2016年4月20日水曜日

《国常立神・ヤハウェ神・エア(エンキ)神》


 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

itle="Matのジオログ(History)">Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1144~1148頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰
  
 《国常立神・ヤハウェ神・エア(エンキ)神》

  さて、御嶽神社の祭神について具体的に考えてみたい。

 角川日本地名大辞典が纏めた時代区分的名称によると

 その実態が判ってくる。

 
 室町期       王御嶽座大権現

 室町末期~江戸初期 御嶽座王大権現・岩戸大権現

 江戸中期      御嶽山座王権現

 明治3年      御嶽岩戸神社

 
  ここで判ることは、

 まず「岩戸」と「王」が併用されることが

 無かった事実である。

 この点からも「王」は前節で解いたように

 岩(AVN)とすることができる。

 次に何れの時期もその祭神を

 「大権現」と称していることである。

 権現はサンスクリット語の avatana の意訳で

 「神が顕在すること」、

 平易に言えば「神がこの世に表れること」である。

 ここの「大」は単に「大きい」の表意ではない。

 「ダイ」には

 ヤハウェ神の字義が込められているのである。

 同神の名を直接に呼ばないための呼称 DI(dai) が

 その原語である。

 DIは「智恵者」に係わるヘブライ語の同義語

 DIH(知恵、知性)から誕れた尊称である。

 この用語は「因幡と陶器師土師氏」で触れた

 鳥取県の大山の「ダイ」でもある。

 漢字の「大」はガド族を表わす「大きい」でもあるが、

 「ダイ山」はまた「ヤハウェ神の山」でもある。

 現在まで大神山神社と称して

 大智明権現、大山権現と称されてきた神名は

 ヤハウェ神の神髄が十分に表明されている。

 祭神を大己貴神としている点でも御嶽神社と共通している。

 なお、同節において「大きな岩、岩」を表す

 TsVR:ツル が「岩なる神」の主旨でも使われ、

 TsVR-YSRAL(岩-イスラエル)は「イスラエルの神」の

 意味で知られていることを紹介した。

 前節、本節はそれを明確に表徴する内容である。

  御嶽山の祭神は国常立(くにのとこたち)尊、

 大己貴(おおなむち)命、少彦名命三神である。

 国常立尊は『日本書紀』の表記に依るもので、

 巻第一の神代紀に最初に挙げられた神名である。

 「故、曰く、開闢の初めに洲壤(くにつち)浮き漂うこと

  譬(たと)えば游(あそ)ぶ魚の水の上に浮べるが

  猶(ごと)し。 

  時に、天地の中に一つ物生(な)れり。 

  状(かたち)葦牙(あしかび)の如(ごと)し。

  便(すなわ)ち神と化爲(な)る。

  國常立尊(くにのとこたちのみこと)と號(もう)す。

  【至りて貴きを尊と曰い、

  それより餘(あまり)を命と曰う。

  並びに美(み)舉(こ)等(と)と訓(よ)む。

  下(しも)皆(みな)此(これ)に效(なら)え】」

 またその一書は

 「一書に曰(いわ)く、

  天地(あめつち)初めて判(わか)るるときに、

  一物(ひとつもの)虚(きょ)の中に在り。

  状貌(かたち)言い難し。

  其の中に自ずと化生(なりいず)る神有り。

  國常立尊(くにのとこたちのみこと)と號し、

  亦は國底立尊(くにのそこたちのみこと)と曰う。」

 とある。

 『古事記』は

 「葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物に

  因(よ)りて成りし神の名は、

  宇摩志阿斯訶備比古遲(うましあしかびひこぢ)の神

  【此の神の名は音を以ちてす】。

  次に天之常立(あめのとこたち)の神

  【常を訓みて登(と)許(こ)と云い、

  立を訓みて多(た)知(ち)と云う】。」を挙げ、

 「次に成りし神の名は、

  國之常立(くにのとこたち)の神

  【常・立を訓むことまた上の如し】。」と

 神名を記している。

 その神格について『日本古典文学大系』は

 「国土の根源神」と注記している。

  現在国常立尊は王滝頂上の奥宮に祀られている。

 祭祀の開始が、江戸時代の教派神道の同神を尊崇する

 御嶽教の隆盛に依るものなのか、

 それ以前から奉賀されていたのか実のところ不明だが、

 その神の性格からするとかなり古い時代から奥宮に

 祀られていたと考えられる。

 なぜならば同神の背景がここに解いてきた

 大権現(ヤハウェ神)を彷彿させるからである。

 「常立」を『日本書紀』は、

 「底立」と言うとも述べているが、

 「トコタチ」はヘブライ語の TKhTYT(takhetit)であり、

 「底」を表わすからである。

 その概念は上記の「滝」の祖語で地下水を意味する

 THVM が

 「地中の深い所、深淵」をも意味することに対応し、

 「トコタチ」は御嶽信仰に適っているのである。

 さらに近似語 TKTYV(tuketiu) は「指令、命令」の字義で

 十戒の律法な対応するのである。

 このように常立尊は

 「地下水、深淵」と「戒律」を背景に持っている。

 後者については

 三浦山、三間山、呂などの山名、地名を挙げ述べた。

  ヤハウェ神が

 地下水の神であることは十分に理解されただろう。

 そこで再確認しておきたいのは、

 本書第5章 『旧約聖書』「創世記」で

 ヤハウェ神の祖像がメソポタミアのエア ea 神であろうと

 述べておいたことである。

 エア神はシュメルの最初の町エリドゥの祭神で

 地下の真水の神と理解されている。

 エア神の別称をシュメル語でエンキ神という。

 En-ki は「神-地」・「地神」で、

 地下から真水を湧かせるに適する呼称である。

 またヤハウェ神を表記するのに YY(yeya) があり、

 ea と同音であることを指摘しておいた。

 『出エジプト記』

 第17章の挿話と御嶽信仰に係わる諸情勢と

 国常立尊の本性、さらに次節に述べる

 「オオナムチ」の背景からすると、

 ヤハウェ神の祖像が

 メソポタミアのエア神にあることを彷彿させている。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2016年4月18日月曜日

《木曽の御嶽山と水無神社》②

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1136~1143頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰


 『出エジプト記』第17章の岩から出る水に解釈となる。

 王滝村内で剣ヶ峰方面から流れ出る川

 濁(にごり)川の「ドク」も DLH の取入れとみられる。

 「水を井戸などから汲み上げる」あるいは

 「知識や才能を引き出す」であり、

 水を岩山から溢れ出させ、

 人々に智恵(律法)を授ける神性に相応しい用語である。

 岐阜県側益田郡小坂町に

 温泉の地名ともなっている濁川がある。

 王滝村名を滝越近くの大滝からする見解もあるが

 疑わしいと考える。

  御嶽山の峰の継母岳、継子岳の

 「ママ」は「水」を表す MYM の借用、

 付近の王滝村内の三浦山、

 岐阜県益田郡小坂町の三間山の

 「ミッマ(ヴァ)」は「戒律」の MTsVH に依る。

 摩利支天山はインドの「陽炎」を表わす

 サンスクリット語の marici が

 仏教に取り入れられた菩薩名でであるが、

 原初的にはモーセではなかったかと疑っている。

 益田郡に馬瀬村がある。

 この「マセ」は「伊豆と浜名」で転載した

 『出エジプト記』第17章の最後にある。

 「彼はその所の名をマッサまたメリバと呼んだ」とある。

 マサ MSH (試し)の音写である。

 郡名益田は「マシタ」と称されるが、

 小坂町と萩原町の境にある御前山名は

 「ゴゼン」で KhYVN (啓示)の音写で

 神の奇跡を表している。

 当山上にも祠があって、

 かっては降雨の霊験が明らかとして旱魃の時

 雨乞いのため登山し祭事を行ったという。

 益田郡の北側は大野郡となるが、

 これも「岩石、石」の AVN の音写である。

 その大野郡宮村に水無神社が鎮座する。

 飛騨一宮で「延喜式」神名帳に記載されている古社で、

 「ミツナシ」と付している。

 地元では「スイムさん」と親しんでいる。

 祭神は水無神と称していて

 現在、御歳神を主神に、

 相殿に大己貴命以下十三神を祀っている。

 水無神本性について諸説あって定まっていないが、

 大己貴命、少彦名命が本性である。

 御歳神は大年神などと表記され

 「トシ」が神名であるが、その理解は後述する。

 実はこの神名も少彦名神と関係している。

 つまり、

 「水無」とは『出エジプト記』第17章に語られている。

 砂漠を彷徨ううちにシンの荒野を過ぎた辺りで

 イスラエルの人々に水が無くなってしまった事態を

 言うものである。

 同社も御嶽山信仰と共に誕れたものであろう。

 同社は御嶽山を囲むように信濃、美濃に分社十社、

 縁社五社を持っている。

 「シン SYM 荒野」を想定しているのであろうか。

  御嶽山頂近く王滝村と小坂町の県境に上俵山がある。

 俵は「タワラ」で前述の田の原を「タハラ」とすれば

 関係を生じ、 TVRH の音写で「平板」 の呼称となり、

 同じシナイ山頂で神がモーセに十戒を刻んで

 授けた石板を表わすこととなる。

 小坂町名は「オサカ」で十戒を旨としる

 IShRH の音写である。

 益田郡に温泉で知られた下呂町があるが、

 萩原町に属している中呂、上呂と合わせ、
 
 「呂」は地域名である。

 「ロ」は LVKh の音写で「(金属や石の)板」で

 TVLKh に対応する。

 これらの事情をみると、
 
 呂地域に隣接する馬瀬がモーセ名であっても

 決して不思議ではない。

  御嶽山の神峰三岳は木曽郡に属している。

 「キソ」もヘブライ語の KSH の音写である。

 字義は「覆う、隠す」で三笠山の MKSH に対応する。

 このようにみると三笠山神社には聖書や神器など

 神聖なものが埋納されているのかもしれない。

 木曽にも福島町がある。

 「福島」は安来市安来の現在、十神山、

 『出雲風土記』の頃は砥神島といった「十戒」である

 律法を祀った島で、飯島とも関係する聖地名であり、

 イスラエル人に係わっている呼称である。

 松本市に現在井川城という地区があるが、

 そこはかって小島と呼ばれ、

 木曽から出て来た人々が成した所と知られている。

 小島は福島を経た砥神島の伝承名で

 「多摩の律法箱」で述べたように

 「虎島(TVRHの島)」であったろうか。

  木曽の御嶽山は

 正に隠されたイスラエルの人々の聖地であったのである。

 王滝村上島の御嶽神社里宮について

 宝暦7年(1757年)の「古蘇志略」に以下のようにある。

  岩戸権現祠、上島に在り、

 巨岩の壁立すること数仞なり、

 其下に嵌空なる有り、

 祠殿を建つ、岩側の一脉、?として絶へず。

 祠家伝云ふ、是れ御嶽の別宮なり。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2016年4月13日水曜日

《木曽の御嶽山と水無神社》➀

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:~頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《木曽の御嶽山と水無神社》

  前節「伊豆と浜名」において熱海市の伊豆山の

 後背に岩戸山があることを紹介したが、
 
 その「岩戸」を信仰の対象としているのが

 長野県木曽郡の岐阜県境に位置する御嶽山の

 御嶽神社である。

 御嶽神社の神職(祠官)滝氏が所蔵する

 「神社留記」に

 「御嶽座五権現一社、往古八岩戸権現共奉申候」とあり、

 また

 「岩戸五社末社再興之事、文明十六年建立也」とあり、

 同山の神格、御嶽神社が古い時代に「岩戸権現」と

 呼ばれていたことを明らかにしている。

 滝氏所蔵の古書のうちの

 祭文「五御嶽座五権現祭詞」(栄正四年<1507>)にも

 「五御嶽座五権現里社岩戸」などとあるという。

  前節で述べたように

 「岩戸」は「岩の水口」の意味であるが、

 同山信仰は果たして

 ヤハウェ神信仰と関係があるのだろうか。

 御嶽山の山頂(剣ヶ峰)付近には

 一ノ池から五ノ池まで

 箱根の芦ノ湖とは比べものにならない小さな池があり、

 四方へは数多くの川が流れ出し、

 水を里へ送り出していて

 確かに水の恵みを生む山であることに間違いない。

  御嶽信仰は修験者の修行の場であったり、

 権現などと仏教とも習合して来た。

 滝氏の永禄五年(1562年)の文書に

 「五御嶽座五権現大菩薩御岩戸」などとある。

 江戸時代になると各地に構社が組まれ先導に

 導かれ多くの庶民が登拝するようになった。

 御嶽神社は明治九年(1876年)に編まれた

 「王滝村誌」にもあるように「御嶽岩戸神社」

 なのであり、岩戸である「水口」「泉」ひいては

 「水神」信仰なのである。

  水神といえば、前節で紹介した

 『出エジプト記』第17章のヤハウェ神が係わってくる。

 しかし、現状において

 一般に認識されている信仰にはその影は見えない。

 だが、以下に解明するようにその最古層には確固とした

 ヤハウェ神信仰が潜在しているばかりでなく、

 イスラエル人(ガド族)の

 『出エジプト記』第17章の舞台

 シナイ(ホレブ)山のに見立てた聖地なのであり、

 彼らが日本で開発した最大の山岳聖所であった。

 御嶽神社の奥宮は王滝頂上にある。

 里宮は大滝村上島と三岳村黒沢に開基されている。

 その王滝村から奥宮へ向かっての山道を登って行くと

 八海山に到り、八海山神社に参拝することとなる。

 さらに行くと三笠山に到り三笠山神社に参拝し、

 田の原を経て七、八、九合目から

 王滝頂上剣ヶ峰の奥宮に辿り着く、

 これらが御嶽信仰の三山(岳)である。

 山岳の峰に「八海(はっかい)」とは奇妙なことである。

 その背景に何が隠されているのか解明した。

  八海は「ハッカミ」にして「ハッカム」である。

 つまり「鷲宮神社と板倉の雷電神社」などで

 取り上げた Kh(H)KhM の音写で「智恵者」である

 ヤハウェ神を祭祀しているのである。

 三笠山の「ミカサ」もヘブライ語の MKSH の音写で
 
 「隠れ場、避ける所」の字義である。

 何が隠されたりするのだろうか。

 それは「田の原」が示している。

 「タノハラ」は TNH の転訛で

 『旧約聖書』の諸書の総称であり、

 三笠山神社は聖書を密蔵するとの至聖所である。

 そして御嶽山となるが、

 明治五年までは「ミタケ」と称されていたので、

 それに従い考える。

 三岳(山)と把える

 「ミ」は熱海の「ミ」と同じく「泉」である

 MIYN とみ、「泉岳」とすることができる。

 また「御タケ」とすれば、 

  THVM(tekom 地下水、地中の深い所、深淵)の

 転訛とすることができる。

 単語の合成上の「ミータケ」は「泉-地下水」で

 「地下水の泉」の意味となる。

 村名でもあり頂上の名称でもある王滝は

 AVN-THVM(岩-地下水)で「地下水の出る岩」である。

2016年4月12日火曜日

《伊豆と浜名》②

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:~頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《伊豆と浜名》②

  日本へ来たイスラエル人の信仰に

 星信仰がみられる事情は既に述べた

 天形星に依っても明らかである。

 伊豆の祖語であるヘブライ語の

 IZ が複数形 IZYM(uzin) となると、

 日本では「星」の概念が一層強くなる。

 その「ウツ」を市名としているのが

 栃木県宇都宮市で「星宮」の字義となる。

 県下に数多く鎮座する星の宮神社の異称が

 「宇都宮」である。

 ただし、その祭神はヤハゥエ神信仰と全く関係なく

 単に地名に取り入れたに過ぎないので

 ここでは深入りしない。

 これに対し静岡県湖西市の

 浜名湖に突き出した岬にある

 宇津山はヤハゥエ神信仰に係わる。

 入出は「イリイデ」で ALH-ID(aeloh-ied) で

 「証人の神」となり、ガド族の神を表わしている。

 同地区内に西宮神社が鎮座していることや

 隣接して太田地区があることが傍証となる。

 半島の北側の入江、松見ヶ浦名は「戒律」を意味する

 MTsVH(mitsevah) の転訛であろう。

 さらに宇津(都)山の周辺が

 「根古屋」と呼ばれることが注目される。

 その字義は

 「ネ・ナ」が「神」、「コヤ」が「星」を表し、

 「星神(神-星)」である。

 同語の祖族は倭人(彝属、阿尼族)で、

 彼らが稲作、養蚕と共に日本へ移って来た信仰である。

 第10章 天毒とセリカ 「朝鮮と姑射」で

 姑射を「コヤ」と読んでいることを紹介したが、

 その用語である。

 同名は騎西町の玉敷神社近くにある地名でもある。

 さらに祖語を同じくしている地名に

 愛知県の名古屋(那古野)、

 佐賀県松浦郡鎮西町名護屋、

 新潟県佐渡郡真野町名古屋などがある。

 「コヤ」は、

 鳥居龍蔵が明治期に大陸内奥で調査収集した

 彝族(ロロ族)などの言葉の中に

 káb(リス)、

 héa(白ロロ)、

 kéa(Sēpu白ロロ)、

 kam(西蕃:ポップ・寧)、

 kú(西蕃)などと

  ※鳥居龍蔵「中国の少数民族地帯をゆく」より抜粋

 「星」の単語があり、これが該当する。

 「ネ、二」にも彝語、阿尼語にあり、

 現代の漢語に尼(ni)、濔(ni)などと表記されている。

 そして「ネ」は日本の古典で「根」と表記され、

 天津彦根神、天津道根神などと採用されている。

 「ネコヤ」が倭語でありながら

 ヤハゥエ神信仰に深く係わっているのは、

 第10章で述べたように養蚕業の専門技術は倭族にあり、

 イスラエル人は絹の加工とその流通において優れ、

 相互が共働していたからである。

  湖西市の南側は新居町だが、

 その地名内山は宇津山を転訛させたものであり、

 町名「アライ」は入出の「入」と同じく

 ALH(elh)の音写でヤハゥエ神を表わしている。

 新居町に湖名でもある浜名地区がある。

 域内に恵比寿神社などが鎮座しており、

 やはりこの地方が

 イスラエル人の影響を受けた様子がみられる。

 吉田東吾は大日本地名辞書で和名類聚抄の

 猪鼻郷にここを比定している。

 以下の解釈によりそれは妥当と考える。

 「猪鼻」の表記名は、

 「千葉:坂戸神社の人身御供神事」で

 「千葉」がエルサレム市にある丘の名称

 TsYVN に依ると解明した。

 その古名である猪鼻が

 千葉市中央区市場町と並んである。

 猪鼻名は和名類聚抄ばかりでなく、

 現在も浜名湖の北西三ケ日町のうちに

 猪鼻湖として「イバナ」の呼称で存在している。

 その湖は宇津山の北方に当たるが、

 同山より松ヶ浦を隔てて、そとに

 知波田あるいは大知波と「チバ」という地名があり、

 「イバナ」も TsYVN が祖語であることを示唆している。

 イバナが「ハマ(ヴァ)ナ」と転訛されたのである。

 箱根の名称由来で述べたように、

 母韻の語頭に"H"がつけられ、H-イバナ:ハヴァナとなり、

 マとヴァとの互換性からか、

 新居町の地勢で猪鼻郷の地が

 砂浜海岸を遠州灘に広げていることからか、

 「浜名」の漢字が当てられたとみられる。

 このような解釈から新居町の浜名が

 和名類聚抄の猪鼻郷の遺称地とすることができる。

 浜名湖または猪鼻湖であったことになる。

 イスラエル人の聖地シオンを呼称しているのである。

 猪鼻湖神社(現引佐郡三ケ日町下尾奈)が

 「延喜式」神名帳の遠江國濵名に載っており、

 「猪鼻」は古代からの名称である。

  新居町の東、遠州灘に沿って舞阪町がある。

 この町名もヘブライ語の「出口」を意味する

 MVTsH が祖語であろう。

 浜名湖の太平洋の出口に位置している。

 同町舞阪には岐佐神社が鎮座し、

 同名は埼玉県の騎西町の元でもある

 島根県安来市吉佐町名と同音であり、

 支布佐神社に由来する名称で、

 本来は「箱」の意味 KPhSH である。

 岐佐神社も

 「延喜式」神名帳の敷智郡に掲載されている。

 その「敷智」を「フチ」と訓じているが

 HED(hed) の音写で「こだま」を表す。

 同郡の六座のうちに許部神社が載っており、

 「コベ」は「声」の意味のKVLの音写であろう。

 舞阪町の北側は雄踏町となるが、

 「オトウ」は湖西市の宇津山の西方太田と同様

 「証人」 ID に依拠した地名である。

 浜名湖の入江の向こう浜松市白洲に

 宇気比神社が鎮座していることに対応する。

 宇気比は「誓約、証し」である。

 「延喜式」神名帳の濵名郡に載る英田神社は

 「エタ」と訓が付されており、 

 ID の音写であることは明白である。

 また敷智郡に載る息神社は「オム」と訓まれているが、

 これも「契約」を意味する AMNVH の転訛であろう。

 同社は現在雄踏町宇布見に同名で鎮座している。

  舞阪町、雄踏町の奥の浜松市域に

 佐鳴(さなり)湖がある。

 佐鳴は「サメイ」が本当であろう。

 台東区の下谷(したや)を「シモヤ」と解釈して、

 その祖語を ShMI で

 シェマアの祈りに係わる用語であると

 「浅草と目黒」で紹介した事情と同じである。

 湖を囲むように入野町が広がる。

 これも台東区の入谷に対応する ALH の音写で

 「神」の字義である。

 域内に天白神社、三国神社、誓約神社が鎮座しており、

 ヤハウェ神信仰関係の祠が顕著である。

 また浜松市内に20社以上散在するなど
 
 静岡県各地に六所神社が目立つ。

 「六所」は「多摩の律法箱」で述べた通り「ムショ」

 MShY の音写で、「絹、絹織物」を表わす。

 「駿河国の馬鳴神」で述べたように

 この地域は養蚕と絹産業の繁栄した地域であり、

 秦氏の足跡が信仰と産業の両面で

 顕著に遺っているのである。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

《伊豆と浜名》➀

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:~頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《伊豆と浜名》

  「久伊豆神社と十戒」で述べた

 埼玉県北埼玉郡騎西町の久伊豆神社の鎮座地は

 かっての別当龍花院の山名ともなっている。

 「伊豆山」に位置している。

 「イズ」はヘブライ語の「栄光」を表わす

 IZ の音写であり、伊豆山はシナイ山を示している。

 出エジプト記第24章15-18

 24:15

  こうしてモーセは山に登ったが、

  雲は山をおおっていた。 

 24:16

  主の栄光がシナイ山の上にとどまり、

  雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、

  七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。

  24:17

  主の栄光は山の頂で、

  燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、

  24:18

  モーセは雲の中にはいって、山に登った。

  そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。 


  静岡県熱海市にその伊豆山の地名と

 伊豆山神社が鎮座している。

 この名称も同じ観念に依り付けられたもので、

 伊豆はまさに『出エジプト記』に由来した

 「栄光」を表わしている。

 第17章

 17:1

  イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、

  シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、

  レピデムに宿営したが、

  そこには民の飲む水がなかった。

  17:2

  それで、民はモーセと争って言った、

  「わたしたちに飲む水をください」。

  モーセは彼らに言った、

  「あなたがたはなぜわたしと争うのか、

   なぜ主を試みるのか」。

  17:3

  民はその所で水にかわき、

  モーセにつぶやいて言った、

  「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、

   わたしたちを、子供や家畜と一緒に、

   かわきによって死なせようとするのですか」。

  17:4

  このときモーセは主に叫んで言った、

  「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。

   彼らは、今にも、

   わたしを石で打ち殺そうとしています」。

  17:5

  主はモーセに言われた、

  「あなたは民の前に進み行き、

   イスラエルの長老たちを伴い、

   あなたがナイル川を打った、

   つえを手に取って行きなさい。

  17:6

   見よ、

   わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。

   あなたは岩を打ちなさい。

   水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。

  モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、

  そのように行った。 

 17:7

  そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。

  これはイスラエルの人々が争ったゆえ、

  また彼らが

  「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」

  と言って主を試みたからである。

 17:8

  ときにアマレクがきて、

  イスラエルとレピデムで戦った。

 17:9

  モーセはヨシュアに言った、

  「われわれのために人を選び、

   出てアマレクと戦いなさい。

   わたしはあす神のつえを手に取って、

   丘の頂に立つであろう」。

  17:10

  ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、

  アマレクと戦った。

  モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。

  17:11

  モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、

  手を下げるとアマレクが勝った。

  17:12

  しかしモーセの手が重くなったので、

  アロンとホルが石を取って、

  モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。

  そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、

  モーセの手をささえたので、

  彼の手は日没までさがらなかった。

  17:13

  ヨシュアは、

  つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。

 17:14

  主はモーセに言われた、

  「これを書物にしるして記念とし、

   それをヨシュアの耳に入れなさい。

   わたしは天が下からアマレクの記憶を

   完全に消し去るであろう」。

  17:15

  モーセは一つの祭壇を築いてその名を

  「主はわが旗」と呼んだ。

  17:16

  そしてモーセは言った、

  「主の旗にむかって手を上げる、

   主は世々アマレクと戦われる」。


  「あなたの前に立つ」は助けることを意味する

 神はイスラエルの人々に

 水を岩から出して与えたのである。

 熱海の伊豆山神社の背後に岩戸山が聳えている。

 「戸」とは「口」の字義であるから

 「岩戸」は「岩山の水」を意味する。

 「水口」は熱海市の町名になっている。

 騎西町のシナイの転訛であるであると説いた

 正能地区の南北に外川(と)川、戸崎の地名があるのも

 この事件を題材としたわけである。

 熊谷市が「泉」に係わる地名であることも既に述べた。

 熱海市の北、神奈川県足柄下郡真鶴町の

 「マナツル」もこの事件に係わる。

 「マナ」は MIYN(maen) の音写で「泉、湧き水」、

 「ツル」は TsVR(tsur) で「岩、岩石」を意味し、

 「マナツル」は〔泉-岩〕の字義である。

 因みに MIYM は熱海の「ミ(海)」でもあり、

 「アタ」は「湯気、水蒸気」の意味の

 AD(aed) で、「アタミ」は〔湯気-泉〕となる。

 AD はまた伊東市の祖語でもあろう。

 この地域は温泉が盛んに湧き出している。

 熱海市桜町に今宮神社が鎮座しているが、

 「今(こん)」は「湖、池」を意味する

 AGM(agam)の転訛である。

 また西山町の来の宮神社

 伊東市八幡町来宮神社は

 モーセを助けた「神の声」である

 KVL(kol) の音写に依る。

 さらに熱海市和田木、そこに鎮座する和田木神社名は

 VT-KVL(vat-kol) で


 「こだま、神の声、天声」の字義である。

  『出エジプト記』第17章では

 このホレブ山での出来事の後アマレクという人々と

 戦うことになったが、その記述の最後(15・16)は

  17:15

  モーセは一つの祭壇を築いてその名を

  「主はわが旗」と呼んだ。

  17:16

  そしてモーセは言った、

  「主の旗にむかって手を上げる、

   主は世々アマレクと戦われる」。


 この「主の旗」を地名にしているのが熱海市の多賀で

 DGL(tegel 旗) の音写である。

 下多賀に鎮座する井下多賀神社は、井の下、

 つまり、ホレブ山麓辺りでの事件を覗わせている。

 天城山(高原)名はアマレク IMLK の転訛名であろうか。
 このように伊豆半島東部は

 『出エジプト記』第17に係わる挿話に満ちている。

 下田(しもだ)市名がその『出エジプト記』

 のヘブライ語名 ShMVT(shemot) に

 依ることは間違いないところである。

  湯河原市と小田原市との境界に星ヶ山がある。

 「久伊豆神社と十戒」で紹介したように

 「河原」は「星」の字義である。

 つまり、KVKhV(kuhabe) の転訛であるが、

 この名称は小田原市の東、

 神奈川県中郡二宮町山西の川匂神社名となっている。

 同社は「延喜式」神名帳の

 相模國餘綾(よろぎ)郡の一座で、

 同國の二の宮の位階にあった。

 その訓を「カワハ」としている。

 同町を葛川が流れ、ガド族の存在を覗わせている。

 中里及び中郡の「ナカ」は NGH(nagah)の音写で

 「光、輝き」にして「明星」を意味する。

 そこに明星神社が鎮座し、

 星神信仰があったことを示している。

 その名「明星ヶ岳」が小田原市と箱根市の境界宮で

 北方に聳えている。

 箱根の「箱」は「契約の箱」の意味に採れるし、

 「根」は後述するように「神」を表すから

 ヤハウェ神と解釈される。

 だが、この名称は江戸時代からと新しく、

 同漢字の採用は偶然の妙ともみられる。

 とはいえ、

 この地域名称も『出エジプト記』第17章の

 出来事に由来する。

 「ハコネ」は箱根神社元宮の鎮座する

 駒ケ岳(箱根山という)と芦ノ湖名に係わる。

 箱根の諸山は火山であり、芦ノ湖は火山湖である。

 駒ケ岳の「コマ」はヘブライ語の「湖、池」を意味する

 AGM の転訛であり、

 ホレブ(シナイ)山の岩間に湧いた水の池である。

 ここではガアノ湖を指している。

 この AGM の近似語に AGMVN(agemon) があり、

 「カヤリグサ」つまり、「葦、芦」の字義で

 これらが「芦ノ湖」名の祖語である。

 そして「ハコネ」は同語の転訛と考える。

 ヘブライ語がヨーロッパ・インド語系の影響を

 受けると語頭の母韻前に"H"が付けられる場合が多い。

 例えば IBRY(iberi)が

 英語になると Hebrew、

 ドイツ語になると Hebräer、

 日本語で「ヘブライ人」 となる。

 第11章の 「相模:ドィルガー・プージャーの里」

 で箱根町が属する足柄郡がサンスクリット語の

 刀鍛治(刀工)を表わす 

 asi-kāra に依ることを紹介したように、

 この地域には

 ヨーロッパ・インド語の影響があって不思議ではない。

 「八潮市立資料館藤波邸の牛角兜」においては

 さらに、具体的に明確になる。

 よって、H-age(mo)-n が「ハコネ」となったのである。

 中世以降、筥荷とも表記されていたことで、

 本来「箱の神」を前提としていたのではないことが解る。

 ヤハゥエ神の「岩泉」に対する信仰が基本であったのである。

 芦ノ湖の北端から流れ出し小田原で箱根湾に入る河名

 早川というが「ハヤ」は

 ヤハゥエ神名を特に言わないための略称

 HI(hei) の音写で、本来はハシェムはアドナイと読むが、

 ここでは表記通り読んだものである。

  ところで「浅草と目黒」で

 駒形堂が箱根神社を勧請したものであることを紹介したが、

 同社は駒ケ岳の南麓芦ノ湖岸に鎮座している。

 この鎮座の地勢により

 「コマーガタ」神社となったと考える。

 「駒」は上記の通りの「駒」である「湖」を表わすが、

 「ガタ」はヘブライ語の「川岸、土手」を表わす

 GDH(gadah)に依るもので

 「コマガタ」は「湖岸」を意味する。

 箱根神社をそのように別称し、

 浅草へ遷座させたものであろう。

 本来は上野山に象徴させて岩泉信仰なのであり、

 「馬頭」とは全く縁りの無かったものである。

 それが、浅草における「駒形」信仰が中世以降

 盛んとなり、

 各地、特に東北地方に広がったものとみられる。

2016年4月10日日曜日

《久留里:聖地と牛角》

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『浦和レッズ』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』『サンフレッチェ広島』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1119~1122頁

 第16章 ヘブライ人の日本定着とヘブライ(イブリ)の信仰

 《久留里:聖地と牛角》

  「市場」は更に木更津市下郡にもあるが、

 これは君津市久留里市場と関係する。

 久留里の山間は袖ケ浦市の坂戸市場が

 木更津市をながれる小櫃川の十流地域に当たる。

 そこに小櫃(旧村名)がある。

 ここも秦氏の開発した地方である。

 浦田、富田は「ハタ」の転訛であり、

 久留里市場の下町にある浮戸神社は坂戸市場の西方を

 流れている浮戸川名と同じで「ハタ」神社で、

 この地方で最も古い神社と考えられる。

 その開闢伝承によると、

 平安時代の源平の戦いに敗れた摂津の源氏系の人々が

 ここに定住したことに始まるという。

 そこは細田といわれていたという。

 細田は「サイタ」「サヒタ」で

 ヘブライ語の SAKTL(箱)の転訛であり、

 現在の向郷にその遺称を保っている。

  摂津は秦氏の拠点の一つであった。

 向郷の小櫃川を挟んだ久留里内には

 葛原の地名も残っている。

 久留里から少々下った小櫃はかっての村名で

 河名から採られたという伝承もあるが、

 「小櫃村誌」に依ると、

 村内の白山神社の境内にある庚申塔に

 「寛文九巳歴十一月吉日建之、

  上総国望陀郡小櫃俵田村」とあることや

 応永の頃(1394~1427年)

 小櫃遠江守一家が

 この地を支配していたようであるから、

 その名称の発生は

 少なくとも鎌倉時代までは確かなようである。

 小櫃名は先に述べたように、

 ヘブライ語の「箱」を意味する 

 KFhSH を表音と字義を合わせて

 表記しようとした用語である。

 その鎮守である白山神社の主祭神には

 菊理媛命が祀られている。

 同神は石川県石川郡鶴来町の白山比咩神社の祭神であり、

 島根県安来市黒井田に鎮座する菊理神社に関係している。

  久留里名はガド族の故地の名称の移入である。

 ガド族、ルベン族、マナセ族半ばがイスラエル人が

 カナンヘ進攻してギリアデへ帰還する途中

 ヨルダン河の沿岸に大きな祭壇を建立したが、

 その所の名称が GLLT(Geliloth) であり、

 「クルリ」はその聖地なのである。

   GLLTの語幹 GLL は GLYLY(円筒状の) 、
 
 語尾 T は TsRH(骨)で「骨の円筒」あるいは

 「円筒状の骨」で「角」を表し、  

 坂戸市場の南にある地名「牛袋」に対応する

 「牛角」を表わしている。

 つまり、「久留里」は「牛角」なのである。

 久留里市場の旧家須藤本家の家宅は

 文化財として護られているが、

 須藤はまた牛角を本旨とする。

 「須」はヘブライ語の SVR(sur) で「牡牛」

 「藤」は TAV(tau) で「水牛」を表し、

 「ストウ」は「水牛の牡牛」となり、

 その象徴である「牛角」を言ったもので、

 SVR-TAV は「牛角」である。

 市場の字名「孫代」も同様であろう。

 また、この用語は sede(山)と習合し、

  AL-SDY となり、「山の神」ながら

 「全能の神」と解釈されているものである。

 エゼキエル書第29章20、21はいう。

 29:20彼の働いた報酬として、

  わたしはエジプトの地を彼に与える。

  彼らはわたしのために、これをしたからであると、

  主なる神は言われる。

 29:21

  その日、わたしはイスラエルの家に、

  一つの角を生じさせ、

  あなたの口を彼らのうちに開かせる。

  そして彼らはわたしが主であることを知る」。


 「角」は智恵を比喩している。

 これはゼカリヤ書第6章11

 6:11

  彼らから金銀を受け取って、一つの冠を造り、

  それをヨザダクの子である

  大祭司ヨシュアの頭にかぶらせて、


 「冠」を意味する所が同じと考える。

 「箴言」第14章24

 14:24

  知恵ある者の冠はその知恵である、

  愚かな者の花の冠はただ愚かさである。


 これに関する考察は「終章の智恵の木」で行う。

 《参考》
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ