2015年10月6日火曜日

秦氏と絹産業


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:383~386頁

 第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰

 秦氏と絹産業

  天満宮のある北野には

 平安時代菅原道真が祀られる以前から天神を祀った神社があった。

 そこに以前から天神を祀った神社があった。

 そこに牛にまつわる伝承があるのは

 大酒神社の牛祭りの牛と理由を同じくする。

  北野は単なる北の野の意味ではないであろう。

 本来は「キタヤ」で秦氏の桑園が広がって
 
 養蚕業が行われていたと推測される。

 キタヤはサンスクリット語の kitaja で絹糸を表す。
 
 神名帳葛野郡に載る

 「木嶋坐天照御魂神社並名神大」は

 右京区太秦森ヶ東町にある養蚕神社、通称蚕の宮で、
 
 この地域で養蚕が盛んに行われたことを物語る。

 大酒神社のある現在地名蜂岡の「ハチ」も

 ハク patta を由来とする。

 城陽市久世の富野(との)「トミ」を基とする

 月氏の翕侯名都蜜と同じく dāma (糸、繊維) によるものである。

 京都市西京区の西隣には亀岡市で、

 「亀」は城のある亀山による呼称であるが、
 
 その原義は大月氏の五翕侯の一つ休蜜 kiumi と

 同じく虫である蚕を意味する。

 市内に繭を意味する kośa による古世町もある。

 亀岡市は丹波国桑田郡に属しているた。

 『日本書紀』雄略天皇紀の16年秋11月にある。

 「詔して、桑の栽培に適した国県に桑を植えさせた。

  また秦の民を割り当て移して、庸調を献じさせた」

 とある件に関連するとみられる。

 市内の矢田(やだ)町は那須与一堂があることから

 「矢」字が使われているが、本来は「シダ」であろう。

 隣の余部町に広く志田(しだ)があることから推測され、
 
 それは茨田神社の「シダ」を転訛させたものであり、

 『日本書紀』のいう

 秦氏を分散させたうちの一か所と考えられる。

 丹波の丹は丹物と字義を同じくするもので、

 サンスクリット語の「糸、繊維」を表す tan/tantu 、
 
 動詞を tan 「繊維を廣く、伸ばす」に由来する用語である。

 その丹羽国で延喜式神名帳に載る矢田神社は、

 與謝郡に「矢田部神社」(野田川町石川)、

 ここには「大虫神社名神大」「小虫神社名神大」があり、
 
 虫は蚕を表す。

 丹波郡に矢田神社(中郡峰山町矢田)、

 熊野郡にも矢田神社とある。

 熊野郡の矢田神社の所在地は久美浜町海上で、

 久美も「木蜜」に対応する名称で、

 郡名「熊野」も「久美」であり、

 蚕を意味していることになる。

  桑田郡には

 「桑田神社」「小川月神社名神大」「松尾神社」とあり、

 秦氏との関係を覗わせている。
 
 言うまでもなく「桑田」は「桑畑」のことである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
コメントを投稿