2015年10月17日土曜日

旧約聖書のガド族①


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:964~975頁

 第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰

 《旧約聖書のガド族》

  弓月君の系譜の秦氏はガド族と考えられると述べたが、

 そのガド族とはどのような氏族だろうか。
 
 ガド:Gad はヤコブの7番目の息子の名前に始まる。

 ヤコブは妻レアとの間に

 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリの

 息子6人を儲ける。
 
 そして次にヤコブの子として生まれるのがガドである。

 創世記第30章は次のように記述する。

 「さて、レアは自分が子を産むことを病んだのを見るとき、

  仕え目のジルバを取り、妻としてヤコブに子を生んだ。

  そこでレアは、

  「幸運が来た」と言って名をガドと名付けた。」

 ジルバはガドの弟アセルも生んだ。

 その後ヤコブにはイッサカル、セブルン、デナ、ヨセフができ、

 これら12人の息子が支族を形成することになる。

  ガドが生まれた時に

 この日本語訳では「幸運が来た」とされている。

 その原語はが gad なのである。

 その本義について「幸運」としたのは

 ヘブライ語の GDLH(gdule) に依ったと考えたからである。

 「幸運」あるいは「偉大」を表わす用語である。
 
  また英語版には guard と考え「軍隊」とした解釈もある。

 英語本、日本語本が、「幸運が来た」と「言った」と

 表記している部分は「叫んだ」と考慮しておく必要がある。

 「叫ぶ」は「大きな声で言う」ことを意味する。

 シュメル語の「叫ぶ」に gu-de があり、gad に似ている。

の契約の箱を12の支族から一人ずつ選ばれた12人の祭司達が

 担ぐのを先頭にヨルダン川を渡りカナンの約束の地に入ることとなった。

 この時もモーセの出エジプト時と同じように

  時代は下ってモーセの後継者ヨシュアの時代、

 エジプトを脱出したイスラエルの人々は死海の東岸地方にいたが、

 神の契約の箱を12の支族から一人ずつ選ばれた12人の祭司達が

 担ぐのを先頭にヨルダン川を渡りカナンの約束の地に入ることとなった。

 この時もモーセの出エジプト時と同じように

 ヤハウェ神はヨルダン川の水を止め陸としイスラエルの人々を渡した。

 ヨシュア記第3章は述べる。

 「上から流れ下る水は留まって、

  遥か遠くのザレタンの傍らに在る町アダム辺りで、

  うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に

  流れ下る水は全くせき止められたので、
  
  民はエリコに向かって渡った。

  全てのイスラエルが乾いた地を渡って行く間、
  
  主の契約の箱をかく祭司達は
  
  ヨルダンの中の乾いた地に立っていた。

  そして終に民は皆ヨルダン川を渡り終わった。」

 この時ガド族は「神の箱」を守って進軍した。

 第4章は記述する。

 「ルベンの子孫とガドの子孫及びマナセの部族半ばは、
  
  モーセが彼らに命じていたように武装して、
  
  イスラエルの人々に先立ち渡り、

  戦いのために武装したおおよそ4万の者が戦うため、

  主の前に渡って、エリコの平野に着いた。」

 ガドの出生の際にその名前を「軍隊」と判断したのは、

 この勇壮さを考慮したためであろう。

 多くのイスラエルの人々はヨルダン川を渡った。

 そこで国土に部族毎に分かれて住むこととなったが、

 ガド族はヨルダン川東岸以東が与えられていた。

 ヨシュア記第13章は

 「マナセの他の半部族と共に、ルベン人と、ガド人とは、

  ヨルダンの向う側、東の方で、

  その嗣業をモーセから受けた」(8)

 「モーセはまたガドの部族、ガドの子孫にも、

  その家族に従って、嗣業を与えたが、

  その領域はヤゼル、ギレアデの全ての町々、
  
  アンモン人の地の半ばで、ラバの東アロエルまでの地。

  ヘシボンからラマテ・ミツバまでの地。

  谷の中ではベテハラム、ベテニムラ、スコラ、

  及びザポンなど、ヘンボンの王シホンの国の残りの部分、

  ヨルダンを境として、ヨルダンの東側、

  キンネレテの湖の端までの地。

  これはガド人が、その家族に従って獲た嗣業であって、

  その町々と村々とを含む。」(24-28)

 現在のヨルダン国の死海とゲネザレ湖の間の

 ヨルダン川の東に広く居住したのであった。

 しかし、アンモン市の周辺は含んでいなかった。

 このうち死海の北端辺りから北はソロモンの時

 ギレアド Gelied と呼ばれ、その南方をガドと呼んだ。


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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