高い「寝覚の床(ねざめのとこ)」があり、

下流の恵那(えな)峡も<イナ>⇒<エナ>で発音変化だ。

丹後の伊根町は、天の橋立(あまのはしだて)で有名な宮津市に隣接している。

その天の橋立(あまのはしだて)を北へ渡るとすぐ

難波野で、そこに竜神社がある。

また少し行くと日置(へき)にでる、

ここが『丹後国風土記』で有名な

「水江(みずのえ)浦嶼子(しまこ)」の居た日置の里で、

ここにあった筒川村に筒川の嶼子という男がいて、

海で五色の亀を釣ったところが、

それが美女・亀比売になって海中にある

蓬山(ほうざん)(蓬莱山(ホーライさん)=冥界)へ連れて行く、

そこには眼も輝く御殿があり、

そこで亀比売と楽しい3年を過ごした後、

父母が懐かしくなり筒川へ帰ってみると、

実は300年後で、知っている者は一人もいない。

そこで土産の玉厘(くしげ)を開けると、

蘭のようなものが空へ閃きながら飛んでいってしまった。

という話である。

ご覧の通り、一般に知られている浦島太郎の話とは非常な違いが眼につく。

これは、

本来の垂仁天皇の歴史が忘れられた後に、

再構成されたものだと証言している。

『参考』

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2010年10月10日日曜日

方言化した地名・国名の歴史を確認し確定させる伝承

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:21頁

また<壹與>は<赫夜姫>でもある、

姫がなぜ「月の世界」へ行ったのかも、

史実が複合して説明している。

連れて行かれたのは「夜国(ヨナ)」で、

月読国で、冥界=(死者=鬼=鬼道)=仏教国でもある。

そして「ヨナ原=夜国の首都(ハラ)」で即位した。

『記・紀』と『三国史記』と『説話』の既得知識を総合することで、

ここまで詳細に史実を復元できるのである。

これまでは「ヘンな名の島」程度にしか見られていなかった

与那国島1島だけでも、

建国当時の謎がこんなに解ける事実を、

一人でも多くの方に、

少しでも早く知っていただきたいと思うのは私だけであろうか。

次は17頁の与那国勢力の拡大状況を、探って辿ってみよう。

与那のつく地名は沖縄本島までくると大型化したが、

南から北上したものの、

本島の3分の1あたりで止まってしまっている。

しかし、そこから出た位宮や壹與は全九州で活躍している。

それなのに与那のつく地名は見当たらない。

一体?どうなっているのだろう。

この答は本州で見つかる。

京都府の宮津市に隣接する

与謝郡伊根町は浦島伝説で町おこしを計っている漁村で、

宇良(うら)神社と浦島神社がある。

その位置は丹後半島の東北部分で、

沖縄本島の与那城村の在り方に似ているが、

それより伊根・イネという地名がヨナと無関係ではない。

これは「米(よな)と稲」の関係にあるとみれば、

徹底した検討が必要になってくる。

『参考』

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2010年10月9日土曜日

既得知能の総合で、詳細に復元できる史実

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:20頁

それは<壹與>がなぜ.?

新羅始祖王とされたかも教えてくれる。

彼女は『魏書倭人章』にはっきり

「卑弥呼の宗女」と明記されている。

宗女とは宗教上の後継者という意味であることは疑問の余地がない。

その<卑弥呼の宗教>・<鬼道>は、

すでに完全に解明ずみで細部までわかっている。

それは仏教であり、

<卑弥呼>とその後継者の<壹與>を観世音菩薩としたことまで、

決定的に結論が出ている。

それも単に文献の解読からだけでなく、

東アジア各地の言語や、地名や、伝承や、遺物、遺跡に至るまで、

徹底的に証拠が満ちみちている。

まず観世音(カンシーイン)の名そのものが

マレー語の愛・カシーへの当て字であり、

卑弥呼のパーリ語名ぺマカ=愛の訳音であり、

神功皇后廟の名・香椎だった。

その観世音信仰の分布と拡大の跡を辿っても、

それは中国で南海古仏と呼ばれて、

発生地を琉球列島とし、発生時期も卑弥呼当時にあてている。

そして『三国遺事』が

高麗外交官の中国での見聞として、

娘々(ニヤンニヤン)廟=観音廟を

我が国の信仰だと教えられたと記録している。

もちろん信仰の祖型はインドにあるが、

関連地名や、

そこにある観音信仰の本山は、

時代が全て卑弥呼以後のものである。

インドとの交通は決して西から東への一方通行ではなく、

従来の予測をはるかに超えた往来があったことも、

またこれでよくわかるのである。

『参考』

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2010年10月8日金曜日

建国時代の天皇家とその政権の信仰は仏教

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:19頁

こうして<ヨナ>という日本語の起源がわかり、

夜食国が単なる神話やおとぎ話だけの架空の国ではなく、

今も実在する島のことであり、

それらはギリシャ語と、パーリ語と、マレー語の実在と、

それらの言葉を話す人々の居住と文化の伝播を、

証言していることがわかったが、

そればかりではない、そこを冥界とする思想が、

当時の日本に仏教が実在したことと、

その説話をもつ人々、

すなわち『記・紀』を

自らの歴史として公表した天皇家とその政権の信仰が、

その仏教だったことを、幾重にも重複して明確に立証しているのである。

このことは、さらに重要な証言になっている。

それはそれは明かに仏教徒の支配権を握るためが

その冥界の支配者になりたいと強要した事実を

記録しているが、

この<スサノオ>は山上王位宮・垂仁天皇と<本牟智和気>である。

彼らは何のために

<卑弥呼政権>と戦い、<邪馬壹国政権>を樹立したか?。

それは明かに仏教徒の支配権を握るためで、

それがこれで明確にわかると同時に、

彼の宗教が仏教だったことが、より明確に証明された。

このことはその跡を継いだ応神天皇が、

八幡大菩薩という仏教名や古

墳に建てた九輪塔などで証明されてはいたが、

ここでさらに動かない証言の数々を加えたからである。

だから<壹與>を始祖とする新羅の語源は、

卑弥呼の仏教に比べて、

より戒律(シーラ)の厳しい<シーラバッガ仏教>だったことが、

決定的に確認できる。

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