2015年3月20日金曜日

狗奴国⑦

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:866・867頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国⑦
 
  ヤーダヴァ族である登美族の信仰に係わる

 考古学的資料を指摘しておく。

 4世紀末期の造成とされる櫛山古墳(天理市柳本町)は

 崇神天皇陵(行燈山古墳)の陪塚で、

 双方中円墳で祭祀が行われた跡を残している。

 この古墳の構造で後方部の表面に

 赤い砂層が敷き詰められている様子は

 赤御幣と同じく赤に対するこだわりの表れである。

 砂も大神神社の「清めの砂」に関連していそうある。

 その発掘された遺留品がの中に

 石製の「腕輪」と判断されているものがある。

 その面には放射状に波打つ装飾が見られる。
 
 これは腕輪ではなく円盤である。

 同古墳の周濠から江戸時代に出土したと
 
 伝えられる銅板にも円盤状の紋様が施されており、

 その主旨を同じくするものと考えられる。

 大神神社の山ノ神祭祀遺跡の遺物の中にも

 「双孔円板」が数百枚含まれていた。

 この円板も円盤とすることができるだろう。

 その数の多さは目立っている。

 円盤はインドの神、

 ヴィシュヌ神の武器として知られている。

 ヤーダヴァ族のクリシュナは大叙事詩

 マハーバーラタ

 (サンスクリット語: महाभारतम् Mahābhārata)に

  おいてヴィシュヌ神の権化とされ、

  後のヒンズゥ教の聖典プラーナにおいては

  その性格が一層強くなり、

  ヤーダヴァ族にヴィシュヌ神との関係がみられる。

 同神はすでにリグ・ヴェーダ

 「(ऋग्वेद Rigveda)は、古代インドの聖典であるヴェーダの1つ。

   サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語

  (英語: Vedic Sanskrit)で書かれている。

  全10 巻で、1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)からなる。」

 にその神名がみられ、インドラ神のよき協力者である。

 その讃歌にはインドラ神が牡牛として現れるのに対し、

 牡牛を神獣とする。

 その同名は太陽の光輝を神格化したもので、

 クリシュナの別称がヴァースデ・ヴァ vāsudeva で

 その父がヴァースデーヴァ vāsudeva の子という意味を持つが、

 そのvāsが「夜が白んで明るくなる」「夜明けに輝く」の字義を

 持っていて、

 ヴィシュヌ

  (英: Vishnu, Viṣṇu, デーヴァナーガリー:विष्णु)は、

  ヒンドゥー教の神である。

  仏教名は「毘紐天」、「韋紐天」、あるいは「那羅延天」。

  音写語としては「微瑟紐」、「 毘瑟怒」などもある。

 はそれに係わる。

 そしてそれは、

 天照大神の祖像と説いたウシャス神名にも係わり、

 大神神社に関連する。

 さらにインドラ神の協力者であることもその係わりの強さを示す。

 円盤は太陽光の放射を表徴させたものであると考えられる。

 櫛山古墳まどから出土した円盤は

 ヤーダヴァ族(登美族など)の系譜の遺品で

 あることに相違あるまい。

 この「円板」はいわゆる「御諸」を表わしているのかもしれない。

 インドラ神は雷神で積雲 mih(migh)-māla の神であり、

 それは同神の首輪(花輪)である。

 御諸が「環」であることは前章で述べた。

 そうすると円盤が大物主神の象徴であると理解される。

 ただし「双孔」であることに疑念は残る。

 そこで別の面から解釈を述べておきたい。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年3月18日水曜日

狗奴国⑥

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:865頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国⑥

  ヤハウェの示す力にはインドラ神と同じ影がある。

 モーセはエジプトの王の前で持っていた杖を投げると蛇になった。

 また、その杖で水に触れるとエジプトの水という水が

 全て赤い血の色となり飲めなくなった。

 赤い御幣を玄関入口に立てるというのは

 ユダヤ教の仕方である。

 ヤーダヴァ族である登美族が

 メソポタミアから受け継いできた宗教的慣習であろう。

 赤御幣の形は「雷光、稲妻」を模したものとみられる。

 他の神社では白紙で作られるが、

 その形はやはり同様の稲妻状である。

 つまり赤御幣はインドラ神の武器である金剛杵(vajura)の

 象徴で倭族の伝統「帛」と習合したものである。

 ヴァジュラは本来棒または槌で「杵(きね)」であった。

 「杵」はエローラ石密第四窟に浮彫りされた

 「ドウルガー女神像」では「棍棒」となっている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

狗奴国⑤

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 《参考:年表・資料》

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:863・864頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国⑤

  「きぬ」は今でも大神神社の隠れた信奉の象徴である。
 
 それは「赤御幣」である。

 「幣」は「ヘイ」だが、また「キヌ」でもある。

 「説文」に「幣、帛也」とあり、

 幣帛(みてくら)とも表わされる。

 帛は絹布であるが、「丹書して神を祠るきぬ」であり、

 またの名を「繒」という。

 その元祖を第9章中国の祝祭と皇帝「中国の祝祭」で

 三星堆遺跡の祭祀に関係して説明した。

 倭族の古来の伝統が三輪山では生きているのである。

 この赤(丹)色の御幣は災難よけを主旨に

 大神神の憑り代として参拝者に授けられている。

 御幣は信奉者各家の入口に立てられ、

 玄関から禍事災難を入らせないという。

 家の入口に赤いものを立てるのは

 メソポタミアを発祥地とする

 ヘブライ人の慣習でもある。

 第5章「旧約聖書」創世記の「ヤハウェ神とモーセ」で

 説明した「出エジプト記」第12章に主ヤハウェがモーセに向って

 告げる正月には各家ごとに小羊を一頭取らなければならないとし、

 「イスラエルの会衆は皆夕暮れにこれを屠り、その血を取り、

  小羊を食する家の入口の二つの柱と鴨居に

  それを塗らなければならない。

  そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、

  種入れぬパンと若菜を添えて食べなければ「ならない」

 とある事情に合致する。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年2月26日木曜日

 狗奴国④

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:862・863頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国④

  以上が古代に「キノ」があったとみられる遺称地であるが、

 九州の西部、南部にその所在地があり、

 近畿地方には大きな吉野の地域がある。

 このうちのどこかということになるが、

 やはり奈良県の吉野郡から大和盆地と考えざるを得ない。

 狗奴国は邪馬臺国であるからには

 かなり広大な地域を傘下に置く大国である。

 邪馬臺国を奴国(福岡市)に連なる九州の域内とすることを前提とし、

 倭国伝の「女王国から東へ渡ること千余里」は

 その重要な判断資料である。

 吉野郡は「キノ」で、

 吉野川の流れる五条市の和歌山県境に木ノ原の地名がある。

 木原(きのはら)町、天香具山の西側の木之本に通じる。

 大和高田市磯野町名も「キノ」である。

 更に平安時代の資料によると

 十市郡のうちに喜荘(きのしょう)があった。

 その遺称地はないが、

 桜井市粟殿内の小字名「木之庄」の比定にされている。

 粟殿に「キノ」があることは興味深い。

 「キノ」は巫覡(ぶげき)であるが、大神神社は巫女の神社であることは

 『記・紀』の伝承始め多くが語られている。

 三輪山信仰が太初における祭政の中心であった状況は

 第12章で詳しく見てきたところである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年2月6日金曜日

狗奴国③

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:861・頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国③

  「吉野」は「キー」で「クナ」と訓音が近く

 巫覡、狗奴と同根語と考えられる。

 だが、ここは狗奴国ではない。

 「女王に支配されている領域の国々の内の弥奴国」である。

 「ミナ」はサンスクリット語の menê の音写で

 「女、婦人」を意味する。

 弥奴は後世の三根郡名や上峰町名の祖語である。

  「吉野(キー)」が gnā である

 巫覡の別名であることが解かったが、

 吉野を地名とする地域は処々にみられる。

 そしてそれらの一つが狗奴国の遺称地と考えられ、

 その一所が所在地として追求されなければならない。

 倭人伝の記録された時代(紀元3世紀)には

 各地に巫覡がいたのであろう。

 「キー(吉野)」名の地名を追ってみた。

 ○福岡県鞍手町、小竹町「吉野」

 ○福岡県大牟田市吉野

 ○熊本県荒尾市宮内(クナイ)

 ○熊本県下益城郡南町吉野(吉野山、築地)、

  築地は「チク地」だが、「キネ地」とみられる。

  隣りには舞原がある。

 ○熊本県菊地市木野、鹿本郡菊鹿町木野、

  和名類聚抄の菊地郡城野郷

 ○鹿児島県鹿児島市吉野

 ○岡山県東部吉野川(地名に吉野郷)

 ○徳島県板野郡吉野町(吉野川)

 ○奈良県吉野郡(吉野町、東吉野町など13町村、五条市)、

  大台ケ原を水源とし吉野郡を流れ下る吉野川は

  和歌山県に入って紀ノ川と改称される。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

狗奴国②

 浦和レッズレディース
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:859・860頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国②

  gnā は「女神」であるが、

 また神妃で「巫覡(ふげき)」となって「巫女(かんなぎ)」を

 いうものである。

 「巫覡」は邪馬臺国の卑弥呼、大神神社の勢陀多良比売命など

 紀元2~4世紀にはその祭政時代を担う

 重要な役目を果たしていた。

 そのような状況を明らかにしているのが

 佐賀県三養基郡三田川町の吉野ヶ里遺跡である。

 遺跡のうちからは祭祀の遺構が発掘されている。

 この地域は遺跡の東方に目違原の地名があるように

 「和名類聚抄」の肥前国三根郡米多郷内である。

 「米多」はその訓みを「女多」と記入されている。

 「メタ」はサンスクリット語の「祝祭」を意味する

  medha に由来する。

 奈良県大和郡山市稗田町に鎮座する売多神社名に通ずる。

 同社は『古事記』の編纂を担った語部の性格を持つ

 稗田阿礼を祀り、

 延喜式神名帳大和国添上郡に載る神社である。

 阿礼の祖神は天鈿女命である。

 同女神の実態については第1章祝祭で詳しく述べた。
 
 同女神は祝であったが、『古事記』の天の石屋戸の場面で

 「神懸かり為て」とあることからまた巫覡であることが解かる。

 その踊子の姿は巫女舞いである。
 
 「売多」を神名帳は「ヒメタ」と訓ませているが、

 これは天鈿女命の性格から「メタ」である。

 舞踊をサンスクリット語で tandava ということは

 第1章などで紹介したが、その転訛された地名を持つのが

 吉野ヶ里遺跡の地籍「田手」である。

 その地名は遺跡のすぐ南に鎮座する田手神社に依るだろう。

 同社の現祭神は

 撞賢木叢之御魂疎向津媛命で天照大神であることは

 前章で明らかにしたところであるが、

 同社の現祭神は撞賢木叢之御魂疎向津媛命で

 天照大神であることは

 前章で明らかにしたところであるが、天鈿女命は天照大神の

 隠れた天の石屋戸の前で踊った。

 つまりその御前を祀る女神で、大宮能女神であり、

 豊宇気毘売神(登由宇気神)であることが

 本書の考察でみえてきた。

 伊勢市の伊勢神宮の周辺に夫婦関係にある猿田彦神社は

 在っても天鈿女命をその名で祭る神社はない。

 つまり豊受大神宮(外宮)こそが天鈿女命の鎮座地にして
 
 天照大神への奉祭神なのである。

 京都市伏見区の稲荷大社には猿田彦大神、大宮能売大神と

 揃って祀られている。

 田手神社の本来の祭神は同じ女神ではあるが、

 天疎向津媛命ではなく、

 踊子の語義からして天鈿女命であったはずである。

 その変更は神功皇后の半島遠征に纏わると推測される。
 
 田手の直ぐ西側神埼町神崎に鎮座する櫛田宮は

 福岡市博多区上川端町の櫛田神社と関係し、

 神功皇后の奉祭伝承を持つ。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年2月1日日曜日

狗奴国①

 浦和レッズレディース
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 《参考:年表・資料》

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 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:857・858頁

 第十三章 「倭人伝」 
 
 狗奴国①

  狗奴国について

 「倭伝」は

 「(女王国と)同じ倭の種族なのであるが、女王に属していない。」

 と述べる。

 また「倭人伝」は

 「狗奴国があり、男子が王となっている。

  その官に狗古智卑狗がおり、この国は女王に服属していない。」

 と述べ、

 正始8年(247年)には次のような記述がある。

 東洋文庫「東アジア民族史」より転載する。

  〔帯方郡の〕太守(長官)王頎が新たに任官されると、

  倭の女王卑弥呼は、もとから狗奴国の男王卑弥弓呼と

  不和であったので、

  倭の載斯烏越らを遣わして〔帯方〕郡に行かせ、

  〔狗奴国と〕戦っている様子を報告した。


  これらの記録だけが考察の材料である。

 「狗奴国」の訓み方は「狗」が漢語では gou であり、

 「奴」は奴国を「ナとする限りにおいて」

 na (漢語 nu)で、gou-nau となり「クナ」と訓める。

 この「クナ」はサンスクリット語の gnā の転訛で

 「女神」に依るものと考える。

 奴国が nau (船)国、

 末廬国が madhura (甘いもの、蜜)国であるから、

 サンスクリット語の地名であっても不思議ではない。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ