2014年3月18日火曜日

姑射と偎人(2)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:550頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(2)

 雲南省の「哈尼族社会歴史調査」は、

 これを「洪西」とし、

 「クンシーロー」を洪西楼と表記する播種祭である。

 そのような農耕神を祀ったのが佐賀県神埼郡神埼町の

 櫛田宮である。

 「櫛(くし)」は「クンシー」の転訛で、

 姑射(gu-she)も同語を祖語とすると考える。

 「クシ」は現在の福岡市を含むかっての粕屋郡の「粕」となり、

 「香椎」ともなっていると考える。

 その名称はまた大分県の玖珠郡名や久住町ともなっている。

 玖珠郡玖珠町綾垣に姑射山神社が鎮座する。

 さらに九州名の祖語で、ku-shu であり、

 後に九つに分かれた国との概念からこの漢字を当てたものである。

 また「櫛田」名は三重県の松阪市にあるが、

 その字義を墾田と解釈されているものも「クン・シー」に対応する。



 このように姑射である「クシ」は

 倭族が持ってきた九州地方の最も古い地名とみられるのである。

  九州には金毘羅神社が多いが、

 その祖語も倭族の農耕に係わる儀礼である

 「クンシーロー(畑神-祭)」である。

 これも前掲書の採取用語であると共に

 前記雲南省の調査が

 「洪皮楼」と表記する稲の収穫祈願祭である。

 《Key Word》
 櫛田宮
 櫛田宮

 姑射山神社
 姑射山神社

 『参考』
 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

姑射と偎人(1)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:549頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(1) 

  山海経「海内北経」に載る姑射とは倭族が

 稲作のために開拓した「新しい畑」を表わす

 クン・シー(畑-新しい)に依拠する用語である。

 「クン・シー」は鳥越憲三郎が

 タイ国内にいるアカ族から採集し

 「倭族から日本人へ」で報告している用語であるが、

 アカ族は中国でいう哈尼(はに)族の一派であり、

 和蛮で、日本で言う倭族である。

 同書によるとアカ族の集落では

 「四月の丑の日を選んで村長が

  農業開始の時期を迎えたことを告げる行事」として

 祭事を行うという。

 例年新しい畑の神として農耕神を祀るという。


 《Key Word》

 倭人
 倭人

 倭族とは
 鳥越憲三郎
 鳥越憲三郎

 哈尼(はに)族
 哈尼(はに)族

 アカ族
 アカ族

 雲南省における棚田とハニ族のエスニシティ

 『参考』
 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

絹の産地(8)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:548頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地(8)  

 以上の記録のうちには、

 それ以前の史書を転載している例もあるが、

 そのまま上げてある。

 これによって解かるように

 紀元前より韓半島の南部及び倭の地では

 絹が生産されていたことを示している。

 ここで注目しておきたいのは「韓」は

 現在 khan と読むことで統一されているが、

 古代においては chan であり、

 漢語の蠶ないし蚕が can <チャン>と訓じられることで、

 その国名の起こりが「蠶」にあったと推測される。

  また、日本の古代についても、

 養蚕技術の発達が遅かったと考える識者が

 考古学的見地から多いが、

 決してそうではなく、

 紀元前には倭族が渡来した際には

 稲作技術と共にもたらされたと考えられる。

 しかも、その伝来経路は韓半島経由ではなく、

 漢大陸から沖縄方面を経た移住者たちに依る。

 養蚕は高句麗には紀元前には

 育っていなかった状況を史書によってみた。

 その状況は稲作も同様で、

 南方より、といっても
 
 揚子江から山東半島にいた倭族の一部が海を渡って
 
 韓半島南端や九州方面に定住したのである。

 『参考』
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 古代史獺祭


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年3月17日月曜日

絹の産地(7)



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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:547頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地(7)  

 (3)倭の絹業

  「後漢書倭人伝」

  土地は禾稲・麻紵(あさ)や、

 桑を植えて養蚕するのに適している。

 糸を績(つむ)いで布を織る技術を持っており、

 縑や緜(まわた)を産出する。

 〔正始〕四年(243)に

 倭王再び太夫伊声耆と掖邪狗ら八人んも使節を送り、

 生口と倭錦と縑、綿衣、帛布、丹や

 水拊の短弓と矢などを献上してきた。

  「晋書倭人伝」

  その地は温暖である。

 人々は禾稲や紵麻を植え、

 桑を栽培し、蚕を飼い、

 布を織り、糸を績ぐ。

 『参考』
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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



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 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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絹の産地(6)

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:546頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地(6) 

 (2)韓半島の絹業

 (c)韓・馬韓・百済

  「後漢書韓伝」

  馬韓人は、耕作や養蚕の知識があり、綿布を織ることができる。

  土地は肥沃で、五穀の育成によく、

 蚕を飼うことや桑を植えること、

 縑布(かとりきぬ)を織ることや牛馬に乗ることなどを知っている。

 「周書百済伝」

  税は、布、絹、糸、麻や米などで賦課し、

 その年の出来高を見てとっている。

 (d)辰韓・弁辰

  「晋書辰韓伝」

  地は五穀に適している。

 その地方は桑を栽培し蚕を飼うのが盛んであり、

 縑布を上手につくる。

  「三国志魏書弁辰伝」

  土地は肥沃で五穀や稲を植え育てるのに適している。

 蚕を飼い桑を植えることを知っていて、

 縑布を作り、牛馬に乗る。

  「梁書新羅伝」

  土地は肥沃で五穀を栽培するのに適し、

 桑また麻も多く、縑や布を作っている。

 『参考』
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 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
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2014年3月16日日曜日

絹の産地(5)

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:545頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地(5)

 (2)韓半島の絹業

  ところで、絹の産地は漢大陸に収まっていたばかりでない。

 紀元前以前には韓半島と日本へも伝わっていたのである。

 それを明らかにするのも中国の史書である。

 東洋文庫は「東アジア民族史」からの抜粋で纏めてみる。

 (a)濊(わい)

  「三国志魏書濊伝」

 桑を植えて蚕を飼い、

 緜(まわた)を作っている。

 (b)高句麗

  「三国志魏書高句麗伝」

 その公式の衣服は

 みな錦織や繍(ぬいとり)のある絹織物で、

 金銀で飾り立てる。

  「魏書高句麗伝」

 世祖(423~452)領民はみな土着のものであり、

 山谷に居住して、布、帛及び皮を着用している。

 土地は痩せていて、

 養蚕や農業も自給できるところまでいっていない。

 公式の衣服は全て錦織や繍(ぬいとり)のある絹織物で、

 金銀で飾りつける。

  この記述から推測すると紀元前後には養蚕は行われず、
 
 5世紀になってやっと細々ながら始まったとみられる。

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
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絹の産地(4)

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:544頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地(4) 

 (1)書経「禹貢」

  以上禹貢に現れる絹に係わる記載を纏めた。

 その特徴は、

 絹製品の産地が全て東方の地域で

 海岸に面しているということである。

 漢書地理志の「粤(えつ)国」には儋耳・珠厓

 漢書地理志の「粤(えつ)国」には儋耳・珠厓(海南島)でも

 「女は蚕を飼って機を織る」とある。

 因みに蜀の地四川盆地は「禹貢」が編まれるた周の時代には

 九州の内に属していない。

 ここでは詳しく述べる余地はないが、

 絹の産地は全ては倭族のいた地域である。

 揚州及び海南島は越(粤)族で、

 彼等の伝承では蜀を祖地としている。

 兗州・青洲・徐州の地は漢民族が東夷と呼んだ

 莱夷、菖夷、奄夷、郯夷、徐夷、准夷の地であり、

 彼等はまた倭族であった。

 つまり、倭族は絹、養蚕の技術を持った

 集団と考えられるのである。

 既に述べたように青洲、兗州の地からは

 四川省成都周辺と同様に西王母の石碑が多く見つかっている。

 倭族は史書にいう夏の時代、或いはそれ以前から

 絹ばかりでなく稲の技術も共にそなえて

 四川盆地から東方の平原へと進出して来たものと推測される。

 四川盆地の豊かな米の生産力が

 人口の拡大を促し揚子江を下って

 彼等の拡大を帰したとみられる。

 《Key Word》

 西王母の石碑


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ