2015年11月24日火曜日

安来:十戒神社①


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:996~998・1002頁

 《安来:聖地「十戒神社」と祈り》

  因幡国風土記に記載されていたものだろうとして

 「稲葉国」と「白兎」が遺っている。

 また『古事記』に同様の話が載っているが、

 そこでは稲葉を「稲羽」、白兎を「素兎」と表記している。
 
 その説話の舞台は鳥取市西部の海岸高草郡の辺りである。

 その内容はあまりにも有名なので除くが、

 本書ではこれまで「ワニ」は

 サンスクリット語の交易商人である

  vanika に依ると紹介してきた。

 それでは「ウサギ」とは何か。

 これはヘブライ語の HSGKH(hasigha) の音写で、

 現代風にいうと「監督」を意味する。

 hash が「ウサ」になっているが、

 それは天鈿女(あまのううめ)命の場合と同様である。

 「ウズ」はサンスクリット語の「哄笑」を意味する

 hāsa の転訛したものである。

 天岩屋戸の前の「大笑い hāsa 」は哄笑であるいは

 歓楽として全く適切な形容である。

 また「白」は「繭」を示している。

 この近く現岩美郡国府町に

 稲葉山とも呼ばれる宇倍山があるが、

 この「ウベヤ」が VVYYS からできた名称である。

 宇倍山には宇倍神社が鎮座し、因幡国の一宮である。

 また稲羽は和名類聚抄に法美郡稲羽郷とあり、

 訓を「伊奈波」としており、

 播磨国風土記宍粟郡に載る

 伊奈加川と同様「秦」を意味する。

 「稲羽の素兎」は「秦氏族の繭監督官」となり、

 因幡地方で算出した繭あるいは絹糸の貿易商人との取引で

 問題が起こり困っていた秦氏族の取締の者を

 大国主神が援助したという物語となる。

 ワニである商人は大型の貿易船で行き来しており、

 ワニの数えるとは、その船を検査したのであったろう。

 ここで重要なのは、絹の商人秦氏と大国主神、

 つまり、
 
 大名持命の部族神門族が援助関係にあることである。

 大国主神が因幡に出掛けた理由は

 須勢理比売やその母八上比売を訪ねるためであったが、

 「スセリ」は「白い石」、

 「ハチカミ」は「絹虫:蚕」に意味であることを

 「絹と地名分布で」で述べてある。

 これらの女神は秦氏に係わる者と考えられる。

 大名持命は須勢理比売を正妻とするのであり、

 双方の親近さが理解される。

  第6章の「海洋交易商人へ」で

 月氏であるイスラエル人は

 インドの貿易商人組合に加入して

 東アジアへ渡来したのだろうと推測される。

 それというのも出雲の東端にイスラエル人である

 ガド族の聖地が創設されていたからである。

 それが安来市である。

 成立の時期については確定し難いが、

 3世紀後半から4世紀の初頭と考えられる。
  
  「安来」名は出雲風土記の意宇郡に、

 和名類聚抄には出雲国能義郡に「安来郷」とある。

 双方ともその訓は解らない。

 中世には「安来荘」となったが、

 その後、屋杉、矢杉、八杉、安来などと表記された。

 ここが秦氏、ガド族の居住地かどうかであるが、

 風土記に「伯太川」があり、

 その呼称をかっては「ハタ」と言っていた。

 風土記に

 「源は仁多と意宇と二つの郡の堺なる葛野山より出で、

  北に流れて母里・縦縫・安来の三つの郷を経て、

  入海に入る」とあり、

 その水源がガドに縁りのsる葛野山である。

 日本古典文学大系の訓も「ハタ」としており、

 ここが秦氏に関係あることを示唆している。

  「安来」の地名由来について風土記は

 「神須佐之烏命、天の壁立廻りまししき。

  その時、此処に来まして詔りたまひしく、

  『吾が御心は、安平(やす)けくなりぬ』

  と詔りたまひき。

  故、安来といふ」とあるが、

 これにそのまま従うことはできない。

 なぜならば、「ヤスキ」はヘブライ語の

 IShRH(Iasarah)の音写で

 「十戒」を表わしているからである。

 十戒は IShRT-HDBVT といい

 「十のこだま」の字義で通用されている。
 
 IShRHとIShRTは「十」を表わす。

 文法的に男性形の表記で同意をなす。

 その「十戒」の聖地が、「安来」にあるのである。

  安来市安来町に聖所が弐ヵ所あると考えられる。
 
 第一は十神山である。

 風土記は「嶋」として載る。

 現在は陸続きとなり島ではなくなったが、
 
 古代においては中海中の離れ島であった。

 「十神」とは「十戒の神」であり、

 「砥神」は「卜の神」で、これは D' 、

 すなわち旧約聖書のヤハウェ神の御名で、

 ADNY(主)の略称とも云え、

 無闇に YHVH との呼称を使わないための方法である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
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