『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:19頁
私が少年時代から蓄積した貝類学の知識を活用して、
青銅貯貝器などに遺されている貝貨を精査した結果、
貝貨が最も威力を発揮したのは、
古代中国の殷(商)帝国時代からであって、
それが物々交換経済を通貨経済に飛躍させ、
中国に新時代を開いたことが史実であったことと、
その時、使用された宝貝が総て沖縄海域産だったことが、
徹底的に確認できた。
その後、それが貨幣として広く世界で用いられたが、
のちに金属貨幣に姿を変えたのは、海産の生物では量に限りがあり、
人類の需要を賄いきれなくなったからであることは、
古代には辺境に過ぎなかったイギリスでさえ、
宝貝を「コーリー」と呼んでいる事実からも、
のちに宝飾品として用いた歴史が全世界に分布していることでも、
またさらにカリエン人が今も世界の辺境で、
金属加工業者として金銀銅製品の手工業を生計にしている事実と、
その携帯用の「手炙(あぶ)り型土器」が、
わが国で多数発掘されている土器と同型であることなどによって、
生々しい現実感をもって納得させてくれるのである。
これで殷以後の中国青銅器文明が、
結局はカリエン(カルデア人=スメル人)の貨幣経済の副産物であり、
それは茨城県の稲敷を経由して中国に渡り、
そのコースに2200kmのレイ・ラインを設定して、
カルデア天文学の遺物として現在まで残した。ということになる。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2009年9月19日土曜日
2009年9月18日金曜日
確認できる台湾⇒沖縄⇒九州コース
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:18頁
ここまで判ると、序でだから、
九州へはどこから来たのか?調べてみよう。
伊都国は旁国の斯馬国と一つにされて糸島郡になった。
だから伊都国は糸国=イトマである。
すると沖縄にある糸満が「イ・トマの」で、
沖縄から来たことを教えている。
これは沖縄語発音には<イト>はなく、<イツ>になるが、
『魏書倭人章』の伊都という当て字は、
当時の漢魏音ではぴったり<イツ>と読む。
帯方郡使が無意識に写した発音が、
その国名は沖縄からやって来たと明確に、
証言していたのである。
しかし沖縄には<ウバ>に当る地名がない。
それは最西海の与那国見より西。
海の彼方の国・台湾にある。
前にお話しした通り、
タイワンは「大和ン」で
「大和・ウワの韓」に対する当て字が、
中国発音でタイワと読まれただけで、
「大和・糸満」=ウワイト国の(マン)…
を表現する分割地名そのものだったのである。
ここで「ウバイド」が「ウワイト」になったことも判る。
こうして地名が具体的に語ってくれる遷都の史実は、
縄文時代に沖縄へカルデア人がきてカウレアンと呼ばれ、
カウレに高麗の文字が当てられ。
それがタカラと読まれて、
宝(タカラガイ=貝貨幣)の国と呼ばれ、
その宝貝は今も全世界でカウリーと呼ばれている。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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ここまで判ると、序でだから、
九州へはどこから来たのか?調べてみよう。
伊都国は旁国の斯馬国と一つにされて糸島郡になった。
だから伊都国は糸国=イトマである。
すると沖縄にある糸満が「イ・トマの」で、
沖縄から来たことを教えている。
これは沖縄語発音には<イト>はなく、<イツ>になるが、
『魏書倭人章』の伊都という当て字は、
当時の漢魏音ではぴったり<イツ>と読む。
帯方郡使が無意識に写した発音が、
その国名は沖縄からやって来たと明確に、
証言していたのである。
しかし沖縄には<ウバ>に当る地名がない。
それは最西海の与那国見より西。
海の彼方の国・台湾にある。
前にお話しした通り、
タイワンは「大和ン」で
「大和・ウワの韓」に対する当て字が、
中国発音でタイワと読まれただけで、
「大和・糸満」=ウワイト国の(マン)…
を表現する分割地名そのものだったのである。
ここで「ウバイド」が「ウワイト」になったことも判る。
こうして地名が具体的に語ってくれる遷都の史実は、
縄文時代に沖縄へカルデア人がきてカウレアンと呼ばれ、
カウレに高麗の文字が当てられ。
それがタカラと読まれて、
宝(タカラガイ=貝貨幣)の国と呼ばれ、
その宝貝は今も全世界でカウリーと呼ばれている。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月17日木曜日
九州から関東までの遷都の道筋
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:17頁
このことは何を私たちに教えてくれるのか?。
ウバイドの伝統は「遷都」にあったのだから、
末盧と伊都になる前は、
そこがウバイド=倭人の都だったということである。
それが国名を二分して、
馬津国と伊都国とに分割されているのだから、
どこかへ遷都した跡だけになっている。
ここでもう一度『風土記』を読み返してみると、
『播磨の国風土記』の「宍禾(しさわ)郡」の中に、
宇波良(ウバラ)という村名と、
表戸(ウハト)という地名がある。
宇波良はウバ国のこと、
表戸はウワ人で、
漢音で読むと「ヒョウゴ」。
播唐の国の後身が現在の兵庫県であることに合う。
しかし九州北部から直接、兵庫県へ遷都したのでないことは、
国名の播磨が数えている。
私たちは既に播磨がハリ国であり、
それは『魏書倭人章』中の
旁国・巴利国=隼人町が拡大移動した後だと知っている。
だから九州北部のウバイドは、
九州南部の隼人に遷都し、
その後、兵庫県へ遷都したのだと判る。
それだけでなく、ウバラは「茨」だから、
茨木は「ウバ国王(ラキ)」で、茨城も同じだ。
大坂府の茨木へ遷り、さらに関東へ行ったのである。
そのコースも伊勢の鳥羽から伊豆へ海上を進み、
さらに千葉の夷隅郡に行き、茨城に落ち着いたことは既に見た。
倭人の国名、地名は奈良時代以後、徹底的に消された。
それなのにこんなに残っているのである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
このことは何を私たちに教えてくれるのか?。
ウバイドの伝統は「遷都」にあったのだから、
末盧と伊都になる前は、
そこがウバイド=倭人の都だったということである。
それが国名を二分して、
馬津国と伊都国とに分割されているのだから、
どこかへ遷都した跡だけになっている。
ここでもう一度『風土記』を読み返してみると、
『播磨の国風土記』の「宍禾(しさわ)郡」の中に、
宇波良(ウバラ)という村名と、
表戸(ウハト)という地名がある。
宇波良はウバ国のこと、
表戸はウワ人で、
漢音で読むと「ヒョウゴ」。
播唐の国の後身が現在の兵庫県であることに合う。
しかし九州北部から直接、兵庫県へ遷都したのでないことは、
国名の播磨が数えている。
私たちは既に播磨がハリ国であり、
それは『魏書倭人章』中の
旁国・巴利国=隼人町が拡大移動した後だと知っている。
だから九州北部のウバイドは、
九州南部の隼人に遷都し、
その後、兵庫県へ遷都したのだと判る。
それだけでなく、ウバラは「茨」だから、
茨木は「ウバ国王(ラキ)」で、茨城も同じだ。
大坂府の茨木へ遷り、さらに関東へ行ったのである。
そのコースも伊勢の鳥羽から伊豆へ海上を進み、
さらに千葉の夷隅郡に行き、茨城に落ち着いたことは既に見た。
倭人の国名、地名は奈良時代以後、徹底的に消された。
それなのにこんなに残っているのである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
2009年9月16日水曜日
末盧と伊都はウバイドの遺物
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:16頁
たとえば、
この百済出水(ポセイズン)はギリシャの海神であると同時に、
馬の神でもある。
それがタツノオトシゴが「海馬」と当て字されている理由だが、
それはどちらも長い馬面をしているからである。
百済は一般には<クダラ>と読まれているが、
<クダ>はマレー語で馬のこと。
<ラ>は国を意味する古代日本語の一つだから、
百済は「馬国」を意味している。
すると松浦は馬津国で、
やはり馬の国、完全に同じ意味の地名になる。
佐賀の北部海岸地帯は東松浦郡で馬の国。
その東南五百里に牛津がある。
これは「牛頭」と書いても<ウシヅ>と読める。
これを普通「ゴヅ」と読むから、
<五頭>であり<五津>である。
これは<イヅ>であり、<イツ>でもある。
『魏書倭人章』の書く
末盧国は松浦郡で唐津湾。
そこから東南五百里にピッタリ牛津があるから、
そこが伊都国であったことは動かない。
すると伊都の長官は牛頭天王であり、
それはスメル語の<グヅ>からきた名詞である。
こう判ってくると伊都は後に位置を変えて、
松浦の東の恰土になった。
これは<イド>と読めるから、
ウバイドの<イド>に合う。
松浦は馬津国だから馬。
ウマは大馬(ウマ)で小馬はコマ。
だとすると大馬は「ウバ」怜土は「イド」、
ここにもウバイドが二つに分割された国名として生き続けていて、
3世紀に魏の帯方郡使の手で末盧と伊都と当て字されて、
明確な記録として残っていたのである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
たとえば、
この百済出水(ポセイズン)はギリシャの海神であると同時に、
馬の神でもある。
それがタツノオトシゴが「海馬」と当て字されている理由だが、
それはどちらも長い馬面をしているからである。
百済は一般には<クダラ>と読まれているが、
<クダ>はマレー語で馬のこと。
<ラ>は国を意味する古代日本語の一つだから、
百済は「馬国」を意味している。
すると松浦は馬津国で、
やはり馬の国、完全に同じ意味の地名になる。
佐賀の北部海岸地帯は東松浦郡で馬の国。
その東南五百里に牛津がある。
これは「牛頭」と書いても<ウシヅ>と読める。
これを普通「ゴヅ」と読むから、
<五頭>であり<五津>である。
これは<イヅ>であり、<イツ>でもある。
『魏書倭人章』の書く
末盧国は松浦郡で唐津湾。
そこから東南五百里にピッタリ牛津があるから、
そこが伊都国であったことは動かない。
すると伊都の長官は牛頭天王であり、
それはスメル語の<グヅ>からきた名詞である。
こう判ってくると伊都は後に位置を変えて、
松浦の東の恰土になった。
これは<イド>と読めるから、
ウバイドの<イド>に合う。
松浦は馬津国だから馬。
ウマは大馬(ウマ)で小馬はコマ。
だとすると大馬は「ウバ」怜土は「イド」、
ここにもウバイドが二つに分割された国名として生き続けていて、
3世紀に魏の帯方郡使の手で末盧と伊都と当て字されて、
明確な記録として残っていたのである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月15日火曜日
牛頭天王と「堂々」の語源もスメル語
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:15頁
スメル語名詞を日本語として読むシステムの途中で、
『記・紀』の重要問題に逸れたが、
次は欠くことのできないものだけをお話ししておこう。
『ウルカギナの碑文』に
グド・ドゥドゥと発音する「Gud dudu」という名詞がある。
Gudは「牡牛」で、duduは在来は「立派な」と訳されてきた。
スサノオは祇園八坂神社などで
「牛頭(ごづ)天王」と呼ばれている。
この<ゴヅ>は沖縄では<グヅ>と発音され、
これが馬の動きに比べてノロい牛の動作から、
愚図い、愚図愚図しているという形容詞にもなっている。
これで「牛頭」がスメル語の
「グド=牡牛」に対する当て字だったことと、
「愚図」がその応用語で沖縄発音だったと幾重にも証明されて、
はっきり確認できる。
次の「立派な」と訳されてきた
「ドゥドゥ」も、
「堂々たる牡牛」という意味なのだから、
意味不明の日本製形容詞「堂々」は何が語源だったかも、
また実に明瞭に解る。
これも沖縄語を頭におくと、本来は「ヅーヅー」だが、
それが南九州で本土語化して「ドードー」になり
「堂々」と当て字された経緯まで明確に確認できる。
こうして証拠の数が増えてくると、
「水面とスメル」の説明では、
まだ疑いが残っていた
「漢字表現の日本語」を中国語の借用だ、
と思い込んでいたほうが間違っていたとお悟りになったと思う。
これは百済出水(ポセイズン)などで判るように、
語源はスメル語に限らない。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
スメル語名詞を日本語として読むシステムの途中で、
『記・紀』の重要問題に逸れたが、
次は欠くことのできないものだけをお話ししておこう。
『ウルカギナの碑文』に
グド・ドゥドゥと発音する「Gud dudu」という名詞がある。
Gudは「牡牛」で、duduは在来は「立派な」と訳されてきた。
スサノオは祇園八坂神社などで
「牛頭(ごづ)天王」と呼ばれている。
この<ゴヅ>は沖縄では<グヅ>と発音され、
これが馬の動きに比べてノロい牛の動作から、
愚図い、愚図愚図しているという形容詞にもなっている。
これで「牛頭」がスメル語の
「グド=牡牛」に対する当て字だったことと、
「愚図」がその応用語で沖縄発音だったと幾重にも証明されて、
はっきり確認できる。
次の「立派な」と訳されてきた
「ドゥドゥ」も、
「堂々たる牡牛」という意味なのだから、
意味不明の日本製形容詞「堂々」は何が語源だったかも、
また実に明瞭に解る。
これも沖縄語を頭におくと、本来は「ヅーヅー」だが、
それが南九州で本土語化して「ドードー」になり
「堂々」と当て字された経緯まで明確に確認できる。
こうして証拠の数が増えてくると、
「水面とスメル」の説明では、
まだ疑いが残っていた
「漢字表現の日本語」を中国語の借用だ、
と思い込んでいたほうが間違っていたとお悟りになったと思う。
これは百済出水(ポセイズン)などで判るように、
語源はスメル語に限らない。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
2009年9月14日月曜日
初めて理解できた『日本書紀』の目的
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:14頁
その体制整備で最も頭を悩ましたのは言うまでもなく
女帝制と男帝制との対立だ。
確かに持統天皇以後、女帝制は回復したが、
血縁は歴代天皇が天智天皇の皇子女である。
大化の再来は国の根幹を揺るがし兼ねないし、
また地方の支配者・国造をどうするか?
という大問題に直面したからである。
その結果は、皇女はたとえ姉でも、
天照大神=斎王として神事を司り、
皇太子が次の天皇になるという、
バラモン方式(斉王=ブラフマン、天皇=クシャトリヤ)=
『日本書紀』式の相続法に移行したことでその経過が判るから、
『日本書紀』はこのシステムを弁護するために作られた『皇統譜』で、
それ以前の『帝紀』は、
それを持っていた諸家から取上げて焼却処分してしまった。
『古事記』がそれを
「序文」に天武天皇の意向だったと書くのは責任転嫁だから、
『記・紀』とは何かという論義は、
ここまで来ないと本当の結論は出ない。
だが有り難いことに、
それまでは「女性が国造だった」という証拠が、
厳しい官憲の検閲焚書の眼を逃れて残っている。
それは『播磨国風土記』の
「讃容郡」弥加都岐原の長文の中にある
「因幡国造・阿良佐加比賣」である。
国造だから当然『国造本紀』に載っているはずなのに、
そこには
「成務天皇の御世に彦坐王の子・彦多都命を稲葉国造にした」
とあるだけであって、
これもまた検閲焚書の実態をまざまざと記録している。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
その体制整備で最も頭を悩ましたのは言うまでもなく
女帝制と男帝制との対立だ。
確かに持統天皇以後、女帝制は回復したが、
血縁は歴代天皇が天智天皇の皇子女である。
大化の再来は国の根幹を揺るがし兼ねないし、
また地方の支配者・国造をどうするか?
という大問題に直面したからである。
その結果は、皇女はたとえ姉でも、
天照大神=斎王として神事を司り、
皇太子が次の天皇になるという、
バラモン方式(斉王=ブラフマン、天皇=クシャトリヤ)=
『日本書紀』式の相続法に移行したことでその経過が判るから、
『日本書紀』はこのシステムを弁護するために作られた『皇統譜』で、
それ以前の『帝紀』は、
それを持っていた諸家から取上げて焼却処分してしまった。
『古事記』がそれを
「序文」に天武天皇の意向だったと書くのは責任転嫁だから、
『記・紀』とは何かという論義は、
ここまで来ないと本当の結論は出ない。
だが有り難いことに、
それまでは「女性が国造だった」という証拠が、
厳しい官憲の検閲焚書の眼を逃れて残っている。
それは『播磨国風土記』の
「讃容郡」弥加都岐原の長文の中にある
「因幡国造・阿良佐加比賣」である。
国造だから当然『国造本紀』に載っているはずなのに、
そこには
「成務天皇の御世に彦坐王の子・彦多都命を稲葉国造にした」
とあるだけであって、
これもまた検閲焚書の実態をまざまざと記録している。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月13日日曜日
聖徳太子=ウバイド皇子 対 ニップル体制
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:13頁
天武天皇の幼名が大海人=ウバイドだったことの発見は、
本講の大きな成果だが、
これを聖徒太子の幼名=厩戸と比較してみると、
さらに面白いことが判る。
ローマ字書きにしてみると
Umayado で、Ubayd と比較すると、
U=大、ma=馬、ba=馬、yado=yd
だから二人とも元は同じ名乗りの
「ウバイド皇子」だったのである。
ただ当て字が違っているだけなのだ。
こう判ると語源はウバイドだから、
小馬鹿にした当て字が「馬子」だったことが判る。
すると全く同時存在の同名のもう一人、
(蘇我)馬子は、聖徳太子その人を
二重に表現した架空の人物だったことが、
正常な頭脳の持ち主なら誰にでも確認できる。
だから天智の大化改新の真の目的は、
女帝が君臨してきたウバイド体制を、
男帝制のニップル体制に大化することだったのである。
しかしそれは大海人=ウバイド皇子にすぐ倒されてしまった。
だが虎視耽々と隙を狙っている唐に、
内紛の実情が暴露することを避けて、
すでに知られてしまっている
日本への改名は倭へ戻すことができなかった。
こうして天智の陰謀は日本という新しい国名を
生み出しただけの小化に終ったが、
それをキッカケに内政の見直しが始まり、
実質的には聖徳太子の改善を、
より上回る近代的律令国家として、
急速に整備されていくことになったのである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
天武天皇の幼名が大海人=ウバイドだったことの発見は、
本講の大きな成果だが、
これを聖徒太子の幼名=厩戸と比較してみると、
さらに面白いことが判る。
ローマ字書きにしてみると
Umayado で、Ubayd と比較すると、
U=大、ma=馬、ba=馬、yado=yd
だから二人とも元は同じ名乗りの
「ウバイド皇子」だったのである。
ただ当て字が違っているだけなのだ。
こう判ると語源はウバイドだから、
小馬鹿にした当て字が「馬子」だったことが判る。
すると全く同時存在の同名のもう一人、
(蘇我)馬子は、聖徳太子その人を
二重に表現した架空の人物だったことが、
正常な頭脳の持ち主なら誰にでも確認できる。
だから天智の大化改新の真の目的は、
女帝が君臨してきたウバイド体制を、
男帝制のニップル体制に大化することだったのである。
しかしそれは大海人=ウバイド皇子にすぐ倒されてしまった。
だが虎視耽々と隙を狙っている唐に、
内紛の実情が暴露することを避けて、
すでに知られてしまっている
日本への改名は倭へ戻すことができなかった。
こうして天智の陰謀は日本という新しい国名を
生み出しただけの小化に終ったが、
それをキッカケに内政の見直しが始まり、
実質的には聖徳太子の改善を、
より上回る近代的律令国家として、
急速に整備されていくことになったのである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「バビロニア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「ギリシア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
「オリエント学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
「アッシリア学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
「中国学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
「ギルガメシュ叙事詩」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9 http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
「フェニキア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
「古代エジプト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
「ヒッタイト」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
「アナトリア半島」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語― http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
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