2009年9月19日土曜日

スメル人の本州居住は殷(商)建国以前

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:19頁

 私が少年時代から蓄積した貝類学の知識を活用して、

 青銅貯貝器などに遺されている貝貨を精査した結果、

 貝貨が最も威力を発揮したのは、

 古代中国の殷(商)帝国時代からであって、

 それが物々交換経済を通貨経済に飛躍させ、

 中国に新時代を開いたことが史実であったことと、

 その時、使用された宝貝が総て沖縄海域産だったことが、

 徹底的に確認できた。

 その後、それが貨幣として広く世界で用いられたが、

 のちに金属貨幣に姿を変えたのは、海産の生物では量に限りがあり、

 人類の需要を賄いきれなくなったからであることは、

 古代には辺境に過ぎなかったイギリスでさえ、

 宝貝を「コーリー」と呼んでいる事実からも、

 のちに宝飾品として用いた歴史が全世界に分布していることでも、

 またさらにカリエン人が今も世界の辺境で、

 金属加工業者として金銀銅製品の手工業を生計にしている事実と、

 その携帯用の「手炙(あぶ)り型土器」が、

 わが国で多数発掘されている土器と同型であることなどによって、

 生々しい現実感をもって納得させてくれるのである。

 これで殷以後の中国青銅器文明が、

 結局はカリエン(カルデア人=スメル人)の貨幣経済の副産物であり、

 それは茨城県の稲敷を経由して中国に渡り、

 そのコースに2200kmのレイ・ラインを設定して、

 カルデア天文学の遺物として現在まで残した。ということになる。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月18日金曜日

確認できる台湾⇒沖縄⇒九州コース

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:18頁

 ここまで判ると、序でだから、

 九州へはどこから来たのか?調べてみよう。

 伊都国は旁国の斯馬国と一つにされて糸島郡になった。

 だから伊都国は糸国=イトマである。

 すると沖縄にある糸満が「イ・トマの」で、

 沖縄から来たことを教えている。

 これは沖縄語発音には<イト>はなく、<イツ>になるが、

 『魏書倭人章』の伊都という当て字は、

 当時の漢魏音ではぴったり<イツ>と読む。

 帯方郡使が無意識に写した発音が、

 その国名は沖縄からやって来たと明確に、

 証言していたのである。

 しかし沖縄には<ウバ>に当る地名がない。

 それは最西海の与那国見より西。

 海の彼方の国・台湾にある。

 前にお話しした通り、

 タイワンは「大和ン」で

 「大和・ウワの韓」に対する当て字が、

 中国発音でタイワと読まれただけで、

 「大和・糸満」=ウワイト国の(マン)…

 を表現する分割地名そのものだったのである。

 ここで「ウバイド」が「ウワイト」になったことも判る。

 こうして地名が具体的に語ってくれる遷都の史実は、

 縄文時代に沖縄へカルデア人がきてカウレアンと呼ばれ、

 カウレに高麗の文字が当てられ。

 それがタカラと読まれて、

 宝(タカラガイ=貝貨幣)の国と呼ばれ、

 その宝貝は今も全世界でカウリーと呼ばれている。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月17日木曜日

九州から関東までの遷都の道筋

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:17頁

 このことは何を私たちに教えてくれるのか?。

 ウバイドの伝統は「遷都」にあったのだから、

 末盧と伊都になる前は、

 そこがウバイド=倭人の都だったということである。

 それが国名を二分して、

 馬津国と伊都国とに分割されているのだから、

 どこかへ遷都した跡だけになっている。

 ここでもう一度『風土記』を読み返してみると、

 『播磨の国風土記』の「宍禾(しさわ)郡」の中に、

 宇波良(ウバラ)という村名と、

 表戸(ウハト)という地名がある。

 宇波良はウバ国のこと、

 表戸はウワ人で、

 漢音で読むと「ヒョウゴ」。

 播唐の国の後身が現在の兵庫県であることに合う。

 しかし九州北部から直接、兵庫県へ遷都したのでないことは、

 国名の播磨が数えている。

 私たちは既に播磨がハリ国であり、

 それは『魏書倭人章』中の

 旁国・巴利国=隼人町が拡大移動した後だと知っている。

 だから九州北部のウバイドは、

 九州南部の隼人に遷都し、

 その後、兵庫県へ遷都したのだと判る。

 それだけでなく、ウバラは「茨」だから、

 茨木は「ウバ国王(ラキ)」で、茨城も同じだ。

 大坂府の茨木へ遷り、さらに関東へ行ったのである。

 そのコースも伊勢の鳥羽から伊豆へ海上を進み、

 さらに千葉の夷隅郡に行き、茨城に落ち着いたことは既に見た。

 倭人の国名、地名は奈良時代以後、徹底的に消された。

 それなのにこんなに残っているのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月16日水曜日

末盧と伊都はウバイドの遺物

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:16頁

 たとえば、

 この百済出水(ポセイズン)はギリシャの海神であると同時に、

 馬の神でもある。

 それがタツノオトシゴが「海馬」と当て字されている理由だが、

 それはどちらも長い馬面をしているからである。

 百済は一般には<クダラ>と読まれているが、

 <クダ>はマレー語で馬のこと。

 <ラ>は国を意味する古代日本語の一つだから、

 百済は「馬国」を意味している。

 すると松浦は馬津国で、

 やはり馬の国、完全に同じ意味の地名になる。

 佐賀の北部海岸地帯は東松浦郡で馬の国。

 その東南五百里に牛津がある。

 これは「牛頭」と書いても<ウシヅ>と読める。

 これを普通「ゴヅ」と読むから、

 <五頭>であり<五津>である。

 これは<イヅ>であり、<イツ>でもある。

 『魏書倭人章』の書く

 末盧国は松浦郡で唐津湾。

 そこから東南五百里にピッタリ牛津があるから、

 そこが伊都国であったことは動かない。

 すると伊都の長官は牛頭天王であり、

 それはスメル語の<グヅ>からきた名詞である。

 こう判ってくると伊都は後に位置を変えて、

 松浦の東の恰土になった。

 これは<イド>と読めるから、

 ウバイドの<イド>に合う。

 松浦は馬津国だから馬。

 ウマは大馬(ウマ)で小馬はコマ。

 だとすると大馬は「ウバ」怜土は「イド」、

 ここにもウバイドが二つに分割された国名として生き続けていて、

 3世紀に魏の帯方郡使の手で末盧と伊都と当て字されて、

 明確な記録として残っていたのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月15日火曜日

牛頭天王と「堂々」の語源もスメル語

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:15頁

 スメル語名詞を日本語として読むシステムの途中で、

 『記・紀』の重要問題に逸れたが、

 次は欠くことのできないものだけをお話ししておこう。

 『ウルカギナの碑文』に

 グド・ドゥドゥと発音する「Gud dudu」という名詞がある。

 Gudは「牡牛」で、duduは在来は「立派な」と訳されてきた。

 スサノオは祇園八坂神社などで

 「牛頭(ごづ)天王」と呼ばれている。

 この<ゴヅ>は沖縄では<グヅ>と発音され、

 これが馬の動きに比べてノロい牛の動作から、

 愚図い、愚図愚図しているという形容詞にもなっている。

 これで「牛頭」がスメル語の

 「グド=牡牛」に対する当て字だったことと、

 「愚図」がその応用語で沖縄発音だったと幾重にも証明されて、

 はっきり確認できる。

 次の「立派な」と訳されてきた

 「ドゥドゥ」も、

 「堂々たる牡牛」という意味なのだから、

 意味不明の日本製形容詞「堂々」は何が語源だったかも、

 また実に明瞭に解る。

 これも沖縄語を頭におくと、本来は「ヅーヅー」だが、

 それが南九州で本土語化して「ドードー」になり

 「堂々」と当て字された経緯まで明確に確認できる。

 こうして証拠の数が増えてくると、

 「水面とスメル」の説明では、

 まだ疑いが残っていた

 「漢字表現の日本語」を中国語の借用だ、

 と思い込んでいたほうが間違っていたとお悟りになったと思う。 

 これは百済出水(ポセイズン)などで判るように、

 語源はスメル語に限らない。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月14日月曜日

初めて理解できた『日本書紀』の目的

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:14頁

 その体制整備で最も頭を悩ましたのは言うまでもなく

 女帝制と男帝制との対立だ。

 確かに持統天皇以後、女帝制は回復したが、

 血縁は歴代天皇が天智天皇の皇子女である。

 大化の再来は国の根幹を揺るがし兼ねないし、

 また地方の支配者・国造をどうするか?

 という大問題に直面したからである。

 その結果は、皇女はたとえ姉でも、

 天照大神=斎王として神事を司り、

 皇太子が次の天皇になるという、

 バラモン方式(斉王=ブラフマン、天皇=クシャトリヤ)=

 『日本書紀』式の相続法に移行したことでその経過が判るから、

 『日本書紀』はこのシステムを弁護するために作られた『皇統譜』で、

 それ以前の『帝紀』は、

 それを持っていた諸家から取上げて焼却処分してしまった。

 『古事記』がそれを

 「序文」に天武天皇の意向だったと書くのは責任転嫁だから、

 『記・紀』とは何かという論義は、

 ここまで来ないと本当の結論は出ない。

 だが有り難いことに、

 それまでは「女性が国造だった」という証拠が、

 厳しい官憲の検閲焚書の眼を逃れて残っている。

 それは『播磨国風土記』の

 「讃容郡」弥加都岐原の長文の中にある

 「因幡国造・阿良佐加比賣」である。

 国造だから当然『国造本紀』に載っているはずなのに、

 そこには

 「成務天皇の御世に彦坐王の子・彦多都命を稲葉国造にした」

 とあるだけであって、

 これもまた検閲焚書の実態をまざまざと記録している。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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2009年9月13日日曜日

聖徳太子=ウバイド皇子 対 ニップル体制

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:13頁

 天武天皇の幼名が大海人=ウバイドだったことの発見は、

 本講の大きな成果だが、

 これを聖徒太子の幼名=厩戸と比較してみると、

 さらに面白いことが判る。

 ローマ字書きにしてみると

 Umayado で、Ubayd と比較すると、

 U=大、ma=馬、ba=馬、yado=yd

 だから二人とも元は同じ名乗りの

 「ウバイド皇子」だったのである。 

 ただ当て字が違っているだけなのだ。

 こう判ると語源はウバイドだから、

 小馬鹿にした当て字が「馬子」だったことが判る。

 すると全く同時存在の同名のもう一人、

 (蘇我)馬子は、聖徳太子その人を

 二重に表現した架空の人物だったことが、

 正常な頭脳の持ち主なら誰にでも確認できる。

 だから天智の大化改新の真の目的は、

 女帝が君臨してきたウバイド体制を、

 男帝制のニップル体制に大化することだったのである。

 しかしそれは大海人=ウバイド皇子にすぐ倒されてしまった。

 だが虎視耽々と隙を狙っている唐に、

 内紛の実情が暴露することを避けて、

 すでに知られてしまっている

 日本への改名は倭へ戻すことができなかった。

 こうして天智の陰謀は日本という新しい国名を

 生み出しただけの小化に終ったが、

 それをキッカケに内政の見直しが始まり、

 実質的には聖徳太子の改善を、

 より上回る近代的律令国家として、

 急速に整備されていくことになったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html