2015年11月27日金曜日

安来:十戒神社③


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1008~1010頁

 《安来:聖地「十戒神社」と祈り》

   申命記33章は
 
 「神の人モーセが死ぬ前にイスラエルの人々を

  祝福するために与えた言葉」だという。

 そこにはガド族についても次のような詩句がある。

  ※(新共同訳/口語訳)
   http://www.bible.or.jp/i2/vers_search_i.cgi?cnt_here=11&flag_pre_next=next&cmd=search&trans=ni&book=deu.old&chapter=33&vers=&keyword=&back_url=&search_type=
   新共同訳/口語訳

  21 ガドのために彼は言った。

     讃えよ、ガドの土地を広げられる方を
 
     ガドは雌獅子のように待ち伏せ、

     獲物の腕や頭を引き裂く。

  22 彼は自分のために最上のものを選びだした
 
     指揮者の取り分がそこにあったからだ。

     民の長たちは相集い、
 
     主は恵みの御業を行い

     イスラエルのために裁きを行われた。

  28 イスラエルは安らかに住み

     ヤコブの泉のみが絶えない
   
     穀物を新しい酒に富み

     天が露を滴らす土地に。

  第1節(21)は

 ガド族が雌獅子のように剛勇果敢な支族で

 あることを褒め讃えたのである。

 イスラエルの人々がヨルダン川を渡った時、

 彼らは先陣を務めた。

  第2節(22)は

 モーセによりギリアデの地を与えられ、

 そこが豊かな収穫のできる
 
 土地であることを言っている。

 FRAD(Gelied:証の石塚)はシュメル語では

 ki-la-a-de(水を注ぐ土地) とも解釈でき、

 そこを流れるヤボの川やヨルダン川流域の

 豊かさを言ったものであろう。

 そして、彼らの祭壇を建てたが、
 
 その問題で他のイスラエルの人々との間に

 適切な審判を下し、

 モーセの律法を厳守する正義を通したと言っている。

 ガド族の正義は安来の新しい聖地においても
 
 保たれているといえるのである。

  第3節(28)は

 安来の様子によく合っている。

 ここに渡来した人々は

 この申命記の詩を聖書により知っていたと思われる。

 「安らかに住み」は

 まさに「安」字に表わされているし、

 「ヤコブの泉」は清水町となっており、

 「穀物とぶどう酒」は切川町の「キリ」が
 
 「農園」を表わしている GIRST(gersht)と
 
 関係ありそうである。
 
 また「天の露」は「雨」で、

 出雲は「矢持」の国、

 つまり雨を天のように降らせる所である。

 佐久保町の伯太川を挟んだ西向いの

 月坂町名は「ゲッサカ」と読めるが、

 ヘブライ語の GShM(geshm) の音写で

 「雨」を表わしている。

 木戸川名の「キド」の原語として紹介した

 KDVSH(キドゥーシュ)は

 「安息日や祭日の食事前に創造を賛美し、

  (日+賣)いを感謝して、

  ぶどう酒やパンを祝福する祈り」である。

 人々は、

 この東方(ヘブライ語で KDYM/kodim)の

 新しい聖地にあって感謝の祈りを

 献げていたに違いない。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年11月25日水曜日

安来:十戒神社②


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1003~1007頁

 《安来:聖地「十戒神社」と祈り》

  第二の聖所は安来神社である。

 かっては祇園社と呼ばれた。

 同社の伝承にると、

 十神山から遷座されたという。

 同社の鎮座する安来公園内には

 「社日」の地名がある。

 これは「シャカ」で「箱 」SAKTL の転写である。
 
 安来公園と伯太川の間を木戸川が流れるが、

 「キド」は

 ヘブライ語の「聖、神聖、神聖な場所」の

 KDSh(kidesh)あるいは

 同類語の KDVSh(kidvsh 聖、神聖)の転訛とみられ、

 安来(ヤスキ)は聖地である。

 安来町の東隣り黒井田町に菊理神社が鎮座するが、
 
 これは「キリ」で、

 ガド族が

 イスラエルのヨルダン川の東側に

 居住していた頃の故郷名

 Gilied の転写と考えられる。
 
 「黒井田」名は

 明治期に黒島、細井、和田の三地区が

 合併してできた地名だが、

 ここに住む秦氏の人々の記憶に

 ギリアデ名の記憶があったに違いなく、

 黒井田はギリアデを暗示しているとみられる。

 また同地区内に鎮座する魚津神社も「ウオツ」で、

 INDVT(ed)、oath(英語) の音写とみられ、

 ガド族の「誓い、あかし」を言ったものと考えられる。
 
 その東南の門生町は「カド」あるいは

 「カドエ」と呼ばれているが、

 Gad、Gade (ガドの人) の意味である。

 さらにその東側の吉佐町は、

 そこは風土記にも「支布佐社」と載る

 支布佐神社が鎮座し、

 「キフサ」はこれも「箱」を意味する

  KPhSH の音写で「神の箱」であり、
 
 「キサ」となったものである。

 「インダ」は「波」を表わす AYND(ind) であり、

 市名米子は「マイス」で、

 神戸市垂水区や御津町の「舞子」と同様

 MYTs で「雨」を表わし、「水」に係わる地名である。

 黒井田町と門生町の間に清水町、清水山があるが、

 これは「ヤコブの泉」を表わす。

 清水町に接して宇賀荘町がある。

 宇賀は「ウケ」で「請」である。

 その字義は「保証人」である。

 ヨシュア記第22章34で「あかし」 IDVT(ied)を

 ほとんどの英訳本が witness としているが、

 その本義が保証人である。

 日本語訳本では「証拠、証人」とも訳されている。

 つまり字義は

 ガド族の最も貴重な約束である「誓い」を表わしている。

 誓いは「ウケい」とも読まれる。

 その北側の九重町は「くのう」と通称されている。

 ヘブライ語の KhHN(祭司)、KhHNH(祭司職)の音写で、

 ここに教会を守っていた祭司の施設があったのであろう。
 
 宮内町名も同類語とみられる。

  現在の郡名ともなっている能義神社の鎮座する

 能美町名は NAGV(nagu) で、

 「歓声を上げる、叫ぶ」の意味で、

 Gad がシュメル語の ga-de に係わると

 説明してきたことに係わる。

 nagu は日本語に消化され「なげく/嘆く」となっている。

 この「サケビ」を町名としているのが

 安来町の南側の佐久保町である。

 Gad の字義について「叫ぶ」が

 極めて重要であることがここに表明されている。

 「叫び」は「宣誓する」ことであり

 「誓い」することである。

 佐久保町内に鎮座する五神神社名は

 「モーセ五書」を言ったもので

 十神 TORH と同義である。

 ヘブライ語で「モーセ五書」を呼ぶ場合

 一般に KhVMSh(khumesh) と言うが、

 これは数字の「五」から取られた「五書」の意味で、
 
 五神は明らかに TORH (十神)である。
 
 その十神山は砥神嶋という「島で」あったが、

 人々はその信仰を「島」信仰として行っていた。

 播磨風土記飾磨郡に載っていた

 因達里の「インダツ」は

 ヘブライ語の AYNDZL(indzl島)に依るもので

 砥神島を指す。

 播磨国にも砥神島が

 聖地として知られていたとも考えられる。

  出雲風土記が

 伯太川が葛野山を水源とすると述べているが、

 そこは現在鳥取県の県境にして、

 風土記の言うように

 現在の意宇郡伯太町と能義郡広瀬町の境に当たる。

 その水源近く広瀬町東比田に縄久利神社が鎮座する。

 同社名は「シャウクリ」と読め

 「神の箱」SAKKTL である。

 伯太町側の草野は葛野(くずの)か、

 吉佐町名になっている

 KRhSh(箱)を基語としているとみられる。

 その下流の地名十年畑は「聖書」 TNKh 、

 赤屋は aguā で「水」である。

 広瀬町側の比田は日本語の「櫃(ひつ)」を

 転訛させた地名である。

 兵庫県の香寺町恒屋の

 櫃倉神社などに用いられた用語である。

 西比田に鎮座する比田神社は一宮と呼ばれているが、

 風土記にも仁多郡に「比多社」と載っている。

 さらにその仁多町との町境にある

 久比須峠と仁多町久比須は「支布佐」と同根で

 KPhSH が訛った名称である。

 ガド族の人々は日常的な聖地として

 安来市の砥神嶋(安来神社)を、
 
 そして el-sed(神-山)と言われるように

 奥深い山中に、もう一つ 、すなわち

 第三の聖地を創設していたとみられのである。

 因みに葛野山の「葛」は

 「カズラ」ないし「カツ」で、

 これは「ガド Gad 」を表わしている。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年11月24日火曜日

安来:十戒神社①


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:996~998・1002頁

 《安来:聖地「十戒神社」と祈り》

  因幡国風土記に記載されていたものだろうとして

 「稲葉国」と「白兎」が遺っている。

 また『古事記』に同様の話が載っているが、

 そこでは稲葉を「稲羽」、白兎を「素兎」と表記している。
 
 その説話の舞台は鳥取市西部の海岸高草郡の辺りである。

 その内容はあまりにも有名なので除くが、

 本書ではこれまで「ワニ」は

 サンスクリット語の交易商人である

  vanika に依ると紹介してきた。

 それでは「ウサギ」とは何か。

 これはヘブライ語の HSGKH(hasigha) の音写で、

 現代風にいうと「監督」を意味する。

 hash が「ウサ」になっているが、

 それは天鈿女(あまのううめ)命の場合と同様である。

 「ウズ」はサンスクリット語の「哄笑」を意味する

 hāsa の転訛したものである。

 天岩屋戸の前の「大笑い hāsa 」は哄笑であるいは

 歓楽として全く適切な形容である。

 また「白」は「繭」を示している。

 この近く現岩美郡国府町に

 稲葉山とも呼ばれる宇倍山があるが、

 この「ウベヤ」が VVYYS からできた名称である。

 宇倍山には宇倍神社が鎮座し、因幡国の一宮である。

 また稲羽は和名類聚抄に法美郡稲羽郷とあり、

 訓を「伊奈波」としており、

 播磨国風土記宍粟郡に載る

 伊奈加川と同様「秦」を意味する。

 「稲羽の素兎」は「秦氏族の繭監督官」となり、

 因幡地方で算出した繭あるいは絹糸の貿易商人との取引で

 問題が起こり困っていた秦氏族の取締の者を

 大国主神が援助したという物語となる。

 ワニである商人は大型の貿易船で行き来しており、

 ワニの数えるとは、その船を検査したのであったろう。

 ここで重要なのは、絹の商人秦氏と大国主神、

 つまり、
 
 大名持命の部族神門族が援助関係にあることである。

 大国主神が因幡に出掛けた理由は

 須勢理比売やその母八上比売を訪ねるためであったが、

 「スセリ」は「白い石」、

 「ハチカミ」は「絹虫:蚕」に意味であることを

 「絹と地名分布で」で述べてある。

 これらの女神は秦氏に係わる者と考えられる。

 大名持命は須勢理比売を正妻とするのであり、

 双方の親近さが理解される。

  第6章の「海洋交易商人へ」で

 月氏であるイスラエル人は

 インドの貿易商人組合に加入して

 東アジアへ渡来したのだろうと推測される。

 それというのも出雲の東端にイスラエル人である

 ガド族の聖地が創設されていたからである。

 それが安来市である。

 成立の時期については確定し難いが、

 3世紀後半から4世紀の初頭と考えられる。
  
  「安来」名は出雲風土記の意宇郡に、

 和名類聚抄には出雲国能義郡に「安来郷」とある。

 双方ともその訓は解らない。

 中世には「安来荘」となったが、

 その後、屋杉、矢杉、八杉、安来などと表記された。

 ここが秦氏、ガド族の居住地かどうかであるが、

 風土記に「伯太川」があり、

 その呼称をかっては「ハタ」と言っていた。

 風土記に

 「源は仁多と意宇と二つの郡の堺なる葛野山より出で、

  北に流れて母里・縦縫・安来の三つの郷を経て、

  入海に入る」とあり、

 その水源がガドに縁りのsる葛野山である。

 日本古典文学大系の訓も「ハタ」としており、

 ここが秦氏に関係あることを示唆している。

  「安来」の地名由来について風土記は

 「神須佐之烏命、天の壁立廻りまししき。

  その時、此処に来まして詔りたまひしく、

  『吾が御心は、安平(やす)けくなりぬ』

  と詔りたまひき。

  故、安来といふ」とあるが、

 これにそのまま従うことはできない。

 なぜならば、「ヤスキ」はヘブライ語の

 IShRH(Iasarah)の音写で

 「十戒」を表わしているからである。

 十戒は IShRT-HDBVT といい

 「十のこだま」の字義で通用されている。
 
 IShRHとIShRTは「十」を表わす。

 文法的に男性形の表記で同意をなす。

 その「十戒」の聖地が、「安来」にあるのである。

  安来市安来町に聖所が弐ヵ所あると考えられる。
 
 第一は十神山である。

 風土記は「嶋」として載る。

 現在は陸続きとなり島ではなくなったが、
 
 古代においては中海中の離れ島であった。

 「十神」とは「十戒の神」であり、

 「砥神」は「卜の神」で、これは D' 、

 すなわち旧約聖書のヤハウェ神の御名で、

 ADNY(主)の略称とも云え、

 無闇に YHVH との呼称を使わないための方法である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年11月20日金曜日

秦王国播磨②


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:994~995頁

 《秦王国播磨》

  斯羅(新羅)は sila,saila に依るものであることは

 第10章で述べた。
 
 だからといって、

 この播磨が韓半島の新羅国と連携された

 深い関係にあった言えない。

 但し、秦氏は韓半島の南部に居たのであるから

 全く関係ないと言うわけではない。

  以上述べてきた状況をみると、

 ここに秦氏の強力な勢力圏があったことが判明する。

 この播磨国の状況を

 「隋書俀国伝」が「秦王国」と称したのである。

 同伝には大業3年の明年(608年)に

 「煬帝は文林郎の裴(世)清を俀国に遣使した」とあり、

 次のように記述する。

  百済に渡り、行きて竹島に至る。

  南に(身+冉)タン羅国を望み、都斯麻国を経て、

    ※(身+冉)タン羅国は済州島あるいは巨済島か。

  迥(はるか)大海の中に在り。

  又、東して一支国に至る。

  又、竹斯国に至る。

  又、東して秦王国に至る。

   ※秦王国は馬関(下関)か。

  其の人、華夏(中国)に同じ。

  以て夷洲(台湾)と為すも、

  疑いを明らかにする能(あた)わざるなり。

   ※秦王国を夷洲とするのは疑問である。

  又、十餘国を経て、海岸に達す。

  竹斯国より以東は、皆な俀に附庸す。
 
  俀王、小徳阿軰臺を遣し、数百人を従へ、

  儀仗を設け、鼓角を鳴し、迎え来る。

  後十日、

  又、大禮可多比を遣し、二百餘騎を従へ、郊労す。

  既に彼の都に至る。

  608年は

 小野妹子が隋へ遣使として遣わされた翌年に当たり、

 聖徳太子の時代で、

 秦河勝がその寵臣として盛んであった時代であり、

 秦氏族の繁栄していた時代と考えられる。

 「中国人と同じ」とは

 どのような事情を言ったものだろうか。

 養蚕業を田野で行っていただろう倭人を言ったものか、
 
 隋の都、洛陽などが西方の胡人など多くの外来の人々で

 溢れていたことを考えると、

 胡人と似たガド族の多数居住していた様子を

 言ったものか推測を越えない。

 「夷洲」は後漢書倭伝などにも出てくるが、

 イスラエル人を夷人(えびす)みたからだろうか。

  秦王国は、

 ここが秦氏族のいうところの王国であったことに

 間違いなく、その意味においてシラ(白)国でもあった。
 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年11月9日月曜日

秦王国播磨①


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:990~992頁

 《秦王国播磨》

  明石市の播磨灘に沿った藤江はかって葛江と表記されたが、

 これは Gade で「ガドの人」を表わす用語の音写である。
 
 京都府と同じ葛野名は氷上町にもあり、

 和名類聚抄に「葛野郷」とある。

 訓を「加止乃」としている。

 同町は加和良神社が鎮座するところである。
 
 この地域の絹産業について新宮町の芝田(こげた)の「コゲ」が

 ヘブライ語の「玉」を表わす KVGL によると紹介したが、
  
 相生市の小河も同様で、寺田は ZYYD(絹) である。

 姫路市の市名は風土記に

 「蠶子(ひめこ)落ちし處は、即ち日女道(ひめじ)丘と號く」と

 あることから、

 養蚕の行われたことによるものであった。

 織居神社(北平野町)はそれを表わすが、

 特に白国神社に触れておきたい。

 「延喜式」神名帳の飾磨郡に

 訓を「シラクニ」として記載されている。

 現在も市内の白国に鎮座する。

 かって新羅訓神社とも表記されたが、

 この社名は「白」がサンスクリット語の sila(石)か

 ヘブライ語のSLI(selai:岩)で、どちらも繭の名称とみられる。

 もう一歩深く検討すると、これは「マユ(繭)国」なのである。

 ヘブライ語の「白い」を意味する用語が VVYYS(vayis)であるが、

 発音がよく似た用語に VVYI(vie)があり、

 その意味が「眉:まゆ」である。

 つまり、 vie (ヴァユ)が「マユ」に変化したのであり、

 vayis が「マユ」になったと言えるのである。

 日本語の顔にある眉(まゆ)も繭(まゆ)も

 ヘブライ語が祖語であることが判明する。

 そして「白国」が「繭の国」であることになるのである。

 VVYYS は後に述べるが「ウベヤ」「ウマヤ」にも転訛されている。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年10月31日土曜日

播磨の「神の箱」信仰


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:964~975頁

 第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰

 《播磨の「神の箱」信仰》

   播磨国風土記神前郡に

 「的部里、石坐神山、高野山神社」とある。

 的部は「イクハベ」と読むが、

 「イクハ」は YKB でヤコブのことだと述べた。
 
 石坐神山については、それに続いて

 「北の山、石を載く。又豊穂命の神存す。」とある。

 山名は「伊和神の坐す神山」の意味である。

 同山名は現在の山名にはないが、

 日本古典文学大系は神崎郡香寺町の奥須賀院の山とし、

 石蔵山万福寺名を遺跡として紹介している。

 その比定山を何処にするかは重要であるが、

 須加院川を遡及し、

 さらに奥まった今や道らしい道も無しまった333メートルの
 
 棚原山とするのが最も有望である。

 奥須加院には「延喜式」神名帳の神崎郡に載る

 田川神社が鎮座するが、

 同社には石坐神山の山上には神社跡があり、
 
 同社の元宮であったとの伝承がある。

 神名帳は「田川」を「タカハ」と訓じているが、
 
 豊穂命の名称から「田河」で

 「タカ(ハ)」「トホ」であったとみられ、

 ヘブライ語の「祈り」を表わす TFLH(tfile) が祖語と考える。

 須加院は一宮町の伊和神社が鎮座する地名須行名と同祖とみられ、

 これは「天幕、幕屋」をあらわす。

 ヘブライ語のSK(suka) あるいは SKhN(sxina) がその祖語で、
 
 ギリシャ語に σκηνη、

 ラテン語にもscēnī となっている用語で、

 出エジプト記第26章に

 「あなたはまた十枚の幕をもって

  幕屋を造らなければならない」で
 
 始まって詳しくその造成方法を指示規定している
 
 「契約の箱」あるいは「あかしの箱」を安置する天幕である。

 そして第27章では

 これを「会見の幕屋」と言っている。

 イスラエル人と神とが会うための天幕である。

 伊和神社は「会見の幕屋」として建てられたのである。

 豊穂命は宇智賀久牟豊富(うちかくむとほ)命ともみえ、

 香寺町に接する姫路市豊富町の地名に遺るが、

 この神名の本義は「ユダの秘密の祈り」である。

 「宇智」は後に述べる「宇都」と同じであり、

 「賀久牟」はヘブライ語の「秘密の」 GIHYM(geheym)、

 そして TFLH である。
 
 これから類例は増えるが、

 ヘブライ語の LH、TH は無音化する場合が多い。
 
 香寺町の岩部はすでに紹介したが、

 現在大歳神社の摂社となっている岩部神社には

 「洪水の際決壊した堤防を体を以って支えた大蛇に

  村人が神酒を奉げた故事に倣い神酒樽を
 
  二人で担いで同社に奉納し、
 
  平穏無事と豊作を祈る樽舁(たるかき)神事」がある。

 この「樽」は「タル」で

 律法を表わす TORH に依ると考えられる。

 また風土記に載る高野神社は田野に現在も鎮座するが、

 ヘブライ語の旧約聖書を表わす TNKh の音写である。

 香良に鎮座する一原神社は

 gade つまり「ガドの人」を祖語とする。

 土師地区名は「ハゼ」と言うが、

 これは HIRSIR(hersher) が原語で「支配者」を意味する。

  石坐神山の比定山を棚原山と述べたが、

 この山は香寺町恒屋の櫃蔵神社に関係する。

 両社は棚原明神を祀るのに係わりがある。

 「棚原」は「旧約聖書」 TNKh の転訛である。

 神社名は現在「ヒツクラ」と称されているが、

 「櫃」は箱の一種で霊櫃車と言われるように

 「柩」字と同音扱いされており、「キュウ」だが、

 これが「シュ」とも古代には発声されており、
 
 「櫃倉(蔵)」は SAKTL つまり「箱」の意味で、
 
 これらの内容から同社は「旧約聖書の箱」、

 つまり「神の箱」を信奉した名称である。

 夢前町の古知之庄の「コチ」は

 同じく「箱」を表わす KISTL(kestl) の音写で、

 ドイツ語の Kasten である。

 恒屋(つねや)の原語は「ツネオ」で TNKh であろう。

 このように香寺町の周辺はガド族の特徴

 「神の箱」信仰を表わす地名が多く、

 棚原が霊地であったと考えられるのである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年10月21日水曜日

旧約聖書のガド族③


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:964~975頁

 第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰

 《旧約聖書のガド族》

  この記述は極めて重要なので少々長いが転載した。

 その要点は、ガド族等は燔祭、素祭など犠牲を献げる。

 つまり祝祭のための祭壇を築いたのではないと言っている。

 祝祭のための祭壇はエルサレムの祭壇を

 ただ一つしか許されるものではなく、

 それをアルター ALTAR という。
 
 これに対し、ガド族等が築いたものは祝祭を行わない祭壇で、

 MZBK(mizbeykhe)という。
 
 そして、その祭壇ではヨシュアに言われたように

 「戒め」 MZB(mizbhe 戒律、祈り) と

 「律法」 TORH(tore 告示)を「慎んで行う」ためのものである。

 そして、

 ルベンの子孫、ガドの子孫及びマナセの半部族との間の

 また、それぞれの子孫の間においてもそれが証拠となるよう

 祭壇の型を同じくしないで証拠としたという。

 この証拠の意味は誓約である。

 このような説明により、

 イスラエルの人々は攻め上がるのを止めることとした。

 第23章の終わりで言う。
  
 「そして、イスラエルの人々は神々を褒めたたえ、

  ルベンの子孫、及びガドの子孫の住んでいる国を

  滅ぼすために攻め上がろうとは、もはや言わなかった。
 
  ルベンの子孫とガドの子孫は、

  その祭壇を「あかし」と名付けて言った。

  「これは、我々の間にあって、主が神にいます」

  というあかしをするものである。」(33、34)

  この「あかし」のヘブライ語は IDVT(ed) である。

 英訳本聖書が witness 証人(音が似ている)と訳しているように

 「証拠、あかし」であることに本義は間違いない。

 だが、この用語はドイツ語の Eid 、英語の oath であり、

 「宣誓、誓約」を意味し、特に「神にかける誓い」を表わす。

 「宣誓」とは大きな声で述べること、つまり「叫び」である。

 ガドの出生に当たってその名前がシュメル語の ga-du(叫ぶ)に

 係わる用語であることを説明したのは

  この事件に連なるからである。

 また ed の E は原カナアン絵文字で「叫ぶ人」であるといい、

  hô と訓んだとの説もあり、フェニキア文字、ギリシャ文字を経て

 現在の字形 E になったものである。

 「叫ぶ人」は単に大きな声を出している人のことではなく、

 シュメル語から継承された「神を讃える」 ār に係わると考える。

 ガド族の祭壇は IDVT(ed) と呼ばれる

 「宣誓、誓い」、「あかし」である。

  IDVT は民数記第9章15にも

 「あかしの幕屋」 AHL-HIDVH として用いられており、

 神とイスラエル人との間の「契約」を表わす用語でもある。

 IDVT は IDYVT(idiut) とも表記される。

 創世記第21章31の

 「彼らがそこで誓いをしたからである」とある。

 「誓い」をアメリカ聖書協会の古い版では oath としている。

  祝祭を行わないガド族の祭壇には、

 律法・トーラー・TORH を納める「神の契約の箱」のみが

 安置されることとなったのである。

 この箱は旧約聖書において

 「神の箱」「契約の箱」「あかしの箱」などと呼ばれる。

 1948年に死海の北西部のクムランから

 旧約聖書のヘブライ語版が発見され、

 死海文書(写本)として知られている。

 学問的にその発見地の名称からワディ・クムラン文書という。

 これは羊皮紙に書写されたもので巻物となっていた。

 これらの巻物の年代は

 紀元前3世紀の中葉から紀元前2世紀末以降、

 幅広くみて紀元前後2世紀に属するとされている。

 ガド族がアッシリアのシャルマネセル5世により

 メディアの周辺へ捕囚されたのは

 紀元前7世紀のことであったから、

 その間に4、5百年の隔たりがあるので確定的な推測はできないが、

 ガド族の祭壇に納められていたのは死海文書と同様

 羊皮紙に書かれた巻物の「律法」であったと思われる。

 あるいは

 クムラン文書中にもある銅版に印刻したものだったのだろうか。

  捕囚以前にはモーセ五書といわれる

 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記や

 その他の『記・紀』も成立していたので、

 祭壇の「神の箱」には、

 これらの聖書も納められていたと推測される。

 またヨシュアが「戒めと律法」と言っているので、

 「十戒」を刻んだ石板(神がモーセに授与した石板の複製)も

 納められた可能性がある。

 旧約聖書を総称してヘブライ語では TNKh という。

 また、

 箱を意味するヘブライ語は

 KFSH、SAKTL、KISTL、ARNがある。

 祭壇を安置する所は寺院ないし神社であるが、

 ユダヤ教の場合、神との会見の場で会堂あるいは公会堂、
 
 また、教会という。

 これを BYD-KNSD と言う。

 これまで「神社」と祖語を同じくすると述べてきた

 シナゴーグはギリシャ語名である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ