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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
※Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:859・860頁
第十三章 「倭人伝」
狗奴国②
gnā は「女神」であるが、
また神妃で「巫覡(ふげき)」となって「巫女(かんなぎ)」を
いうものである。
「巫覡」は邪馬臺国の卑弥呼、大神神社の勢陀多良比売命など
紀元2~4世紀にはその祭政時代を担う
重要な役目を果たしていた。
そのような状況を明らかにしているのが
佐賀県三養基郡三田川町の吉野ヶ里遺跡である。
遺跡のうちからは祭祀の遺構が発掘されている。
この地域は遺跡の東方に目違原の地名があるように
「和名類聚抄」の肥前国三根郡米多郷内である。
「米多」はその訓みを「女多」と記入されている。
「メタ」はサンスクリット語の「祝祭」を意味する
medha に由来する。
奈良県大和郡山市稗田町に鎮座する売多神社名に通ずる。
同社は『古事記』の編纂を担った語部の性格を持つ
稗田阿礼を祀り、
延喜式神名帳大和国添上郡に載る神社である。
阿礼の祖神は天鈿女命である。
同女神の実態については第1章祝祭で詳しく述べた。
同女神は祝であったが、『古事記』の天の石屋戸の場面で
「神懸かり為て」とあることからまた巫覡であることが解かる。
その踊子の姿は巫女舞いである。
「売多」を神名帳は「ヒメタ」と訓ませているが、
これは天鈿女命の性格から「メタ」である。
舞踊をサンスクリット語で tandava ということは
第1章などで紹介したが、その転訛された地名を持つのが
吉野ヶ里遺跡の地籍「田手」である。
その地名は遺跡のすぐ南に鎮座する田手神社に依るだろう。
同社の現祭神は
撞賢木叢之御魂疎向津媛命で天照大神であることは
前章で明らかにしたところであるが、
同社の現祭神は撞賢木叢之御魂疎向津媛命で
天照大神であることは
前章で明らかにしたところであるが、天鈿女命は天照大神の
隠れた天の石屋戸の前で踊った。
つまりその御前を祀る女神で、大宮能女神であり、
豊宇気毘売神(登由宇気神)であることが
本書の考察でみえてきた。
伊勢市の伊勢神宮の周辺に夫婦関係にある猿田彦神社は
在っても天鈿女命をその名で祭る神社はない。
つまり豊受大神宮(外宮)こそが天鈿女命の鎮座地にして
天照大神への奉祭神なのである。
京都市伏見区の稲荷大社には猿田彦大神、大宮能売大神と
揃って祀られている。
田手神社の本来の祭神は同じ女神ではあるが、
天疎向津媛命ではなく、
踊子の語義からして天鈿女命であったはずである。
その変更は神功皇后の半島遠征に纏わると推測される。
田手の直ぐ西側神埼町神崎に鎮座する櫛田宮は
福岡市博多区上川端町の櫛田神社と関係し、
神功皇后の奉祭伝承を持つ。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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