2015年2月26日木曜日

 狗奴国④

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:862・863頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国④

  以上が古代に「キノ」があったとみられる遺称地であるが、

 九州の西部、南部にその所在地があり、

 近畿地方には大きな吉野の地域がある。

 このうちのどこかということになるが、

 やはり奈良県の吉野郡から大和盆地と考えざるを得ない。

 狗奴国は邪馬臺国であるからには

 かなり広大な地域を傘下に置く大国である。

 邪馬臺国を奴国(福岡市)に連なる九州の域内とすることを前提とし、

 倭国伝の「女王国から東へ渡ること千余里」は

 その重要な判断資料である。

 吉野郡は「キノ」で、

 吉野川の流れる五条市の和歌山県境に木ノ原の地名がある。

 木原(きのはら)町、天香具山の西側の木之本に通じる。

 大和高田市磯野町名も「キノ」である。

 更に平安時代の資料によると

 十市郡のうちに喜荘(きのしょう)があった。

 その遺称地はないが、

 桜井市粟殿内の小字名「木之庄」の比定にされている。

 粟殿に「キノ」があることは興味深い。

 「キノ」は巫覡(ぶげき)であるが、大神神社は巫女の神社であることは

 『記・紀』の伝承始め多くが語られている。

 三輪山信仰が太初における祭政の中心であった状況は

 第12章で詳しく見てきたところである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年2月6日金曜日

狗奴国③

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:861・頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国③

  「吉野」は「キー」で「クナ」と訓音が近く

 巫覡、狗奴と同根語と考えられる。

 だが、ここは狗奴国ではない。

 「女王に支配されている領域の国々の内の弥奴国」である。

 「ミナ」はサンスクリット語の menê の音写で

 「女、婦人」を意味する。

 弥奴は後世の三根郡名や上峰町名の祖語である。

  「吉野(キー)」が gnā である

 巫覡の別名であることが解かったが、

 吉野を地名とする地域は処々にみられる。

 そしてそれらの一つが狗奴国の遺称地と考えられ、

 その一所が所在地として追求されなければならない。

 倭人伝の記録された時代(紀元3世紀)には

 各地に巫覡がいたのであろう。

 「キー(吉野)」名の地名を追ってみた。

 ○福岡県鞍手町、小竹町「吉野」

 ○福岡県大牟田市吉野

 ○熊本県荒尾市宮内(クナイ)

 ○熊本県下益城郡南町吉野(吉野山、築地)、

  築地は「チク地」だが、「キネ地」とみられる。

  隣りには舞原がある。

 ○熊本県菊地市木野、鹿本郡菊鹿町木野、

  和名類聚抄の菊地郡城野郷

 ○鹿児島県鹿児島市吉野

 ○岡山県東部吉野川(地名に吉野郷)

 ○徳島県板野郡吉野町(吉野川)

 ○奈良県吉野郡(吉野町、東吉野町など13町村、五条市)、

  大台ケ原を水源とし吉野郡を流れ下る吉野川は

  和歌山県に入って紀ノ川と改称される。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

狗奴国②

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:859・860頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国②

  gnā は「女神」であるが、

 また神妃で「巫覡(ふげき)」となって「巫女(かんなぎ)」を

 いうものである。

 「巫覡」は邪馬臺国の卑弥呼、大神神社の勢陀多良比売命など

 紀元2~4世紀にはその祭政時代を担う

 重要な役目を果たしていた。

 そのような状況を明らかにしているのが

 佐賀県三養基郡三田川町の吉野ヶ里遺跡である。

 遺跡のうちからは祭祀の遺構が発掘されている。

 この地域は遺跡の東方に目違原の地名があるように

 「和名類聚抄」の肥前国三根郡米多郷内である。

 「米多」はその訓みを「女多」と記入されている。

 「メタ」はサンスクリット語の「祝祭」を意味する

  medha に由来する。

 奈良県大和郡山市稗田町に鎮座する売多神社名に通ずる。

 同社は『古事記』の編纂を担った語部の性格を持つ

 稗田阿礼を祀り、

 延喜式神名帳大和国添上郡に載る神社である。

 阿礼の祖神は天鈿女命である。

 同女神の実態については第1章祝祭で詳しく述べた。
 
 同女神は祝であったが、『古事記』の天の石屋戸の場面で

 「神懸かり為て」とあることからまた巫覡であることが解かる。

 その踊子の姿は巫女舞いである。
 
 「売多」を神名帳は「ヒメタ」と訓ませているが、

 これは天鈿女命の性格から「メタ」である。

 舞踊をサンスクリット語で tandava ということは

 第1章などで紹介したが、その転訛された地名を持つのが

 吉野ヶ里遺跡の地籍「田手」である。

 その地名は遺跡のすぐ南に鎮座する田手神社に依るだろう。

 同社の現祭神は

 撞賢木叢之御魂疎向津媛命で天照大神であることは

 前章で明らかにしたところであるが、

 同社の現祭神は撞賢木叢之御魂疎向津媛命で

 天照大神であることは

 前章で明らかにしたところであるが、天鈿女命は天照大神の

 隠れた天の石屋戸の前で踊った。

 つまりその御前を祀る女神で、大宮能女神であり、

 豊宇気毘売神(登由宇気神)であることが

 本書の考察でみえてきた。

 伊勢市の伊勢神宮の周辺に夫婦関係にある猿田彦神社は

 在っても天鈿女命をその名で祭る神社はない。

 つまり豊受大神宮(外宮)こそが天鈿女命の鎮座地にして
 
 天照大神への奉祭神なのである。

 京都市伏見区の稲荷大社には猿田彦大神、大宮能売大神と

 揃って祀られている。

 田手神社の本来の祭神は同じ女神ではあるが、

 天疎向津媛命ではなく、

 踊子の語義からして天鈿女命であったはずである。

 その変更は神功皇后の半島遠征に纏わると推測される。
 
 田手の直ぐ西側神埼町神崎に鎮座する櫛田宮は

 福岡市博多区上川端町の櫛田神社と関係し、

 神功皇后の奉祭伝承を持つ。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2015年2月1日日曜日

狗奴国①

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 《参考:年表・資料》

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:857・858頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国①

  狗奴国について

 「倭伝」は

 「(女王国と)同じ倭の種族なのであるが、女王に属していない。」

 と述べる。

 また「倭人伝」は

 「狗奴国があり、男子が王となっている。

  その官に狗古智卑狗がおり、この国は女王に服属していない。」

 と述べ、

 正始8年(247年)には次のような記述がある。

 東洋文庫「東アジア民族史」より転載する。

  〔帯方郡の〕太守(長官)王頎が新たに任官されると、

  倭の女王卑弥呼は、もとから狗奴国の男王卑弥弓呼と

  不和であったので、

  倭の載斯烏越らを遣わして〔帯方〕郡に行かせ、

  〔狗奴国と〕戦っている様子を報告した。


  これらの記録だけが考察の材料である。

 「狗奴国」の訓み方は「狗」が漢語では gou であり、

 「奴」は奴国を「ナとする限りにおいて」

 na (漢語 nu)で、gou-nau となり「クナ」と訓める。

 この「クナ」はサンスクリット語の gnā の転訛で

 「女神」に依るものと考える。

 奴国が nau (船)国、

 末廬国が madhura (甘いもの、蜜)国であるから、

 サンスクリット語の地名であっても不思議ではない。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2015年1月31日土曜日

倭人伝の国々

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:854・855・856・857頁

 第十三章 「倭人伝」狗奴国

 倭人伝の国々

  ここではこれまでに参考にしてきた

 「後漢書倭伝」「三国志魏書倭人伝」に登場する諸国のうち一部を

 解説して纏めることとする。 

 そのうちの狗奴国については少々詳しく考察してみる。

 まず「倭人伝」に従い、

 魏から倭に渡行する途次の国と倭の国々についてみる。

 (1)狗邪韓国

   韓半島の南端の国で、帯方郡より海路七千余利里。

  狗邪は「姑射と偎人」で述べた。

  現在の釜山地方である。


 (2)対馬国

   狗邪韓国から海路千余里。

  現在の長崎県の対馬であり、

  その語義は「馬韓に対面する」である。

 (3)一大国

  対馬国より南へ海を渡り千余里。

  現在の長崎県壱岐。

 (4)末廬国

   一大国から海を渡り千余里。

  現在の佐賀県・長崎県に広がる松浦郡のうち、

  具体的な場所は定かでない。

  しかし、「マツラ」は第一章祝祭「淀姫と佐保佐神社」などで

  述べたがサンスクリット語の madhura (甘いもの、密) が

  祖語である。

 (5)伊都国
   
   末廬国から東南に五百里。

  現在の糸島郡。

 (6)奴国
  
   伊都国から東南に百里。

  現在の福岡市博多の地域。

  「奴」の祖語はサンスクリット語の「船」を表わす nau である。

  第六章のユダヤ人と月氏や第十章天毒とセリカで触れた。

 (7)不弥国

   奴国から東に百里。

  現在の福岡県宗像郡福間がその比定地。

 (8)投間国

   不弥国から水行二十日。

  現在の宮崎県児湯郡都農町、日向市の南部。

  第十二章大国主神と大物主神

  「大国主神の奉祭氏族(4)都農神社」で述べた

  「藤見」がその遺称だが、その官名「弥弥」から

  日向市の美々津町まで含む広い地域。

 (9)邪馬臺国 

   投間国から「南に進み」、

  水行十日、陸行一ヶ月かかるとあるが、

  水行陸行の時間的配分は不明瞭。

  不弥国から投間国まで水行二十日とすると、

  その方向と時間の推量から鹿児島県地方となるが、

  実際は「水行一ヶ月、陸行十日」であった可能性もある。

 (10)女王に支配されている領域、二十カ国及び奴国

   これらの国も九州の域内と考える。

 (11)狗奴国

   「魏書倭人伝」は「その南に狗奴国があり」と、

  女王の支配している領域に位置していると記しているが、

  時代的に魏より前の時代の史書ではあるが、

  「魏書」により纏めたものとの見解のある

  「後漢書倭伝」には

  「女王国から東へ渡ること千余里で拘奴国に至る」とある。

  狗奴、拘奴と異字になっているが、同じ国と解釈される。

  この「倭伝」の情報をより正確なものとすれば

  狗奴国瀬戸内海を東進して千余里の近畿地方となる。

  魏書にも

  「女王国の東、海を渡ること千余里のかなたに、また国がある。

   いずれも倭種の国である」と

  後段に述べ、その国名を明らかにしていない。

  後漢書の表記とほとんど同じで、

  この国が「狗奴国」と解釈することができる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
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2015年1月25日日曜日

神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命③

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 《参考:年表・資料》

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:851・852頁

 神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命③

 つまり「剣持神」はインドラ神にして大物主神である。

 大神神社の巫女であった姫蹈鞴五十鈴姫命が

 同神を祀ったとしても不自然でない。
 
 同社は大神神社の部宮と称される近い関係にある。

 しかし摂社末社には属さず、

 別宮というもののけじめがつけられているのは、

 同姫の神武天皇の皇后になったとの立場が

 考慮されてのことと判断される。

 大物主神の神妃はその摂社に祀られているが、
 
 三穂津姫命の名はない。

 そのような状況からすると、

 「弥富都比売」は

 姫蹈鞴五十鈴姫命その人をいうものなのである。

 「弥富都」は『古事記』名にある「富登」で「弥」は

 サンスクリット語の mih (霧)で megha (雲)と同義で

 「ミフツ」は「雲‐剣」で「雷光、稲妻」である。

 島根県八束郡美保関町の「三保」は

 そこに「雲津」の地名がある通り mih(megha) の転写で、

 「三穂津」は雲に因んで作られた名称である。

 『日本書紀』では三穂津姫を大物主神の妻とするが、

 巫女は本来神妃にして妻であり、

 媛蹈鞴五十鈴姫もその立場にあった。

 明治24年の「神社明細帳」は

 祭神を「弥富都比売神、大物主大神」とし、

 主神を比売神とする表記となっており、

 夫妻神を表わすような表記ではない。
 
《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2015年1月24日土曜日

神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命②

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
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 《参考:年表・資料》

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:850・851頁

 神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命②

 『日本書紀』によると、神武天皇は樫原宮に即位し

 「正妃を尊び皇后をとす」とある。

 磯城郡田原町蔵道の村屋坐弥富都比売神社の地へ

 移ったのである。

 同社の伝承によると、

 神武天皇元年9月に

 媛蹈鞴五十鈴姫命に村屋の神等を斎祀させたとある。

 同社は延喜式神名帳大和国城下郡に

 「村屋坐弥富郡比売神社大」と載る。
 
 祭神を現在は三穂津姫、大物主命とする。

 この判断は『日本書紀』の葦原中国の平定の段で

 高皇産霊尊が、

 八十万神を引いて事代主神ともども帰順してきた大物主神に、

 その女三穂津姫を娶あわせて永久に皇孫を守り奉るようにと

 地上へ還り降下させてという一書の伝承に従うものである。

 「弥富都」を「三穂津」と訓んだ上での判断である。

 だが、高皇産霊尊はさらに後世に神格化された神であり、

 神武天皇の時代における三穂津姫の存在は薄い。

 同社の祭神について

 江戸時代の「和州旧跡幽考」や「大和名所図会」は

 「韴霊劒(ふつのみたまのつるぎ)」とする。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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