2015年11月25日水曜日

安来:十戒神社②


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1003~1007頁

 《安来:聖地「十戒神社」と祈り》

  第二の聖所は安来神社である。

 かっては祇園社と呼ばれた。

 同社の伝承にると、

 十神山から遷座されたという。

 同社の鎮座する安来公園内には

 「社日」の地名がある。

 これは「シャカ」で「箱 」SAKTL の転写である。
 
 安来公園と伯太川の間を木戸川が流れるが、

 「キド」は

 ヘブライ語の「聖、神聖、神聖な場所」の

 KDSh(kidesh)あるいは

 同類語の KDVSh(kidvsh 聖、神聖)の転訛とみられ、

 安来(ヤスキ)は聖地である。

 安来町の東隣り黒井田町に菊理神社が鎮座するが、
 
 これは「キリ」で、

 ガド族が

 イスラエルのヨルダン川の東側に

 居住していた頃の故郷名

 Gilied の転写と考えられる。
 
 「黒井田」名は

 明治期に黒島、細井、和田の三地区が

 合併してできた地名だが、

 ここに住む秦氏の人々の記憶に

 ギリアデ名の記憶があったに違いなく、

 黒井田はギリアデを暗示しているとみられる。

 また同地区内に鎮座する魚津神社も「ウオツ」で、

 INDVT(ed)、oath(英語) の音写とみられ、

 ガド族の「誓い、あかし」を言ったものと考えられる。
 
 その東南の門生町は「カド」あるいは

 「カドエ」と呼ばれているが、

 Gad、Gade (ガドの人) の意味である。

 さらにその東側の吉佐町は、

 そこは風土記にも「支布佐社」と載る

 支布佐神社が鎮座し、

 「キフサ」はこれも「箱」を意味する

  KPhSH の音写で「神の箱」であり、
 
 「キサ」となったものである。

 「インダ」は「波」を表わす AYND(ind) であり、

 市名米子は「マイス」で、

 神戸市垂水区や御津町の「舞子」と同様

 MYTs で「雨」を表わし、「水」に係わる地名である。

 黒井田町と門生町の間に清水町、清水山があるが、

 これは「ヤコブの泉」を表わす。

 清水町に接して宇賀荘町がある。

 宇賀は「ウケ」で「請」である。

 その字義は「保証人」である。

 ヨシュア記第22章34で「あかし」 IDVT(ied)を

 ほとんどの英訳本が witness としているが、

 その本義が保証人である。

 日本語訳本では「証拠、証人」とも訳されている。

 つまり字義は

 ガド族の最も貴重な約束である「誓い」を表わしている。

 誓いは「ウケい」とも読まれる。

 その北側の九重町は「くのう」と通称されている。

 ヘブライ語の KhHN(祭司)、KhHNH(祭司職)の音写で、

 ここに教会を守っていた祭司の施設があったのであろう。
 
 宮内町名も同類語とみられる。

  現在の郡名ともなっている能義神社の鎮座する

 能美町名は NAGV(nagu) で、

 「歓声を上げる、叫ぶ」の意味で、

 Gad がシュメル語の ga-de に係わると

 説明してきたことに係わる。

 nagu は日本語に消化され「なげく/嘆く」となっている。

 この「サケビ」を町名としているのが

 安来町の南側の佐久保町である。

 Gad の字義について「叫ぶ」が

 極めて重要であることがここに表明されている。

 「叫び」は「宣誓する」ことであり

 「誓い」することである。

 佐久保町内に鎮座する五神神社名は

 「モーセ五書」を言ったもので

 十神 TORH と同義である。

 ヘブライ語で「モーセ五書」を呼ぶ場合

 一般に KhVMSh(khumesh) と言うが、

 これは数字の「五」から取られた「五書」の意味で、
 
 五神は明らかに TORH (十神)である。
 
 その十神山は砥神嶋という「島で」あったが、

 人々はその信仰を「島」信仰として行っていた。

 播磨風土記飾磨郡に載っていた

 因達里の「インダツ」は

 ヘブライ語の AYNDZL(indzl島)に依るもので

 砥神島を指す。

 播磨国にも砥神島が

 聖地として知られていたとも考えられる。

  出雲風土記が

 伯太川が葛野山を水源とすると述べているが、

 そこは現在鳥取県の県境にして、

 風土記の言うように

 現在の意宇郡伯太町と能義郡広瀬町の境に当たる。

 その水源近く広瀬町東比田に縄久利神社が鎮座する。

 同社名は「シャウクリ」と読め

 「神の箱」SAKKTL である。

 伯太町側の草野は葛野(くずの)か、

 吉佐町名になっている

 KRhSh(箱)を基語としているとみられる。

 その下流の地名十年畑は「聖書」 TNKh 、

 赤屋は aguā で「水」である。

 広瀬町側の比田は日本語の「櫃(ひつ)」を

 転訛させた地名である。

 兵庫県の香寺町恒屋の

 櫃倉神社などに用いられた用語である。

 西比田に鎮座する比田神社は一宮と呼ばれているが、

 風土記にも仁多郡に「比多社」と載っている。

 さらにその仁多町との町境にある

 久比須峠と仁多町久比須は「支布佐」と同根で

 KPhSH が訛った名称である。

 ガド族の人々は日常的な聖地として

 安来市の砥神嶋(安来神社)を、
 
 そして el-sed(神-山)と言われるように

 奥深い山中に、もう一つ 、すなわち

 第三の聖地を創設していたとみられのである。

 因みに葛野山の「葛」は

 「カズラ」ないし「カツ」で、

 これは「ガド Gad 」を表わしている。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント: